【R18】貴方の傍にいるだけで。

樹沙都

文字の大きさ
45 / 67
§ 追いかけてきた過去

07

しおりを挟む
 私に奇異な目線を向ける輩はそれなりに存在したが、なりすましメールの醜聞は、思いのほか広まらなかった。しかし、予想外にセンセーショナルなニュースが社内を駆け巡る。それはなんと——。

 第一開発グループ松本亮、婚約!

「知ってる? 松本さんの相手、モデルらしいよ?」
「うわぁ、さすが……御三家筆頭」

 噂の出所は、女性技術者有志が運営する裏SNS。白石さんが白状したところによると、全女性社員と一部の男性社員が登録しており、噂話はその大小を問わず、社内外秘ギリギリの情報までをもが共有されているのだそう。

 スクープされた亮と私の写真は、新婚旅行代わりに出かけた先で立ち寄った山中湖湖畔の洋風庭園で、社内結婚のカップルが撮影したものの中に偶然写り込んでいるのを、発見したらしい。

 もちろん、本田さんが口を割ったわけではけっしてないから、婚約だのモデルだのは尾鰭の域でしかないけれど。ノーメイクだったおかげで、松本亮のお相手も私だと特定されなかったのも、不幸中の幸いというべきか。

 普段の行動にはあれだけ気を付けていたのに、まさか浮かれまくった温泉旅行がこんな結果を生むなんて。壁に耳あり障子に目あり、だ。

「あの、すみません……」

 呼びかけられた声に振り向くと、事務の女の子が私を確認して言葉を飲み込み、声をかける相手を間違えたとばかりに顰めた顔を一瞬のうちに取り繕った。

「なにか?」
「あ、すみません。三浦さん、三浦理恵さんはこちらにいらっしゃいますか?」

 書類を届けに来たという彼女と一緒に、三浦理恵のいる島の辺りを覗き込むが彼女の姿はない。

「三浦さん? 今日はお休みみたいですよ?」

 私に追いついた白石さんが彼女に答えた。言われてみれば私も昨日から三浦理恵の姿を見ていない。あのメールの一件は調査を進めているはずだけれど、あれからなにかしらの進展があったのだろうか。

 昨夜、電源を切って放置した携帯電話は、他に連絡手段がないためいつまでも放置するわけにもいかず、出勤前に電源を入れた。予想どおり、並んでいたのは啓からの着信履歴ばかり。メッセージも多数あり、その内容はすべて、会って話がしたい、話を聞いて欲しいというものだった。

 いまの私は到底、話をする気にもいいわけを聞く気にもならない。暫くの間は放っておいて欲しいとの思いを込め、話すことはなにも無いとメッセージをひとつだけ送り、彼の電話番号をブラックリストに入れた。

 啓がなぜ智史と会っていたのかは知らない。ここのところ、啓がなにかを言いたそうにそわそわして見えたのは、智史のことを話したかったのかも知れない。
 けれども、もしかしたらずっと以前から、智史の動向を知っていたのかも知れないと思い至れば、平静でいられる自身がない。

 プロジェクトはリリース間近で、尋常ではない忙しさになっている。しかし、モニタに向かい作業をしていても、昔と変わらない智史と怯えた啓が頭の中でぐるぐる回るばかりでまったく集中できない。残業を三時間で打ち切り、オフィスを出たが、なんとなく真っ直ぐ家に帰りたくなくて、駅前のスーパーマーケットに立ち寄った。

 特に目的があるわけではなかったが、ぶらぶらと店内を歩くうち、卵を切らしているのを思い出しカゴへ放り込む。朝食用の食パンに、最近叱られていないな、と、亮の怒った顔を思い浮かべ苦笑いして、ハーゲンダッツのパイントサイズ、バニラとクッキークリームのふたつも購入する。
 いけないことをしているのは、わかっている。ストレス発散を口実にちょっと欲張ってみただけだ。

 少し混んだレジへ並び会計を済ませ、ポリ袋をぶら下げてとぼとぼ歩く。やはりダッツは叱られるよなぁ、と立ち止まり、亮のマンションを見上げた。自宅マンションへ到着し、オートロックを解除する。自動ドアを通り抜けようとしたところで、入り口脇の少し奥まった所に佇む背に気づいた。

 それが誰かなんて、言わずもがな。啓だ。

 一瞬足を止めてしまったが迷いを振り切り、なにも見なかったふうを装い足を進めた。けれどもその躊躇いを啓が気づかないはずもなく。

 駆け寄ってきた啓が摑んだ私の腕から、ビニール袋が滑り落ちガシャッと悲しい音を立てる。はずみで卵がわれてしまったのだ。

「ごめん、俺……」

 私の腕を離した啓が、腰を屈めて地面に落ちた袋を拾う。その隙に逃げ出したい衝動に駆られたが、竦んだ足が自由にならなかった。

 啓はポリ袋を手に持ち、俯いたままその場を動かない。いまここで、聞きたくないと拒絶したところで、この人は受け入れないだろう。私はひと言も話さずポリ袋だけを啓の手から奪い返し、閉じてしまったオートロックをふたたび解除した。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

ハメられ婚〜最低な元彼とでき婚しますか?〜

鳴宮鶉子
恋愛
久しぶりに会った元彼のアイツと一夜の過ちで赤ちゃんができてしまった。どうしよう……。

優しい雨が降る夜は

葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン 無自覚にモテる地味子に 余裕もなく翻弄されるイケメン 二人の恋は一筋縄ではいかなくて…… 雨降る夜に心に届いた 優しい恋の物語 ⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡ 風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格 雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン

今さらやり直しは出来ません

mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。 落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。 そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……

処理中です...