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 『聖女サマか否か』をラウリーに聞くことがどれだけ不毛な事か、キディとて馬鹿ではない。
ただ、それすらも軽々しくなるほどに魔物の対処は国をあげても重要点。戦をして、他に気を取られていたとはいえ国の民を危険に晒し続けていたという事実。それが聖女様に近しい存在のお陰で護られた可能性があるのなら、それだけでなんとお礼を伝えれば良いのか。頭など下げて地面に埋め込む程度では生温い。


 ラウリーが喋れないこと等、知らぬはず無いのに。キディは無言のその場の空気がどうしても耐えられなかった。


「……肯定か否定かして欲しかったっすねェ。俺は主サンに全てを預けた側として、お嬢さんの曖昧な立場は嫌いなんす、よねェ……」

「…き、…騎士さん。言い過ぎには気をつけてください」

 キディの言い方の棘は決して、不快だと全面に出すものではなく、出来れば頷くなりで反応を示して欲しかったという願望も含まれていた。
ただ一心に自分ではないと割り切って仕事という名の床拭きをするラウリーに悲しさはメイド含め誰もが感じることだった。
 人として扱われることのない生活をしていた者に、話しかけるものは居ない。愚図や鈍間といった悪口はあれど、そこに好意的な意味がある者など居はしない。


 ラウリーの中ではアウスに言われた「もう君を、君たちを苦しめる者はいない」という言葉も、自分を買った者の慈悲なのだろうと考えていた。
信用は奴隷となってはまず捨て去らねばならない感情で。
ラウリーの頭の中ではキディの言葉がそれ以降紡がれないことに、ふと思考が一点に染まった。


『……この場所は、返事をしないと殴られるのだろうか』


 言葉をテレパシーで感じ取ったラムルが手に乗せたお盆を上に乗ったティーカップごと落とす。
ラウリーの異様さは元奴隷だから仕方ないものだと理解しているつもりだった。
食事は『これは人が食べるもの』と食べなかった。ベッドも『これは人が休む場所』と寝なかった。
 朝は誰よりも早く起きて床や窓を拭く、お風呂にと言うと井戸の冷たい水を浴びようとするので半ば強制的に薬草湯に連れて浸からせる。

 身体中の絶えない傷が薬草湯で少しずつ癒えるとはいえ、一般の騎士ですら痛いと声をあげるほどに染みるはずの湯にて一言も出すことはない。
頭の中も『傷がまた一つ消えるお湯だ』と楽しそうで、痛覚もとうに麻痺してしまっている現実がラムルには悲しくて堪らなかった。

 そんなラウリーがこの場所を安心できる場所にしようと頑張ってきたラムルにとって、ここも他の場所と一緒で危険で不安のある場所なのかと。
まだ誰かに危害を加えられる可能性を感じて働いているのかと。
 更に追い打ちを掛けるようにラウリーは落ちたティーカップをお盆に集める作業をしながら、『私を買ったここの当主様はどんな方なんだろう』という言葉で心を打ち砕かれた。


 飛び出すように出ていけば、キディを含むその場の全員が呆気にとられる。
足を止めずに走る先はアウスのいる執務室で、強めのノックに警戒したアウスが扉の奥に座る。

「お嬢さんはどうして、当主様が当主様であることを知らないのですかッ?!それに、その……どうしてお嬢さんはこのお屋敷にいて殴られることに怯えていなければならないのですかッ」

 ラムルの怒りはアウスに言うべきではない、お門違いのもの。普段温厚な当主であっても流石に言葉遣いに入室の無礼、当主に当たり散らかす等使用人失格な行為そのもの。
それでも、アウスが怒らず直ぐに立ち上がりラムルを素通りしラウリーのいる部屋に向かったのはラムルの言葉がアウスとて耐えられないほどに心臓に棘として刺さったからであろう。
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