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奇跡の酒場

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 セシルは陽の落ちた夜道を、宛もなく彷徨さまよう自分に気がついた。
 どこか何かで、気分を紛らわせたかったというのに近い。
 とにかく、今の自分が置かれた状況を、考えなくて済む場所に逃げ出したかった。

 アルバート騎士団長から騎士叙任の話を聞かされた時、セシルには、ようやく夢に到達できるという喜びがあった。
 元々騎士を目指し始めた切っ掛けは、自分の意思ではなく、亡くなった父からの強い希望だったのかもしれない。
 それに、騎士に叙任して貰えることになった理由は、自分の力が認められたからでもなく、エリオットの結婚が起点としてあった。

 だが、それでもセシルは、騎士になりたいと思っていた。
 騎士になって、幼い頃から自分を支えてくれたリーヤたちが、安定して生活できる基盤が欲しかった。

 ところが今は、その夢の前に横たわる障害に、為す術もなく翻弄ほんろうされるばかりである。
 それは、まるで固い鱗に覆われ、攻撃を受け付けない巨大なドラゴンのように――彼女の力が及びそうもない遥かに強大な存在に思われた。

「いらっしゃい」

 ここへ向かおうと意識していた訳ではない。
 だが自然にセシルの足は、の名のついた酒場へ向かっていた。

 冴えないセシルの表情に気づいたのか、酒場の主人は、それ以上声を掛けようとはしない。
 彼女がフラフラとカウンターの隅に陣取ると、気を利かせた主人が何も言わずに果実酒ワインを運んでくれた。
 ただ、普段あまりお酒を飲まないこともあって、僅かな量で顔が真っ赤になってしまう。

 ――を用意するだけの話なのに、どれもこれも上手くいかないことばかりだった。
 それも、鎧師たちはみんな揃って、女性の鎧など作りたくないというのだ。
 もちろんミランが工作して、鎧師たちにそう言わせていた可能性は高い。
 でも、実際女性用の鎧を作りたがっていないというのも事実だろう。

 彼女は考えれば考えるほど、自分が女性であることが、全ての災厄さいやくの原因だと思い込み始めていた。

 ――何故、わたしは、女なんかに生まれて来たのだろう?

 セシルが深い溜息を吐いたのに合わせて、酒場の主人が果実酒ワインのお代わりをいだ。

「お役には立てなかったようだな」

 酒場の主人が、耳当たりの良い静かな声色でセシルに声を掛ける。
 彼の発言が指しているのは、セシルにカイを紹介したことだ。

「残念ながらね」

 そう言ってセシルは注がれた果実酒ワインに、ほんの少しだけ紅い唇をつけた。

「紹介してくれたことには感謝しているわ。
 でも鎧師じゃないとしても、鍛冶師あたりかと思い込んでいたのよ。
 彼も鎧は作れると言っていたけれど、叙任式にそれを着ていくがなくて。
 だってあの人は鎧師じゃなくて――解体ジャンク屋さんのようだから」

 去り際に気にくわない言葉を掛けられたのを思い出して、セシルは若干カイの職業を、揶揄やゆするような言い方をした。
 酒場の主人はそれを聞くと、苦笑しながら視線を泳がせる。
 それは何となくここにいるに、気を遣ったような仕草に見えた。

解体ジャンク屋で悪かった」

 その声を聞いて、セシルは慌てて声のした方向を振り返った。
 すると、そこにはテーブルで食事をする、が腰掛けていたのだ。
 カイはセシルを直視せず、睨みつけるように視線だけで彼女を見ていた。
 その仕草は彼の鋭い目つきのせいで、随分と不機嫌な表情を醸し出しているように思える。

 セシルは少しお酒が入っていることもあって、全く物怖じせずに自分の意見を主張した。

「間違ったことは、言ってないわ」

 すると、カイはまるで失笑するような笑みを浮かべた。

「確かに間違っていない。
 でも、どうやら俺がも間違ってはなさそうだ」

 セシルはその発言が聞き流せなかったのか、椅子に腰掛けたままカイの方へと向き直る。

「それは、あなたがわたしを『見た目だけで選ぶ』女だと、侮辱したことを指してるのね?」

「違うか?」

 売り言葉に買い言葉を浴びせられて、セシルは思わず大きい声を出しそうになった。
 お酒のせいで普段より、感情的になっているのは間違いない。
 だが、ここはせいの酒場で、多くの人の目がある場所なのだ。
 それにどこかでミランの部下が、今でも自分を見張っているに違いない。
 それを考えればことさらに、トラブルを大きくする行動は避けるべきだった。

 セシルは何とか深呼吸をして、冷静さを取り戻すことに成功した。
 そして、背の高いカウンターの席から見下ろすように、カイへ向けて静かに言葉を返す。

「見た目だけで選ぶ訳じゃないわ。
 でも、叙任式に着る以上、見た目も重要なのよ」

 返事の声が比較的冷静だったことで、カイも高ぶった感情を少し収めたように見受けられた。
 彼は一口麦酒ビールあおると、セシルのことではなく叙任式に関する話を語り始める。

「過去に叙任式を何度か見学したことがある。
 だが、そこにあるのは見世物の鎧に、見世物の試合だ。
 叙任式で『見せる鎧』と、『戦うための鎧』が別個に用意してあるというなら、まだいいだろう。
 しかし、俺が知る限り、そんな使い分けをしている騎士は見たことがない。
 驚くほど実用性に欠けた装備で、騎士たちはそのまま実戦に出て行ってしまう。
 きっと、騎士になって、初めての戦いにおける死亡率が高いというのはそれが理由の一つだ」

 最初、セシルは叙任式をおとしめるような発言を、とがめる気持ちで一杯だった。
 だが、彼が指摘した点は、常々セシルも考えていたことだ。

 以前、とある貴族家の貴公子が、カイの言うように飾り立てた金属鎧プレートメイルで叙任式に出たことがある。
 それは、羽根だの突起だのが付いた、異様にの目立つド派手な鎧だった。
 その彼は初めての戦いにおいて、ゴブリンの集団に追い詰められて死亡した。
 ゴブリンたちから逃走する過程で、木にその突起を引っ掛けてしまい、動けなくなってしまったのだ。

 また別の貴族は、宝石をいくつも埋め込んだ煌びやかな金属鎧プレートメイルを作った。
 そして、その貴族は初めての戦場に、到達することなく帰らぬ者となった。
 彼は戦場におもむく途中で、盗賊たちの餌食になってしまったのだ。
 盗賊からすれば目立ちすぎて、襲ってくださいと言っているようにしか思えなかったことだろう。

「人間相手なら身代金要求を期待して、怪我をさせずに生け捕りにしてくれることもあるだろう。
 だが、魔物相手の戦いは、手加減など存在し得ない。
 騎士たちはいつも人間と戦うことばかり想像しているが、実際の遠征で騎士が戦う敵は、圧倒的に魔物であることが多いんだ。敵がむしろ人間であることの方が、まれだとすら言っていい。
 たとえば、君はどの程度ゴブリンの脅威を知っているか判らないが、騎士が侮るゴブリンも、集団になると十分な脅威になり得る。
 本当に見栄えを優先した装備をして、そうした戦いに生き残ることができるというのか?
 ――いや、貴族さまは前線で戦わなくても、庶民に戦わせて後ろで観戦していればよいのかもしれないが」

 セシルの実家であるアロイスは貴族である。
 ただし、アロイスは騎士家という、貴族としてはあまり高くない地位にあった。
 それもあってセシルが騎士になるのなら、前線で戦わずに温々ぬくぬくと過ごすなどということはあり得ない。
 セシルはカイの発言を、実家に対する侮辱と受け取って、高ぶる感情を抑えきれなくなった。

「馬鹿にしないで!!
 わたしもちゃんとを手にとって、敵と戦ったことがあるわ。
 それともあなたは、騎士見習いがろくに前線で戦いもしないなんて思っているの!?」

 セシルは騎士見習いとしては、かなり年齢が高い域にある。
 そのため、騎士の遠征に随行した経験も、かなりの回数に及んでいた。
 街を守り、街道を確保するために、魔物と戦った経験は一度や二度のことではない。
 そのどれもがゴブリンや小鬼オークといった蛮族のたぐいが相手だったが、味方に死者が出た戦いにおいても、ちゃんと生き抜いた経験があるのだ。

「剣の扱いに慣れているとは、とても思えないが」

 いつの間にかカイが立ち上がり、セシルの側まで近づいて来ていた。
 彼がセシルの何を見てそう判断したのか判らないが、確かにその発言は真実を言い当てている。
 先ほどセシルが「剣を手に取って何度も敵と戦った」と言ったのは、騎士であれば剣で戦うものという、彼女なりの見栄を含んだ発言だったのだ。
 実際に彼女が戦いで手にしていたのは、使い慣れたであって、剣で交戦した経験は実は一度もない。

 その恥ずかしさのようなものも相まって、セシルはむきになってカイに反論した。

「あなたに侮られる覚えはないわ。
 少なくともわたしは街の解体ジャンク屋さんより、上手く戦える自信があるのだから」

 するとカイはその発言を聞いて、ニヤニヤと笑い出した。

「ほほう、騎士見習いさんは、随分と自信家と見える。
 相手の実力を計ることができるらしい。
 じゃあ、一度是非とも、俺に稽古をつけてもらえないか?」

 稽古をつけてくれという言葉と裏腹に、カイは完全にセシルを侮った表情だ。

 ――この街では、私闘は禁じられている。
 だからカイは稽古という言葉を使いはしているが、恐らく稽古の形をとって腕試しをしようというのだろう。
 だとしても鎧を手に入れるための忙しい時間に、何故この男と腕試しなどしなければならないのか――?

 そう考えたセシルは、カイの申し出を即座に断ろうとした。
 なのに、彼の表情を見ていた彼女の口から思わず飛び出た答えは、それとは真逆をいく言葉だった。

「いいわ」

 その返答を聞いて、カイは再びニヤリと笑みを浮かべる。

「じゃあ明日の早朝、五番街奥にある稽古場で待っている」

 彼はそう言うとカウンターに食事代を置いて、サッと身を翻して酒場を出て行ってしまった。


 セシルはカイが居なくなったのを確認してから、ふとカウンターの向こうにたたずむ酒場の主人の表情を見た。
 彼にも今の一部始終は、しっかりと聞こえていたことだろう。
 すると酒場の主人は、まさにやれやれという表情で、セシルに語りかけてきた。

「あんた、本気かい?
 ヤツは稽古とは言ったけど、恐らく腕試しに勝負しようってことだぞ」

「そうね。そうかもしれないわ」

 セシルはそう言うと、目の前の果実酒ワインを一口、口に含んだ。

 自棄やけになったとは思わない。
 確かに何とかして、あの黒髪の男性の口を封じたかったというのも事実だ。
 でも、どこかであの日見た小型の白い籠手ガントレット――その姿形すがたかたちが頭の中に引っ掛かってしまって、忘れられずにいたのも事実ではあった。

「あいつ、普段はあんな風に喧嘩腰になることはないんだが――。
 だが、本当に手合わせするつもりなら、あいつを解体ジャンク屋だからといって甘く見ない方がいい」

「どうして?」

 すると主人はセシルにだけ聞こえるように、小声で驚くべきことを言った。

「カイはああ見えて、なんだよ。
 剣の扱いは元騎士なりに、手慣れているはずなんだ」

 セシルはその言葉に目を見開きながら、頭に浮かんできたことを深く考え込むのであった。



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