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§ 墨に近づけば黒くなる。

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「榎本、おまえじゃねえの?」
「俺じゃないっすよ。俺のはバイブにしてねぇ」
「なんだ榎本? 仕事中くらいバイブにするか電源落とせ! じゃあおまえか? ミケ」
「俺は、誰からも電話なんかかかってこないもん……あ、切れた」

 皆が顔を見合わせる中、音が止む。だが、それもつかの間、またビービーと震える音が、電話の着信を示している。
 と、なれば、残るは私しかいないことに。

「すみません。私かも」

 平日の午後、こんな時間に電話をかけてくる相手なんていないはずなのにといぶかしく思いながら、急ぎ自分のデスク下キャビネットの引き出しからバッグを取り出す。と、同時に、着信音が止まった。
 残された履歴の主は、叔母の康子だ。

「誰から?」

 尊の問いに叔母からだと答えようとした瞬間、手の中の携帯電話がまた震えだす。

「あ……」
「いいよ、気にしないで出れば」
「いえ、でも仕事中だから」
「何度もかけてくるってことは、急ぎの用事があるんじゃないのか?」

 急ぎだろうがなんだろうが、叔母の用事なんてどうせ、ろくでもないことに決まっているのだが。
 すみませんと皆に頭を下げ、仕方なく通話ボタンを押し、少し離れた窓際へ移動した。

「歩夢! なんですぐに出ないのよ? 何回かけたと思ってるの?」
「叔母さん、いま仕事中だから。終わったらかけ直すよ」
「あんたこんなときになにのんきなこと言ってんの? 母さんが、母さんが大変なのよ! それなのにあんたったらちっとも電話に出ないし、母さん、母親のいないあんたが不憫だからって必死で育てたのに、あんた本当に冷たい子よね! それでも孫なの? え?」

 離れていても聞こえるほど甲高い叫び声が、静かなオフィスに響く。
 祖母にいったい何が起きたのか。叔母のこの慌てようは……。いや、引きずられてはダメ。落ち着け。

「叔母さん、落ち着いて。ただ大変だって言われても、何があったかちゃんと順序立てて説明してもらわなきゃわからないでしょう?」
「なに言ってんの? 母さんが救急車で病院に……。ねえ歩夢、どうしよう? ねえ、どうしよう? 母さんに何かあったら……」

 叔母が縋り付くように泣き声を漏らした。

 とりあえずはこの叔母から冷静にひとつずつ状況を聞き出すことが急務と、はやる気持ちを抑えるためにひとつ大きく息を吸って吐き、ゆっくり低い声で叔母を問い質す。

「叔母さん、私の質問に答えて。お婆ちゃんが運ばれた病院はどこ?」
「どこって? え? どこだっけ? あ、市民病院だったわそうそう、市民病院」
「わかった。市民病院ね? それで? お婆ちゃんになにがあったの?」
「え? 母さん? えっと、なんだっけ? なんだか言ってたけど難しくて叔母さんよくわかんないのよ」

 この叔母はまったく。いつでもこんな調子だが、本当に肝心な時にもやはり、役に立たない。

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