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番外編SS

ユーデクスside

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 一度だけ失敗したことがある。

 失敗というか、自分のヘタレ具合に嫌気がさしたというか、大好きな女の子を前にして逃げしまったという恥ずかしいエピソードがあって。まあ、それをレオに話して笑われないわけもなく……


「だはははは! そりゃ、傑作だな。ユーデクス」
「笑い事じゃない。真剣に話してるんだけど」
「顔怖いのに、お前、はっ、ひぃ~おなか痛っ! マジで、お前、ほんと~」


 語彙力が低下しまくって何を言っているかさっぱりわからない、俺の主人であり親友は、腹を抱え、目に涙を浮かべ俺の失態を笑っている。今まで失敗したことや、失態を犯しても笑いものにしなかったレオが笑うんだ。ただ事ではないのだろう。いや、レオが笑うということは、かなり馬鹿にしているということで、言わなければよかったと、屈辱の視線に俺は耐えていた。


「騎士として、少し恥ずべきではあるな……不覚をとったな。ユーデクス」
「そうだよ。本当そうなの!」
「彼女は、多分お前が思っている以上にすごいぞ?」
「レオにスピカのこと語ってほしくないんだけど? 俺のほうがスピカのこと何倍もわかってるんだけど? 何? もともとスピカが君の婚約者候補だったからわかってるっていうの? は? 俺のほうがわかってるし」
「はいはい。わかってる、わかってる。お前めんどくさい」


 と、ひらひらと手を振って、先ほどまで笑っていたのにレオはスンといつもの表情に戻ってしまった。感情の切り替えが早いところはレオのいいところだと思う。だが、こんなことで済ませてほしくないのだ。確かに、不覚を取ったのは俺だけど、俺が理解しきれていなかったから不覚を取ったわけだけど、レオがそれをわかっていたみたいに話すのが癪に障ったのだ。


(スピカのことを知っているのは俺だ)


 それがめんどくさいって言われる所以なんだけど思うけど、もう少し優しくなってくれてもいいよね、とは思う。付き合いが長いわけだし。
 俺がそんな思いでレオをにらんでいれば、レオは机の上に足を乗せて、皇太子とは思えない態度で背もたれにぐーっと伸びてあくびをした。


「婚約者のエッチな誘いに驚いて置いてきてしまったんだろ。ほんと、お前そういうところだぞ」
「うるさい」


 デリカシーという言葉はレオの辞書にないのだろうか。あったとしても、俺にだけあたりが強いのはわかっている。スピカの兄のオービットに対してはデレデレなのに、俺には……


(いや、俺も十分いい待遇をもらっているんだから、比べる必要はない)


 レオはパーソナルスペースが広い。だからこそ、周りの人を寄せ付けず、絶えずポーカーフェイスを被る。彼に心を許してもらったものだけが、彼のパーソナルスペースの中に入れるのだ。当たり前だといえば、当たり前だが、俺たちよりも早く大人の世界に入り、皇太子という未来の皇帝の座に就くための責任やその他計り知れないものを幼いころから背負ってきたレオにとって、気を許せるものなんていないのだろう。そして、レオが初めてほしいといった認めてくれたのが俺だった。それはずっと感謝しなければならないし、これ以上の幸福はないと思ったほうがいい。
 俺はレオに認められた騎士なのだという自覚を。


「だって――だって、スピカがかわいすぎるんだ! あんなふうに誘ってくるなんて、誰が教えたの!? オービット!? だったら、あいつの下半身切り落とすんだけど!?」
「オービットじゃないだろ……落ち着け。いくらあいつらが兄妹仲がいいって言ってもなあ……まあ、ブラコン、シスコンなのは認めるが」


 と、レオは怖いことを言う。さすがに、というかそんなの信じたくないし、想像するだけでも吐き気がする。スピカと、オービットが兄妹にしては仲が良すぎて近すぎることも、互いに好きだって家族として思っていることも知っている。
 もちろん、オービットがあんなこと教えたんじゃないだろうっていうのもわかるんだけど、だったらスピカは誰に教わったというのだろうか。


(ほんと、エッチな女の子になっちゃったよ……スピカ)


 いや、エッチな女の子にしたのは俺かもしれない。俺しかいない。俺じゃないといけないけど。
 ことの発端というか、今回の一連の騒動は、二日前の夜。いつも通り侯爵邸でスピカと幸せな夜を過ごしていた時、ふろ上がりに帰ってくるとスピカがそわそわとした様子でバスローブ姿で待っていた。いつになっても慣れないな、その初心さがかわいいと思って近づこうとすれば、スピカがバッと俺に抱き着いてきた。もうそれだけで、心臓が跳ね上がってかわいすぎて抱きしめたくなったけれど、宙で止まった手は抱きしめ返すことができなくて、これがヘタレだって言われる理由なんだろうけど……

 そこからがまずかった。記憶があいまいで鮮明だ。
 抱きしめられたかと思えば、スピカが紅潮した顔で俺を見上げて、そのうるんだ瞳をみて今夜は抱きつぶすと決めたのに、彼女は離れてしまったのだ。怖がらせたかな? と思って名前を呼ぼうと思えば、スピカが隠していたスケスケのランジェリーを俺に見せて「ユーデクス様、今夜は私がユーデクス様をよくしますから!」なんて叫んだので、俺はそこで真っ赤になって……
 逃げてどこまで行ったとか覚えていない。気づいたら朝だった。ただ、スピカを抱いていないことだけは覚えている。
 まあようするに、予想外のスピカの夜のお誘いにびっくりして、恥ずかしくなって、かわいすぎて、エッチすぎて逃げてきてしまったという話なのだ。
 本当に情けない話なのだが。


「逃走とかマジで笑うな、お前」
「笑わないでくれるかな。本当に真剣なんだけど」
「かわいそすぎるだろ、スピカ嬢が。で、謝ったのか?」


 レオの質問に対して俺は顔を上げられなかった。逃げるように侯爵邸を去った後一目散に皇宮に戻れば、怒ったオービットと出くわして、胸ぐらをつかまれ、レオがそれを仲裁してくれて今日……なのだが、話をしたらレオは大爆笑して、一応相談に乗ってもらっているというていなのだがあまり心は晴れなかった。
 早く謝らなければという思いと、どうあやまればいいのかわからないという困惑に俺はスピカのことを考えるが、あの夜のことを思い出して邪念と恥ずかしさでいっぱいになる。でも、きっと恥ずかしいのはスピカだろう。泣きたいのも、恥ずかしいのも。


(だって、勇気出して俺を誘ってくれたんだもんね。なのに俺はそれにこたえられずに逃げてきて……最低だよ)


 こんなことなかった。スピカが好きで、好きで仕方なくて、抱きしめてそのまま絞め殺してしまうんじゃないかって恐れていて、腫物を扱うように抱いていたけれど、途中から理性が飛んで激しくしてしまって。そんなことを繰り返している。もうやめないとと思うのに、スピカが大丈夫だって求めてくれるから、俺はそのやさしさに甘えて。


「まあ、早いうちに謝ったほうがいいね。今回のことで嫌われていないといいけど」


 レオはそういって、自分は婚約者のもとに行くからと言って部屋を出て行ってしまった。残された俺はどうするべきか考え、とりあえず頭を下げに侯爵邸に向かおうと立ち上がる。ただ、本当になんて謝ればいいかわからない。もう抱かせません、なんて言われたら。それでもいいけれど、それだけが、愛のカタチじゃないことを俺はきちんとわかっているつもりだ。





「スピカ」
「ゆ、ユーデクス様」


 俺を見た途端視線を漂わせるスピカを見て、やっぱり許してもらえないかと不安になる。
 馬を飛ばしてきて、オービットに来るなら来るといえ、と怒られたが、部屋でスピカが待っているとだけ伝えられ、俺は一目散にスピカの部屋に向かった。なんだかんだ言ってオービットも俺にやさしいから、その周りの人のやさしさに感謝しつつ、俺はスピカの部屋に入った。
 そして、今に至るわけだが、スピカは俺と視線を合わせようとしてくれなかった。


「……」
「……」


 かっこ悪い。許してもらえないかもしれない。そんな思いがあって言い出せないのなら腰抜けだと、俺は奮い立たせる。
 好きな子に、そんな顔をさせたいわけじゃなかったからだ。


「スピカ、本当にごめん!」
「ごめんなさい、ユーデクス様!」
「え?」
「えぇ?」


 声が重なり、互いに顔を上げる。スピカがなぜ謝ったのかわからず、俺が困惑気味に彼女を見れば、泣きそうな顔で俺に抱き着いてきた。


「スピカ?」
「うっ、うぅ……嫌われたかと思いました」
「嫌われ……? え、なんで?」
「だって、だって、私が、あんなこと、あんなエッチなの、やっぱり、お淑やかなほうがいいですよね。破廉恥でしたよね」
「待って、スピカ、違う。落ち着いて。俺、俺が……」


 スピカが泣いている理由がわかり、彼女も彼女で誤解していたのだと、抱きしめて背中をさする。どうやら、俺が出て行ったのは、自分に愛想をつかせて出て行ったと思っているらしい。レオが早く謝ったほうがいいと言ってくれたおかげで、彼女の誤解もとけそうだった。不本意だし、最低だとは思ったけれど。
 スピカの肩をやさしくつかんで、目を合わせれば、腫れぼったい目で俺を見つめてきた。今すぐ抱きたい、もう一度抱きしめて、その涙をなめとって、大丈夫、どんな君も好きだからって言いたい。でも、それは性急だし、俺の思いをぶつけるだけの最低な行為だ。
 泣いた顔もかわいいけれど、でもスピカには――


「違うよ。俺が悪かったんだ。俺が、君に誤解させた。ううん、俺が意気地なしで、ヘタレだからだ」
「へ、え?」
「……本当はうれしかった。スピカから誘ってくれたこと。でも、その、スピカがエッチすぎて、かわいすぎて……俺どうしたらいいかわからなくて、逃げちゃって。それで、スピカに誤解させたんだよね。俺は嫌いになってないよ。最高にエッチで魅力的な誘い方だったよ!」


 フォローを入れる必要はなかったかもしれない。いや、これを言ったことで、自分があの日何を思っていたのか暴露することになり、言った後で恥ずかしくなってきた。でも、俺真っ赤になる前に、彼女の顔が赤くなりひぇっ、とかわいらしい声を漏らす。


「そ、そんな。では、私を嫌いになったとかでは……」
「あるわけないじゃん。あんな風に誘ってくれたのに、勇気出して誘ってくれたのに、俺最低だよね。それにこたえられなかった」
「い、いえ。その、その……えっと、ユーデクス様」
「何?」
「いいえ、何でもないです。そ、そうだったんですね……」


 よかった、と小さな声でつぶやいたその声を俺は聞き逃さなかった。
 ああ、本当に最高で愛おしい。
 俺は、感極まってスピカを抱きしめて、唇を避けながらキスの雨を降らせる。スピカはされるがまま俺のキスを受け入れて、耳まで真っ赤にしていた。
 ああ、かわいい。食べたいくらいかわいい。
 そんな気持ちを抑えながら、すてきだよ、と言って、彼女に微笑む。リンゴのような真っ赤な彼女はこくりとうなずいて、おずっと俺を見上げる。


「あの日のやり直し……って、してくれたりする?」
「あの日のって? え、嫌です。もう、恥ずかしすぎてできません」
「ダメ?」
「ダメです。第一、ユーデクス様が逃げたのが悪いんじゃないですか」
「うっ……そうだけど」
「でも、こうして謝りに来てくれて、誤解を解いてくれたのはうれしかったので……」


 と、スピカは言うと、俺の唇にちゅっと優しくキスをする。
 俺はそれだけでも体の体温が一気に上がって沸騰してしまう。確かに、レオの言う通りスピカは破壊力がある。油断ならない。


「ちょっとだけなら、いいですよ」
「スピカ!」
「もう、ユーデクス様は、ほんとうに……でも、それを含めて、あなたのすべてが好きです」


 スピカは俺の背中に手を回して、そっと俺の胸に寄りかかる。こんなかわいい婚約者の誘いに逃げた自分はバカで、一生恥じて生きていくべきだけど、それを許してくれる彼女に寄り添って罪を許してもらうのもいいな、なんて思いながら、俺は彼女の名前を呼ぶ。愛おしい、かわいい、俺だけの大切な人の名前を。


「スピカ。愛してる。ありがとう」


 はにかんだ彼女の顔は、今この瞬間、俺だけに向けられた最高の笑顔だった。


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