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──癸【ミズノト】──

xx1 8年前──序章

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「あら──この家のモノでは無いモノがあるわ」
その声に振り返った。
そこには着物姿の綺麗な女性がいた。
「名雲家の次期御当主はとんだヤンチャね」
上品な微笑みだ。
「……貴方は誰?」
玄馬げんま兄様以外ではここに来れる人は限られた使用人や先生だけだ。けれど、この人は明らかに違う。
まず他の人は楓乃かえのに話しかけない。
父様、母様もここへは来ない。
「どうしてここへ来たの?」
楓乃を微笑んだままじっとみる。
何も面白い事は言ってない筈だ。
何がそんなに楽しいのだろう?
「変わった空気を感じて来てみれば……面白いわね」
楓乃の名前を聞いてくるが無視をする。
こっちの質問には答えないし微笑んでいる意味が分からない。
気分が悪い。
「ごめんなさい。怒らせちゃったかしら?わたくしは高崎菖子というの。──夫人と呼んで頂戴」
「楓乃──名雲楓乃」
何歳いくつ?」
「10歳」
「そう……楓乃さんに好きな人はいるのかしら?」
好きな人?
「玄馬兄様」
「……そう」
外は土砂降りの雨だ。開けることのできない窓を雨風が揺らす。
「もし、何か困ったことがあればここへ連絡して」
耳元で囁かれた番号を無意識に覚える。
でも別に困った事はない。
「お茶会の途中だったわ。それではさようなら。
──椛川かばがわ楓乃さん」
かばがわ?私は名雲楓乃だ。
幻の様に現れて去っていった。
この部屋にまた静寂が訪れる。
兄様はいつ来てくれるだろうか?
さっきの女の人の事を聞いてみようか?
けれど──自分だけの秘密──兄様も知らない自分に
密かに心が躍る。

「楓乃」
「おかえりなさい兄様‼︎」
抱きしめた兄様の服が湿っぽい。
この土砂降りだ。
キスをする。
毎日の挨拶だ。
「今日は何かあった?」
毎日交わす合言葉の様な会話だ。
「何もなかった。兄様を待ってたわ」
「そう──いい子だ楓乃」

──あの時、偶然夫人と出会わなければ未来は全く違っただろう。
〈名雲楓乃〉を消したくなる日が来るなんて思ってもいなかった。

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