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§ わたしたち、いまさら恋はできません。

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「馬鹿にするのもいい加減にしてよ!」

 彼女は突然立ち上がり、私の頭からコーヒーを浴びせかけ、席を蹴って店を出て行った。咄嗟のことで避ける余裕すらなく、前髪からは茶色い雫がポタポタと滴って、すっかりコーヒー色になったワンピースの残りの白い部分を染めていく。

波瑠はる? 大丈夫? 火傷しなかった?」

 幸い少し冷めていたから良かったが、これが熱々だったら大火傷をするところだった。

 惨めだ。なんで私がこんな思いをさせられなければならないのだ。

 顔中コーヒーに塗れ、ベタベタして気持ちが悪い。コーヒーとミルクのフレーバーと砂糖の甘さが、鼻腔に広がる。最初から飲む気が無いんだったら、ミルクと砂糖まで入れなければいいのに。コーヒーだけならまだしもミルク入りでは、この染みは落ちないかも知れない。

 隣では俊輔しゅんすけが狼狽ながら、ナフキンで私の髪と顔を拭いている。

 そんな薄っぺらい紙ナフキン一枚で、グランデカップにいっぱい入ったコーヒーが拭き取れるわけがないだろう。私は、怒りで唇をわなわなと震わせ、軽蔑の眼差しで彼を一瞥した。

「ワンピース、ちゃんと弁償してくれるんだよね?」
「するよ、ちゃんとする。でも、これ、俺が買ってやったやつじゃなかったっけ?」
「あんたねぇ……?」

 一瞬へらっと笑った俊輔を、調子に乗るなとばかりにグッと睨みつけると、途端に怯えた顔になった。

「ごめんごめん。ちゃんと弁償するし」
「シミ抜き高いから覚悟して。着替えも」
「わかってるって」
「それと、夕飯。食べ放題飲み放題」
「なんでも言うとおりにするから。ほんと、ごめんって」

 騒ぎを聞きつけた店員が、タオルを持ってきてくれたので、私は、お騒がせしてすみませんと、引き攣った笑顔でタオルを受け取り、べたつく顔と髪を拭いた。


 私がどうしてこんな酷い目に遭っているのか。それはすべてこの男、浅野俊輔あさのしゅんすけの所為だ。
 
 一般的に、見た目が良い上に、愛想が良く口も上手いというのは、女にモテる重要な要素。浅野俊輔は、それらをすべて兼ね備えている。その上、スペックも高いときては、女にとって魅力的に映るのは当然のことだろう。

 俊輔自身は、恋愛にはどうやら淡白で、来る者は拒まず去るものは追わず。私の知っている限りでは、本気の恋愛に発展させる気もなく、適当につまみ食いを楽しんでいるだけのように見える。今日の彼女も推して知るべしだ。

 しかし、相手の女にとってはせっかく手に入れかけたハイスペック男子。そう易々と手放すわけがない。そこで、トラブルを避けできるだけ穏便に諦めさせるために、このモテ男の飲み友だち、私の出番となるわけだ。

 元はと言えば、大学のときに偶然再会した俊輔が私の彼氏に成りすまし、しつこく言い寄ってくる男を撃退してくれたのが始まりだった。あれからもう九年、持ちつ持たれつ、面倒な相手を撃退し合う飲み友だちの関係が続いている。

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