73 / 83
§ すべてはここから始まった。
01
しおりを挟む
ただいまと生気の無い声と共に、コンビニの袋をドサッとテーブルに落とした俊輔が真っ直ぐ私に突進してくる。欠伸を噛み殺しながら私の頬を両手に挟んで強引に引き寄せ、ブチュッと容赦無いキスをしたかと思うと、やはり生気の無い声で言う。
「悪い。一時間……三十分でいいから寝かせて」
「なによ? 今日はこっち来ないんじゃなかったっけ?」
私の声はきっと奴の耳に冷たく響いているはずなのに、何の反応もせず欠伸をしながら寝室へ消えていったあの様は尋常ではない。ちょっと様子を見に行くか。でも、その前に作業を保存すべくモニタに向き直し、マウスを握ったところで気がついた。
「今ので変なとこクリックしちゃってるよ。保存してなかったのに……」
あとほんの少しで終わるはずだった作業が消えている。馬鹿俊輔。今やってた作業は元に戻せないんだよ。私の時間を返せ。寝室で眠りについている俊輔を蹴り飛ばしても、消えてしまったものが元に戻るわけではない。ため息を吐きつつ再び作業に没頭した。
文句を独り言ちながら作業を終了し、喉の渇きを癒そうと冷蔵庫からミネラルウォーターを取りだし栓を開け、放置していたコンビニ袋の中をちらっと覗く。
中身はやはり夕飯。幕の内弁当と、私の定番、冷やしたぬき。いつもなら満面の笑みで飛びつくところだが、もやもやした気持ちに食欲を阻害されている今は、好物にすら魅力を感じない。
掛け時計を見上げれば、時間はもう十時過ぎ。俊輔が来たのは晶ちゃんが帰ってすぐだから、二時間近く寝ている計算だ。
寝室のドアを開くと、テーブルランプの薄明かりの中、行き倒れのようにベッドに俯せている俊輔の姿がある。床に脱ぎ捨ててあったスーツのジャケットを拾い、椅子の背に掛けた。着替えもせずに寝てしまうなんて、いったい何があったのだろう。
ベッドの脇に座ると、眠る俊輔の横顔がすぐ目の前に。額にかかる柔らかい髪をそっと人差し指で撫でても、起きる気配はまったく無い。
小五のとき、こいつはクラスで前から二番目。学年でも前から二番目。後ろから三番目の私は、いつもこいつの顔を見下ろしていた。まだ声変わりもせず、顔だけは可愛いお人形みたいだった俊輔は、いつの間にか私よりずっと背が高く逞しくなって、すっかり大人の男に変貌を遂げた。口の悪さは相変わらずだが。
大人になって再会してからのこいつとの関わりは楽しかった。面倒なこともいっぱい押し付けられ、言いたい放題され、本気で喧嘩をすることもあったけれど、付き合いを断とうなんて考えたことは一度も無い。
こいつといまさら恋なんてできるわけがないと、鼻で笑っていたあの頃の自分は何処へ行ったのか。俊輔のあの言葉と同じで、私の心の何処かにも、ずっとこいつへの想いが居座っていたのだろうか。
異性である以前に、利害関係の無い友達という枠の中で、自分を飾る必要もなく、素顔を見せ軽口を叩き合える貴重な仲間だと思っていたのは、錯覚だったのか。
こんな気持ちになりたくはなかったのに、気がつけば溺れてもがいている。私はどうすればいいのだろう。自分の想いをぶつけて、真実を確かめたら、その先にどんな答えが待っているのか。もし、俊輔に私以外の女ひとがいたら。
失うのが怖い。
瞼を閉じると、言葉の代わりに涙が零れ落ちた。悔しい。どうして涙なんか出るのだろう。
温かい何かが私の頬に触れる。包まれる感触が心地良い。そうこれは、俊輔の手。そっと目を開けると、すぐ目の前で微笑む俊輔と目が合った。
「悪い。一時間……三十分でいいから寝かせて」
「なによ? 今日はこっち来ないんじゃなかったっけ?」
私の声はきっと奴の耳に冷たく響いているはずなのに、何の反応もせず欠伸をしながら寝室へ消えていったあの様は尋常ではない。ちょっと様子を見に行くか。でも、その前に作業を保存すべくモニタに向き直し、マウスを握ったところで気がついた。
「今ので変なとこクリックしちゃってるよ。保存してなかったのに……」
あとほんの少しで終わるはずだった作業が消えている。馬鹿俊輔。今やってた作業は元に戻せないんだよ。私の時間を返せ。寝室で眠りについている俊輔を蹴り飛ばしても、消えてしまったものが元に戻るわけではない。ため息を吐きつつ再び作業に没頭した。
文句を独り言ちながら作業を終了し、喉の渇きを癒そうと冷蔵庫からミネラルウォーターを取りだし栓を開け、放置していたコンビニ袋の中をちらっと覗く。
中身はやはり夕飯。幕の内弁当と、私の定番、冷やしたぬき。いつもなら満面の笑みで飛びつくところだが、もやもやした気持ちに食欲を阻害されている今は、好物にすら魅力を感じない。
掛け時計を見上げれば、時間はもう十時過ぎ。俊輔が来たのは晶ちゃんが帰ってすぐだから、二時間近く寝ている計算だ。
寝室のドアを開くと、テーブルランプの薄明かりの中、行き倒れのようにベッドに俯せている俊輔の姿がある。床に脱ぎ捨ててあったスーツのジャケットを拾い、椅子の背に掛けた。着替えもせずに寝てしまうなんて、いったい何があったのだろう。
ベッドの脇に座ると、眠る俊輔の横顔がすぐ目の前に。額にかかる柔らかい髪をそっと人差し指で撫でても、起きる気配はまったく無い。
小五のとき、こいつはクラスで前から二番目。学年でも前から二番目。後ろから三番目の私は、いつもこいつの顔を見下ろしていた。まだ声変わりもせず、顔だけは可愛いお人形みたいだった俊輔は、いつの間にか私よりずっと背が高く逞しくなって、すっかり大人の男に変貌を遂げた。口の悪さは相変わらずだが。
大人になって再会してからのこいつとの関わりは楽しかった。面倒なこともいっぱい押し付けられ、言いたい放題され、本気で喧嘩をすることもあったけれど、付き合いを断とうなんて考えたことは一度も無い。
こいつといまさら恋なんてできるわけがないと、鼻で笑っていたあの頃の自分は何処へ行ったのか。俊輔のあの言葉と同じで、私の心の何処かにも、ずっとこいつへの想いが居座っていたのだろうか。
異性である以前に、利害関係の無い友達という枠の中で、自分を飾る必要もなく、素顔を見せ軽口を叩き合える貴重な仲間だと思っていたのは、錯覚だったのか。
こんな気持ちになりたくはなかったのに、気がつけば溺れてもがいている。私はどうすればいいのだろう。自分の想いをぶつけて、真実を確かめたら、その先にどんな答えが待っているのか。もし、俊輔に私以外の女ひとがいたら。
失うのが怖い。
瞼を閉じると、言葉の代わりに涙が零れ落ちた。悔しい。どうして涙なんか出るのだろう。
温かい何かが私の頬に触れる。包まれる感触が心地良い。そうこれは、俊輔の手。そっと目を開けると、すぐ目の前で微笑む俊輔と目が合った。
0
お気に入りに追加
379
あなたにおすすめの小説
粗暴で優しい幼馴染彼氏はおっとり系彼女を好きすぎる
春音優月
恋愛
おっとりふわふわ大学生の一色のどかは、中学生の時から付き合っている幼馴染彼氏の黒瀬逸希と同棲中。態度や口は荒っぽい逸希だけど、のどかへの愛は大きすぎるほど。
幸せいっぱいなはずなのに、逸希から一度も「好き」と言われてないことに気がついてしまって……?
幼馴染大学生の糖度高めなショートストーリー。
2024.03.06
イラスト:雪緒さま
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
10 sweet wedding
国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。
人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?
石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。
ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。
ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。
「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。
扉絵は汐の音さまに描いていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる