幸福奇譚

安馬川 隠

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本編

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 豪華な食事の広がるテーブルで二人向き合うように座れば、蛇のタトゥーの入った男は「ヒロ、いただきますってしよう?」と優しく声をかけた。
 ヒロと呼ばれた方は自分の名前ってヒロなんだと感じながら、手を合わせいただきますをした。

 何から何まで豪華で食べるのが勿体なくなるほど。これが高級レストランなどで見るものかと行儀が悪いことを自覚していても迷い箸になってしまう。


「んふふッ…良いよ。誰も取らないから欲しいものを食べて良いんだよ。かわいいねぇ本当に」


 扱いや言葉遣いが大人同士とは思えぬほどに甘くて瞬間的に恥ずかしさに包まれる。

 ヒロはそぉっと一番美味しそうだと思った天津飯に手を伸ばし、お皿を自分の方へ寄せれば最初から用意して貰っていた小皿に自分が食べる分四分の一程度の量を取り元の場所へ戻す。
二番目に気になっていた唐揚げを見て目の前にいる彼の視線を気にしながら、六つ乗った皿から二個取って取り分けた天津飯の横に並べる。


「……えへぇ、これが良い」

「ッッ、かわ………んんッ。良いね、食べれるだけお食べ」


 ご飯の時間がさっきまで感じていた不安が一掃される程には穏やかな時間。
わからないことを訊いても良いものか、わかりかねていたが流石に名前も知らぬ人が恋人なんていう状態は避けたい気持ちがあったヒロは躊躇いがちに「貴方のお名前はなんですか」と訊いた。


「……やっぱり薬の影響で、覚えていないんだね。大丈夫だよ。俺の名前はさかき 重東じゅうと。重ねる東と書いて重東って言うんだ。
薬の影響で記憶の名前に欠損があるのなら自分の名前もわからなくなっているんじゃない?君の名前はかなえ 宏臣ひろおみ

 俺たちは君が元々働いていたコンビニで出逢ったんだよ。
夜勤で働く君を見て俺が一目惚れしちゃってね、足繁く通って猛アピールしてね。君が折れて付き合うことになった。……ただ、俺の仕事があんまり良くなくてね。君を危険に晒してしまったことで君は重度の不安に苛まれるようになった。薬を飲むようになったのはそれが原因。
今はもう不安にならなければ薬は飲まなくても良いって状態まで行ったんだけど、昨日急激に不安になっちゃったんだよね。それで飲んだお薬の影響で今ヒロは何もわからなくなっちゃってるんだよ。
 でもね、安心してね。ヒロがどんな姿でもどれだけ俺を忘れても俺はヒロを忘れないし嫌いになったりすることは絶対に無いから」


 重東の言う言葉には嘘がないように思えた。嘘をつく人には見えない気もしてきたし、宏臣としてはご飯をくれた人を疑うのもなんだか忍びない気持ちになってきた。


「………不安になっちゃうお仕事…ホスト?……ですか」

「え?あ、あぁ。んふふ…良いよ敬語は要らない。俺の最愛の人からは俺を呼び捨てで気軽に話が出来る状態でいたいから、ね?………お仕事はね、まぁ夜の管理職かな?」


 重東は宏臣が話をしそうになると自分の話を切り上げる、そしてこもってしまう言葉を言い切るまでは優しい表情でうんうんと相槌を打ちながらゆっくり待っている。
彼が言う恋人同士というのは本当なのかもしれない。

 ご飯を食べ終わり、お腹いっぱいで幸せに浸っていると重東が少し困ったように宏臣の顔を覗く。
普段はこれから、一緒にお風呂にはいってお尻の掃除してえっちしたりするんだけど、今日はやめた方が良いかな。と困り眉で言われれば、恋人同士なのだからそういうこともするのだろうという客観的な意見で二度目の恥ずかしさに包まれる。

 あたふたしている宏臣の顔に重東の整った綺麗すぎる顔が近付いて、ちゅっとキスを唇に落とす。
「……嫌だった?」と重東から問われれば、嫌ではないが綺麗な顔が近付いてくることに対する羞恥が凄いと伝えたいのに上手く言えない。言葉に詰まる、こうなってしまえば伝えられない気がする。


「…ヒロ、落ち着いて。俺は無理矢理は絶対にしない、嫌なら嫌とか違うとか否定的なことを言ってくれれば俺はちゃんと止まるからね」


 どこまでも優しい重東の言葉に、深く息を吸って、そして吐く動作を焦らずに出来るようになった。
「……嫌じゃなかった、けどッ……その……恥ずかしぃッ」
必死に頭を巡らせて伝えた言葉に重東はまるで獲物を狩る野生動物のように舌舐りをした。
ヒュッと息が止まるような感覚に、脚が動かなくなる。本能的に逃げた方が良いと思う反面身体が一切反応しないバグでも起きているかのようだ。


「大丈夫だよ、ヒロ。俺に愛されてくれればそれだけで」
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