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§ 追いかけてきた過去
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慌ただしく身支度を終えて駅までの道程は早足、通勤客で混み合う地下鉄に乗る。ざらざらと埃っぽい空気は不快だし、騒音は煩わしい。たかだか三日、日常から離れていただけなのに、こんなにもはっきりと違いがわかるものなのか、と、改めて驚く。
行き掛けに自社へ立ち寄り、まずは土産を配り温泉旅行の報告会。その後、軽く打ち合わせを済ませ、出向先へ到着したのは午前十時を回った頃だった。
「ほら、あの人よ。あのメールの……」
「よくもまあ会社に顔を出せるわよねぇ」
「ホント。恥ずかしくないのかしら?」
「しっ! 聞こえるわよ」
廊下で見知らぬ事務服の女の子たちが、私を指しこそこそと言葉を交わしている。顔見知りの社員さんとすれ違い様に挨拶をすればそれとなく目を逸らされる。中にはあからさまに侮蔑の視線を投げかける人もいた。
なんだろう。いつもと社内の空気が違うような。後ろ指を指されることには慣れているし、いまも松本亮との妙な噂を立てられているのは知っている。けれども、社内でここまで露骨な態度を見せらたことはこれまで無かった。
「あ、よかった! 来たわ」
「河原さん、こっち!」
隅のほうで、ふたりが早くおいでと手招きをしている。このふたりはいつも通りのようだが。
「ねえ、なにかあったの?」
「なにかじゃないわよ」
「そうよ、河原さん知らないの?」
「知るも知らないも、いま来たところだし……」
複雑そうな顔をしていることに変わりはなかった。
「チームのメーリングリストに怪文書が流れてるのよ」
「怪文書?」
早口で捲し立てるふたりの支離滅裂な報告を整理してわかったのは、私がメーリングリストを私的に使い、松本亮へ卑猥なメールを送りつけたという、ありもしない事実だった。
「それって、怪文書じゃなくて……公開ストーカー?」
「ストーカーに公開は無いわぁ」
「公開……って、あはは。笑ってる場合じゃないんだけどやっぱりおかしぃ……くくくっ」
ストーカー行為を対象者以外のその他大勢に見せびらかしながらやる露出趣味の変態なんているのだろうか——って、わたしがそうだと思われているのだった。
「河原さんがそんなばかなことするわけないって私たちは知ってるからいいんだけど」
「社内に広まっちゃってるのがねぇ……」
噂は光の速度で広まる。さらに言うとこれは、もともと燻っていたところへガソリンをまいたようなもの。数時間もかからず広まるのは不思議でもなんでもない。
「犯人は誰だろう?」
プロジェクトチームのメーリングリストを使えるのは当然、登録されたチーム内の人間だけだ。しかも、社内メールの送受信ができる端末は登録されたもののみと、限られている。
「内部の人以外ありえないけど、どうしてこんな酷いこと……」
「そんなに凄い内容だったの?」
「ああそっか、まだ見てないよね。うん。あれは悪意の塊としか思えないわ」
「アドレス偽装してアレって完全な個人攻撃だもんねぇ……恨みとか?」
「河原さん、誰かに恨まれるような覚えある?」
「……さあ?」
「恨みって言えばさ、やっぱりあれかな? 松本さんとランチデート」
「それはないでしょう? 随分前の話だよ? いまさら……」
「片思いしていた完璧上司と一度食事したけれどそれ以降誘われなくなって、他の女とランチしてるのを見かけてストーカー化しちゃった、とか? で、上司をナイフで刺して殺しちゃうの。その後も何食わぬ顔で……って、なんか、辻褄合わなくない?」
「なにそれ?」
「え? 一昔前の美少女女優が犯人役に挑戦、って話題になったサスペンスドラマだけど……木村さん観てないの?」
「…………」
木村さんの白い目が、白石さんを抉った。
「そうだ! あの人ならどう? 嗤われた仕返しのつもりとか」
「ああ、あのハゲ……あいつならやりかねないわね」
ギラリと光るふたりの目つきがなんとも恐ろしい。酒井さんこそ全女性社員の恨みを買っていそうだ。
とんでもない濡れ衣を着せられるという、本来であれば重く捉えて早々に対策を考慮しなければならない大事件のはずではあるのだけれど、当事者の私が深刻になりきれないのは、このふたりが交わす軽口のおかげだろう。
「河原さん、ちょっといいかな?」
すっかり面白おかしく話し込んでいるところに割り込んできた声の主は、プロジェクトマネージャーの本田さんだった。
行き掛けに自社へ立ち寄り、まずは土産を配り温泉旅行の報告会。その後、軽く打ち合わせを済ませ、出向先へ到着したのは午前十時を回った頃だった。
「ほら、あの人よ。あのメールの……」
「よくもまあ会社に顔を出せるわよねぇ」
「ホント。恥ずかしくないのかしら?」
「しっ! 聞こえるわよ」
廊下で見知らぬ事務服の女の子たちが、私を指しこそこそと言葉を交わしている。顔見知りの社員さんとすれ違い様に挨拶をすればそれとなく目を逸らされる。中にはあからさまに侮蔑の視線を投げかける人もいた。
なんだろう。いつもと社内の空気が違うような。後ろ指を指されることには慣れているし、いまも松本亮との妙な噂を立てられているのは知っている。けれども、社内でここまで露骨な態度を見せらたことはこれまで無かった。
「あ、よかった! 来たわ」
「河原さん、こっち!」
隅のほうで、ふたりが早くおいでと手招きをしている。このふたりはいつも通りのようだが。
「ねえ、なにかあったの?」
「なにかじゃないわよ」
「そうよ、河原さん知らないの?」
「知るも知らないも、いま来たところだし……」
複雑そうな顔をしていることに変わりはなかった。
「チームのメーリングリストに怪文書が流れてるのよ」
「怪文書?」
早口で捲し立てるふたりの支離滅裂な報告を整理してわかったのは、私がメーリングリストを私的に使い、松本亮へ卑猥なメールを送りつけたという、ありもしない事実だった。
「それって、怪文書じゃなくて……公開ストーカー?」
「ストーカーに公開は無いわぁ」
「公開……って、あはは。笑ってる場合じゃないんだけどやっぱりおかしぃ……くくくっ」
ストーカー行為を対象者以外のその他大勢に見せびらかしながらやる露出趣味の変態なんているのだろうか——って、わたしがそうだと思われているのだった。
「河原さんがそんなばかなことするわけないって私たちは知ってるからいいんだけど」
「社内に広まっちゃってるのがねぇ……」
噂は光の速度で広まる。さらに言うとこれは、もともと燻っていたところへガソリンをまいたようなもの。数時間もかからず広まるのは不思議でもなんでもない。
「犯人は誰だろう?」
プロジェクトチームのメーリングリストを使えるのは当然、登録されたチーム内の人間だけだ。しかも、社内メールの送受信ができる端末は登録されたもののみと、限られている。
「内部の人以外ありえないけど、どうしてこんな酷いこと……」
「そんなに凄い内容だったの?」
「ああそっか、まだ見てないよね。うん。あれは悪意の塊としか思えないわ」
「アドレス偽装してアレって完全な個人攻撃だもんねぇ……恨みとか?」
「河原さん、誰かに恨まれるような覚えある?」
「……さあ?」
「恨みって言えばさ、やっぱりあれかな? 松本さんとランチデート」
「それはないでしょう? 随分前の話だよ? いまさら……」
「片思いしていた完璧上司と一度食事したけれどそれ以降誘われなくなって、他の女とランチしてるのを見かけてストーカー化しちゃった、とか? で、上司をナイフで刺して殺しちゃうの。その後も何食わぬ顔で……って、なんか、辻褄合わなくない?」
「なにそれ?」
「え? 一昔前の美少女女優が犯人役に挑戦、って話題になったサスペンスドラマだけど……木村さん観てないの?」
「…………」
木村さんの白い目が、白石さんを抉った。
「そうだ! あの人ならどう? 嗤われた仕返しのつもりとか」
「ああ、あのハゲ……あいつならやりかねないわね」
ギラリと光るふたりの目つきがなんとも恐ろしい。酒井さんこそ全女性社員の恨みを買っていそうだ。
とんでもない濡れ衣を着せられるという、本来であれば重く捉えて早々に対策を考慮しなければならない大事件のはずではあるのだけれど、当事者の私が深刻になりきれないのは、このふたりが交わす軽口のおかげだろう。
「河原さん、ちょっといいかな?」
すっかり面白おかしく話し込んでいるところに割り込んできた声の主は、プロジェクトマネージャーの本田さんだった。
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