74 / 90
§ 墨に近づけば黒くなる。
25
しおりを挟む
「榎本、おまえじゃねえの?」
「俺じゃないっすよ。俺のはバイブにしてねぇ」
「なんだ榎本? 仕事中くらいバイブにするか電源落とせ! じゃあおまえか? ミケ」
「俺は、誰からも電話なんかかかってこないもん……あ、切れた」
皆が顔を見合わせる中、音が止む。だが、それもつかの間、またビービーと震える音が、電話の着信を示している。
と、なれば、残るは私しかいないことに。
「すみません。私かも」
平日の午後、こんな時間に電話をかけてくる相手なんていないはずなのにといぶかしく思いながら、急ぎ自分のデスク下キャビネットの引き出しからバッグを取り出す。と、同時に、着信音が止まった。
残された履歴の主は、叔母の康子だ。
「誰から?」
尊の問いに叔母からだと答えようとした瞬間、手の中の携帯電話がまた震えだす。
「あ……」
「いいよ、気にしないで出れば」
「いえ、でも仕事中だから」
「何度もかけてくるってことは、急ぎの用事があるんじゃないのか?」
急ぎだろうがなんだろうが、叔母の用事なんてどうせ、ろくでもないことに決まっているのだが。
すみませんと皆に頭を下げ、仕方なく通話ボタンを押し、少し離れた窓際へ移動した。
「歩夢! なんですぐに出ないのよ? 何回かけたと思ってるの?」
「叔母さん、いま仕事中だから。終わったらかけ直すよ」
「あんたこんなときになにのんきなこと言ってんの? 母さんが、母さんが大変なのよ! それなのにあんたったらちっとも電話に出ないし、母さん、母親のいないあんたが不憫だからって必死で育てたのに、あんた本当に冷たい子よね! それでも孫なの? え?」
離れていても聞こえるほど甲高い叫び声が、静かなオフィスに響く。
祖母にいったい何が起きたのか。叔母のこの慌てようは……。いや、引きずられてはダメ。落ち着け。
「叔母さん、落ち着いて。ただ大変だって言われても、何があったかちゃんと順序立てて説明してもらわなきゃわからないでしょう?」
「なに言ってんの? 母さんが救急車で病院に……。ねえ歩夢、どうしよう? ねえ、どうしよう? 母さんに何かあったら……」
叔母が縋り付くように泣き声を漏らした。
とりあえずはこの叔母から冷静にひとつずつ状況を聞き出すことが急務と、はやる気持ちを抑えるためにひとつ大きく息を吸って吐き、ゆっくり低い声で叔母を問い質す。
「叔母さん、私の質問に答えて。お婆ちゃんが運ばれた病院はどこ?」
「どこって? え? どこだっけ? あ、市民病院だったわそうそう、市民病院」
「わかった。市民病院ね? それで? お婆ちゃんになにがあったの?」
「え? 母さん? えっと、なんだっけ? なんだか言ってたけど難しくて叔母さんよくわかんないのよ」
この叔母はまったく。いつでもこんな調子だが、本当に肝心な時にもやはり、役に立たない。
「俺じゃないっすよ。俺のはバイブにしてねぇ」
「なんだ榎本? 仕事中くらいバイブにするか電源落とせ! じゃあおまえか? ミケ」
「俺は、誰からも電話なんかかかってこないもん……あ、切れた」
皆が顔を見合わせる中、音が止む。だが、それもつかの間、またビービーと震える音が、電話の着信を示している。
と、なれば、残るは私しかいないことに。
「すみません。私かも」
平日の午後、こんな時間に電話をかけてくる相手なんていないはずなのにといぶかしく思いながら、急ぎ自分のデスク下キャビネットの引き出しからバッグを取り出す。と、同時に、着信音が止まった。
残された履歴の主は、叔母の康子だ。
「誰から?」
尊の問いに叔母からだと答えようとした瞬間、手の中の携帯電話がまた震えだす。
「あ……」
「いいよ、気にしないで出れば」
「いえ、でも仕事中だから」
「何度もかけてくるってことは、急ぎの用事があるんじゃないのか?」
急ぎだろうがなんだろうが、叔母の用事なんてどうせ、ろくでもないことに決まっているのだが。
すみませんと皆に頭を下げ、仕方なく通話ボタンを押し、少し離れた窓際へ移動した。
「歩夢! なんですぐに出ないのよ? 何回かけたと思ってるの?」
「叔母さん、いま仕事中だから。終わったらかけ直すよ」
「あんたこんなときになにのんきなこと言ってんの? 母さんが、母さんが大変なのよ! それなのにあんたったらちっとも電話に出ないし、母さん、母親のいないあんたが不憫だからって必死で育てたのに、あんた本当に冷たい子よね! それでも孫なの? え?」
離れていても聞こえるほど甲高い叫び声が、静かなオフィスに響く。
祖母にいったい何が起きたのか。叔母のこの慌てようは……。いや、引きずられてはダメ。落ち着け。
「叔母さん、落ち着いて。ただ大変だって言われても、何があったかちゃんと順序立てて説明してもらわなきゃわからないでしょう?」
「なに言ってんの? 母さんが救急車で病院に……。ねえ歩夢、どうしよう? ねえ、どうしよう? 母さんに何かあったら……」
叔母が縋り付くように泣き声を漏らした。
とりあえずはこの叔母から冷静にひとつずつ状況を聞き出すことが急務と、はやる気持ちを抑えるためにひとつ大きく息を吸って吐き、ゆっくり低い声で叔母を問い質す。
「叔母さん、私の質問に答えて。お婆ちゃんが運ばれた病院はどこ?」
「どこって? え? どこだっけ? あ、市民病院だったわそうそう、市民病院」
「わかった。市民病院ね? それで? お婆ちゃんになにがあったの?」
「え? 母さん? えっと、なんだっけ? なんだか言ってたけど難しくて叔母さんよくわかんないのよ」
この叔母はまったく。いつでもこんな調子だが、本当に肝心な時にもやはり、役に立たない。
0
お気に入りに追加
1,157
あなたにおすすめの小説
ケダモノ、148円ナリ
菱沼あゆ
恋愛
ケダモノを148円で買いました――。
「結婚するんだ」
大好きな従兄の顕人の結婚に衝撃を受けた明日実は、たまたま、そこに居たイケメンを捕まえ、
「私っ、この方と結婚するんですっ!」
と言ってしまう。
ところが、そのイケメン、貴継は、かつて道で出会ったケダモノだった。
貴継は、顕人にすべてをバラすと明日実を脅し、ちゃっかり、明日実の家に居座ってしまうのだが――。
粗暴で優しい幼馴染彼氏はおっとり系彼女を好きすぎる
春音優月
恋愛
おっとりふわふわ大学生の一色のどかは、中学生の時から付き合っている幼馴染彼氏の黒瀬逸希と同棲中。態度や口は荒っぽい逸希だけど、のどかへの愛は大きすぎるほど。
幸せいっぱいなはずなのに、逸希から一度も「好き」と言われてないことに気がついてしまって……?
幼馴染大学生の糖度高めなショートストーリー。
2024.03.06
イラスト:雪緒さま
モテ男とデキ女の奥手な恋
松丹子
恋愛
来るもの拒まず去るもの追わずなモテ男、神崎政人。
学歴、仕事共に、エリート過ぎることに悩む同期、橘彩乃。
ただの同期として接していた二人は、ある日を境に接近していくが、互いに近づく勇気がないまま、関係をこじらせていく。
そんなじれじれな話です。
*学歴についての偏った見解が出てきますので、ご了承の上ご覧ください。(1/23追記)
*エセ関西弁とエセ博多弁が出てきます。
*拙著『神崎くんは残念なイケメン』の登場人物が出てきますが、単体で読めます。
ただし、こちらの方が後の話になるため、前著のネタバレを含みます。
*作品に出てくる団体は実在の団体と関係ありません。
関連作品(どれも政人が出ます。時系列順。カッコ内主役)
『期待外れな吉田さん、自由人な前田くん』(隼人友人、サリー)
『初恋旅行に出かけます』(山口ヒカル)
『物狂ほしや色と情』(名取葉子)
『さくやこの』(江原あきら)
『爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい!』(阿久津)
恋とキスは背伸びして
葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員
成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長
年齢差 9歳
身長差 22㎝
役職 雲泥の差
この違い、恋愛には大きな壁?
そして同期の卓の存在
異性の親友は成立する?
数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの
二人の恋の物語
【完結】育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました
藤浪保
恋愛
大手IT会社に勤める早苗は会社の歓迎会でかつての後輩の桜木と再会した。酔っ払った桜木を家に送った早苗は押し倒され、キスに翻弄されてそのまま関係を持ってしまう。
次の朝目覚めた早苗は前夜の記憶をなくし、関係を持った事しか覚えていなかった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる