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火の章

第28話 天下を志す事、鴻鵠の如し

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「来年、天文五年に駿河するがの今川家を攻める!」

「「「「「なっ!」」」」」

 俺の駿河攻略宣言に幹部たちが驚きの声を上げる。
 無理もない。
 板垣さん以外には、チラリとでも駿河攻略を匂わせていない。
 ずっと秘密にして来たのだ。

 俺は幹部たちに将来今川家で起こる内乱『花倉の乱』について話した。
 現当主の今川氏輝いまがわうじてるが急死し、後継者争いが起こる事、そして……。

「そして内乱のどさくさに紛れて、今川の領土を削り取る」

「なるほど!」
「御屋形様の一芸で知り得たのですな!」
「うむ……内乱が起こるのであれば……」
「今川相手でもあるいわ……」
「積年の恨みを……」
「一泡吹かせてやりましょうぞ!」

 表立った反対はない。
 武田家と駿河の今川家とは現在和睦状態だが、過去には何度も戦っている。
 幹部たちのやる気を確認した俺は、今年天文四年に起こるであろう『ある事件』について幹部たちに相談を始めた。

「さて、ここからは相談なのだが……。今年……天文四年……三河国みかわのくにの松平家当主松平清康まつだいらきよやすが殺害される」

「「「「「なっ!」」」」」

 再び驚きの声が上がる。
 俺は松平清康殺害に至るまでの事情を話し始めた。

 この事件、松平清康の殺害事件は『森山崩もりやまくずれ』と言われる歴史イベントだ。
 松平清康は、徳川家康の祖父に当たる人物で優秀な戦国大名であった。

 しかし、ちょっとした行き違いから家臣の阿部正豊あべ まさとよに殺害されてしまう。
 優秀な当主を失った松平家は凋落し、松平元康、つまり後の徳川家康が頭角を現すまで苦難の道を歩む事になる。

 俺が松平清康殺害『森山崩れ』の概要を話し終えると小山田虎満おやまだとらみつが発言した。

「ふむ。三河の松平清康が家臣の阿部なにがしにがいされる事はわかり申した。しかし、三河国の事でございましょう? 我らは武田家……甲斐国ですからな……。こう言うては何ですが……他人事では?」

「それがそうでもないのだ。優秀な当主松平清康を失った松平家は力を落とし、三河国を統治出来なくなる。三河の隣はどこの誰だ?」

「なるほど……。三河の隣は遠江とおとうみ……。今川家ですな……」

「そうだ。三河の松平家の力が落ちると今川家に力が付く」

「むう。それはあまり歓迎できませんな……」

 三河国は現代日本だと愛知県の東側、地図では右側のエリアを指す。
 三河の右隣、現代日本の静岡県西部に当たるのが遠江国で今川家が治めている。
 遠江の右隣り、現代日本の静岡県東部が駿河の国で今川家の本拠地がある。

 甲斐国は現代日本だと山梨県にあたるので、三河国で何か起ころうと直接の影響はない。
 しかし、国境を接する今川家の力が増大するとなると都合が悪い。

 ここで普段ほとんど発言しない甘利虎泰あまりとらやすが発言した。

「御屋形様は将来どのようになさりたいのでしょうか? 先程は今川家を攻めるとおっしゃいました。仮にですが……我らが今川家を倒したといたしましょう。その時に松平清康が生きていては邪魔なのでは? 三河松平家の当主が無能なら、なお良しでは?」

 さすが甘利虎泰……戦略眼がある!
 甘利虎泰は続ける。

「松平清康が生きておった方が良いか? 死んでおった方が良いか? それは御屋形様が武田家をどう舵取かじとりするかによるのではございませんか?」

 全員の目が俺に注がれる。
 武田家を将来どうするか……。

 それは一応考えてある。
 だが……実現可能であるかどうかはわからない……。
 俺は一つ息を吸うとゆっくりと腹から声を出すように意識して話した。

「武田家の将来は、甲斐、駿河、遠江、三河、尾張、美濃を領有する大大名だ。そして京に上る!」

 幹部たちが息を呑むのがわかった。
 俺はゆっくりと幹部たちを見まわす。
 期待、不安、困惑、色々な思いが幹部たちの顔に浮かんでいる。

 当主交代したばかりの若い俺が『京に上る!』と言い出したのだ。
 京に上るという事は、帝を奉り天下に号令することを意味する。

 幹部たちにすれば、それは夢物語。
 若い当主の若さに任せた美しくも儚い夢と感じているのだろう。

「御屋形様。それはさすがにご無理では?」

 妖怪ジジイ小山田虎満が発言した。
 無理……無理なのか?

 内政担当の駒井高白斎が後に続く。

 「左様。駿河と遠江を領する今川、三河を領する松平、尾張の織田、美濃の土岐。どの大名家も力があり、特に今川、織田、土岐は強敵にございます」

 知っているぞ。
 俺が語った夢は、史実の武田信玄でさえ成し得なかった事だ。

 武田信玄。
 織田信長が恐れた戦国最強の大名。

 若き日の徳川家康を鎧袖一触。
 その時、家康はちびりながら、漏らしながら命からがら逃げ帰った。
 家康の生きたトラウマだ。

 だが、そんな武田信玄も寿命には勝てなかった。
 京都を目指し甲斐の国を発ったが、持病が悪化し血を吐き志半ばで死亡する。

 今の俺は武田晴信、若き日の武田信玄だ。

 信玄は晩年になってから上洛、つまり京都を目指した。
 これでは遅いのだ。

 俺はまだ若い。
 寿命が尽きるまで時間はある。
 それにどの国を、どう攻め取るか選択する事が出来る。

 史実の武田晴信は、信濃の諏訪攻略から始め信濃統一に力を注いだ。
 結果、『越後の竜』長尾景虎こと、『軍神』上杉謙信と何度も直接戦い。
 常に背後の上杉謙信を気にする事になる。

 そして交通の便が悪く、寒い甲斐と信濃を領有する事で、なかなか国力を伸ばせないでいたのだ。
 時代は農から商へ。
 甲斐と信濃を領有する未来では、武田家の発展を描けない。

 だから攻略ルートは海沿い。
 駿河からだ!

 俺はしばらく幹部たちに好き勝手に話をさせた。
 そしてビシリと強い口調で会話に割って入った。

「聞け! まず、駿河、遠江、三河、尾張、美濃、この五か国は田畑に出来る土地が多く、農業の生産力が高い」

 幹部たちが俺の言葉に耳を傾ける。
 すかさず板垣さんが俺の話に相槌を打つ。

「ふむ……我ら甲斐国は山国ですからな……開墾してもおのずと限界がありますな」

「そういう事だ。食物が多ければ、それだけ多くの兵が動かせる。ここまでは良いな?」

 全員が肯く。

「次に海だ。駿河、遠江、三河、尾張には港がある。甲斐国では商いと言えば陸路だが、海路の方が大量の物資を運べるのだ。海路を通じて堺や四国、九州とも取引が出来る」

「海路は、それ程に?」

「うん。輸送力があるんですよ。陸路の商いで大量輸送をしようと思えば一芸の『くら』持ちがいないとダメでしょう? けれど『蔵』持ちは、そんなにいないでしょう? 海路で船を使えば『蔵』持ちがいなくても大量輸送が可能ですよ」

「ふむ……商いの量が増えれば、商いからの税収も多くなりますな」

「そうです。それから人材です。これは俺の『一芸』で知り得た事ですが、三河、尾張、美濃あたりでは、これから優秀な人材が多数出て来ます。彼らが力をつけ頭角を現す前に、これらの国を抑えたい」

 織田信長は昨年天文三年に誕生をしている。
 彼が頭角を現すまで十数年の猶予がある。
 それまでに尾張まで落としてしまいたい。

 そうすれば将来信長の下に集まるであろう優秀な人材、例えば羽柴秀吉らを武田家の家臣に出来るかもしれない。
 三河の松平家なら江戸幕府を開いた傑物けつぶつ達を武田家の下に集める事が出来るかもしれない。

 甲斐から駿河、遠江、三河を経て尾張へ至るコース。

 上洛……。
 京都……。
 天下取り……。

 そんな言葉が俺の頭の中でグルグルと回転した。
 本物の武田信玄が成し得なかった事を、俺はやるのか?

 ブルリと体が震えた。
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