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5 イベリスとカトレア
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「んー……」
ぐっと伸びをする。
まとまった睡眠はとれなかったものの、おそらくトータルで六時間近く眠れているだろう。
何度も悪夢を繰り返したおかげで精神的にはしんどいけど、体は少し軽くなった気がする。
気持ちよく伸びをする私を見ながら、ドアの傍に立つアルは眉を顰めていた。
「雇用条件にない労働をさせられました」
「そう言わないでよ……悪かったわよ……」
確かに面倒くさい作業だったろうと思う。
覚えている限りでも五回は起こしてもらったので。
「これを今後毎晩繰り返せというのであれば別料金を請求します」
「トラインにそんなこと言えるわけないでしょ……」
「ポケットマネーはもう無いんですか?」
「………いくらいるの」
「大金貨一枚です」
「たっか」
「しなくていいならしませんよ」
「……払うわよ」
仕方なく、懐から取り出した大金貨を放った。
顔にぶつかりそうになったコインを、またも事も無げにキャッチする。
「わざとですか?」
「悪かったわね、単に下手なのよ」
そうですか、と言いながら大金貨をじっくり見たアルは、またこちらに視線を戻す。
「……イベリス姫」
「何?」
「ちょっとジャンプしてみてください」
「もう無いわよ」
どこのカツアゲだ。
まぁ、本当はまだあるけど。
イベリスはあまりお金を使わないタイプだったので、結構溜まっている。
いつ何があってもいいように、私はその一部を体のそこかしこに隠し持っていた。
着替えの度にマーヤが何か言いたげな顔をする。
『お願いですから、脱走はおやめください』と言われるので、『大丈夫』と頷くのが日課である。
そんなことしたらマーヤがお咎めを受けるもんね、それは最終手段にするわ。
「今日も探索ですか?」
「うん。今日は図書室に行ってみようと思ってるの。人の魂を入れ替える魔法とか、何か資料があるかもしれないし」
「……」
「無駄かどうかは調べないと分からないでしょ」
「何も言ってませんが」
「言いたそうだったじゃない」
「また暗殺者の襲撃があるかもしれませんよ」
「でも助けてくれるんでしょ。アルの腕はもう信用したわ。味方であるうちは使わせてもらうわね」
「……存外、図太くていらっしゃる」
多少睡眠をとってスッキリした頭が、この際開き直るしかないと結論を出しただけだ。
これで部屋にこもっていたって、あっという間に一か月の期限が来てしまう。
「とにかく、準備するから今のうちに休んでて」
なおも何か言いたげなアルを部屋から追い出し、入れ替わりで入ってきたマーヤと朝の支度にとりかかった。
◆
「あら、お姉様ではありませんか」
その声が聞こえたのは、図書室に行く途中のことだった。
思わず体が強張る。
それは私の意思か、体に残されたイベリスの記憶か。
ぎこちない動きで振り返ると、思った通りの少女がそこに立っていた。
「……カトレア」
イベリスと同じ十五歳。
誕生日が二ヵ月違うだけの異母姉妹だ。
蜂蜜色の髪に真っ黒な瞳。
うっすらそばかすのある顔は健康的でかわいらしいけれど……まあ、贔屓目抜きにしてもイベリスの方が数段美しい。
カトレアの後ろには三人の侍女と五人の近衛騎士。
アルだけを連れた私と比べると大所帯だ。
「お姉様ったら、相変わらずお供が少ないのね。人望が無いと大変。ああ、近衛隊はお姉様の我がままで解体されたのでしたわね。ほどほどになさらないと、マーヤまで離れてしまいますわよ?」
大仰な動きで嘆いて見せながら、カトレアがイベリスをこきおろす。
舞台役者か何かかな。
遠くの客席じゃなくてすぐ近くにいるから、もうちょっとモーション小さ目で大丈夫です。
それにしても、やっぱり近衛隊がいなくなったのはイベリスのせいなんだろうか。
イベリスのことが嫌いなカトレアの言葉を鵜吞みにはできないけど、さすがに侍女とは違って近衛隊をカトレアが解体できるとは思えない。
近衛隊は国王陛下が任じてるものだし。
国王陛下はカトレアの我がままをあんまりよく思っていなかったようだから、カトレアが頼んでも聞かないはずだ。
「それで?そこの小さいのが新しい護衛ですの?」
カトレアが、私の隣に立っているアルに視線を向ける。
アルは黙って礼を取った。
「ふぅん。見目は可愛らしいですけれど、護衛としてはずいぶん頼りないですわね。まぁ、わたくしと違ってお姉様はたくましくていらっしゃいますし、そんな子供で十分なのかしら」
たくましい?
イベリスには似つかわしくない形容詞だな、と思う。
たくましいエピソードなんかあったっけ?
しかし言い返さない。
言い返したところでカトレアの口数が減ることはないからだ。
カトレアのそばかすの数でも数えていればそのうち終わるだろう。
「……まただんまりですのね。やはり、あのお方のパートナーは、お姉様には務まりませんわ」
ふん、と鼻を鳴らしてカトレアが横を通り過ぎていく。
まだ十一個しか数えられてなかったのに。
「言われっぱなしですね」
「アルならあの子に言い返そうって思う?」
「僕なら遭遇しないように移動できます」
「ああそう……なら次から接近に気付いたら教えてくれない?」
「別料金ですよ」
「……もういいわ」
そうね、雇用条件に無いもんね。
知ってた。
「ねえアル。私の暗殺を依頼した人は貴方の顔を知ってるの?」
「……暗殺者にそんな質問をしても仕方ないって、分かっているんでしょう?」
「暗殺者に聞いてるんじゃないの。お友達に聞いてるのよ」
私の返答に、翡翠の瞳が丸くなった後楕円に歪んだ。
「仕方ありませんね。オトモダチには特別に教えてあげましょう。この世界に関わろうと思ったら最初に知る程度の知識ですしね。まず……最も一般的な依頼方法ですと、窓口、仲介と、何人かの手を介した後に実行者へ依頼内容が届きます。実のことを言うと、僕も依頼者が誰かは知りません。窓口役の人間が用件を聞き、契約している暗殺者のランクと料金表を提示するんです。依頼者はどのランクの暗殺者を何人雇うかを決めるだけなので、依頼者の方も僕のことを知りません」
「なるほど、有難う」
ってことは、カトレアがアルを見ても反応しなかったのは、依頼者じゃないからとは限らないのか。
まあ、過去の例を見てもカトレアに間違いないだろう。
動機もあることだし。
「ところで、カトレア姫が言っていたあのお方というのはガーネット公爵令息、セロシア様のことですか?」
今度はアルの方から質問が来た。
「そう……だけど、よく分かったわね。何か知ってるの?」
「セロシア公子の婚約話が持ち上がり、その候補者がイベリス姫とカトレア姫であるということくらいは」
「……本当はそれ、まだ内密の話のはずなのよ。どうやって情報を集めてるの?」
「それはオトモダチにも教えられませんね」
「まあ、変な情報ルートがあるなら、知ったら知ったで困りそうだからいいんだけど」
「賢明です」
困るような情報ルートらしい。
溜息をついた。
「もともとカトレアはイベリスに敵対心が強くてね。年も近いし、あっちは正妃の娘でこっちは側妃の娘。身分としてはあっちの方が上だけど、容姿はイベリスの方がいいでしょ?初めて二人で一緒にパーティーに出席した時、みんなイベリスのことを褒めたもんだから、そこからもう事あるごとに突っかかってきてるみたいなのよ」
「相変わらず、自分のことというより他人のことのように話しますね」
「だから、私は今入れ替わってるだけの他人なんだってば」
イベリスの記憶がある分、イベリスに感情移入しちゃうけど。
それが無くてもカトレアの行動はかなりアウトなものばかりだ。
「それで、その他人の貴女は彼女を暗殺の依頼者だと考えている?」
「まず間違いないでしょうね。セロシア様は美男子でね。カトレアが昔から片想いしてた相手なのよ」
「それは知っていますが」
「だから何で知ってんの……いや聞かないけど」
カトレアの態度は露骨だし、王侯貴族内では常識だけど、市井にまでそんな話が降りて行ってるとは思えないのに。
「恋敵を消す為に暗殺というのはずいぶん過激ですが」
「過激なことをするのがあの子なのよ。イベリスは過去に二回暗殺者を差し向けられてる。どちらもセロシア様がらみでね」
「ふむ?」
「一回目は十歳の時よ。事件の半年くらい前にセロシア様が国王陛下に謁見して、その後私とカトレアもご挨拶したの。カトレアはすっかりご執心。しばらくして、公爵が私とカトレアの二人をお茶会に招待してくれたんだけど、カトレアは執拗に私に欠席するよう言ってきた」
「しかし、そうしなかったんですね」
「当然よ。公爵じきじきのご招待だもの。多少体調が悪くても伺うべきっていうのがイベリスの考えだし、たぶん王族としてはそれが正解なんでしょ。でも当日、イベリスの乗った馬車が襲撃にあった」
「馬車の襲撃ですか。団体での仕事だったんですね。しかし森に囲まれた街道とかならともかく、貴族街へ向かう馬車の襲撃は成功率が低い。普通なら受けない仕事ですよ。かなり質の低い襲撃者だったのでは?」
「暗殺者の質なんか知らないわよ……まあ、実際はその通りなのかしらね。無事、近衛隊が撃退してくれたみたい。でもね、その後になんとか駆け付けたお茶会でカトレアはなんて言ったと思う?イベリスにだけ聞こえるように、『なんだ生きてたの?』よ。このタイミングで言えるのは、襲撃を準備してた人間だけでしょ」
「……直情型のお姫様ですね」
「そうなのよ。それで二回目は十四歳の時。王族にとって十四歳の誕生日は特別な意味があるみたいで」
「この国の初代国王が即位した年ですね」
「若すぎるわよね。まぁ、それはいいんだけど、十四歳の誕生日は成人の次に大きなパーティーで大勢の人を招くのよね。もちろんセロシア様も招待客の一人。王族の誕生日パーティーなんだから家族であるイベリスも参加が予定されてた。年の離れた男兄弟ならまだしも、年の近い女姉妹が参加するのって慣例上普通のことなんだけど、カトレアは嫌がった」
お茶会の時も誕生日パーティーの時も、おそらくイベリスが主役になりそうなのが嫌だったんだろう。
過去に一度、そうなってしまったように。
「正妃様はカトレアに甘いから、イベリスを参加させないように国王陛下に言ったんだけど、却下されたのよね。それで誕生日パーティーの数日前に二回目の事件よ。その日、珍しくカトレアがイベリスを訪ねてきたの。これまで嫌がらせしかしてこなかったのに、泣いてそのことを謝って。それでイベリスがそれを許すと、『仲直りのしるしに庭園を一緒に散策しましょう』って言われて。カトレアは着替えてから行くから、イベリスは先に行ってほしいって。イベリスは素直に言うことを聞いたわ」
「元のイベリス姫は頭があまりよくないらしい」
カトレアよりもイベリスを馬鹿にするのか。
思わず苦笑する。
「純粋って言ってあげて。それで、後は想像通り。庭園に来たイベリスは、矢を射られたの。幸いかすっただけで済んだけど、犯人は逃がすし、毒が塗られていたらしくて三日三晩生死の境をさまよった。それからイベリスはほとんど部屋からでなくなっちゃった」
「カトレア姫はお咎め無しですか」
「目を覚ましたイベリスは国王陛下に相談したいとトラインに訴えたんだけど、無駄だったわね。決定的な証拠がないし、正妃の耳に入ったら叱責されるのはイベリスだもの。無かったことにされたわ。どちらにしろこの城の庭園に忍び込めるだけの暗殺者を雇うなんて、カトレアだけじゃ無理よ。正妃様か……もしくはもっと他にも、カトレアの協力者がいるんじゃない?もしトラインが国王陛下に訴えてくれたって、陛下が証拠をつかむ前にもみ消されたでしょう」
そう思い返しながら、自分で納得する。
あの日、トラインにアルのことを訴えようと思わなかったのはこのせいか、と。
既にイベリスは、自分の周囲の人間を信用していなかった。
命を落としかけたのにそんな対応をされたら当然だろうと思う。
仕方のないこととはいえ、やりきれなかったに違いない。
そして二度目の暗殺事件の後、侍女は一人二人と辞めていった。
そのうちの数名は後にカトレアの侍女になっているのを見たから、こちらもカトレアの手引きなのだろうと思うに至ったわけだ。
トラインが辞めていく侍女に理由を聞いても、家の事情でとしか言わなかったらしい。
侍女を増員すべく動いてくれたこともあるけれど、結果は芳しくなく、おそらく正妃から圧力がかかっているのだろうと言われた。
おそらく、マーヤだけ残されたのもカトレアの思い通りなんだろう。
流行に疎い、年かさの侍女だけを残す。
流石に一人も侍女が居ない状態になれば国王陛下が動くから、そうしないギリギリのラインを狙っている。
「そして、今度はそのセロシア様との婚約話ですか。確かに彼女が依頼者と考えたくなるのは分かりますが」
「でしょ?万が一私が選ばれようものなら、今の倍は暗殺者が飛んでくるんじゃない?」
「だから、その前に元に戻りたい?」
その言葉に、遠くの庭園を見ていた視線をアルに戻す。
「……アルは、別に中身がどっちだっていいんでしょう?」
「そうですね……どちらでも依頼は完遂できるでしょう」
翡翠の瞳にイベリスの顔が映る。
自分で聞いておいてなんだけど、どっちでもいいって腹立つわ。
そんな理由で殺されるなんて。
いや、どんな理由だって納得できると思えないけどね。
ぐっと唇を噛んだ。
「……図書室に行くわ」
そう言って歩き出す私の後ろを、小さな足音がついてきた。
ぐっと伸びをする。
まとまった睡眠はとれなかったものの、おそらくトータルで六時間近く眠れているだろう。
何度も悪夢を繰り返したおかげで精神的にはしんどいけど、体は少し軽くなった気がする。
気持ちよく伸びをする私を見ながら、ドアの傍に立つアルは眉を顰めていた。
「雇用条件にない労働をさせられました」
「そう言わないでよ……悪かったわよ……」
確かに面倒くさい作業だったろうと思う。
覚えている限りでも五回は起こしてもらったので。
「これを今後毎晩繰り返せというのであれば別料金を請求します」
「トラインにそんなこと言えるわけないでしょ……」
「ポケットマネーはもう無いんですか?」
「………いくらいるの」
「大金貨一枚です」
「たっか」
「しなくていいならしませんよ」
「……払うわよ」
仕方なく、懐から取り出した大金貨を放った。
顔にぶつかりそうになったコインを、またも事も無げにキャッチする。
「わざとですか?」
「悪かったわね、単に下手なのよ」
そうですか、と言いながら大金貨をじっくり見たアルは、またこちらに視線を戻す。
「……イベリス姫」
「何?」
「ちょっとジャンプしてみてください」
「もう無いわよ」
どこのカツアゲだ。
まぁ、本当はまだあるけど。
イベリスはあまりお金を使わないタイプだったので、結構溜まっている。
いつ何があってもいいように、私はその一部を体のそこかしこに隠し持っていた。
着替えの度にマーヤが何か言いたげな顔をする。
『お願いですから、脱走はおやめください』と言われるので、『大丈夫』と頷くのが日課である。
そんなことしたらマーヤがお咎めを受けるもんね、それは最終手段にするわ。
「今日も探索ですか?」
「うん。今日は図書室に行ってみようと思ってるの。人の魂を入れ替える魔法とか、何か資料があるかもしれないし」
「……」
「無駄かどうかは調べないと分からないでしょ」
「何も言ってませんが」
「言いたそうだったじゃない」
「また暗殺者の襲撃があるかもしれませんよ」
「でも助けてくれるんでしょ。アルの腕はもう信用したわ。味方であるうちは使わせてもらうわね」
「……存外、図太くていらっしゃる」
多少睡眠をとってスッキリした頭が、この際開き直るしかないと結論を出しただけだ。
これで部屋にこもっていたって、あっという間に一か月の期限が来てしまう。
「とにかく、準備するから今のうちに休んでて」
なおも何か言いたげなアルを部屋から追い出し、入れ替わりで入ってきたマーヤと朝の支度にとりかかった。
◆
「あら、お姉様ではありませんか」
その声が聞こえたのは、図書室に行く途中のことだった。
思わず体が強張る。
それは私の意思か、体に残されたイベリスの記憶か。
ぎこちない動きで振り返ると、思った通りの少女がそこに立っていた。
「……カトレア」
イベリスと同じ十五歳。
誕生日が二ヵ月違うだけの異母姉妹だ。
蜂蜜色の髪に真っ黒な瞳。
うっすらそばかすのある顔は健康的でかわいらしいけれど……まあ、贔屓目抜きにしてもイベリスの方が数段美しい。
カトレアの後ろには三人の侍女と五人の近衛騎士。
アルだけを連れた私と比べると大所帯だ。
「お姉様ったら、相変わらずお供が少ないのね。人望が無いと大変。ああ、近衛隊はお姉様の我がままで解体されたのでしたわね。ほどほどになさらないと、マーヤまで離れてしまいますわよ?」
大仰な動きで嘆いて見せながら、カトレアがイベリスをこきおろす。
舞台役者か何かかな。
遠くの客席じゃなくてすぐ近くにいるから、もうちょっとモーション小さ目で大丈夫です。
それにしても、やっぱり近衛隊がいなくなったのはイベリスのせいなんだろうか。
イベリスのことが嫌いなカトレアの言葉を鵜吞みにはできないけど、さすがに侍女とは違って近衛隊をカトレアが解体できるとは思えない。
近衛隊は国王陛下が任じてるものだし。
国王陛下はカトレアの我がままをあんまりよく思っていなかったようだから、カトレアが頼んでも聞かないはずだ。
「それで?そこの小さいのが新しい護衛ですの?」
カトレアが、私の隣に立っているアルに視線を向ける。
アルは黙って礼を取った。
「ふぅん。見目は可愛らしいですけれど、護衛としてはずいぶん頼りないですわね。まぁ、わたくしと違ってお姉様はたくましくていらっしゃいますし、そんな子供で十分なのかしら」
たくましい?
イベリスには似つかわしくない形容詞だな、と思う。
たくましいエピソードなんかあったっけ?
しかし言い返さない。
言い返したところでカトレアの口数が減ることはないからだ。
カトレアのそばかすの数でも数えていればそのうち終わるだろう。
「……まただんまりですのね。やはり、あのお方のパートナーは、お姉様には務まりませんわ」
ふん、と鼻を鳴らしてカトレアが横を通り過ぎていく。
まだ十一個しか数えられてなかったのに。
「言われっぱなしですね」
「アルならあの子に言い返そうって思う?」
「僕なら遭遇しないように移動できます」
「ああそう……なら次から接近に気付いたら教えてくれない?」
「別料金ですよ」
「……もういいわ」
そうね、雇用条件に無いもんね。
知ってた。
「ねえアル。私の暗殺を依頼した人は貴方の顔を知ってるの?」
「……暗殺者にそんな質問をしても仕方ないって、分かっているんでしょう?」
「暗殺者に聞いてるんじゃないの。お友達に聞いてるのよ」
私の返答に、翡翠の瞳が丸くなった後楕円に歪んだ。
「仕方ありませんね。オトモダチには特別に教えてあげましょう。この世界に関わろうと思ったら最初に知る程度の知識ですしね。まず……最も一般的な依頼方法ですと、窓口、仲介と、何人かの手を介した後に実行者へ依頼内容が届きます。実のことを言うと、僕も依頼者が誰かは知りません。窓口役の人間が用件を聞き、契約している暗殺者のランクと料金表を提示するんです。依頼者はどのランクの暗殺者を何人雇うかを決めるだけなので、依頼者の方も僕のことを知りません」
「なるほど、有難う」
ってことは、カトレアがアルを見ても反応しなかったのは、依頼者じゃないからとは限らないのか。
まあ、過去の例を見てもカトレアに間違いないだろう。
動機もあることだし。
「ところで、カトレア姫が言っていたあのお方というのはガーネット公爵令息、セロシア様のことですか?」
今度はアルの方から質問が来た。
「そう……だけど、よく分かったわね。何か知ってるの?」
「セロシア公子の婚約話が持ち上がり、その候補者がイベリス姫とカトレア姫であるということくらいは」
「……本当はそれ、まだ内密の話のはずなのよ。どうやって情報を集めてるの?」
「それはオトモダチにも教えられませんね」
「まあ、変な情報ルートがあるなら、知ったら知ったで困りそうだからいいんだけど」
「賢明です」
困るような情報ルートらしい。
溜息をついた。
「もともとカトレアはイベリスに敵対心が強くてね。年も近いし、あっちは正妃の娘でこっちは側妃の娘。身分としてはあっちの方が上だけど、容姿はイベリスの方がいいでしょ?初めて二人で一緒にパーティーに出席した時、みんなイベリスのことを褒めたもんだから、そこからもう事あるごとに突っかかってきてるみたいなのよ」
「相変わらず、自分のことというより他人のことのように話しますね」
「だから、私は今入れ替わってるだけの他人なんだってば」
イベリスの記憶がある分、イベリスに感情移入しちゃうけど。
それが無くてもカトレアの行動はかなりアウトなものばかりだ。
「それで、その他人の貴女は彼女を暗殺の依頼者だと考えている?」
「まず間違いないでしょうね。セロシア様は美男子でね。カトレアが昔から片想いしてた相手なのよ」
「それは知っていますが」
「だから何で知ってんの……いや聞かないけど」
カトレアの態度は露骨だし、王侯貴族内では常識だけど、市井にまでそんな話が降りて行ってるとは思えないのに。
「恋敵を消す為に暗殺というのはずいぶん過激ですが」
「過激なことをするのがあの子なのよ。イベリスは過去に二回暗殺者を差し向けられてる。どちらもセロシア様がらみでね」
「ふむ?」
「一回目は十歳の時よ。事件の半年くらい前にセロシア様が国王陛下に謁見して、その後私とカトレアもご挨拶したの。カトレアはすっかりご執心。しばらくして、公爵が私とカトレアの二人をお茶会に招待してくれたんだけど、カトレアは執拗に私に欠席するよう言ってきた」
「しかし、そうしなかったんですね」
「当然よ。公爵じきじきのご招待だもの。多少体調が悪くても伺うべきっていうのがイベリスの考えだし、たぶん王族としてはそれが正解なんでしょ。でも当日、イベリスの乗った馬車が襲撃にあった」
「馬車の襲撃ですか。団体での仕事だったんですね。しかし森に囲まれた街道とかならともかく、貴族街へ向かう馬車の襲撃は成功率が低い。普通なら受けない仕事ですよ。かなり質の低い襲撃者だったのでは?」
「暗殺者の質なんか知らないわよ……まあ、実際はその通りなのかしらね。無事、近衛隊が撃退してくれたみたい。でもね、その後になんとか駆け付けたお茶会でカトレアはなんて言ったと思う?イベリスにだけ聞こえるように、『なんだ生きてたの?』よ。このタイミングで言えるのは、襲撃を準備してた人間だけでしょ」
「……直情型のお姫様ですね」
「そうなのよ。それで二回目は十四歳の時。王族にとって十四歳の誕生日は特別な意味があるみたいで」
「この国の初代国王が即位した年ですね」
「若すぎるわよね。まぁ、それはいいんだけど、十四歳の誕生日は成人の次に大きなパーティーで大勢の人を招くのよね。もちろんセロシア様も招待客の一人。王族の誕生日パーティーなんだから家族であるイベリスも参加が予定されてた。年の離れた男兄弟ならまだしも、年の近い女姉妹が参加するのって慣例上普通のことなんだけど、カトレアは嫌がった」
お茶会の時も誕生日パーティーの時も、おそらくイベリスが主役になりそうなのが嫌だったんだろう。
過去に一度、そうなってしまったように。
「正妃様はカトレアに甘いから、イベリスを参加させないように国王陛下に言ったんだけど、却下されたのよね。それで誕生日パーティーの数日前に二回目の事件よ。その日、珍しくカトレアがイベリスを訪ねてきたの。これまで嫌がらせしかしてこなかったのに、泣いてそのことを謝って。それでイベリスがそれを許すと、『仲直りのしるしに庭園を一緒に散策しましょう』って言われて。カトレアは着替えてから行くから、イベリスは先に行ってほしいって。イベリスは素直に言うことを聞いたわ」
「元のイベリス姫は頭があまりよくないらしい」
カトレアよりもイベリスを馬鹿にするのか。
思わず苦笑する。
「純粋って言ってあげて。それで、後は想像通り。庭園に来たイベリスは、矢を射られたの。幸いかすっただけで済んだけど、犯人は逃がすし、毒が塗られていたらしくて三日三晩生死の境をさまよった。それからイベリスはほとんど部屋からでなくなっちゃった」
「カトレア姫はお咎め無しですか」
「目を覚ましたイベリスは国王陛下に相談したいとトラインに訴えたんだけど、無駄だったわね。決定的な証拠がないし、正妃の耳に入ったら叱責されるのはイベリスだもの。無かったことにされたわ。どちらにしろこの城の庭園に忍び込めるだけの暗殺者を雇うなんて、カトレアだけじゃ無理よ。正妃様か……もしくはもっと他にも、カトレアの協力者がいるんじゃない?もしトラインが国王陛下に訴えてくれたって、陛下が証拠をつかむ前にもみ消されたでしょう」
そう思い返しながら、自分で納得する。
あの日、トラインにアルのことを訴えようと思わなかったのはこのせいか、と。
既にイベリスは、自分の周囲の人間を信用していなかった。
命を落としかけたのにそんな対応をされたら当然だろうと思う。
仕方のないこととはいえ、やりきれなかったに違いない。
そして二度目の暗殺事件の後、侍女は一人二人と辞めていった。
そのうちの数名は後にカトレアの侍女になっているのを見たから、こちらもカトレアの手引きなのだろうと思うに至ったわけだ。
トラインが辞めていく侍女に理由を聞いても、家の事情でとしか言わなかったらしい。
侍女を増員すべく動いてくれたこともあるけれど、結果は芳しくなく、おそらく正妃から圧力がかかっているのだろうと言われた。
おそらく、マーヤだけ残されたのもカトレアの思い通りなんだろう。
流行に疎い、年かさの侍女だけを残す。
流石に一人も侍女が居ない状態になれば国王陛下が動くから、そうしないギリギリのラインを狙っている。
「そして、今度はそのセロシア様との婚約話ですか。確かに彼女が依頼者と考えたくなるのは分かりますが」
「でしょ?万が一私が選ばれようものなら、今の倍は暗殺者が飛んでくるんじゃない?」
「だから、その前に元に戻りたい?」
その言葉に、遠くの庭園を見ていた視線をアルに戻す。
「……アルは、別に中身がどっちだっていいんでしょう?」
「そうですね……どちらでも依頼は完遂できるでしょう」
翡翠の瞳にイベリスの顔が映る。
自分で聞いておいてなんだけど、どっちでもいいって腹立つわ。
そんな理由で殺されるなんて。
いや、どんな理由だって納得できると思えないけどね。
ぐっと唇を噛んだ。
「……図書室に行くわ」
そう言って歩き出す私の後ろを、小さな足音がついてきた。
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