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乃東枯 ナツカレクサカルル 6/21-6/26
真夏の夜の夢の男
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「絶対変よ」
長谷部は食堂の端で弁当を広げる。
料理好きの旦那に今日も作ってもらったらしい。
とりつくねの大葉包とピーマンのしらす煮浸しが旨そうだ。
自分は食堂の天ざるソバを食べる。
「ああ」
どこがとは分からないけれど、納得のいかない状況だ。
「灰谷さんは私からのプレゼントを渡してくれたのよね?」
再度確認される。
「渡したし──喜んでたよ」
2人で舐めた飴を思い出す。
夢ではなかったのかと思うほど甘い夜だった。
「それなのに、雨野さんからお礼メールが無いの」
「それは変だな」
雨野はそこら辺はしっかりしている。
喜んでいたし、長谷部のことも好いているのに、
課長へ電話が出来て、長谷部に連絡一つ入れられないなんて変だ。
それほどの病気の可能性もあるけれど不信感は拭えない。
「だがメールも電話も出来ない状態ってどんな状態だよ」
「監禁されてるとか?」
「は?」
バシン。
背中を思い切り叩かれ蕎麦が食道を逆流しそうになる。
振り向くよりも早く舞台俳優のような張りのある声が後ろで響く。
『男は欲望によって支配されている。その理性が言うんだ。君の方がずっと優れているって。何事も時が来なければ熟さない。僕がそうだ‼︎若くて未熟で今まで理性的になれなかった‼︎』
「……織田さん何ですか、それ?」
歌うように登場した上機嫌の織田に長谷部が冷たい言葉を浴びせる。
まだ優しいな。
俺ならスルーしただろう。
「いやー‼︎今日、会うんだ。灰谷君が紹介してくれた女性に」
普段は君なんて言わないのに。
「シェイクスピアの〈真夏の夜の夢〉知らない?悪戯妖精が媚薬を塗る相手を間違えてドロドロ恋物語になる喜劇さ。僕は今まで未熟で理性的にはなれなかった!だから近場の女性に恋を感じていたけれど、今なら分かる‼︎安田さんが僕の運命の相手だと‼︎」
イビリお局様を織田に紹介していたのを忘れていた。ああいう人は最初はいい顔をするし、織田は意外とマメな男だ。存外うまくいくんじゃないかと思っている。
「初デートは喜劇を見に行こうと思って」
「それで真夏の夜の夢ですか?」
「今日から夏至だからな。夏至に起こる物語なんて最高じゃないか?シェイクスピアは最高な言い回しで物語を紡ぐ天才だ。度々作品に出てくるキューピットは目隠しされているんだ。何故だと思う?」
「恋は盲目?」
長谷部が弁当を食べながらも付き合う。
「そう‼︎ 『物思いが子種をまき、憂鬱によって妊娠し、狂気から生まれた、あの見えぬ悪魔』とシェイクスピアは現してる怪物だ。その怪物でさえ恋の辿りつく先は盲目ゆえ分からないと言うことさ」
なんだかこのテンションで初デートはヤバイ気がする。
「まぁ、所詮キューピットでさえ不倫の末に出来た神様だしなぁ。それが愛の使者なんて世の中皮肉なもんだ。
けれど‼︎灰谷君。ありがとな」
お、おう。
そんな返事しかできない。
織田がシェイクスピア好きとは思わなかった。
人は見た目では分からない。
というか、さっさと何処かへ行って欲しい。
「そっちの部署も大変なのにサンキューなー」
感謝を重ね、手を振り去っていく。
「織田!」
急ぎ席を立ち止める。
「──どういう意味だ?」
ヤバいと織田は顔色を変える正直者だ。
内緒だからと前置きし、普段は声の大きい織田が小さい声で話す。
「お前の部の課長、辞めるらしいぞ」
「榊課長が?」
長谷部が聞き漏れに問い返す。
「まぁ、まだ上も突然、榊課長に辞められると困るから辞令は受け取ってないらしい。お前んとこの部長が説得に回ってるよ」
「理由は?」
「なんか、この間親が亡くなって、それを機になんとかみたいな内容だったけれど詳しくは知らないさ」
あの課長が仕事を辞める。
雨野は知っているんだろうか?
だから──休んでいるんだろうか?
「雨野さんに続き課長まで辞めるなんてことになれば、お前んとこ大丈夫か?」
意味が分からない言葉を聞いた。
そんな話は聞いてない。
「人事課に──雨野の退職願が出ているのか?いつ?」
「すまん……知っていると思ったんだ」
人事課が勝手に他人の情報を話してはいけない。
ヤバいと織田は去ろうとするが、
流石にこのまま流せる話じゃない。
織田の食事を長谷部に渡し食堂の外へ連れ出す。
「灰谷──勘弁してくれ」
無理だ。
「──いいから教えろ」
「お前ら仲良かったろ?本人から聞いてくれよ」
「──織田、お願いだ」
「──今日だよ」
「雨野が持ってきたのか?」
織田が話そうと口を開いた瞬間──
『恋する者、気の狂った者は頭の中が煮えたぎり、ありもしない空想をする。だから、冷静な理性では理解できないことを思いつく』
静かな声だ。
木陰で朗読するような落ち着いた雰囲気でその声は割り込んできた。
「榊課長も『真夏の夜の夢』好きなんすか?」
動揺しながらも織田が喰いつく。
「観たことがあるだけだよ。先程、第二幕の台詞が聞こえてきたからね……で、なんの話をしていたの?」
微笑んでいるが目が笑ってない。
「や……今日、俺がデートなんでその自慢をしてました」
惚ける織田をその冷めた目で見る榊課長の方はもう惚けるつもりはないようだ。
今までの榊課長なら穏やかさを前面に出していた。
けれど──今は脅すように冷めた目で見射る。
「そうだね──まさか人事課が個人情報の取り扱いを疎かにするわけないよね」
「──当たり前っす。話してたのは俺のデートの話だけですよ」
このまま、雨野の退職の話を持ち出せば織田が漏らしたと言っているようなものだ。
そうなれば課長のことだ。
公にして個人情報を漏らした織田の降格問題に繋がる。
それは流石に──
織田ももう秘密裏に話せと言っても話さないだろう。
──榊課長の退職願と雨野の退職願は繋がっているのか?
榊課長は雨野の退職願を知っているのか?
雨野の退職願を出したのは誰だ?本人なのか?
それとも榊課長が?
歯痒いくらい分からないことが増えてゆく。
「──じゃあ午後の仕事を始めようか」
真夏の夜の夢なんて言いながら、梅雨の日本では鬱々と小雨が降り出し夜には大雨となった。
長谷部は食堂の端で弁当を広げる。
料理好きの旦那に今日も作ってもらったらしい。
とりつくねの大葉包とピーマンのしらす煮浸しが旨そうだ。
自分は食堂の天ざるソバを食べる。
「ああ」
どこがとは分からないけれど、納得のいかない状況だ。
「灰谷さんは私からのプレゼントを渡してくれたのよね?」
再度確認される。
「渡したし──喜んでたよ」
2人で舐めた飴を思い出す。
夢ではなかったのかと思うほど甘い夜だった。
「それなのに、雨野さんからお礼メールが無いの」
「それは変だな」
雨野はそこら辺はしっかりしている。
喜んでいたし、長谷部のことも好いているのに、
課長へ電話が出来て、長谷部に連絡一つ入れられないなんて変だ。
それほどの病気の可能性もあるけれど不信感は拭えない。
「だがメールも電話も出来ない状態ってどんな状態だよ」
「監禁されてるとか?」
「は?」
バシン。
背中を思い切り叩かれ蕎麦が食道を逆流しそうになる。
振り向くよりも早く舞台俳優のような張りのある声が後ろで響く。
『男は欲望によって支配されている。その理性が言うんだ。君の方がずっと優れているって。何事も時が来なければ熟さない。僕がそうだ‼︎若くて未熟で今まで理性的になれなかった‼︎』
「……織田さん何ですか、それ?」
歌うように登場した上機嫌の織田に長谷部が冷たい言葉を浴びせる。
まだ優しいな。
俺ならスルーしただろう。
「いやー‼︎今日、会うんだ。灰谷君が紹介してくれた女性に」
普段は君なんて言わないのに。
「シェイクスピアの〈真夏の夜の夢〉知らない?悪戯妖精が媚薬を塗る相手を間違えてドロドロ恋物語になる喜劇さ。僕は今まで未熟で理性的にはなれなかった!だから近場の女性に恋を感じていたけれど、今なら分かる‼︎安田さんが僕の運命の相手だと‼︎」
イビリお局様を織田に紹介していたのを忘れていた。ああいう人は最初はいい顔をするし、織田は意外とマメな男だ。存外うまくいくんじゃないかと思っている。
「初デートは喜劇を見に行こうと思って」
「それで真夏の夜の夢ですか?」
「今日から夏至だからな。夏至に起こる物語なんて最高じゃないか?シェイクスピアは最高な言い回しで物語を紡ぐ天才だ。度々作品に出てくるキューピットは目隠しされているんだ。何故だと思う?」
「恋は盲目?」
長谷部が弁当を食べながらも付き合う。
「そう‼︎ 『物思いが子種をまき、憂鬱によって妊娠し、狂気から生まれた、あの見えぬ悪魔』とシェイクスピアは現してる怪物だ。その怪物でさえ恋の辿りつく先は盲目ゆえ分からないと言うことさ」
なんだかこのテンションで初デートはヤバイ気がする。
「まぁ、所詮キューピットでさえ不倫の末に出来た神様だしなぁ。それが愛の使者なんて世の中皮肉なもんだ。
けれど‼︎灰谷君。ありがとな」
お、おう。
そんな返事しかできない。
織田がシェイクスピア好きとは思わなかった。
人は見た目では分からない。
というか、さっさと何処かへ行って欲しい。
「そっちの部署も大変なのにサンキューなー」
感謝を重ね、手を振り去っていく。
「織田!」
急ぎ席を立ち止める。
「──どういう意味だ?」
ヤバいと織田は顔色を変える正直者だ。
内緒だからと前置きし、普段は声の大きい織田が小さい声で話す。
「お前の部の課長、辞めるらしいぞ」
「榊課長が?」
長谷部が聞き漏れに問い返す。
「まぁ、まだ上も突然、榊課長に辞められると困るから辞令は受け取ってないらしい。お前んとこの部長が説得に回ってるよ」
「理由は?」
「なんか、この間親が亡くなって、それを機になんとかみたいな内容だったけれど詳しくは知らないさ」
あの課長が仕事を辞める。
雨野は知っているんだろうか?
だから──休んでいるんだろうか?
「雨野さんに続き課長まで辞めるなんてことになれば、お前んとこ大丈夫か?」
意味が分からない言葉を聞いた。
そんな話は聞いてない。
「人事課に──雨野の退職願が出ているのか?いつ?」
「すまん……知っていると思ったんだ」
人事課が勝手に他人の情報を話してはいけない。
ヤバいと織田は去ろうとするが、
流石にこのまま流せる話じゃない。
織田の食事を長谷部に渡し食堂の外へ連れ出す。
「灰谷──勘弁してくれ」
無理だ。
「──いいから教えろ」
「お前ら仲良かったろ?本人から聞いてくれよ」
「──織田、お願いだ」
「──今日だよ」
「雨野が持ってきたのか?」
織田が話そうと口を開いた瞬間──
『恋する者、気の狂った者は頭の中が煮えたぎり、ありもしない空想をする。だから、冷静な理性では理解できないことを思いつく』
静かな声だ。
木陰で朗読するような落ち着いた雰囲気でその声は割り込んできた。
「榊課長も『真夏の夜の夢』好きなんすか?」
動揺しながらも織田が喰いつく。
「観たことがあるだけだよ。先程、第二幕の台詞が聞こえてきたからね……で、なんの話をしていたの?」
微笑んでいるが目が笑ってない。
「や……今日、俺がデートなんでその自慢をしてました」
惚ける織田をその冷めた目で見る榊課長の方はもう惚けるつもりはないようだ。
今までの榊課長なら穏やかさを前面に出していた。
けれど──今は脅すように冷めた目で見射る。
「そうだね──まさか人事課が個人情報の取り扱いを疎かにするわけないよね」
「──当たり前っす。話してたのは俺のデートの話だけですよ」
このまま、雨野の退職の話を持ち出せば織田が漏らしたと言っているようなものだ。
そうなれば課長のことだ。
公にして個人情報を漏らした織田の降格問題に繋がる。
それは流石に──
織田ももう秘密裏に話せと言っても話さないだろう。
──榊課長の退職願と雨野の退職願は繋がっているのか?
榊課長は雨野の退職願を知っているのか?
雨野の退職願を出したのは誰だ?本人なのか?
それとも榊課長が?
歯痒いくらい分からないことが増えてゆく。
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