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11 手当て
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それは今日の昼間の休憩時間のこと。
「よし」
私は意気込み、炊事場へと足を向けていた。
護衛のことで確認したいことがあるとかで、アルは騎士の方に行っている。
周囲に騎士は大勢いるので多少離れても大丈夫だという判断だろう。
マーヤも木陰で少しのんびりするよう伝えてあるし、今は監視の目が少ない。
今のうちに魔法の練習をして、驚かせてやる。
その為にはやっぱり、昨日アルが言っていたように怪我を治すのが一番。
しかしまたアルに怪我を負わせるのは忍びないので、自分で小さい切り傷を作ろうと思った。
炊事場にあったナイフを借り、少し人目を避けるように背を向ける。
流石に自傷現場を騎士が見れば驚くだろう。
本当にちょびっと切るだけなのだから、大丈夫。
しかし、それがそうでもなかった。
普通、自分で自分を傷つけると言うのは躊躇いが出るもの。
ナイフを左手の指先に当ててみたものの、なかなかそれを滑らせる勇気が出ない。
「何をしてるんですか!」
なんて声が聞こえたのはその時だ。
やましい事をしている自覚があった私は思わず体を跳ねさせた。
ナイフを肌に当てたまま。
当然、刃はその役割を果たし、思っていたより深い傷を指に負わせた。
とはいえ、前世で料理をしていた時に包丁でこれくらいの怪我を負ったことはある。
王女様である今生でも、度重なる暗殺未遂事件とかで多少の怪我は経験済み。
まあ、私に怪我をさせないよう普段から気を付けてくれているマーヤには悪かった。
だけどまさか、そのマーヤ以上にアルが怒るとは。
「すぐに手をだしてください!」
そう怒鳴られ、私は素直に手を差し出した。
炊事場に用意されていた綺麗な水で手を洗われる。
険しい表情で私の手当てをしてくれるアルの目は……綺麗な青。
「アル……」
「なんですかっ」
「目、青くなってる」
剣幕に慄くものの、このままではまずいだろうと声をかけた。
すると鋭い舌打ちとともに、アルは踵を返してマーヤに後を任せ、どこかへ行ってしまったのだ。
五分もせずに戻って来たけれど、その後はこうしてだんまり。
私から少し距離を置いて護衛役に徹している。
あまりの空気の悪さにマーヤは気勢を削がれたようで、怒るどころかちょっと私を慰めてくれた。
でも。
「自殺未遂はもうおやめください」
「えっと、マーヤ。何度も言っているように私、そんなつもりは無かったのよ。魔法の練習をしたかっただけなの」
なんか誤解を生んでしまった。
さっきから何度も訂正しているんだけど、入水した過去があるせいか信じてもらえない。
アルはそうじゃないって分かってるはずだけど、それでも怒りが収まっていないようだし……
そろそろ寝ようかと思うのにこの空気は辛いなぁ。
「あの、アル……?」
「……」
相変わらず三メートルくらいの距離を保ったまま、アルはこちらに視線を寄こした。
緑の瞳は全く感情を映していない。
無言で用件を促される。
「あの、そろそろ、寝ようかなって……」
「畏まりました」
短い言葉で返事をして、アルが後ろをついてくる。
……この空気で、眠れる気がしない。
テントの中に入ると、いつものようにアルは入口の傍に控える。
無表情のまま。
「アル、怒ってる?」
私のその言葉に、緑の瞳が細められた。
「……煽りたいんですか?」
「そ、そういうわけじゃなくて」
確かにどう見ても怒っている人にあの聞き方はまずかった。
だけど分からない。
アルはそもそも私を殺そうとしている人間だ。
気に入ったとか言ってはいたけれど、どちらにせよそれはそれで殺したくなると。
何で手の怪我一つで怒るのか。
これじゃあまるで……本当に大切に思われているみたいで、落ち着かない。
寝台の上で小さくなる私に、小さな溜息が落とされる。
「アル……」
「ベッドの上で何度も男の名前を呼ぶものじゃありませんよ」
そう言いながら、アルが少しずつ近づいてくる。
瞳に、青がちらつく。
また殺る気にさせてしまったらしい。
「お、怒らないでよぉ」
「別にイベリス姫に怒っているわけではありません」
寝台の傍に跪き、アルはあっさりそう言った。
「え、そうなの?」
「ええ。あんな練習法を提案すれば、貴女のような人間は自分を実験台にしようとするだろうと、その予測ができなかった自分の不甲斐なさに苛立っているだけです」
暗に責められている気がする。
「す、すみませんでした」
「ですから、王族が簡単に謝るものではありません。言質を取られたいんですか」
言質を取った結果、何をなさるおつもりなのでしょう。
それを聞く勇気もなく縮こまると、ベッドの左側に跪いたアルは包帯を取り出した。
「包帯、替えます」
「あ、うん。有難う」
その為に近付いて来たのか。
大人しく左手を差し出す。
包帯をそっと解いたアルは、傷口を見て目をわずかに見開いた。
「……ほとんど塞がってますね?」
「頑張ったもの……」
アルの怒りを感じて、私は馬車の中でもこっそり自分に回復魔法をかけ続けていた。
私は一度に使える魔力こそ多くないものの、魔力の総量は多いようで、長時間かけ続けても魔力切れを起こすことは無かった。
タンクがでかくて蛇口は小さい感じだろうか。
ただし蛇口につないだホースの操作はまだ上手くない、と言った感じ。
とはいえ長時間の練習のおかげか、夕食後に試してみた時には少しコツを掴めた気がする。
糸をより合わせて傷口を覆うような、ピンポイントな回復がかけられた感覚があったのだ。
「上達に繋がったのなら、僕が言えることは何もありませんね」
アルは自分を落ち着かせようとするかのように深く息をして、そう呟く。
瞳の色が、徐々に緑に戻っていった。
成果が出ていることで怒りを鎮めてもらえたのだろうか。
頑張って良かった。
それで調子に乗るのが、私のダメなところだとすっかり忘れて。
「ごめんね、まさかアルがこんなに心配してくれるとは思わなくて」
落ち着きかけた瞳が、青に染まる。
「あ」
「……心配?」
「ごめん、失言だった」
「何がですか?」
そう言われると……何がだったんだろう?
正直、よく分かっていない。
でも瞳は青いし無表情。
どう考えても何かが気に障ったとしか思えなかった。
「し、心配したわけじゃなかった?」
「何で聞くんです?」
「怖いからだよぉ、もう!」
目じりに涙が浮いたのに気付き、右手で顔を覆う。
この男の地雷、分からな過ぎて怖い。
褒めてもらいたかったのに、何でこんなことになったんだろう。
そう思った瞬間、自分に呆れた。
褒めてもらいたいって……何考えてるんだろう。
アルは暗殺者だ。
今は味方のように振舞ってくれていても、それは期間限定だ。
近いうちに私を殺そうとする人間なのに。
かといって親しくなったらそれはそれで危ないと思っていたはずなのに、何を気に入られようとしているのか。
「いたっ?」
急に左手にじわりとした痛みを感じて、顔を覆っていた手を離す。
滲んだ視界には、私の手に噛みつくアルの姿が映った。
「……え?」
「……」
呆然とする私をよそに、アルはガジガジ甘噛みを続ける。
そこまで痛くは無いけれど、何してんのこれ。
「……おいしい?」
「まずくは無いですが、うまくも無いです」
我ながらどうかと思う問いかけをしてしまったが、アルの返事もあんまりだった。
うっすら歯形のついた私の手を眺めて、アルは溜息をつく。
「僕がつけた傷なら苛立たないんですが」
「え?」
「それ以外の怪我を負っているところを見るのは気分が良くないんです」
「……」
受け止め方に困って口を噤む。
そんな私を見て、アルは笑った。
「泣き止みました?」
「こんな泣き止ませ方ある?」
「なりふり構っていられなかったんです。貴女の泣き顔を見ると」
青い瞳に見つめられて、そんなことを言われたら。
思わず頬が熱くなる。
「もっと虐めたくなってしまうので」
「……」
キルトを被った。
「待ってください、イベリス姫。手当てが途中です」
「もういいわよ!塞がって来てるから!」
「ダメです。寝ている間に擦って開くかもしれません。噛み痕も一応冷やさないといけないでしょう?明日マーヤさんに聞かれたらなんて答える気なんですか?」
「噛み痕はあんたのせいでしょうが!」
「だから手当てをと」
「いいから触んないで!ヤンデレお断りだけどサディストもお断り!」
一瞬でもときめいた自分が許せない。
しかし渡してなるものかと思っていたはずの左腕は、キルトの中からあっさり引きずり出される。
「!?」
「イベリス姫は動きが素直ですよね。本当に捕まえやすい」
何か知らんが馬鹿にされてる気がする。
しかし怒鳴って顔を出せば負けのような気がして、ぐっと堪え、左手はそのままにキルトの中に閉じこもった。
私の手をアルの小さな両手が包み込む。
指先にそっと薬を塗られ、優しくすり込まれる感触。
その手つきに、少しだけ良心が痛んだ。
手当てをしてくれている相手にこの態度はちょっとまずかろうかと。
包帯を巻き終わった頃、流石にお礼を言おうと顔を出しかけた。
「ひっ!?」
……この男は、私が素直になるのを阻みたいのだろうか。
手のひらを、暖かく柔らかい、湿った何かが伝っている。
いや、どんなに表現を曖昧にしたってこれは……
「な、何してるの!?」
「噛み痕を手当てしてます」
手に吐息がかかる。
やっぱり!
「冷やすって言ってなかった!?」
「氷を含んできましょうか?」
「その氷で直接冷やせばいいでしょうが!」
含むって言った!
これもう絶対そうじゃん!
舐めてるよね!?
必死に腕を引き戻そうとしているのに、がっしり抑え込まれて叶わない。
くすぐるように手のひらを這う感触に、またおかしな声が漏れそうだった。
「アル!」
「はい?」
「これ以上するならっ賭けは私の勝ちってことになるけど!?」
「ええ。なのでこれ以上のことなんてしませんよ。これは手当ですから」
「っ!?」
どの口がと思うのに、噛み痕をなぞるような舌の動きが、ときおり食むように押し当てられる唇の感触が、私の正常な思考を乱す。
くすぐったいのに、気持ち悪いのに、体が熱くて力が抜ける。
「……も、やめてよっ……」
「反省しました?」
相変わらず私の手をもてあそびながら、アルは器用に返事をする。
声の振動が伝わってきて、むず痒い。
「何がっ……」
「僕の監督下以外で、変な練習しようとしないでください」
「分かったから!」
「ちゃんと僕の言うこと聞けます?」
「聞くからっ!」
「いい子ですね」
私の手を包んでいた体温が離れる。
すぐに引き戻そうとするけれど、再度掴まれた。
「なっ!?」
「冷やしますから」
今度は本当に、濡れたタオルの感触に包まれた。
包帯に覆われた指先を避け、散々好き勝手された手のひらが冷やされていく。
最後に清めるように優しく拭きとった後、今度こそ私の手は解放された。
「では、どうぞお休みください。イベリス姫」
寝れるか!
そう叫びたかったけれど、口を噤む。
何を言っても揚げ足を取られてからかわれる気がしてならなかった。
それすら見透かしているらしい笑い声が聞こえてくる。
「賢明です。貴女は少し黙っていた方がいい」
酷い言われようだ。
「どうやら僕は、貴女にはずいぶん弱いようなので」
「……弱い?」
「魔法がよくとけているみたいですし」
目の魔法のことだろうか。
確かにこれで今までよくばれなかったなと思うほど、アルはしょっちゅう青い目に戻る。
「今日僕が貴女と話すのを避けていたのは、話せばまた解けそうだったからです。貴女は僕を動揺させるのが上手すぎます」
「動揺って……」
今まさに弄ばれたばかりの身では、皮肉にしか聞こえない。
それに。
「つまり、すごく殺したくなるってこと?」
アルの笑い声が響いた。
「……笑うとこ?」
「ははっ、すみません。ええ、そう思ってもらって構いませんよ。こんなに殺したい相手は初めてです」
酷いセリフだ。
普通に聞けば、どれだけ嫌われているのかと思うだろう。
なのに、ひどく甘い声で言われるものだから、違う意味に聞こえてしまう。
「……ヤンデレお断り」
「そうですね、今の僕はちょっと病んでいそうです」
あっさり認められた。
この前は心外だとか言ってたのに。
「感染力が高いといいんですが、どう思います?」
「……お断り」
「それは残念」
キルトから少しだけ出ていたらしい私の髪に、アルの指が触れる気配がした。
「……ベッドの私には触らないって言ったのに」
「手当は別です」
「今は?」
「私情ですね」
「……」
言い訳はどこに行った。
「おやすみなさい、イベリス姫」
髪がパサリと落ちる音と共に、気配が離れていく。
多分この後もアルは、いつものように平然と出入り口の傍で控えているんだろう。
眠れなくて悶々としている私に気付きながら、忍び笑いでもして。
せめて顔は見せてなるものかと、キルトを被ったままきつく目を閉じた。
「よし」
私は意気込み、炊事場へと足を向けていた。
護衛のことで確認したいことがあるとかで、アルは騎士の方に行っている。
周囲に騎士は大勢いるので多少離れても大丈夫だという判断だろう。
マーヤも木陰で少しのんびりするよう伝えてあるし、今は監視の目が少ない。
今のうちに魔法の練習をして、驚かせてやる。
その為にはやっぱり、昨日アルが言っていたように怪我を治すのが一番。
しかしまたアルに怪我を負わせるのは忍びないので、自分で小さい切り傷を作ろうと思った。
炊事場にあったナイフを借り、少し人目を避けるように背を向ける。
流石に自傷現場を騎士が見れば驚くだろう。
本当にちょびっと切るだけなのだから、大丈夫。
しかし、それがそうでもなかった。
普通、自分で自分を傷つけると言うのは躊躇いが出るもの。
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「何をしてるんですか!」
なんて声が聞こえたのはその時だ。
やましい事をしている自覚があった私は思わず体を跳ねさせた。
ナイフを肌に当てたまま。
当然、刃はその役割を果たし、思っていたより深い傷を指に負わせた。
とはいえ、前世で料理をしていた時に包丁でこれくらいの怪我を負ったことはある。
王女様である今生でも、度重なる暗殺未遂事件とかで多少の怪我は経験済み。
まあ、私に怪我をさせないよう普段から気を付けてくれているマーヤには悪かった。
だけどまさか、そのマーヤ以上にアルが怒るとは。
「すぐに手をだしてください!」
そう怒鳴られ、私は素直に手を差し出した。
炊事場に用意されていた綺麗な水で手を洗われる。
険しい表情で私の手当てをしてくれるアルの目は……綺麗な青。
「アル……」
「なんですかっ」
「目、青くなってる」
剣幕に慄くものの、このままではまずいだろうと声をかけた。
すると鋭い舌打ちとともに、アルは踵を返してマーヤに後を任せ、どこかへ行ってしまったのだ。
五分もせずに戻って来たけれど、その後はこうしてだんまり。
私から少し距離を置いて護衛役に徹している。
あまりの空気の悪さにマーヤは気勢を削がれたようで、怒るどころかちょっと私を慰めてくれた。
でも。
「自殺未遂はもうおやめください」
「えっと、マーヤ。何度も言っているように私、そんなつもりは無かったのよ。魔法の練習をしたかっただけなの」
なんか誤解を生んでしまった。
さっきから何度も訂正しているんだけど、入水した過去があるせいか信じてもらえない。
アルはそうじゃないって分かってるはずだけど、それでも怒りが収まっていないようだし……
そろそろ寝ようかと思うのにこの空気は辛いなぁ。
「あの、アル……?」
「……」
相変わらず三メートルくらいの距離を保ったまま、アルはこちらに視線を寄こした。
緑の瞳は全く感情を映していない。
無言で用件を促される。
「あの、そろそろ、寝ようかなって……」
「畏まりました」
短い言葉で返事をして、アルが後ろをついてくる。
……この空気で、眠れる気がしない。
テントの中に入ると、いつものようにアルは入口の傍に控える。
無表情のまま。
「アル、怒ってる?」
私のその言葉に、緑の瞳が細められた。
「……煽りたいんですか?」
「そ、そういうわけじゃなくて」
確かにどう見ても怒っている人にあの聞き方はまずかった。
だけど分からない。
アルはそもそも私を殺そうとしている人間だ。
気に入ったとか言ってはいたけれど、どちらにせよそれはそれで殺したくなると。
何で手の怪我一つで怒るのか。
これじゃあまるで……本当に大切に思われているみたいで、落ち着かない。
寝台の上で小さくなる私に、小さな溜息が落とされる。
「アル……」
「ベッドの上で何度も男の名前を呼ぶものじゃありませんよ」
そう言いながら、アルが少しずつ近づいてくる。
瞳に、青がちらつく。
また殺る気にさせてしまったらしい。
「お、怒らないでよぉ」
「別にイベリス姫に怒っているわけではありません」
寝台の傍に跪き、アルはあっさりそう言った。
「え、そうなの?」
「ええ。あんな練習法を提案すれば、貴女のような人間は自分を実験台にしようとするだろうと、その予測ができなかった自分の不甲斐なさに苛立っているだけです」
暗に責められている気がする。
「す、すみませんでした」
「ですから、王族が簡単に謝るものではありません。言質を取られたいんですか」
言質を取った結果、何をなさるおつもりなのでしょう。
それを聞く勇気もなく縮こまると、ベッドの左側に跪いたアルは包帯を取り出した。
「包帯、替えます」
「あ、うん。有難う」
その為に近付いて来たのか。
大人しく左手を差し出す。
包帯をそっと解いたアルは、傷口を見て目をわずかに見開いた。
「……ほとんど塞がってますね?」
「頑張ったもの……」
アルの怒りを感じて、私は馬車の中でもこっそり自分に回復魔法をかけ続けていた。
私は一度に使える魔力こそ多くないものの、魔力の総量は多いようで、長時間かけ続けても魔力切れを起こすことは無かった。
タンクがでかくて蛇口は小さい感じだろうか。
ただし蛇口につないだホースの操作はまだ上手くない、と言った感じ。
とはいえ長時間の練習のおかげか、夕食後に試してみた時には少しコツを掴めた気がする。
糸をより合わせて傷口を覆うような、ピンポイントな回復がかけられた感覚があったのだ。
「上達に繋がったのなら、僕が言えることは何もありませんね」
アルは自分を落ち着かせようとするかのように深く息をして、そう呟く。
瞳の色が、徐々に緑に戻っていった。
成果が出ていることで怒りを鎮めてもらえたのだろうか。
頑張って良かった。
それで調子に乗るのが、私のダメなところだとすっかり忘れて。
「ごめんね、まさかアルがこんなに心配してくれるとは思わなくて」
落ち着きかけた瞳が、青に染まる。
「あ」
「……心配?」
「ごめん、失言だった」
「何がですか?」
そう言われると……何がだったんだろう?
正直、よく分かっていない。
でも瞳は青いし無表情。
どう考えても何かが気に障ったとしか思えなかった。
「し、心配したわけじゃなかった?」
「何で聞くんです?」
「怖いからだよぉ、もう!」
目じりに涙が浮いたのに気付き、右手で顔を覆う。
この男の地雷、分からな過ぎて怖い。
褒めてもらいたかったのに、何でこんなことになったんだろう。
そう思った瞬間、自分に呆れた。
褒めてもらいたいって……何考えてるんだろう。
アルは暗殺者だ。
今は味方のように振舞ってくれていても、それは期間限定だ。
近いうちに私を殺そうとする人間なのに。
かといって親しくなったらそれはそれで危ないと思っていたはずなのに、何を気に入られようとしているのか。
「いたっ?」
急に左手にじわりとした痛みを感じて、顔を覆っていた手を離す。
滲んだ視界には、私の手に噛みつくアルの姿が映った。
「……え?」
「……」
呆然とする私をよそに、アルはガジガジ甘噛みを続ける。
そこまで痛くは無いけれど、何してんのこれ。
「……おいしい?」
「まずくは無いですが、うまくも無いです」
我ながらどうかと思う問いかけをしてしまったが、アルの返事もあんまりだった。
うっすら歯形のついた私の手を眺めて、アルは溜息をつく。
「僕がつけた傷なら苛立たないんですが」
「え?」
「それ以外の怪我を負っているところを見るのは気分が良くないんです」
「……」
受け止め方に困って口を噤む。
そんな私を見て、アルは笑った。
「泣き止みました?」
「こんな泣き止ませ方ある?」
「なりふり構っていられなかったんです。貴女の泣き顔を見ると」
青い瞳に見つめられて、そんなことを言われたら。
思わず頬が熱くなる。
「もっと虐めたくなってしまうので」
「……」
キルトを被った。
「待ってください、イベリス姫。手当てが途中です」
「もういいわよ!塞がって来てるから!」
「ダメです。寝ている間に擦って開くかもしれません。噛み痕も一応冷やさないといけないでしょう?明日マーヤさんに聞かれたらなんて答える気なんですか?」
「噛み痕はあんたのせいでしょうが!」
「だから手当てをと」
「いいから触んないで!ヤンデレお断りだけどサディストもお断り!」
一瞬でもときめいた自分が許せない。
しかし渡してなるものかと思っていたはずの左腕は、キルトの中からあっさり引きずり出される。
「!?」
「イベリス姫は動きが素直ですよね。本当に捕まえやすい」
何か知らんが馬鹿にされてる気がする。
しかし怒鳴って顔を出せば負けのような気がして、ぐっと堪え、左手はそのままにキルトの中に閉じこもった。
私の手をアルの小さな両手が包み込む。
指先にそっと薬を塗られ、優しくすり込まれる感触。
その手つきに、少しだけ良心が痛んだ。
手当てをしてくれている相手にこの態度はちょっとまずかろうかと。
包帯を巻き終わった頃、流石にお礼を言おうと顔を出しかけた。
「ひっ!?」
……この男は、私が素直になるのを阻みたいのだろうか。
手のひらを、暖かく柔らかい、湿った何かが伝っている。
いや、どんなに表現を曖昧にしたってこれは……
「な、何してるの!?」
「噛み痕を手当てしてます」
手に吐息がかかる。
やっぱり!
「冷やすって言ってなかった!?」
「氷を含んできましょうか?」
「その氷で直接冷やせばいいでしょうが!」
含むって言った!
これもう絶対そうじゃん!
舐めてるよね!?
必死に腕を引き戻そうとしているのに、がっしり抑え込まれて叶わない。
くすぐるように手のひらを這う感触に、またおかしな声が漏れそうだった。
「アル!」
「はい?」
「これ以上するならっ賭けは私の勝ちってことになるけど!?」
「ええ。なのでこれ以上のことなんてしませんよ。これは手当ですから」
「っ!?」
どの口がと思うのに、噛み痕をなぞるような舌の動きが、ときおり食むように押し当てられる唇の感触が、私の正常な思考を乱す。
くすぐったいのに、気持ち悪いのに、体が熱くて力が抜ける。
「……も、やめてよっ……」
「反省しました?」
相変わらず私の手をもてあそびながら、アルは器用に返事をする。
声の振動が伝わってきて、むず痒い。
「何がっ……」
「僕の監督下以外で、変な練習しようとしないでください」
「分かったから!」
「ちゃんと僕の言うこと聞けます?」
「聞くからっ!」
「いい子ですね」
私の手を包んでいた体温が離れる。
すぐに引き戻そうとするけれど、再度掴まれた。
「なっ!?」
「冷やしますから」
今度は本当に、濡れたタオルの感触に包まれた。
包帯に覆われた指先を避け、散々好き勝手された手のひらが冷やされていく。
最後に清めるように優しく拭きとった後、今度こそ私の手は解放された。
「では、どうぞお休みください。イベリス姫」
寝れるか!
そう叫びたかったけれど、口を噤む。
何を言っても揚げ足を取られてからかわれる気がしてならなかった。
それすら見透かしているらしい笑い声が聞こえてくる。
「賢明です。貴女は少し黙っていた方がいい」
酷い言われようだ。
「どうやら僕は、貴女にはずいぶん弱いようなので」
「……弱い?」
「魔法がよくとけているみたいですし」
目の魔法のことだろうか。
確かにこれで今までよくばれなかったなと思うほど、アルはしょっちゅう青い目に戻る。
「今日僕が貴女と話すのを避けていたのは、話せばまた解けそうだったからです。貴女は僕を動揺させるのが上手すぎます」
「動揺って……」
今まさに弄ばれたばかりの身では、皮肉にしか聞こえない。
それに。
「つまり、すごく殺したくなるってこと?」
アルの笑い声が響いた。
「……笑うとこ?」
「ははっ、すみません。ええ、そう思ってもらって構いませんよ。こんなに殺したい相手は初めてです」
酷いセリフだ。
普通に聞けば、どれだけ嫌われているのかと思うだろう。
なのに、ひどく甘い声で言われるものだから、違う意味に聞こえてしまう。
「……ヤンデレお断り」
「そうですね、今の僕はちょっと病んでいそうです」
あっさり認められた。
この前は心外だとか言ってたのに。
「感染力が高いといいんですが、どう思います?」
「……お断り」
「それは残念」
キルトから少しだけ出ていたらしい私の髪に、アルの指が触れる気配がした。
「……ベッドの私には触らないって言ったのに」
「手当は別です」
「今は?」
「私情ですね」
「……」
言い訳はどこに行った。
「おやすみなさい、イベリス姫」
髪がパサリと落ちる音と共に、気配が離れていく。
多分この後もアルは、いつものように平然と出入り口の傍で控えているんだろう。
眠れなくて悶々としている私に気付きながら、忍び笑いでもして。
せめて顔は見せてなるものかと、キルトを被ったままきつく目を閉じた。
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