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§ 苟且
四
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——おかけになった電話番号は、現在使われておりません。
携帯電話のスピーカーから流れる無機質なアナウンスが信じられなくて、何度も電話をかけ直してみたが、何度かけても結果は同じ。
亜弥が、消えた。
とはいえ、生身の人ひとり。いきなり煙のように掻き消えるなんぞありえない。
まさか。
過ったのは、過去と同様、なにかの事故に巻き込まれた可能性だったが、それは一瞬のうちに排除された。
電話番号がない、それは即ち、携帯電話は解約されているということ。
事故に巻き込まれ連絡不能になった人間に、そんなことができるわけがない。つまり。
亜弥は自ら行方をくらましたのだ。
「なぜだ……」
克巳はここ最近の亜弥の様子をひとつひとつ思い出してみる。
仕事中も、もちろんプライベートな時間を共に過ごしたときも普段と同様、気になる言動もなければ、変わった様子があるわけでもなかったように思う。
そうなると、やはり外的要因以外にはない、か。
亜弥の身内になにか緊急を要する事柄があった可能性——それなら当然、克巳に知らせるだろうし、姿を消すほどのことではない。
「なあ、兄さん……」
「うん? 敦史お前、まだいたのか」
克巳同様、突然亜弥の電話が通じなくなったことを心配した敦史は、急遽出張を切り上げ、戻ったその足で克巳の部屋に居座っている。
「部内の子たちとか、別の部署にいる亜弥ちゃんの友だちにも訊いたけれど知らないって言うし、亜弥ちゃん、退職手続きまで済ましているんだよね? 急に会社まで辞めていなくなるなんて、やっぱりおかしいよ。どう考えてもこんなの亜弥ちゃんらしくない」
「ああ、そうだな……」
亜弥らしくない。まさにそのとおりだ。
十年だ。十年もの長い年月、一途に俺を想い続けていた亜弥が、別れのひと言もなく俺を捨てるなんて、そんなこと、あいつがするわけがないんだ。
亜弥。いったいなにが——。
短く切り揃えた爪が手のひらに食い込むほどに、克巳は拳を握り締める。
俺は、そんなに頼りなかったのか。
怒り渦巻く次の瞬間には、無力感に苛まれる、その繰り返し。
ソファに浅く腰をかけ、膝に両肘を突いて頭を抱える敦史の向かい側で、克巳は背に力なくもたれかかり、虚ろな目で天上を見上げている。
『……いいでしょ、通してよ』
『いまは誰も通すなと指示されて……』
『大事な用事なのよ!』
ドアの向こうが騒がしい。何事か揉めている様子だ。
『いや、だからって君……そんな無理やり、ちょっと、まっ……』
「……なんだ?」
様子を見に行くべきか、と、克巳が視線を向けると同時に、バタンと音を立ててドアが開いた。
見知らぬ女性が、低い背丈に似合わぬ歩幅でつかつかと自分のほうへ歩み寄ってくる。社員証をぶら下げているからには、何処かの部署の人間なのだろうが、こんなふうに不躾な態度を取られる謂れはない、と、克巳は眉を顰めた。
「お忙しいところ突然押しかけて申し訳ありません」
克巳に向かって丁寧に頭を下げる彼女を、茫然と見上げながら敦史が呟く。
「え……中島さん?」
「ちょっと君、いい加減に……」
「……っ!」
「いったいなにごとだ?」
「申し訳ありません、室長。すぐに退出させますから……」
彼女の腕に手をかけ、部屋から引き摺り出そうとする部下を、克巳が手で制した。
男性の退出を見届けた彼女は、克巳の不快感がたっぷりこもった強い視線をものともせずに、それを見据えてにやりと笑い口を開く。
「森さん、お久しぶりです。私のこと、覚えてますか?」
森の姓を知っているのは、古い知り合いだけだ。だが、この女は——見覚えがあるようなないような。
克巳は記憶を手繰る一方で胸元の社員証に目を留めた。
こいつ——もしかして。
「……お前、ももこ、か?」
思い出した。亜弥と一緒にコンビニエンスストアでアルバイトをしていた女子高生だ。
「よかった。ちゃんと覚えていてくれたんですね」
正体に気づいたその瞬間、桃子の来訪が意味するところを、克巳は理解する。
「亜弥は? 亜弥は何処にいる? お前、知ってるんだろ? いったい何があったんだ? 教えてくれ! 頼む!」
携帯電話のスピーカーから流れる無機質なアナウンスが信じられなくて、何度も電話をかけ直してみたが、何度かけても結果は同じ。
亜弥が、消えた。
とはいえ、生身の人ひとり。いきなり煙のように掻き消えるなんぞありえない。
まさか。
過ったのは、過去と同様、なにかの事故に巻き込まれた可能性だったが、それは一瞬のうちに排除された。
電話番号がない、それは即ち、携帯電話は解約されているということ。
事故に巻き込まれ連絡不能になった人間に、そんなことができるわけがない。つまり。
亜弥は自ら行方をくらましたのだ。
「なぜだ……」
克巳はここ最近の亜弥の様子をひとつひとつ思い出してみる。
仕事中も、もちろんプライベートな時間を共に過ごしたときも普段と同様、気になる言動もなければ、変わった様子があるわけでもなかったように思う。
そうなると、やはり外的要因以外にはない、か。
亜弥の身内になにか緊急を要する事柄があった可能性——それなら当然、克巳に知らせるだろうし、姿を消すほどのことではない。
「なあ、兄さん……」
「うん? 敦史お前、まだいたのか」
克巳同様、突然亜弥の電話が通じなくなったことを心配した敦史は、急遽出張を切り上げ、戻ったその足で克巳の部屋に居座っている。
「部内の子たちとか、別の部署にいる亜弥ちゃんの友だちにも訊いたけれど知らないって言うし、亜弥ちゃん、退職手続きまで済ましているんだよね? 急に会社まで辞めていなくなるなんて、やっぱりおかしいよ。どう考えてもこんなの亜弥ちゃんらしくない」
「ああ、そうだな……」
亜弥らしくない。まさにそのとおりだ。
十年だ。十年もの長い年月、一途に俺を想い続けていた亜弥が、別れのひと言もなく俺を捨てるなんて、そんなこと、あいつがするわけがないんだ。
亜弥。いったいなにが——。
短く切り揃えた爪が手のひらに食い込むほどに、克巳は拳を握り締める。
俺は、そんなに頼りなかったのか。
怒り渦巻く次の瞬間には、無力感に苛まれる、その繰り返し。
ソファに浅く腰をかけ、膝に両肘を突いて頭を抱える敦史の向かい側で、克巳は背に力なくもたれかかり、虚ろな目で天上を見上げている。
『……いいでしょ、通してよ』
『いまは誰も通すなと指示されて……』
『大事な用事なのよ!』
ドアの向こうが騒がしい。何事か揉めている様子だ。
『いや、だからって君……そんな無理やり、ちょっと、まっ……』
「……なんだ?」
様子を見に行くべきか、と、克巳が視線を向けると同時に、バタンと音を立ててドアが開いた。
見知らぬ女性が、低い背丈に似合わぬ歩幅でつかつかと自分のほうへ歩み寄ってくる。社員証をぶら下げているからには、何処かの部署の人間なのだろうが、こんなふうに不躾な態度を取られる謂れはない、と、克巳は眉を顰めた。
「お忙しいところ突然押しかけて申し訳ありません」
克巳に向かって丁寧に頭を下げる彼女を、茫然と見上げながら敦史が呟く。
「え……中島さん?」
「ちょっと君、いい加減に……」
「……っ!」
「いったいなにごとだ?」
「申し訳ありません、室長。すぐに退出させますから……」
彼女の腕に手をかけ、部屋から引き摺り出そうとする部下を、克巳が手で制した。
男性の退出を見届けた彼女は、克巳の不快感がたっぷりこもった強い視線をものともせずに、それを見据えてにやりと笑い口を開く。
「森さん、お久しぶりです。私のこと、覚えてますか?」
森の姓を知っているのは、古い知り合いだけだ。だが、この女は——見覚えがあるようなないような。
克巳は記憶を手繰る一方で胸元の社員証に目を留めた。
こいつ——もしかして。
「……お前、ももこ、か?」
思い出した。亜弥と一緒にコンビニエンスストアでアルバイトをしていた女子高生だ。
「よかった。ちゃんと覚えていてくれたんですね」
正体に気づいたその瞬間、桃子の来訪が意味するところを、克巳は理解する。
「亜弥は? 亜弥は何処にいる? お前、知ってるんだろ? いったい何があったんだ? 教えてくれ! 頼む!」
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