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§ 勝負の行方
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露天風呂から上がり、寝室のソファでぼーっと窓の外を眺め寛いでいると、いつの間に戻ってきたのか、亮がビールとグラスを手にして立っていた。
「わぁ、さすがおじさん! 気が利くぅ」
「……わかった。俺ひとりで飲もう」
「えぇ うそうそ! ごめんって」
亮がサイドテーブルにグラスを置き、小さなグラスにビールを注ぐ。その不機嫌そうな様子がおもしろい。あははと笑いながらグラスを手にし、亮の手の中にあるグラスにカチンと合わせ、一気に飲み干した。
「風呂上がりはやっぱりビールだな」
「うん。幸せっ!」
おかわりをせっつくようにグラスを差し出すと、あっさり取り上げられてしまった。
「なんで?」
「今は一杯だけだ。これ以上飲んだら夕飯がたべられなくなるだろう? また後でな」
「けちっ!」
何時何処でなにをしていようと、亮はやっぱり亮だった。旅行中くらい少し規制を緩めてくれてもいいと思うのだけれど。
不満な顔を作り、ふんっ、と、顔を背けたところで、くすりと笑う。夕日に照らされて輝いている木々が美しい。
「来てよかったな」
思いは同じ。けれども、自分だけビールを飲み続けている亮の言葉に、だれが返事なんてしてやるものか。
「温泉なんて、子どもの頃おばあちゃんと来て以来よ。でもね、温泉がこんなに気持ちがいいなんて、初めて知ったの。あははっ。わからなくて当然かもね? 子どもにはただのお風呂だもん」
「おばあさん?」
「うん。母のお母さん。おばあちゃんは温泉が好きでさ、元気だった頃は毎年連れてきてくれたの。私は人がいっぱいの大浴場が苦手で、いつも我が侭を言って家族風呂に入っていたんだけれど、おばあちゃんはきっと、大きなお風呂に入りたかったんだろうな」
日常から離れているからだろうか。もう思い出すこともないと思っていた、懐かしい祖母との日々が蘇ってくる。
「家族全員では来なかったの?」
温泉といえば、家族旅行。一般的にはそうなのだろうな。
「うん。父は仕事ばかりでどこかへ連れて行ってくれたことなんてないし、母は……母が大切にしていたのは兄だけだから。兄と私はね、一回りも歳が離れているの。母は兄のことで忙しかったから、私はおばあちゃんに育ててもらったようなものね」
「そうだったんだ」
「考えてみると……あの頃が一番楽しかったのかも? 先のことなんてなーんにも考えないで、自分のしたいことで頭がいっぱいで。今日はなにして遊ぼうか、どうやってお稽古と勉強さぼって逃げだそうか、晩ご飯はなんだろう? って、そんなことばっかり」
「子どもなんて、たいていそんなものだろう?」
夕飯も、祖母とふたりで食べたっけ。料理上手な祖母のご飯はいつもおいしかった。
「ねえ、亮は? どんな子だったの?」
「俺か? 俺は、そうだな、今と大差ないんじゃないか?」
「ええ? 亮って、子どもの頃からそんなに意地悪で偉そうで口煩かったわけ?」
「こら!」
「!!!」
身を乗り出した亮が、私の額をぺちっと弾いた。痛くはないけれど痛い振りをして唇を尖らせる。亮が楽しそうに私を見て笑う。
何気なくテーブルに目をやれば、ビール瓶も亮のグラスも、いつのまにか空で。私の風呂上がりのビールはたった一杯だけで終わり。やっぱり意地悪。なんて酷い仕打ちだ。
「いまはどう? 瑞稀はなにかしたいことはないの?」
「ん?」
恨みがましく睨みつけていたビール瓶から、視線を亮へと戻した。
「たとえば……そうだな、明日どこへ行ってなにをしたいか、旅行から帰ったらなにがしたいか。将来の希望の希望でもいいよ。そういうのって瑞稀にもあるだろう?」
「私が、したいこと……」
そんなの、あったかしら?
こんなに簡単な質問なのに、答えがわからない。なにか言葉を返さなくては、と、思いながらも、口にすべき言葉が見つからずに、考え込んでしまった。
伸ばされた亮の手が、私の頭を撫でている。
「瑞稀の頭の中には、していいことと、いけないこと。しなくてはいけないことだけか? 自分の望みは無いの?」
していいこと。してはいけないこと。しなくてはいけないこと。
亮のその言葉が鋭い棘のように胸に突き刺さった。苦しい。心臓を締め付けられたような痛みに、体が震えた。
「わぁ、さすがおじさん! 気が利くぅ」
「……わかった。俺ひとりで飲もう」
「えぇ うそうそ! ごめんって」
亮がサイドテーブルにグラスを置き、小さなグラスにビールを注ぐ。その不機嫌そうな様子がおもしろい。あははと笑いながらグラスを手にし、亮の手の中にあるグラスにカチンと合わせ、一気に飲み干した。
「風呂上がりはやっぱりビールだな」
「うん。幸せっ!」
おかわりをせっつくようにグラスを差し出すと、あっさり取り上げられてしまった。
「なんで?」
「今は一杯だけだ。これ以上飲んだら夕飯がたべられなくなるだろう? また後でな」
「けちっ!」
何時何処でなにをしていようと、亮はやっぱり亮だった。旅行中くらい少し規制を緩めてくれてもいいと思うのだけれど。
不満な顔を作り、ふんっ、と、顔を背けたところで、くすりと笑う。夕日に照らされて輝いている木々が美しい。
「来てよかったな」
思いは同じ。けれども、自分だけビールを飲み続けている亮の言葉に、だれが返事なんてしてやるものか。
「温泉なんて、子どもの頃おばあちゃんと来て以来よ。でもね、温泉がこんなに気持ちがいいなんて、初めて知ったの。あははっ。わからなくて当然かもね? 子どもにはただのお風呂だもん」
「おばあさん?」
「うん。母のお母さん。おばあちゃんは温泉が好きでさ、元気だった頃は毎年連れてきてくれたの。私は人がいっぱいの大浴場が苦手で、いつも我が侭を言って家族風呂に入っていたんだけれど、おばあちゃんはきっと、大きなお風呂に入りたかったんだろうな」
日常から離れているからだろうか。もう思い出すこともないと思っていた、懐かしい祖母との日々が蘇ってくる。
「家族全員では来なかったの?」
温泉といえば、家族旅行。一般的にはそうなのだろうな。
「うん。父は仕事ばかりでどこかへ連れて行ってくれたことなんてないし、母は……母が大切にしていたのは兄だけだから。兄と私はね、一回りも歳が離れているの。母は兄のことで忙しかったから、私はおばあちゃんに育ててもらったようなものね」
「そうだったんだ」
「考えてみると……あの頃が一番楽しかったのかも? 先のことなんてなーんにも考えないで、自分のしたいことで頭がいっぱいで。今日はなにして遊ぼうか、どうやってお稽古と勉強さぼって逃げだそうか、晩ご飯はなんだろう? って、そんなことばっかり」
「子どもなんて、たいていそんなものだろう?」
夕飯も、祖母とふたりで食べたっけ。料理上手な祖母のご飯はいつもおいしかった。
「ねえ、亮は? どんな子だったの?」
「俺か? 俺は、そうだな、今と大差ないんじゃないか?」
「ええ? 亮って、子どもの頃からそんなに意地悪で偉そうで口煩かったわけ?」
「こら!」
「!!!」
身を乗り出した亮が、私の額をぺちっと弾いた。痛くはないけれど痛い振りをして唇を尖らせる。亮が楽しそうに私を見て笑う。
何気なくテーブルに目をやれば、ビール瓶も亮のグラスも、いつのまにか空で。私の風呂上がりのビールはたった一杯だけで終わり。やっぱり意地悪。なんて酷い仕打ちだ。
「いまはどう? 瑞稀はなにかしたいことはないの?」
「ん?」
恨みがましく睨みつけていたビール瓶から、視線を亮へと戻した。
「たとえば……そうだな、明日どこへ行ってなにをしたいか、旅行から帰ったらなにがしたいか。将来の希望の希望でもいいよ。そういうのって瑞稀にもあるだろう?」
「私が、したいこと……」
そんなの、あったかしら?
こんなに簡単な質問なのに、答えがわからない。なにか言葉を返さなくては、と、思いながらも、口にすべき言葉が見つからずに、考え込んでしまった。
伸ばされた亮の手が、私の頭を撫でている。
「瑞稀の頭の中には、していいことと、いけないこと。しなくてはいけないことだけか? 自分の望みは無いの?」
していいこと。してはいけないこと。しなくてはいけないこと。
亮のその言葉が鋭い棘のように胸に突き刺さった。苦しい。心臓を締め付けられたような痛みに、体が震えた。
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