7 / 65
俺にだって、秘密くらいある。
壱
しおりを挟む
正直に言おう。相沢優香は、俺の女神だ。
四年ほど前の話になる。
あの日俺は、父親が社長を務める西園寺ホールディングス株式会社(通称本社)の創立記念パーティーに出席していた。
シャンパングラス——中身は俺専用、見た目だけシャンパン風ノンアルコールジュースつまり、クリスマスパーティーなんかで子どもがよく飲んでいるアレ、を、片手に、招待客の間を優雅に泳ぎ、愛想を振りまいていたのだが、うっかり嵌められたのだ。
誰あろう、実の姉に。
西園寺家の御曹司、二十八歳結婚適齢期という好条件は、女たちの熱い視線を集める。相手がいようといまいと、いや、それ以前に、女嫌いでそっち系のアヤシイ噂までちらほら広まっていようともお構いなしに、だ。
パーティー会場は肉食獣の狩り場であり、俺もその獲物であるとの事実を自覚し、常に警戒を怠っていないつもりであった。
しかし、あの頃の俺には、独身の総領息子という、巨大な防波堤があり、故に俺は、正直、甘く見ていたのだと思う。
つまり、事件は起きるべきして起きたのだ。
なにを隠そう俺は、たった一口で異世界へトリップできるくらい、酒に弱い。
もちろん、近しい人間は、家族を含めそれを承知しているため、俺に酒を飲ませるような無茶はしない。
だからまさか、血を分けた姉が友人と結託し、俺のグラスに酒を仕込み既成事実を作ろうなんぞという暴挙に出るとは、微塵も思わなかった。
あれは、いま思い出しても、間一髪だった。
女に捕食されかけた俺は、酔い潰れた俺に油断して席を外した女の隙を突き、辛くも部屋からの逃亡に成功した。そこまではよかったのだが、見通しの良い廊下では隠れる場所も無ければ、客室へ逃げ込める可能性も皆無。唯一の救いは、非常階段の扉の向こうへ辿り着くことだけという危機的状況の中、俺は、その扉を目前にして力尽きてしまったのだ。
このままでは、また捕らえられるのも、時間の問題。
酔いが回り立ち上がることもできず、焦りに悶えているところへ、頭上からひらひらと可憐な花びらの如く舞い落ちる甘美な囁きが聞こえた。
「お客様? いかがなさいました? 何処かお体の具合が……」
顔を上げた瞬間に飛び込んできた、分厚いレンズの奥で揺れる黒いつぶらな瞳。
ちょっと失礼しますとの言葉と共に、額に当てられた、節くれ立った冷たい手の感触。
「あ……」
——女神?
夢か現か幻か——いや、酒が見せる幻覚にしてはリアル感満載の容貌。
「お顔が赤いですね。そのままお待ちください。すぐに人を呼んでまいります」
心配そうに俺を覗き込むその瞳に向かって、大丈夫と口を動かした。
俺の返事が聞き取れたのか、安心したように頷き口の端で微笑んだ彼女の視線が、ふと、俺の背後、遠く廊下の奥へと向き、すぐさま困惑気味に俺の顔を見た。
「あの……こちらへいらっしゃるお客様が——女性ですが、お連れさまでしたらお呼びしてまいりますがいかがいたしましょう?」
「え?」
ぐるぐる回る頭を無理やり持ち上げて振り返っても、視界に捉えられる人影は無し。だが、俺を追ってきているのはあの女しかいないはず。そこに思い至った俺は、必死で手を伸ばし、彼女のスカートの裾を握り締め、助けて欲しいとの思いを込めて、首を横に振った。
「わかりました」
ゆっくりと頷くその頼り甲斐のある表情に見惚れていると、腰を屈めた彼女が俺の腕を取って自分の肩に回し、背後からもう片方の腕を回してジャケットの裾を割り、腰のベルトをつかんだ。
「申し訳ありませんが少しだけ我慢してください」
その言葉と同時に軽々と抱き起こされ、そのまま非常階段の扉の中へ押し込まれ。
「声を立てないで。ここでじっとしていてください」
囁きがドアの向こうに消えた。
彼女の流れるような動作に驚愕しつつ、これであの女から逃れられたのだ、と、安堵のため息をつく。それにしても。
疲れた。
思考を手放した俺は、静かに目を閉じた。
「……め。かなめ?」
「う……ん?」
俺を呼ぶその声にうっすらと目を開けると、端正な顔が飛び込んできた。
「おい、要。大丈夫か?」
状況がつかめない。あれ?
「女神?」
「めがみ? なにそれ?」
呆れ顔で吐き捨てられ、あらためて周囲を眺めてみればそこは、無機質な非常階段で。目の前にいるのは女神でもなんでもない男、従兄弟の祐司ただひとり。
「ここにいた女の子は?」
「女の子? おまえひとりだぞ? なんだよ酔っ払い。女の夢見てたのか?」
「夢……いや、そうか。そうなのか」
彼女は、酒が見せた夢だったのだろうか?
「呑まされて拉致されたって聞いたときにはもうダメかと思ったけど。いやーなにはともあれ無事でよかったよ」
いや、やはり、夢とは思えないのだが?
「それで? どうして俺がここにいるのがわかったんだ?」
「ああそれ? エグゼクティブフロアで酔っ払いが倒れてるって連絡が入ったんだよ。多分おまえだろうと駆けつけたら当たりだったってわけ」
「誰から連絡があったのかわかるか?」
「さあ? 通りがかった誰かじゃないの? 俺は支配人から聞いただけだからそこまでは」
「そうか……」
祐司の腕を借りて立ち上がり廊下へ出ると、セキュリティをふたり連れた支配人が駆けつけたところだった。
迷惑をかけた詫びを言い、状況を説明しつつ自分の部屋へと戻る道すがら思い出す。
俺を救ってくれた女神は––ハウスメイドの制服を着ていた?
胸に付けていたネームプレートには、たしか、相沢……、と。
その後、従業員名簿を隅から隅まで血眼で浚い、彼女を探し出したのは言うまでもない。
*
四年ほど前の話になる。
あの日俺は、父親が社長を務める西園寺ホールディングス株式会社(通称本社)の創立記念パーティーに出席していた。
シャンパングラス——中身は俺専用、見た目だけシャンパン風ノンアルコールジュースつまり、クリスマスパーティーなんかで子どもがよく飲んでいるアレ、を、片手に、招待客の間を優雅に泳ぎ、愛想を振りまいていたのだが、うっかり嵌められたのだ。
誰あろう、実の姉に。
西園寺家の御曹司、二十八歳結婚適齢期という好条件は、女たちの熱い視線を集める。相手がいようといまいと、いや、それ以前に、女嫌いでそっち系のアヤシイ噂までちらほら広まっていようともお構いなしに、だ。
パーティー会場は肉食獣の狩り場であり、俺もその獲物であるとの事実を自覚し、常に警戒を怠っていないつもりであった。
しかし、あの頃の俺には、独身の総領息子という、巨大な防波堤があり、故に俺は、正直、甘く見ていたのだと思う。
つまり、事件は起きるべきして起きたのだ。
なにを隠そう俺は、たった一口で異世界へトリップできるくらい、酒に弱い。
もちろん、近しい人間は、家族を含めそれを承知しているため、俺に酒を飲ませるような無茶はしない。
だからまさか、血を分けた姉が友人と結託し、俺のグラスに酒を仕込み既成事実を作ろうなんぞという暴挙に出るとは、微塵も思わなかった。
あれは、いま思い出しても、間一髪だった。
女に捕食されかけた俺は、酔い潰れた俺に油断して席を外した女の隙を突き、辛くも部屋からの逃亡に成功した。そこまではよかったのだが、見通しの良い廊下では隠れる場所も無ければ、客室へ逃げ込める可能性も皆無。唯一の救いは、非常階段の扉の向こうへ辿り着くことだけという危機的状況の中、俺は、その扉を目前にして力尽きてしまったのだ。
このままでは、また捕らえられるのも、時間の問題。
酔いが回り立ち上がることもできず、焦りに悶えているところへ、頭上からひらひらと可憐な花びらの如く舞い落ちる甘美な囁きが聞こえた。
「お客様? いかがなさいました? 何処かお体の具合が……」
顔を上げた瞬間に飛び込んできた、分厚いレンズの奥で揺れる黒いつぶらな瞳。
ちょっと失礼しますとの言葉と共に、額に当てられた、節くれ立った冷たい手の感触。
「あ……」
——女神?
夢か現か幻か——いや、酒が見せる幻覚にしてはリアル感満載の容貌。
「お顔が赤いですね。そのままお待ちください。すぐに人を呼んでまいります」
心配そうに俺を覗き込むその瞳に向かって、大丈夫と口を動かした。
俺の返事が聞き取れたのか、安心したように頷き口の端で微笑んだ彼女の視線が、ふと、俺の背後、遠く廊下の奥へと向き、すぐさま困惑気味に俺の顔を見た。
「あの……こちらへいらっしゃるお客様が——女性ですが、お連れさまでしたらお呼びしてまいりますがいかがいたしましょう?」
「え?」
ぐるぐる回る頭を無理やり持ち上げて振り返っても、視界に捉えられる人影は無し。だが、俺を追ってきているのはあの女しかいないはず。そこに思い至った俺は、必死で手を伸ばし、彼女のスカートの裾を握り締め、助けて欲しいとの思いを込めて、首を横に振った。
「わかりました」
ゆっくりと頷くその頼り甲斐のある表情に見惚れていると、腰を屈めた彼女が俺の腕を取って自分の肩に回し、背後からもう片方の腕を回してジャケットの裾を割り、腰のベルトをつかんだ。
「申し訳ありませんが少しだけ我慢してください」
その言葉と同時に軽々と抱き起こされ、そのまま非常階段の扉の中へ押し込まれ。
「声を立てないで。ここでじっとしていてください」
囁きがドアの向こうに消えた。
彼女の流れるような動作に驚愕しつつ、これであの女から逃れられたのだ、と、安堵のため息をつく。それにしても。
疲れた。
思考を手放した俺は、静かに目を閉じた。
「……め。かなめ?」
「う……ん?」
俺を呼ぶその声にうっすらと目を開けると、端正な顔が飛び込んできた。
「おい、要。大丈夫か?」
状況がつかめない。あれ?
「女神?」
「めがみ? なにそれ?」
呆れ顔で吐き捨てられ、あらためて周囲を眺めてみればそこは、無機質な非常階段で。目の前にいるのは女神でもなんでもない男、従兄弟の祐司ただひとり。
「ここにいた女の子は?」
「女の子? おまえひとりだぞ? なんだよ酔っ払い。女の夢見てたのか?」
「夢……いや、そうか。そうなのか」
彼女は、酒が見せた夢だったのだろうか?
「呑まされて拉致されたって聞いたときにはもうダメかと思ったけど。いやーなにはともあれ無事でよかったよ」
いや、やはり、夢とは思えないのだが?
「それで? どうして俺がここにいるのがわかったんだ?」
「ああそれ? エグゼクティブフロアで酔っ払いが倒れてるって連絡が入ったんだよ。多分おまえだろうと駆けつけたら当たりだったってわけ」
「誰から連絡があったのかわかるか?」
「さあ? 通りがかった誰かじゃないの? 俺は支配人から聞いただけだからそこまでは」
「そうか……」
祐司の腕を借りて立ち上がり廊下へ出ると、セキュリティをふたり連れた支配人が駆けつけたところだった。
迷惑をかけた詫びを言い、状況を説明しつつ自分の部屋へと戻る道すがら思い出す。
俺を救ってくれた女神は––ハウスメイドの制服を着ていた?
胸に付けていたネームプレートには、たしか、相沢……、と。
その後、従業員名簿を隅から隅まで血眼で浚い、彼女を探し出したのは言うまでもない。
*
0
お気に入りに追加
441
あなたにおすすめの小説
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
恋とキスは背伸びして
葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員
成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長
年齢差 9歳
身長差 22㎝
役職 雲泥の差
この違い、恋愛には大きな壁?
そして同期の卓の存在
異性の親友は成立する?
数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの
二人の恋の物語
ミックスド★バス~家のお風呂なら誰にも迷惑をかけずにイチャイチャ?~
taki
恋愛
【R18】恋人同士となった入浴剤開発者の温子と営業部の水川。
お互いの部屋のお風呂で、人目も気にせず……♥
えっちめシーンの話には♥マークを付けています。
ミックスド★バスの第5弾です。
隣人はクールな同期でした。
氷萌
恋愛
それなりに有名な出版会社に入社して早6年。
30歳を前にして
未婚で恋人もいないけれど。
マンションの隣に住む同期の男と
酒を酌み交わす日々。
心許すアイツとは
”同期以上、恋人未満―――”
1度は愛した元カレと再会し心を搔き乱され
恋敵の幼馴染には刃を向けられる。
広報部所属
●七星 セツナ●-Setuna Nanase-(29歳)
編集部所属 副編集長
●煌月 ジン●-Jin Kouduki-(29歳)
本当に好きな人は…誰?
己の気持ちに向き合う最後の恋。
“ただの恋愛物語”ってだけじゃない
命と、人との
向き合うという事。
現実に、なさそうな
だけどちょっとあり得るかもしれない
複雑に絡み合う人間模様を描いた
等身大のラブストーリー。
ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~
菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。
だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。
車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。
あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。
ただいま冷徹上司を調・教・中!
伊吹美香
恋愛
同期から男を寝取られ棄てられた崖っぷちOL
久瀬千尋(くぜちひろ)28歳
×
容姿端麗で仕事もでき一目置かれる恋愛下手課長
平嶋凱莉(ひらしまかいり)35歳
二人はひょんなことから(仮)恋人になることに。
今まで知らなかった素顔を知るたびに、二人の関係は近くなる。
意地と恥から始まった(仮)恋人は(本)恋人になれるのか?
【R18完結】エリートビジネスマンの裏の顔
白波瀬 綾音
恋愛
御社のエース、危険人物すぎます───。
私、高瀬緋莉(27)は、思いを寄せていた業界最大手の同業他社勤務のエリート営業マン檜垣瑤太(30)に執着され、軟禁されてしまう。
同じチームの後輩、石橋蓮(25)が異変に気付くが……
この生活に果たして救いはあるのか。
※サムネにAI生成画像を使用しています
恋に異例はつきもので ~会社一の鬼部長は初心でキュートな部下を溺愛したい~
泉南佳那
恋愛
「よっしゃー」が口癖の
元気いっぱい営業部員、辻本花梨27歳
×
敏腕だけど冷徹と噂されている
俺様部長 木沢彰吾34歳
ある朝、花梨が出社すると
異動の辞令が張り出されていた。
異動先は木沢部長率いる
〝ブランディング戦略部〟
なんでこんな時期に……
あまりの〝異例〟の辞令に
戸惑いを隠せない花梨。
しかも、担当するように言われた会社はなんと、元カレが社長を務める玩具会社だった!
花梨の前途多難な日々が、今始まる……
***
元気いっぱい、はりきりガール花梨と
ツンデレ部長木沢の年の差超パワフル・ラブ・ストーリーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる