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§ 炎節
二
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ピッピッ、と、商品をレジに通し、『お弁当温めますか?』と定型文を口にする。
今日は近くでイベントでもあったのか、普段なら空いてくる夕食時になっても客足が絶えない。
こんな日に限って、同僚の中島桃子は風邪を引いてお休みで、店はてんてこ舞い。裏方業務が主な店長の奥さんまでが、首に巻いたタオルで汗を拭きながら、品出しに追われている。
亜弥はといえば、レジにかかりきり。立ちっぱなしで足が痛い。遅番のアルバイトは出勤前で、トイレに行きたいのに、交代要員もいない。
あともう少しだ早く終われ、と、頭の中で念じながら、レジマシンの一部になったかのように淡々と、客対応を熟していた。
「おい、宮藤亜弥」
「はいっ!」
反射的に返事をして見上げると、見覚えのある背の高い男の人が目の前に立っている。
「これ、あんたのだろ?」
差し出されたのは、ショッキングピンクの財布。間違い無く亜弥の物だった。
「あ……」
「二度とひとりで夜の公園なんか歩くんじゃないぞ」
捨て台詞のように言い残し、踵を返す彼の背中を、亜弥は茫然と見送った。
「ちょっと、待ってるんだけど?」
「あ、すみません」
レジ待ちの行列は未だ途切れることを知らず。亜弥はそれ以上なにも考えられずに、交代時間ギリギリまで客を捌き続けた。
暗がりの中、恐怖に怯えていた亜弥はまったく気づかなかったのだが、あの日、不良グループに絡まれていたところへ現れた恐ろしい大男は、亜弥の務めるコンビニの常連客だった。
亜弥は彼の訪れる時間帯とシフトが重なることが少なかったためよく知らなかったのだが、大柄で日に焼けた精悍な面持ちの彼は、ちょっと恐そう、なにをしている人なんだろうね、と、女性スタッフの間で時折話題にのぼるお客様。
人知れず片思いしているスタッフも、じつはいるんだよ、と、仲良しの桃子が後から教えてくれた。
そんな彼に助けられた挙げ句、学生証入りの財布まで届けてもらったのにお礼のひとつも言えなかった。亜弥が意気消沈したのは言うまでもない。
明日こそ、お礼を言おう。謝ろう。毎日のようにそう決意はするのだけれど、チャンスはそう簡単に巡ってこなかった。
運良く機会を得ても、わけもなく緊張した亜弥の口からでてくるのは『いらっしゃいませ』『お弁当温めますか?』等々の定型文句ばかり。
こっちを向いてと念じながら、買い物をする彼の背中を目で追い続ける空しい時間が過ぎていく。
彼の来訪を待ち望み、時折見せる彼の小さな笑顔や、ごくたまにうっかり触れる指先の感触に、亜弥の心臓が高鳴るようになったのは、いつからだったろう。
森克巳。
亜弥が彼の名前を知ったのは、自分の恋心を告白した後の話。間抜けもいいところだったな、と、いまさらながらに思う。
素性はもとより、名前や年齢すら知らない相手に恋をし、告白までしてしまうなんて、亜弥は本当にチャレンジャーだわ、と、告白の成功を報告した桃子に呆れられたのも、いい思い出だ。
「なんだよ気持ち悪いな、ひとりでニヤニヤして……」
「ん? ああ、あのね、公園で克巳くんとはじめて会ったときのこと、思い出してたの」
「はじめて? 違うだろう? 俺たち、コンビニで……」
「うん。それはそうなんだけど。だって、はじめてみたいなもんだったな、って思って」
亜弥はまさかとも思わなかったけれど、彼は、亜弥が行きつけのコンビニの店員であると覚えていてくれた。
それに引き換え亜弥は、助けてくれた彼に気づくどころか、お礼すら満足に言えず逃げ出して。
思い出すたびに、自分が情けなくて気持ちが凹んでしまう。
「この間ね、桃ちゃんに、不良に絡まれて克巳くんに助けて貰ったんだよって話したんだ」
「もも? だれ?」
「コンビニで一緒にバイトしてる、知らない? ポニーテールの背のちっちゃい子」
「ああ、いたかな? そんなの」
そんなの呼ばわりだなんて——桃ちゃん、かわいそう。
「それで? なに?」
「んと、克巳くんが来たときね、桃ちゃんに教えてあげたの。あれが克巳くんよって。そしたらさ、あのおっかない大きな人って言うから、どこが? 格好いいじゃない? って笑ったの。そしたら、あんたのそれは吊り橋効果だって言われちゃった。酷いよね」
「吊り橋効果? なにそれ」
「ん、なんか、恐いドキドキを恋愛のドキドキと勘違いしちゃう、とか? よくわかんないけど、そんなのらしいよ」
「……勘違いなのかよ」
「ちっ、違うよ! 勘違いじゃないもん。わたしのはちゃんと恋愛のドキドキだも、はうっ?」
「おまえそれ、恥ずかしげもなくよく言えるな」
克巳の大きな手に捕まれた亜弥の頬が、みるみる茹だる。
「はははっ。お前その顔おもしれぇ!」
「……いじわる」
暑さのためか、それとも冷や汗か。克巳の手のひらで歪められた亜弥の頬を一筋の汗が伝い落ちた。
怒った顔、意地悪な流し目、少年のように無垢な笑顔。
克巳の見せる喜怒哀楽が、亜弥は愛おしくてたまらない。
今日は近くでイベントでもあったのか、普段なら空いてくる夕食時になっても客足が絶えない。
こんな日に限って、同僚の中島桃子は風邪を引いてお休みで、店はてんてこ舞い。裏方業務が主な店長の奥さんまでが、首に巻いたタオルで汗を拭きながら、品出しに追われている。
亜弥はといえば、レジにかかりきり。立ちっぱなしで足が痛い。遅番のアルバイトは出勤前で、トイレに行きたいのに、交代要員もいない。
あともう少しだ早く終われ、と、頭の中で念じながら、レジマシンの一部になったかのように淡々と、客対応を熟していた。
「おい、宮藤亜弥」
「はいっ!」
反射的に返事をして見上げると、見覚えのある背の高い男の人が目の前に立っている。
「これ、あんたのだろ?」
差し出されたのは、ショッキングピンクの財布。間違い無く亜弥の物だった。
「あ……」
「二度とひとりで夜の公園なんか歩くんじゃないぞ」
捨て台詞のように言い残し、踵を返す彼の背中を、亜弥は茫然と見送った。
「ちょっと、待ってるんだけど?」
「あ、すみません」
レジ待ちの行列は未だ途切れることを知らず。亜弥はそれ以上なにも考えられずに、交代時間ギリギリまで客を捌き続けた。
暗がりの中、恐怖に怯えていた亜弥はまったく気づかなかったのだが、あの日、不良グループに絡まれていたところへ現れた恐ろしい大男は、亜弥の務めるコンビニの常連客だった。
亜弥は彼の訪れる時間帯とシフトが重なることが少なかったためよく知らなかったのだが、大柄で日に焼けた精悍な面持ちの彼は、ちょっと恐そう、なにをしている人なんだろうね、と、女性スタッフの間で時折話題にのぼるお客様。
人知れず片思いしているスタッフも、じつはいるんだよ、と、仲良しの桃子が後から教えてくれた。
そんな彼に助けられた挙げ句、学生証入りの財布まで届けてもらったのにお礼のひとつも言えなかった。亜弥が意気消沈したのは言うまでもない。
明日こそ、お礼を言おう。謝ろう。毎日のようにそう決意はするのだけれど、チャンスはそう簡単に巡ってこなかった。
運良く機会を得ても、わけもなく緊張した亜弥の口からでてくるのは『いらっしゃいませ』『お弁当温めますか?』等々の定型文句ばかり。
こっちを向いてと念じながら、買い物をする彼の背中を目で追い続ける空しい時間が過ぎていく。
彼の来訪を待ち望み、時折見せる彼の小さな笑顔や、ごくたまにうっかり触れる指先の感触に、亜弥の心臓が高鳴るようになったのは、いつからだったろう。
森克巳。
亜弥が彼の名前を知ったのは、自分の恋心を告白した後の話。間抜けもいいところだったな、と、いまさらながらに思う。
素性はもとより、名前や年齢すら知らない相手に恋をし、告白までしてしまうなんて、亜弥は本当にチャレンジャーだわ、と、告白の成功を報告した桃子に呆れられたのも、いい思い出だ。
「なんだよ気持ち悪いな、ひとりでニヤニヤして……」
「ん? ああ、あのね、公園で克巳くんとはじめて会ったときのこと、思い出してたの」
「はじめて? 違うだろう? 俺たち、コンビニで……」
「うん。それはそうなんだけど。だって、はじめてみたいなもんだったな、って思って」
亜弥はまさかとも思わなかったけれど、彼は、亜弥が行きつけのコンビニの店員であると覚えていてくれた。
それに引き換え亜弥は、助けてくれた彼に気づくどころか、お礼すら満足に言えず逃げ出して。
思い出すたびに、自分が情けなくて気持ちが凹んでしまう。
「この間ね、桃ちゃんに、不良に絡まれて克巳くんに助けて貰ったんだよって話したんだ」
「もも? だれ?」
「コンビニで一緒にバイトしてる、知らない? ポニーテールの背のちっちゃい子」
「ああ、いたかな? そんなの」
そんなの呼ばわりだなんて——桃ちゃん、かわいそう。
「それで? なに?」
「んと、克巳くんが来たときね、桃ちゃんに教えてあげたの。あれが克巳くんよって。そしたらさ、あのおっかない大きな人って言うから、どこが? 格好いいじゃない? って笑ったの。そしたら、あんたのそれは吊り橋効果だって言われちゃった。酷いよね」
「吊り橋効果? なにそれ」
「ん、なんか、恐いドキドキを恋愛のドキドキと勘違いしちゃう、とか? よくわかんないけど、そんなのらしいよ」
「……勘違いなのかよ」
「ちっ、違うよ! 勘違いじゃないもん。わたしのはちゃんと恋愛のドキドキだも、はうっ?」
「おまえそれ、恥ずかしげもなくよく言えるな」
克巳の大きな手に捕まれた亜弥の頬が、みるみる茹だる。
「はははっ。お前その顔おもしれぇ!」
「……いじわる」
暑さのためか、それとも冷や汗か。克巳の手のひらで歪められた亜弥の頬を一筋の汗が伝い落ちた。
怒った顔、意地悪な流し目、少年のように無垢な笑顔。
克巳の見せる喜怒哀楽が、亜弥は愛おしくてたまらない。
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