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20 取引の結末

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「取引だと?」


アルは私を片腕で抱きかかえたまま、もう片方の手を懐に突っ込む。
セロシア様と騎士達が身構えたけれど、出てきたのはナイフではなく、一枚の紙だった。


「……これは?」

「カトレア姫が暗殺者と交わした契約書です」

「何だと!?」

「この暗殺者はちょっと問題のある男でして。商人に扮して依頼人と接触するのがいつものやり口なのですが、こうしてわざわざ実名のサインで契約書を作らせ、依頼達成後にその契約書をどこぞへ売り払うんです」

「……強請ゆすりか」

「ええ。そんなことが幾度かあったので、すっかり依頼人も減っていたんですが……カトレア姫、お母様や手下たちが派遣したはずの暗殺者が成果をあげないものだから、焦っていたのでしょうね。噂も知らずに招き入れてこんな証拠を残してしまったようです」

「その暗殺者は」

「もう居ませんよ。欲しかったですか?」

「……いや」


それってあのリネン室の時のやつだよね?
この証拠を手に入れられたから、あの時上機嫌だったのだろうか。


「仮にも王族のサインです。筆跡鑑定は可能でしょう?」

「……」


ひらひらと、煽るように紙を揺らしながらアルは畳み掛ける。


「あともう一つ。獣寄せの薬もその時に購入していました」

「何!?」

「これを購入したと言うことは、どこかでイベリス姫を外に行かせるつもりだったはずです。その直後にイベリス姫が訪ねてきたのは渡りに船だったのでしょうね」


……なるほど、あの時カトレアが妙に笑顔だったのは買ったばかりの獣寄せをすぐに使えると分かったからか。
そしてすべてを知っていたからこそ、アルはあえてカトレアの案に乗ったとみえる。
そんなアルがまた懐に手を突っ込んだ。
セロシア様と騎士が身構える。
しかしアルが取り出したのはこれもまたナイフではなく、ただの小瓶。


「この薬品をあの時使用した馬車の駐車場所と、カトレア姫の香水棚に振りかけてみてください」

「これは……?」

「使用された獣寄せに反応して発色する薬剤です。僅かでも成分が残っていれば反応しますので、洗った後の馬車でも反応が見られるかもしれません。木材の部分はしみ込んでいるでしょうし。それがなくとも、駐車場所の付近には痕跡が残っているはずです」

「なぜ香水棚に?」

「あの獣寄せは密室にあると人間の鼻でも特有の匂いを感じますので、使う時まで香水と一緒に保管していたようです。獣寄せの薬自体はもう処分してしまっているでしょうが、棚には成分がまだ付着していると思われます。……ここまで揃えば十分でしょう?」

「……」


セロシア様が集められなかったというカトレアの悪事の証拠の数々。
まさにほしかった物なのだろう。
悔し気な表情こそ隠しているものの、口数が少ない。


「何が望みだ」

「話が早くて助かります。これらの対価として、貴方にはイベリス姫との婚約を諦めていただきたい」


ここにきて、セロシア様の表情が不快気に歪む。


「何だと?」

「嫌なら無理にとは言いません。国王陛下に直接奏上いたしましょう」

「貴様のような人間が国王陛下にお目通りできると思っているのか!」

「頑張りますね」

「馬鹿にしているのか!」

「していませんよ。仕方ないでしょう?セロシア公子に断られたら、次は国王陛下です」


それって、セロシア様が断ったら国王のところに行くけどいいのかっていう脅しだよね。
暗殺者を国王のところに行かせるわけにはいかないし、セロシア様の内心はかなりの葛藤があるだろう。
どう考えても私の好きな人が悪者なんだけど、どうしたらいいのかな……


「……貴様、そもそもこの場から逃れられると思っているのか」

「僕を捕まえることができると思っているんですか?」


セロシア様が初めて歯噛みした。
その表情が何よりの返事だ。
それを満足げに見て、アルは笑った。


「ご安心ください。先ほども言った通り、僕は平和主義なんです」


さきほど脅迫したばかりの人間が何か言ってる。


「その証拠に、貴方の大切な騎士は誰一人殺していません。今夜は何事も無い静かな夜だったと、そう言うことにしていただければ僕もこれ以上事を荒立てたりはしませんよ」

「……このまま見逃せというのか。これほどの騒ぎを起こしておいて」


美しかった庭園は見る影もない。
まあ、その原因のほとんどは公爵家の魔法使いのせいなんだけど、飛び散っている血痕は紛れもなくアルが傷つけた騎士のもの。
確かに死者こそいないのだろうが、負傷者多数だ。
証拠の無い暗殺とはわけが違う。
公爵家に襲撃したという事実はもう覆らない。
しかし、アルは肩を竦めて困った表情を作って見せた。


「心外ですね。お言葉ですが、そもそも騒ぎを起こしたのはそちらでは?」

「何だと?」

「僕は正門からきちんとお訪ねしたんですよ。それを突然、おたくの門番が斬りかかって来たんです。僕は慌ててそれから逃れようとした。逃れた先はたまたまこちらの敷地内だったのですが、すると大勢の騎士が取り囲み、助けてくれるでもなく凶器を向けてくる。……その後は正当防衛ですよね?」


ああ怖かった、と白々しいジェスチャーをとってみせるこの男。
耐えかねたように、セロシア様が声を荒げる。


「ふざけるなっ!暗殺者が来れば当然の反応だ!」

「暗殺者とは?何のことでしょう?」


対して相変わらず煽りスキルばかり高いアルは、わざとらしく首を傾げて見せた。


「僕が暗殺者とはひどい言いがかりです。何か、証拠がおありで?」


セロシア様が呆然と口を開ける。
……アルが暗殺者という証拠、か……
状況証拠ならいくらでも上げられそうだけど、明確なものは難しそうだ。
話を聞く限り、アルって暗殺業界の中でも正体不明だったみたいだし。
まあ、私の目から見てもお前が暗殺者でなければ何なのかと言いたいところだけど。


「その、身のこなしがっ!一般人だとでもいうのか!」

「僕は身軽なだけですよ。身軽さが罪ですか?こちらの騎士達も何名かは罪人になりそうですね」

「そもそも!今まさに無礼の極みだろう!」


外からバルコニーに上り、その手すりの上に立って公爵家のご令息を見下ろしているのだからそりゃあ無礼だ。
しかしアルは笑みを崩さない。


「そもそも、という話をするのであれば……僕がこんな行動をとったのはこの屋敷の主人代理である貴方の責任では?」

「何?」

「貴方が騎士をたきつけるばかりで話を聞いてくださらないので、わざわざ自分でここまで登ってきたのです。労いを頂きたいくらいですね。それに…」


楽しそうな煽りだ。
セロシア様が激高しそうなタイミングで、アルはまた懐に手を突っ込んだ。
またまた、セロシア様と騎士が身構える。


「……いい加減慣れません?」

「黙れ!」

「黙りましょう」


アルは、黙って懐からもう一枚紙を取り出し、セロシア様の前で広げた。
たちまち、セロシア様の顔が青くなる。


「……なんだこれは!」

「……」

「何だこれはと聞いている!答えろ!」

「あれ、黙ってなくていいんですか?」

「答えろと言っている!」

「ではお言葉に甘えますが、見てのとおりです。僕は二日前の日付で、竜胆国の王子になりました」


……王子?


「どういうことだ!」

「まあ今この場に居るのは大使としてとでも考えていただければ」

「こんなもの偽物だろう!?」

「竜胆国の国章がしっかり入っているでしょう?竜胆国独自の文字でショーグンのサインも入っているじゃないですか」

「そうだ!将軍だ!竜胆国は将軍という役職がトップだ!王などいない!だと言うのに何故王子が居るんだ!」

「二日前に作ったのでは?」

「無茶苦茶だろう!」

「無茶苦茶であろうとなかろうと、この文書は正式な物であり、僕が竜胆国の使者であることはゆるぎない事実です」


そう言いながら、アルは微笑む。


「この国は長らく竜胆国との国交正常化に手を焼いていましたよね?僕はようやくやってきた大使ですよ?それを問答無用で斬りかかり、大勢の騎士で取り囲み、剣を向け、魔法を打ち込み、今この場に置いても謝罪一つありません」


ようやく状況を理解したのか、背後の騎士達も青い顔で剣から手を離した。


「……無かったことにしてくださいと頭を下げるのは、僕では無いと思うのですが?」


アルはそう微笑み、セロシア様の反応を待つ。


「…………」


長い沈黙が降りた。
ここまで余裕を失ったセロシア様を見るのは初めてだ。
そして、あまりの沈黙に何か私が助け舟を出すべきかと慌てだしたころ、セロシア様が口を開く。


「申し訳、ありませんでした。王子殿下。お許しいただけるのであれば、今からでも歓待をさせていただきたく」


絞り出すようなその声に、アルは首を振った。


「結構です。謝罪を見せてくださるのなら、そうですね。僕と王女が今夜一晩、王都のお忍びデートに出るのを見逃してください」

「なっ……!?何をおっしゃっているのですか!」

「大丈夫、必ずお返しします。この庭園を元に戻すよりは手間のかからない工作でしょう?」

「国王陛下が!お許しになるわけが!」

「お許しになると思いますよ。なにせ僕は竜胆国の王子ですからね」


ずっと頑なで、別大陸との開戦の火種にもなりかねない厄介な国。
そんな竜胆国との国交の鍵を握るとなれば、確かに国王陛下は見逃さない。
娘一人くらい安いものだと差し出すだろう。
言葉を失ったのを返事と見てとったか、アルは『有難うございます』なんてうそぶいた。


「それじゃ、行きましょうか。イベリス姫、捕まっていてくださいね」

「え?ひゃっ!」


アルの足が手すりを蹴って飛び上がり、さらに上の階の窓枠を踏んで屋根に上る。
かなりの力がかかっているはずなのに、音が全くしない。
聞こえるのは私のドレスがなびく音くらいだ。
そのまま彼は屋根や木々を飛び移りながら、夜の街を駆けて行った。







「……ここが、アルの家?」


王都のはずれ。
他の住宅と少し離れた場所にぽつんと建っている一軒家で、アルは足を止めた。


「まあ、ほとんど使っていないんですけどね」

「……」


埃っぽそうだな、と覚悟して家に入ったけれど、中は思ったより綺麗だった。
他にも部屋がありそうなのに、入ってすぐの部屋にはテーブルとイス、さらにはベッドまである。
あとは小さなクローゼットと木箱が一つずつ。
ワンルームみたいだ。
この部屋ですべての生活を済ませているのだろうと言うことが窺えた。


「なんか、横着な生活してそうだけど、思ったよりは綺麗ね?」

「掃除は得意なので」


ダブルミーニングに聞こえて仕方がない。
まあ、彼の掃除能力はいったん置いておこう。


「……それで」

「ええ、それで」


椅子に座って話をしようと思ったのに、アルは座りかけた私の腕を引き、ベッドの方へ誘導した。


「は……ちょっ!?」


思ったより柔らかいベッドに体が沈む。
覆いかぶさるアルの姿に、息を呑んだ。
固まっている私を見て、押し倒した本人の方が困ったように眉を下げる。


「……出さなくていいんですか?最後のチャンスですよ」

「え?」


出す?


「持ってるんでしょう?」


持ってる。
持ってる?
ああ、と思い至り、ポケットから大金貨を取り出して見せる。


「ふはっ」


アルが噴き出した。
肩を震わせている。
あんまり笑わないようなことを言ってた気がするけど、本当は笑い上戸なのでは。


「ああもう……貴女のそういうところは好きですけど。知りませんよ。もう最後のチャンスは終わりますからね」

「え、な、何なのよ!」

「師匠なら貴女に託すだろうと思ったんですが、僕の読みが外れていましたか?」


そう言われて思い出す。
そうだった。
契約書!


「ま、待って反対のポケットに!」

「待ちません。終わりです」

「ずるい!」

「ずるくありませんよ」


なんとかドレスを探って目的の紙をひっつかむも、その手首は抑え込まれ、文句を言おうとした唇は塞がれた。


「ん」


そっと触れるだけのキスが、何度も何度も降ってくる。
その合間に、なんとか口を開いた。


「ま、待ってよ」


この前とは違う、どこか優しいキスにすっかり力が抜けてしまっている。
頭が煮えそうだ。


「待っていたら逃げるでしょう?」

「逃げない。アルから逃げられるわけない」

「……いいですね、そのセリフ」

「馬鹿!」


近くの枕をひっつかみ、ぼふんと殴ってやる。
避けようと思ったら避けられるだろうに、アルは笑ってそれを受けた。
その笑みにほだされないように、わざときつい声を出す。


「私まだ全然訳がわかんないままなんだから!ちゃんと教えてよ!」


そんな私の叫びに、アルはふむ、と頷いた。


「ご安心ください、本当は精通しています」


せいつう?
セイツウ……
たっぷり五秒考えて、ようやく彼が何を言おうとしてるのか分かった。


「そっ!そんなこと別に聞いてないわよ!」

「大事なことでしょう。今から僕たち何をしようとしているのか分かってます?」

「え、え!?」

「忘れたんですか、僕は暗殺者。貴女を殺すのが仕事です。だけど唯一、僕を止める方法がありましたよね?」

「え、いやだって!」

「まだ日付は変わっていません。あの取引は、まだ有効です」

「だから契約は!」

「僕は契約に変更がかかったことを知りません。まだ貴女を殺さなければいけないと思っています」


どう考えても変更がかかっていることを知っている人間の口ぶりである。


「だから、そうじゃなくて!」

「好きですよ」


その一言に、文句も疑問も、全てのみ込まれてしまう。


「愛しています、イベリス姫」

「……なんで、今言うのよおおお」

「ええ、どう考えても今じゃありませんでした?」


そんなわけあるか。
たとえそうだとしても、私の心の準備ができてないんだから違うんだ。
涙目に、苦笑するアルの姿が映る。


「……僕に愛されるのは怖いですか?」


怖くない、と言えば嘘になる。
アルは無差別な殺人鬼ではない。
ただ、彼はきっとすごく人間を信じれなくなっていて、だけど同時に信じたい。
だから、本音が知りたくて、死ぬ直前の声を聞きたがる。
それは彼のトラウマで、私がその対象に今後もならないとは限らない。
だけど。


「……好きよ、アル」


私の言葉に、面食らったように青い瞳が丸くなる。
予想していなかったとでも言うのだろうか。
ここまでしておいて気持ちが通じ合っていないと思っていたのなら、それこそ問題だ。


「もしそれを本気で言っているのなら、イベリス姫は、ちょっとおかしい」

「あんたが言うな」

「そうです。僕は異常者ですよ?」

「アルは子供なだけよ」

「……子供?」

「言葉や態度での気持ちの伝え方、本音の探り方をまだお勉強中の子供なの」

「……師匠から、何か聞きました?」


アルが視線をそらした。
珍しいなとじっと見つめる。
その問いかけには答えないで、優しく頭を撫でてやる。


「好きよ、アル」

「……」


どんな顔をしていいのか分からなくなったのだろうか。
私に覆いかぶさるように、アルはベッドに顔をうずめた。
だけど直前に見えた顔は赤かった。
……たぶん、私も負けないくらい赤いんだと思うけど。
触れ合っている部分が暖かい。
心臓の音が、重なってうるさく頭に響く。


「私の為に、依頼の失敗をしてくれるの?」


契約の取り消しを認めないまま期日を過ぎれば、それは依頼の失敗だろう。
私の問いかけに、アルは顔を上げた。


「本当に、肝が据わっているのか何なのか……手を舐められたくらいで真っ赤になっていた小娘のくせに」

「うるさいな。顔なんて見えてなかったでしょ!」

「見てなくても分かります」


そう言ってアルは溜息をつき、私の目をじっと見た。
まだほんのりと、頬が紅潮して見える。


「貴女のおっしゃる通りですよ。賭けは僕の負けです」

「……アル」

「僕は前世から今日にいたるまで、一度も仕事を失敗したことがないんですよ」


前世でもかぁ。
めっちゃエリートじゃん。


「初めての失敗なんて汚点を僕につけるのですから、それ相応の見返りを期待していますよ」


真っ赤な舌がぺろりと唇をなめる。
それに魅入られている間に、彼の手は、ドレスの紐を緩めていた。


「どうか、あまり僕に愛されすぎないでくださいね。できれば貴女のことは、生きた姿で見ていたいと……今のところ思っていますから」


最後にぞっとする言葉を付け足された。
そんな匙加減わかるか。
そう突っ込んでやりたかったのに、思った以上に手早く服を乱されていくのに戸惑った私は。


「ま、待って!」

「今更待ては聞けません」

「わ、私っ……前世でも経験ないのよ!アルが初めてなの!」


そんなことを口走って。


「……煽るのがお上手です」


煽りのスペシャリストからそんな誉め言葉をいただいたのを最後に、まともなツッコミをできなくされた。
その結果……無事、賭けに勝ちましたとさ。
なお、余韻がまだ抜けないうちに零されたアルの最初の感想は『まだ四枚も持っていたとは……』だった。
私が投げた枕は三十センチ上に飛んでいった。
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