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三章 ミコという名前

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 ヒミコ。卑弥呼。

 日本史の授業で先生が、ちらっと言ってた気がする。ヒミコの本当の漢字は違うだろうって。卑しいなんて字は使われていなかっただろうって。弥と呼には問題なさそうに見えるんだけど。当て字かな。
 素直に考えれば綺麗な字だ。日の神子。
 尊い子だから、御子ミコ様と呼ぶ。
 字面を見たら、ちょっと実感が湧いてきた。
 不思議な力や、この状況。姿。時代。世界観。
 少し、そうかな、という予感はあったのだ。

「私、一番偉いんだ?」
「そうなります」
「その割には、ひどい扱い受けてたよね」
「ミコ様が逃亡を謀《はか》られたためです。オサに、まんまとシンギケンを与えてしまいました」
「シンギケン?」
 新技研。んな訳ないな。真偽権かな?
「ミコ様がご不在の際は、オサが変わってムラを治めます。ムラを逃亡した人間をどうするかも、統治者に権限があるのです」
 ええと……審議しんぎ権だな。
 タバナの声が荒くなっていく。
「なぜ、ご自分からムラを逃亡するなどとなさったのか。出て、どうなさるおつもりだったのか。追いついた時には、すでに、あなたはあなたじゃなかった。オサに引き渡さざるを得ず、お会いすることも叶わず、問いただしたくとも御心が分からず、どうすることも出来なかった! ……失礼しました」
「いや……なんか、こっちこそゴメン」
 タバナが、肩を落として息をついた。色々な思いの混じっていそうな、深いため息だ。

 カラナは本当に、誰にも何も言わずにやしろを飛び出したらしい。ヒタオだって知らなかったそうだし、他の女の子たちも誰も知らなかったし見なかったということだった。
 でも誰にも言わずに見られずにここを出て、あんな場所にまで一人で走っていけるんだろうか? 誰かの手引きとか、あったんじゃなかろうか? 本当に自分の足で走ってた? ものすごく疲れていたのは確かだけど、私は走り疲れてたんだろうか?
 オサが「飛ぶ」とかどうのこうの言ってたけど、もしかしてカラナは、精神体だけじゃなくて、肉体そのものを飛ばすことも出来るんだろうか?

 もし百歩譲って、この状況が夢だとしたら、スタートがあんな中途半端なシーンから始まっていることは、別に何も不思議もない。夢って唐突なものだ。いきなり始まって脈絡のない展開をして、いきなり目が覚める。
 でも目は覚めないし、展開にも無理がない。いや、あるっちゃあるけど。洞窟に放り込まれた4日間、あれはハードモード過ぎたわ。
 逃亡したお仕置きだみたいなこと言われたけど、お仕置きどころか罪人扱いだったよ、あれは。あそこでツウリキ出せてなかったら、間違いなく処刑されてたね。むしろ死にたくて逃げたんですか、カラナ? ってぐらい、最初、ボケッと突っ立ってた訳だし。
 どうして入れ換わったんだろう?
 誰が私を、カラナの中に入れたんだろう?
 ってか人為的になのか偶然なのか、なんなのかも、さっぱり分からないけど。
 今となっては、カラナの意識が見当たらないことが残念でならない。誰も本当のことを知らないよ。もしカラナが逃げたんではなかったんなら、それを証明する人もいない状態だ。タバナにまで誤解されてることになる。
 ヒタオのことが嫌いで憎くて、どうしようもなくて社を逃げ出したっていう気持ちも、どこかに残ってる。もし本当にそうだったんなら、誤解はない。その通りだ。
 でも……なんかスッキリしない。
 心の奥底で、そうじゃないって叫んでいる何かを感じる。
 もし身体ここにいるなら、さっさと出てきてくれれば良いのに。カラナ。

 時間が来てしまい、「では」とタバナは行ってしまった。
 ヒタオが食事の準備を整え始める。外に控えていたらしい女の子が二人、わらわらと入ってくる。
 戸口から見えるわずかな空は、まだ青いようだけど、室内はもう暗い。でもロウソクを灯すほどではない暗さだ。きっと、西の空はそろそろ赤く色づいているんだろう。この世界に来て日常を過ごした、最初の感想は「日が短い」だった。
 ロウソクを点けたところで、どうしようもないほど暗い。本が読めるほど煌々とした明かりじゃない。せいぜい夕飯が終わって着替える時に、周囲が見える程度でしかない。

 着替えたら、寝るしかないのだ。
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