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§ 不穏の兆し
03
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「あの禿げ親父、大っ嫌い! すっごいムカつく!」
開口一番、木村さんが怒りを爆発させ、憎々しげにストローを囓る。チーズケーキを頬張る白石さんも、うんうんと大きく頷いた。
酒井さんは、女性蔑視以前に、面倒な仕事を他人に押し付けたいだけなのではないだろうか。私が受けた印象は、このふたりの共通認識でもあったようだ。
私たちは、得意分野の知識、技術を持ち寄り、ひとつの物を作り上げる仕事をしている。
しかし、なぜか、自分がしている仕事は難しく手間暇かかるが、他の人のすることは簡単だ、と、思い込んでいる頭の硬い技術者が多いのも事実。
また、その手のタイプに限って、他人とのコミュニケーションを取るのが嫌いだったりするから、始末が悪い。酒井さんは、その典型的なステレオタイプと言えるだろう。
この業界は、女性比率は低いが、だからといって、仕事内容にも立場にも男女差があるわけではない。特に、IT系の業種、職種を選んだ女の子たちにとって、男性至上主義は厭うべき過去の遺物。なにかにつけて女はこうあるべき、と、自らの怠惰やコンプレックスまでをも女性蔑視にすり替えて絡んでくるタイプの男性が、敵認定されるのは当然の成り行きだ。
ましてや、今日の会議中、会議後を通して酒井さんの発した発言は、単なる八つ当たり。話が己の思惑通りに進まなかったのを、私たち女性のせいにされてしまっては、たまったものではない。
「河原さんの、アレ! 痛快だったよね」
「酒井さん、子どもの頃に、自分が嫌なことは他人にしてはいけません、って、親御さんに教えられませんでした?」
ふたり揃って、口真似しないで、恥ずかしい。
「それにあの目配せ!」
「私も次になにか言われたら、頭を見ることにする」
目配せまで再現しながら、あははと大きな声で笑われた。
言いたい放題し、ストレスを発散し終われば、話題は尽きることなく次々と展開していく。
女性社員にとって噂話は仕事の活力源でもある。個人情報なんてなんのその、一度事件があれば、瞬く間に全女子社員が知るところとなる。彼女たちのネットワークには、目を見張るばかりだ。
「いくらうちの御三家妬んだって酒井さんなんか足元にも及ばないのにねぇ」
「ほんとよ、嗤っちゃう」
未知の隠語が飛び出した。
「ごさんけ?」
「あ、そっか。河原さん知らないもんね? 御三家はね、ウチのトップスリーのことよ」
「トップスリー?」
ますますわからない。
「本田さん、松本さん、あと、関根さん——関根さんは見たことなかったっけ? まあとにかく、この三人がウチの抱かれたい男トップスリーってわけ。本田さんはこのまえ結婚しちゃったから実質はトップツーだわね」
なるほど。社内の持てる男番付の上位三名、彼らを御三家と呼ぶのだそう。番付は御三家だけに留まらず。新入社員から果ては上司に至るまで、すべての男性社員がランク付けされているらしい。凄い、と、思わず感嘆の声を上げてしまった。
「トップツー以下は……推して知るべし、なのがねぇ。理系男子ってホント……」
「あ! 関根さんって言えばさ。この噂、知ってる?」
「なになに?」
関根さん、噂の的です。モテないと関根さんはぼやいていたけれど。ちゃんとモテているじゃないですか。
「あのね、関根さん、禿げたって……」
「えぇええ? うそっ! ありえないよ。誰から聞いたの? そんな話」
「最近出回ってる噂なんだけどね、関根さんのあの髪の毛、じつは鬘らしいって」
あの髪の毛が鬘なのは本当だけれど、禿げ疑惑とは内心おかしくて堪らない。壁に耳あり障子に目あり。下手な変装なんてするから、中途半端にバレるのだ。
「そんなぁ……だって関根さんってまだ三十五くらいでしょう? 若いのに……」
三十五歳、そんな歳なのか——関根さんって亮と同期、ということは。
「ええぇ? 三十五歳?」
「そうよ? どうかした?」
「え、あ、ん、あの、松本さんと同期だって聞いたことがあるから……」
「そうなのよ。同期だからね、ふたりとも三十五歳独身。大人の男って感じでさぁ、カッコいいよねぇ」
亮が三十五歳だった事実をいまさら噂話で知るなんて。
「そうそう、松本さんって言えばさ、あのうわ……あ、ごめんなさい」
どうやら本日の噂話ホットランキング第一位は、私のようだ。もちろん、給湯室で女の子たちが話していた色仕掛けで松本亮に迫っているとの噂だ。これはすでに社内全域へ広まっていると聞かされ、その素早さを実感する。
「そりゃあ、プロジェクトが始まったばかりの頃は、よくふたりでランチに行ってたの知ってるけど、あれは打ち合わせついででしょ?」
「河原さんは、ディレクター補佐も兼ねてるし……仕事なんだから接触が多くて当たり前だわ」
「そんなこと言ったってしょうがないよ。みんな松本さんとランチできる河原さんが羨ましいんだもん」
「だからって、いくらなんでも色仕掛けなんて酷過ぎるわよ。河原さんはそんなことする人じゃないもの」
自分たちだって噂大好きなのに、なにを言っているのやら。
とはいえ、交際のようなことをしているのは事実だから、この子たちに隠していることに、罪悪感を覚えないわけではない。ただ、同じ職場で仕事をする仲間として、いつのまにか信頼されている事実が、嬉しいとは思う。
もっと早くから警戒していれば、こんな噂も広まらずに済んだのだろうけれど、松本亮の人気が、ここまでとは思わなかったのだから仕方がない。
モテる男と一緒にいなければならない私は、大変だ。
開口一番、木村さんが怒りを爆発させ、憎々しげにストローを囓る。チーズケーキを頬張る白石さんも、うんうんと大きく頷いた。
酒井さんは、女性蔑視以前に、面倒な仕事を他人に押し付けたいだけなのではないだろうか。私が受けた印象は、このふたりの共通認識でもあったようだ。
私たちは、得意分野の知識、技術を持ち寄り、ひとつの物を作り上げる仕事をしている。
しかし、なぜか、自分がしている仕事は難しく手間暇かかるが、他の人のすることは簡単だ、と、思い込んでいる頭の硬い技術者が多いのも事実。
また、その手のタイプに限って、他人とのコミュニケーションを取るのが嫌いだったりするから、始末が悪い。酒井さんは、その典型的なステレオタイプと言えるだろう。
この業界は、女性比率は低いが、だからといって、仕事内容にも立場にも男女差があるわけではない。特に、IT系の業種、職種を選んだ女の子たちにとって、男性至上主義は厭うべき過去の遺物。なにかにつけて女はこうあるべき、と、自らの怠惰やコンプレックスまでをも女性蔑視にすり替えて絡んでくるタイプの男性が、敵認定されるのは当然の成り行きだ。
ましてや、今日の会議中、会議後を通して酒井さんの発した発言は、単なる八つ当たり。話が己の思惑通りに進まなかったのを、私たち女性のせいにされてしまっては、たまったものではない。
「河原さんの、アレ! 痛快だったよね」
「酒井さん、子どもの頃に、自分が嫌なことは他人にしてはいけません、って、親御さんに教えられませんでした?」
ふたり揃って、口真似しないで、恥ずかしい。
「それにあの目配せ!」
「私も次になにか言われたら、頭を見ることにする」
目配せまで再現しながら、あははと大きな声で笑われた。
言いたい放題し、ストレスを発散し終われば、話題は尽きることなく次々と展開していく。
女性社員にとって噂話は仕事の活力源でもある。個人情報なんてなんのその、一度事件があれば、瞬く間に全女子社員が知るところとなる。彼女たちのネットワークには、目を見張るばかりだ。
「いくらうちの御三家妬んだって酒井さんなんか足元にも及ばないのにねぇ」
「ほんとよ、嗤っちゃう」
未知の隠語が飛び出した。
「ごさんけ?」
「あ、そっか。河原さん知らないもんね? 御三家はね、ウチのトップスリーのことよ」
「トップスリー?」
ますますわからない。
「本田さん、松本さん、あと、関根さん——関根さんは見たことなかったっけ? まあとにかく、この三人がウチの抱かれたい男トップスリーってわけ。本田さんはこのまえ結婚しちゃったから実質はトップツーだわね」
なるほど。社内の持てる男番付の上位三名、彼らを御三家と呼ぶのだそう。番付は御三家だけに留まらず。新入社員から果ては上司に至るまで、すべての男性社員がランク付けされているらしい。凄い、と、思わず感嘆の声を上げてしまった。
「トップツー以下は……推して知るべし、なのがねぇ。理系男子ってホント……」
「あ! 関根さんって言えばさ。この噂、知ってる?」
「なになに?」
関根さん、噂の的です。モテないと関根さんはぼやいていたけれど。ちゃんとモテているじゃないですか。
「あのね、関根さん、禿げたって……」
「えぇええ? うそっ! ありえないよ。誰から聞いたの? そんな話」
「最近出回ってる噂なんだけどね、関根さんのあの髪の毛、じつは鬘らしいって」
あの髪の毛が鬘なのは本当だけれど、禿げ疑惑とは内心おかしくて堪らない。壁に耳あり障子に目あり。下手な変装なんてするから、中途半端にバレるのだ。
「そんなぁ……だって関根さんってまだ三十五くらいでしょう? 若いのに……」
三十五歳、そんな歳なのか——関根さんって亮と同期、ということは。
「ええぇ? 三十五歳?」
「そうよ? どうかした?」
「え、あ、ん、あの、松本さんと同期だって聞いたことがあるから……」
「そうなのよ。同期だからね、ふたりとも三十五歳独身。大人の男って感じでさぁ、カッコいいよねぇ」
亮が三十五歳だった事実をいまさら噂話で知るなんて。
「そうそう、松本さんって言えばさ、あのうわ……あ、ごめんなさい」
どうやら本日の噂話ホットランキング第一位は、私のようだ。もちろん、給湯室で女の子たちが話していた色仕掛けで松本亮に迫っているとの噂だ。これはすでに社内全域へ広まっていると聞かされ、その素早さを実感する。
「そりゃあ、プロジェクトが始まったばかりの頃は、よくふたりでランチに行ってたの知ってるけど、あれは打ち合わせついででしょ?」
「河原さんは、ディレクター補佐も兼ねてるし……仕事なんだから接触が多くて当たり前だわ」
「そんなこと言ったってしょうがないよ。みんな松本さんとランチできる河原さんが羨ましいんだもん」
「だからって、いくらなんでも色仕掛けなんて酷過ぎるわよ。河原さんはそんなことする人じゃないもの」
自分たちだって噂大好きなのに、なにを言っているのやら。
とはいえ、交際のようなことをしているのは事実だから、この子たちに隠していることに、罪悪感を覚えないわけではない。ただ、同じ職場で仕事をする仲間として、いつのまにか信頼されている事実が、嬉しいとは思う。
もっと早くから警戒していれば、こんな噂も広まらずに済んだのだろうけれど、松本亮の人気が、ここまでとは思わなかったのだから仕方がない。
モテる男と一緒にいなければならない私は、大変だ。
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