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1章 魔神引っ越し
1章 最終話
しおりを挟む俺たち親子の再会を祝福するように、気がつけば地面は暗く煮え滾り、そこから這い上がる亡者の影が地上に溢れ始めていた。
この祝宴への来賓の皆様がご到着したようである。
「な、なんだこrへあ」
影はしだいに赤黒い塊の人の姿を成し、一呼吸の内に神官長ラナリアスに群がり、グラグラと沸き立つ血と溶岩と闇の中に引きずり込んでいった。
あれはちょっと熱いだろう。なにせ引きずり込まれた片足が骨になるほどなのだから。
「あ゛あ゛あ゛」
嗚咽が漏れてるな。
「それじゃあ行こうかねー。いくべき場所へ」
デスナイトな我が父が、神官長様へ終焉を告げた。
「下手に抵抗されないほうが楽ですよ。その者たちは、全て貴方がたに縁の深い怨念の塊みたいなものですから。ねえ、お父さん」
気がつけば部屋の中には壁にも天井にもいたるところに、もがき苦しむような人の顔が無数に浮かび上がっている。
どこかから現れた美しい模様の蝶も、獄彩色に翅を広げて舞い踊る。
ミツケタミツケタミツケタと 蝶が舞い踊り、獣が来たる。
せっかくの忠告も虚しく、己を取り巻く状況に神官様はもがいている。もがきにもがく。
「エフィルア、それじゃあワシ等はもう戻る時間だ」
「またね。きっとまたいつか」
2人はそう言って、暴れる男のもとへ向かう。
そうだ。地獄門の力はあくまで一時的なもの。ほんのひと時、地上に冥府魔界と地獄の力やその一部を召還するもの。
もう、戻らなくてはならない。2人は地獄の官吏としての仕事を遂行しにきたのだから。
「「神官長ラナリアスよ。地獄の管理者、天地様の前へ頭を垂れよ」」
地界から、闇が全てを包み込む。
深く深く、地の底の底へと落ちていく姿が見えた。
それは何ともあっけなく、あまりにも短いひと時だった。
あまりに短く、あっけなく、俺は2人と碌に話もできないうちに――
「ッハァッ ハァッ ハァッ ハァッ ・」
いまや静寂を取り戻した室内には、少女の荒く短い息遣いだけが響いている。
「あとはお前だな。聖女、エルリカ様」
俺は、お行儀良く神官長様が堕ちていく様子を見守っていた娘へと意識を向ける。彼女の見開かれた瞳は虚空を見つめる。
エルリカは今回の地獄からの裁きの対象には、ギリギリ入っていない。
俺が来るのがもうしばらく遅れていたら分からなかったが、エルリカ自信は“輪廻逃れの法”とやらを完了してないのだ。
父親に同行できずに彼女もくやしい思いをしているかもしれないな。
おお、部屋の隅で良い子にしていた彼女だが、周囲の様子が落ち着いたのを見て少し元気が出てきたようだ。
「コ コォッ コの邪神の使いめヒェ! 悪魔め! 地獄の亡者め! 我が清めの霊力で滅してくれるッ! 」
まさに地獄から依頼されたお仕事でここに来たのだから、その台詞、大まかな方向性は合っている。
しかしそう忌み嫌うな、地獄には地獄の役目があるそうだよ。
「顕現せよ! 【善なる神の社】!! 」
お得意の聖なる魔力を放出する聖女エルリカ。
これはアンデッドを一撃で昇天させるための魔法のようだ。さすがだな。この数日でまた新しい術を1つ覚えたらしい。偉いぞ。
しかし、今その選択をするのは間違っている。
相変わらずまともな実戦経験が足りていないのではないだろうか。
その魔法は自分と同格の相手を一発で昇天させる類の術だ。
今の局面ではそれよりも、ヒールかハイヒールでも使っていれば少しは俺にダメージを与えられたかもしれない。
「おまえなんかに、私が! よるな、さわるな、汚らわしい蛆虫が! ハァハッハァ」
そもそも俺はエルリカに対する敵意など、ひと欠片も向けていないのだ。
この優しい笑みをちゃんと見てほしい。
「バケモノォ あ、あっっ ち、違うの 私 本当はねぇ? そう! ダウィシエのメス豚を触媒にしてー、私の聖人の儀を執り行うはずだったのに、えーなにー、これは、この状況は?」
エルリカは混乱している。
「神聖なる神殿の中に悪辣なる賊の一党が押し入ってきちゃってー、お父様は良く分からない状態よ? 死んだのかしら? でもそれならなおさら。この儀式をやらなくちゃ。予定は狂ったけど、やらなくちゃ。みんなの為に。世界の為に、正義の私の為にィッ!」
エルリカの殺意が、重症のダウィシエさんに向くのを感じた。
しかしエルリカ程度のレベルの聖属性使いでは、たいした攻撃手段は持ち合わせていない。
贅沢にエンチャントされた短剣を取り出したエルリカ、ただそれを投げるだけ。
その短剣もろとも、俺の拳が聖女の顔面を打ち抜く。
「すまん、少しだけ正当防衛が行き過ぎた。しかしだめだぞ? ダウィシエさんは重傷なんだ。おかげさまでな」
エルリカには最大限手加減をしたから、それほどの怪我にはなっていないだろう。
「アッ ァ ぁ ぁぁ・」
「悪いが、ここまでくると殴って終わりというわけにもいかないからな、この後を楽しみにしてくれよ?」
「ッヒィッぁ」
安心してほしい。なにも殊更、拷問まがいの事をしようというわけじゃない。
そうではなく、お前達のやっていた事は純粋に人の法にも反することだから、ただその分を償ってもらおうというだけだ。
「なにせ冒険者ギルドのマスターまで拉致監禁した上でのこの惨状は、俺がどうこうという問題以前に、もはやただでは済まんだろう。己らの権勢に対する思い上がりが、ついには行き過ぎてしまったのだろうか?」
神官長様の方は別な場所で罪を償う事になってしまったが、問題が在ったのは彼一人ではないはずだ。片棒を担いでいた者たちは余罪を明らかにしてから、ダウィシエさんを通して冒険者ギルドの本部にでも連絡してもらおうか。
それから…… 剣聖の家は一応この町の政治を取り仕切っているわけだからな、後でよくよく話をしておこう。
今の状況からすると、彼らには少し手伝ってもらわなくてはならないことがある。
もっとも穏便な解決手段の落としどころはそのあたりだろう。
いま聖女エルリカは震える手足を引きずりながら這いまわっている。
神殿のさらなる奥、中枢部へ行くようだ。そうか、そっちにあるのか。
「あははははは、これ? これはねーえ、死骸と怨念とアンデッドの養殖場よ。嫌よねぇ。くさいし、汚いし、不浄だし」
そうか、ここか、この場所か。
「あ、でも、死霊術なんかじゃないわよ~、勘違いしないでね? あんな汚らわしいのと違って、これはあくまで自然発生させる装置なんだからぁ」
死霊術だろうが、聖なる御業だろうが、なあ、そんなのは、知ったことかよ。そうだろう? なあ、そうだろうエルリカよ。
「えへへー 怨念を封じた聖域の中にーーー、悪人どもを入れとくのぉぉぉ。そうすると、死んでアンデッドになったり、そうじゃなくても新しい怨念の仲間入りしてくれるのよぉぉぉぉ。いろいろべんりでぇっへっへ」
そうか、今日もこいつは良く騒ぐな。
這いまわり、その向こうはもう、怨念と死霊の坩堝。行き止まりだ。
「あはっ劣悪な魂を持った者達も、こうして聖なる御技の役に立てて、最後には綺麗に浄化されていくんだから、みんなとってもよろこんでるでしょう? ねえ、見て みてみて」
焦点の定まらない瞳で、エルリカはその淵を覗き込む。
「ねえ、みて ほら、 みんな 幸せそうでしょう ぁ 」
そうか、幸せそうか。そうか。そうだな……
その時、聖域の中もざわめいた。そのざわめきに、エルリカの瞳が聖域の中に吸い込まれていく。
本来ならば結界の外には出られないはずの存在たちが、ほんの少し力を増し、そしてあふれ出す。
一瞬だった。腕が伸び、エルリカの頭を掴んだ。瞬く間に引きずり込む。
肉体ごと、霊魂ごと、引きずり込まれ、引き裂かれ、蹂躙され、散り散りになって…… 消えていく。
それはあっけなく、最後の骨のひとかけらも、爪の先も残さずに。
ついには聖域までもが 消えた。
エルリカ、大人しく召されておけよ?
お前の親父とは違い、今なら静かに死ねるのだから。
―― ――
そしてこの日、世界は激震と新たな混沌につつまれる事になった。
地獄の統治者、天地。冥府の女帝、デス。魔界の皇龍、ボウヴェルグヘラ。そして、その眷属達の姿が、地上のあらゆる知性ある存在の網膜と脳内にありありと映し出された。その声は、音無き者の心胆にまで響き渡った――
“天地開闢以来の不変の摂理に背き逃れる不貞の輩に告げる。
今再び、地獄の釜が地上に現出した事を。
冥府魔道の神々が、その影に手を伸ばした事を。
地上における全権代理人、魔神エフィルアが、
不実不正の神とその眷属に正当なる裁きを執行する事を”
―― さあて。
これを受け、とうの本人、魔神エフィルアは考えるのだった。
おいおい、鬼のおっさん達、話がでかくなってるぞと。
聞いてたのとイメージが違うんだけど? と。
城周辺の環境変化の時点でもかなり妖しいなとは思っていた。
それでもあれは一応打ち合わせの範疇と考える事は出来た。
そもそも俺は、その話を承諾していないし、もしやるにしても、もっと隠密行動的に、闇にまぎれながら悪を裁くような感じで気が向いたらやっていこうかなと思っていたのに。
勝手に全世界に向けて喧伝しないでほしいのだ。
『ぐあっはっは、いや、だってな、この方があとに引けなくなると思ってな。大丈夫大丈夫。もしエフィルア殿が死んでも、冥府魔界と地獄一同で大歓迎するから。大船に乗ったつもりで』
おいおい、まじかこの鬼のおっさん。いつか地獄に行ったら絶対ぶん殴ってやるぞ。必ず、あいつら全員あやまらせよう
ああ、復讐劇は終らない。とでもいった感じだな――
――――――――――
それから
――――――――――
さて…… とりあえずやる事はひと段落ついただろうか。
いや、これからの課題も山積みだな。
この町の神殿で起こされてきた一連の事件の整理と、痛ましい事故の調査。
それらは冒険者ギルドからの協力はもちろんのこと、剣聖の家の連中からも献身的な協力をしていただかねば。
彼らには俺たちの友好的な引っ越しの件も上手く国の方に説明してもらわねばならない。
なにせ。何事も出来るだけ穏便に進むことを、俺は常に願っているのだから。
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