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49 壊れた聖域 聖女の魂
しおりを挟む「エルリカ、儀式を、儀式を続けるのだ。そうすれば我らの女神様は必ずしや光とともに進むべき道をお示しくださる」
「ああ、お父様、これは一体なんなのです。何が起こっているのです? お父様のその姿は? 神殿は? わたしは、わたしは、聖女です。聖女エルリカですよ?」
「そうだ、お前は聖女だ。そうでなくてはならん。我が一族は、初代様より連綿と続く聖女の一族なのだ。永久なる光が我らを導く。我らが人々を教え導く。これまでもこれからも、変わらずそう在り続けるのだ」
2人は地下神殿へと降りて行く。
どうやらダウィシエさんを拘束していた場所まで降りるようだ。がしかし、残念ながらすでに彼女はそこにはいない。コボルトさん達のところで介抱してもらっている。代わりに居るのは。
「なぁっ?! 何者だ貴様らは?! どこから湧いて出た? いや貴様らはどこにその汚い足を踏み入れたかわかっているのか? 何をした? これがどういうことか分かっているのか愚か者どもめが」
神官長エグアスが目的の場所にたどり着いたとき、そこにいたのは当然、トカマル君とロアさん。そして地獄を統べる大鬼だった。
大鬼は紳士全とした物腰で語りかける。
「どこに? ほう、どこに足を踏み入れたか? まったく、これは何処なのか…… もしそれが知りたければ、己自身の足元を良く見て確認するのがよかろうな」
そう言われた神官長エグアスは、一瞬ためらってから足元を見た。
すると、彼の周りの地面だけが、不自然に赤黒く煮え滾り、その赤い沼の底からは、いくつもの細長い腕がニョキリニョキリと伸びていた。
それはまるで亡者の腕のようだった。いや、まぎれもなく亡者の腕だった。神官長エグアスの身体にまとわりつき、沼の底から這い上がってくる。
その腕から逃れようともがき、逃げ惑うエグアスだったが、その時にはすでに、この部屋の中の床は一面赤黒く燃える泥沼で染め上げられていた。何処にも逃げる場所など存在してはいなかった。
ごめんな。実はすでに、地獄の門はこの町全体を飲み込むほどの大きさで開かれているんだ。
暴れ狂う父親の姿を見ながら、その娘である聖女エルリカは部屋の隅でただ固まっていた。
部屋の壁にも天井にも、いたるところに、能面のような人の顔が無数に浮かび上がっている。ズルリと、数匹の獣が壁から這い出てきた。
壁際で丸まっていた聖女の、まさに鼻の先からズリズルリと獣が這い出す。
「ヒィ ッ ッ」
聖女とその親父。2人は真っ赤な泥沼を這い進む。そのさきは、先ほど俺達が見た例の部屋だった。
もう一歩でダウィシエさんもその部屋の住人の仲間入りをしかけていた。あの場所へ。
「ハァハァ、我らの神聖なる誇り高き大業を。見よ、とうてい凡俗には成しえぬ偉業を、はぁはぁはぁ ァァ 光あれ光あれ我らの頭上を燦然と照らす栄光よ永遠なれ。すべての不浄を取り除く我が力よ」
どうも彼らは自分たちのやっていたことの影響には気がついていないようだった。こんな状況になった今でも、本気で自分の正当性を疑ってなどいないのかもしれない。あるいは、自覚があればこそなのか。
破壊された聖域の部屋に立ち入った瞬間。これまで押し黙って顔を引きつらせていただけだった聖女エルリカが、何かが吹っ切れたかのように唐突に笑い、叫びだした。
「あははははは、見てよこれ、貴方にこれが何か分かるエフィルア? これはねーえ、死骸と怨念とアンデッドの養殖場よ。嫌よねぇ。でもこれで聖域なのよ? くさいし、汚いし、不浄だけれど、私の美貌だって聖なる魔力だって、これがあってこそなんだから大切にしなくちゃならないの。ふふっ、うふふふ―― ―― ―― ねぇ、ねぇえ? それがなんで壊れてるのよッォォ オイッ 」
神官長のほうは慌てふためいて駈けずりまわっている。
崩壊した聖域跡地、何かを確認するかのようにベタベタと触ってまわる。
聖女エルリカはその場で立ち尽くす。
「えへへー 怨念を封じた聖域の中にーーー、悪人どもを入れとくのぉぉぉ。そうすると、死んで特殊なアンデッドになったり、儀式にも使えたり、そうじゃなくても新しい怨念の仲間入りして聖域が強化されるのよぉぉぉぉ。いろいろべんりでぇっへっへ」
過去の犠牲者たちの怨念はとっくに“聖域”からこぼれ溢れている。俺たちがここを破壊するずっと前から神殿の管理下を離れて、この町の中にも外にも充満していたようだが、さて。
「ふはっ、ふははは、貴様らこれしきの事で我らの聖域を破壊できたと思うたか? ふフははは、そもそもこれを作ったのはこの私だ。私だぞ? なあエルリカ、さあこっちへ、私と一緒に」
「あはっ劣悪な魂を持った者達も、こうして聖なる御技の役に立てて、、みんなとってもよろこんでるでしょう? ねえ、見て みてみて、みんな 幸せそうでしょう そうでしょう? お父様もそう思うでしょう?」
焦点の定まらない瞳で、エルリカはその淵を覗き込む。
「ねえ、みて ほらぁ お父様、この中をよく覗いてぇ」
2人の会話は成り立っていないように思えた。しかしその実、2人の考えていることは全く一致してもいた。
「我が娘、聖女エルリカの魂を生贄に! 新たな聖域を、そして輪廻の頚木を破壊せしめん」」
「我が父、神官長エグアスの全てを生贄に! 新たな聖域を、そして輪廻の頚木を破壊せしめん」
その姿は、まるで喜劇のようだった。2人は互いを聖域の跡地となった瓦礫の底へと突き落としていた。
「「ッ!!!」」
堕ちてゆく2人。
しかし、神官長エグアスが落ちた場所には、地獄からの亡者と使者が待ち構える赤い泥沼があるだけだった。
「なハァッ、なんだこrへあ」
彼の姿を覆う影。それは次第に赤黒い塊の人の姿を成し、一呼吸の内に神官長エグアスの全てに群がり、グラグラと沸き立つ血と溶岩と闇の中に引きずり込んでいった。
あ゛あ゛あ゛という声にならない嗚咽だけが最後に残されて消えた。
「それでは行ってらっしゃいませ。いくべき場所へ」
地獄の死霊王は静かな声で、穏やかな鎮魂の魔法を唱えた。
地界から昇る闇が全てを包み込む。
深く深く、地の底の底へと落ちていく姿が見えた。
それは何ともあっけなく、あまりにも短いひと時だった。
その時聖女エルリカは、聖域と呼ばれていた場所の残骸へと落ちていった。
そこには赤い沼も闇もなかった。
世界を侵す禁忌の術を構築していたのは父親である神官長のほうだったようで、彼女自身は未だ特別な大罪を犯したとは認められていないそうだ。
もっとも、これまでの被害者たちからすれば、関係のない話なのだが。
一瞬だった。聖域の残骸の底から腕が伸び、獣の牙が現われ、エルリカの頭を掴んだ。瞬く間に引きずり込む。
肉体ごと、霊魂ごと、引きずり込まれ、引き裂かれ、蹂躙され、散り散りになって…… 消えていく。
それはあっけなく、最後の骨のひとかけらも、爪の先も残さずに。
ついには聖域までもが完全に消失した。
聖女エルリカ、大人しく召されておけよ?
今なら静かに普通に死ねるらしいぞ。
「私は死なない」
彼女の言葉が聞こえた気がした。
ほんの空耳、そうも思ったのだが……
「輪廻逃れが半端に発動したかもしれぬな。あの者の魂はもとより脆くなっていたが、いまや散り散りに砕けて…… どうなったことやらワシにも分からぬ。これではもはや死をもっても抗えぬ塗炭の苦しみが永劫のように続くだけだろう。惨いことを」
彼女の死に際に、どこかから何らかの強い干渉があったようだ。
彼女はそれに応えたという。
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