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俺にだって、秘密くらいある。

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 正直に言おう。相沢優香は、俺の女神だ。

 四年ほど前の話になる。
 あの日俺は、父親が社長を務める西園寺ホールディングス株式会社(通称本社)の創立記念パーティーに出席していた。

 シャンパングラス——中身は俺専用、見た目だけシャンパン風ノンアルコールジュースつまり、クリスマスパーティーなんかで子どもがよく飲んでいるアレ、を、片手に、招待客の間を優雅に泳ぎ、愛想を振りまいていたのだが、うっかり嵌められたのだ。

 誰あろう、実の姉に。

 西園寺家の御曹司、二十八歳結婚適齢期という好条件は、女たちの熱い視線を集める。相手がいようといまいと、いや、それ以前に、女嫌いでそっち系のアヤシイ噂までちらほら広まっていようともお構いなしに、だ。

 パーティー会場は肉食獣の狩り場であり、俺もその獲物であるとの事実を自覚し、常に警戒を怠っていないつもりであった。
 しかし、あの頃の俺には、独身の総領息子という、巨大な防波堤があり、故に俺は、正直、甘く見ていたのだと思う。

 つまり、事件は起きるべきして起きたのだ。

 なにを隠そう俺は、たった一口で異世界へトリップできるくらい、酒に弱い。
 もちろん、近しい人間は、家族を含めそれを承知しているため、俺に酒を飲ませるような無茶はしない。

 だからまさか、血を分けた姉が友人と結託し、俺のグラスに酒を仕込み既成事実を作ろうなんぞという暴挙に出るとは、微塵も思わなかった。

 あれは、いま思い出しても、間一髪だった。

 女に捕食されかけた俺は、酔い潰れた俺に油断して席を外した女の隙を突き、辛くも部屋からの逃亡に成功した。そこまではよかったのだが、見通しの良い廊下では隠れる場所も無ければ、客室へ逃げ込める可能性も皆無。唯一の救いは、非常階段の扉の向こうへ辿り着くことだけという危機的状況の中、俺は、その扉を目前にして力尽きてしまったのだ。

 このままでは、また捕らえられるのも、時間の問題。

 酔いが回り立ち上がることもできず、焦りに悶えているところへ、頭上からひらひらと可憐な花びらの如く舞い落ちる甘美な囁きが聞こえた。

「お客様? いかがなさいました? 何処かお体の具合が……」

 顔を上げた瞬間に飛び込んできた、分厚いレンズの奥で揺れる黒いつぶらな瞳。

 ちょっと失礼しますとの言葉と共に、額に当てられた、節くれ立った冷たい手の感触。

「あ……」
 ——女神?

 夢か現か幻か——いや、酒が見せる幻覚にしてはリアル感満載の容貌。

「お顔が赤いですね。そのままお待ちください。すぐに人を呼んでまいります」

 心配そうに俺を覗き込むその瞳に向かって、大丈夫と口を動かした。

 俺の返事が聞き取れたのか、安心したように頷き口の端で微笑んだ彼女の視線が、ふと、俺の背後、遠く廊下の奥へと向き、すぐさま困惑気味に俺の顔を見た。

「あの……こちらへいらっしゃるお客様が——女性ですが、お連れさまでしたらお呼びしてまいりますがいかがいたしましょう?」
「え?」

 ぐるぐる回る頭を無理やり持ち上げて振り返っても、視界に捉えられる人影は無し。だが、俺を追ってきているのはあの女しかいないはず。そこに思い至った俺は、必死で手を伸ばし、彼女のスカートの裾を握り締め、助けて欲しいとの思いを込めて、首を横に振った。

「わかりました」

 ゆっくりと頷くその頼り甲斐のある表情に見惚れていると、腰を屈めた彼女が俺の腕を取って自分の肩に回し、背後からもう片方の腕を回してジャケットの裾を割り、腰のベルトをつかんだ。

「申し訳ありませんが少しだけ我慢してください」

 その言葉と同時に軽々と抱き起こされ、そのまま非常階段の扉の中へ押し込まれ。

「声を立てないで。ここでじっとしていてください」

 囁きがドアの向こうに消えた。

 彼女の流れるような動作に驚愕しつつ、これであの女から逃れられたのだ、と、安堵のため息をつく。それにしても。

 疲れた。

 思考を手放した俺は、静かに目を閉じた。

「……め。かなめ?」
「う……ん?」

 俺を呼ぶその声にうっすらと目を開けると、端正な顔が飛び込んできた。

「おい、要。大丈夫か?」

 状況がつかめない。あれ?

「女神?」
「めがみ? なにそれ?」

 呆れ顔で吐き捨てられ、あらためて周囲を眺めてみればそこは、無機質な非常階段で。目の前にいるのは女神でもなんでもない男、従兄弟の祐司ただひとり。

「ここにいた女の子は?」
「女の子? おまえひとりだぞ? なんだよ酔っ払い。女の夢見てたのか?」
「夢……いや、そうか。そうなのか」

 彼女は、酒が見せた夢だったのだろうか?

「呑まされて拉致されたって聞いたときにはもうダメかと思ったけど。いやーなにはともあれ無事でよかったよ」

 いや、やはり、夢とは思えないのだが?

「それで? どうして俺がここにいるのがわかったんだ?」
「ああそれ? エグゼクティブフロアで酔っ払いが倒れてるって連絡が入ったんだよ。多分おまえだろうと駆けつけたら当たりだったってわけ」
「誰から連絡があったのかわかるか?」
「さあ? 通りがかった誰かじゃないの? 俺は支配人から聞いただけだからそこまでは」
「そうか……」

 祐司の腕を借りて立ち上がり廊下へ出ると、セキュリティをふたり連れた支配人が駆けつけたところだった。

 迷惑をかけた詫びを言い、状況を説明しつつ自分の部屋へと戻る道すがら思い出す。

 俺を救ってくれた女神は––ハウスメイドの制服を着ていた?

 胸に付けていたネームプレートには、たしか、相沢……、と。

 その後、従業員名簿を隅から隅まで血眼で浚い、彼女を探し出したのは言うまでもない。


  *



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