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第4章
09 夢から覚めて、現実で
しおりを挟む「……血の、におい」
生臭い匂いで目を覚ます。
ぼやける視界がゆっくりとピントを合わすように焦点があっていけば、そこは暗い雷雨が轟く侯爵家の廊下だった。以前、悪夢で見たものと同じ――そんな光景が広がっており、少しの震えと恐怖がよみがえったが、ここは私の夢の中ではなく、ユーデクス様の夢の中なんだと、気づき気を持ち直す。
何故、彼も私が見た悪夢のようなものを見ているのか。それはさっぱり理解できなかったが、分かることと言えば、私しか、彼をこの悪夢から覚まさせることが出来ないということ。
「ユーデクス様、どこに……っ」
ヒュンッ――と、何かが高速で私の横を通り抜け、そして、壁に突き刺さる。はらりと髪の毛が切れ、頬にもシュッと痛みと傷ができる。飛んできたそれは、ユーデクス様が扱う英雄の剣ソヴァールだった。ソヴァールは、黒く光を失っており、その剣は血で濡れていた。
「スピカ?」
「ユーデクス様……っ、あ……」
彼の純白の騎士服は血で濡れており、返り血なのだろうが、彼の頬も黄金色の髪さえも血で真っ赤に染まっていた。そして、気づけば、その足元に、私の死体のようなものが転がっており、思わずうっと吐き気がこみあげてくる。
(何で、私を殺している夢を、ユーデクス様がみているんですか?)
「ユーデクス様!」
「スピカ、何で、スピカが二人……? ああ、そうか。そう」
と、うわ言のように彼はつぶやくと、血だまりを進み、こちらへフラフラと歩いてきた。
ユーデクス様も怖かっただろうと、抱きしめて大丈夫だよと言ってあげようと私からも駆け寄ったのだが、彼はふらふらと近づいてきたと思ったら、私をそのまま床に押し倒した。一瞬何が起こったのか理解できなかったが、彼に押し倒されたのだと、鈍い痛みとともに、理解する。
ユーデクス様の顔色は暗くてみずらかったが、息遣いもとても荒かった。私がまだ生きているかどうか確かめるように、ユーデクス様は私の頬や首筋に指を滑らせて、血や傷跡を確かめていた。
「ユーデクス様? ユーデクス様!」
呼びかけに対しても、応じず、彼は何かを探るような、手つきで私の身体に触れ、そして、首筋に唇を這わせたかと思うと、がぶりっ―――と歯を立てたのだ。
「いっ……!」
「ああ、ごめん。スピカ。スピカ……ごめん」
そう、ようやく言葉を発したユーデクス様だったが、彼は私を見ているようで、見ていない。そんな目をしているように見えた。痛みで涙がにじむけれど、彼から目をそらしてはダメだと、私はユーデクス様を見つめる。けれど、彼の美しい群青色の瞳には赤黒い執着や殺意といったようなものが見え、濁っていた。
「……っ、ぁ、う、ぅう……」
「ごめん、スピカ。スピカ」
「ゆー……でくす、さま」
彼は、傷口に手を当て、そして両手で私の首を絞め始めた。力を籠め、殺そうとするように。
気管支が圧迫され、一瞬苦しさが戻ってくる。空気の通り道を塞がれたのだから、苦しいのは当然だったが、それだけじゃない気がしたのだ。
ユーデクス様の両手首に自分の両手を添える。そして、彼の目を見ながら「大丈夫ですよ」と私は言った。すると彼は少し手の力を緩めたが、それでも首を絞めるのを止めない。
これじゃあ、どっちが悪夢を見ているのか分からなかった。
でも、ユーデクス様がこんな夢を見ているということは、彼が恐れているのは『私を自らの手で殺してしまうこと』なのだろう。
深層心理、彼が私を殺したいと思っているのは事実かもしれない。でも、殺したくなくて、でも衝動にあらがえなくて、私の首を絞めて。もしかしたら、私がここに来た時にはすでに、何人もの私をっ殺してしまって、そのせいで精神が崩壊しかけているのかもしれないと。
殺したりない――そんな感情も見え隠れしている。
けれど彼の顔は、恍惚としたものでも、楽しんでいるものでもなく、ただただ辛い、苦しい、といった感情が見えて、彼が望んでこのような行為をしているわけではないのだと察する。
だって、彼は優しい人だから。
「……じょうぶ、です。だいじょうぶ、ですよ……ユーデクス様」
「スピカ。そんなこと言わないで。俺を許さないで。俺は、俺は君を殺したくて、自分だけのものにしたくて。壊したい。自分の手で、スピカを……でも、こんなの、違う、いやだ、俺は、俺は」
と、声が聞こえていないように、涙を流しながら私の首を絞める。
悪夢の中で死んだらどうなるのだろうか。私の魔法は他者の夢の中に入るもなのかもしれない。ということは、私の意識や魂が人の中に入っているという状態になる。そんな状態で、私が殺されたら……
声が出せなくなる。でも、言わないと、いいって、言わないとユーデクス様はきっと辛いままだ。私が、本物の私だって認識できないまま……そして、悪夢から戻れたとして、私が死んでいたらきっとユーデクス様は。
「ゆー……でくす、さま。わたしは……」
「スピカ、ごめん」
「だいじょうぶ……わたしは、ね……」
貴方に何度も殺された。でも、嫌いになれなかった。苦しくて、辛くて、痛くて、痛くて、痛くて。でも、嫌いになれなかったのだ。
別に、殺されたいわけじゃないけれど、それでも、心の中で思ってしまったのだ。
「……ユーデクス様、わたし、貴方になら、ころされてもいい……好きだから。貴方のこと、貴方になら殺されてもいいって、おもえる、ほど、好きだから」
「……スピカ?」
私が、そう言い終えると、彼はパッとようやく手を離した。
そして、力が抜けるように、膝をつき、床に手をつけば、ポタリ、ポタリと、先ほどよりも大粒の涙を流した。
「俺は、何を……」
「げほ、ごほ……大丈夫です。大丈夫だから、責めないで」
私は、酸素を吸い込みながら、今にも壊れてしまいそうなユーデクス様をやっと正面から抱きしめることが出来た。彼は、ビクンと大きく体を揺らしたが、それでも私を突き飛ばすような真似はしなかった。
「ユーデクス様、私はここにいますよ」
「スピカ……俺は……」
「大丈夫です。私がいますから」
と、私は彼の背中を優しくさすり、彼もまた私の背中に手を回し抱き着いてきた。そして、彼は嗚咽をもらしながら泣き始めたのだ。
「……っ、ごめん。俺、なんてことを」
「大丈夫、大丈夫ですよ」
「俺は、スピカを……傷つけた」
「傷ついていません。私が、望んだんですから」
「いや、違う。スピカ。スピカ……死にたく、ないって、殺さないでって、俺に前、言ったじゃないか」
「そう、でしたね。でも、気づいたんです。気持ち悪いって思われるかもしれないんですけど、私……ユーデクス様になら殺されてもいいって本気で思ってます。貴方意外に触れられたくないし、貴方意外のことが原因で死にたくない。死ぬときは、貴方と一緒で、貴方に殺されたいって」
「……」
気持ち悪いかな、重いかな。
そう自分でも思いながらも、それを伝えないと、彼が壊れてしまいそうな気がした。もちろんそれが嘘かと言われたら、嘘じゃない。本気で思ってしまった。じゃなかったら、きっと私の精神はとっくに崩壊して、ユーデクス様恐怖症になっていただろう。悪夢とわかりながらも、夢の中でもユーデクス様に会えることは嬉しかった。彼の瞳に自分がうつることを、何よりも幸福だと思っていた。
私も、だいぶん狂っていたのだ。好きな人に、愛しの人に――
ユーデクス様は、懺悔するように私を抱きしめ返し、「こんな俺でも」と言いかけたところで、私は彼の両頬を挟むように叩いた。
「いくら、ユーデクス様でもそんなこと言ったら怒ります!」
「え、え、スピカ、いきなり、どうして……夢?」
「夢じゃありません! さっきからもう……私は、貴方の夢の中に入ってきた本物のスピカです。それと、続きになりますけれど、いくらユーデクス様であっても、自分を卑下するようなこと、言わないでください。こんなって、こんなにもです。ユーデクス様は大胆で、たまにやることがぶっ飛んでいて、力強くて、私のことになったら周りが見えなくなっちゃって、レオ殿下にも怒られるし、お兄様の堪忍袋の緒を切っちゃいそうになるし……でも、私のこと好きで、私からアクション起こしたら、タジタジってなってしまう、可愛くて、可愛くて、どうしようもなくかっこいい人なんです!そんな、私の大好きな人を、愛している人を、卑下しないでください。貴方は、素敵なんですから!」
そこで、息が切れた。
言いたいこともっとあった。どういうところが好きって。もっとある。笑うと眉が下がるところとか、コーヒーは飲めるけどちょっと猫舌なところとか、後頭部の寝癖は直っていないところとか。全部含めて愛おしかった。
だから、ユーデクス様が、こんな俺でいいの? というのは、嫌だった。全部ひっくるめて、ユーデクス様で、そんなユーデクス様が私は誰よりも好きなのだから。
ユーデクス様は少し困ったような表情をした後、ごめん、ではなく、ありがとう、と口にして、私を抱きしめ返した。
「ほんとだ、温かい。本物のスピカだ」
「わ、私のこと、何で判断しているんですか!?」
「俺の勘……でも、温かいし、良い匂いするし。俺の予想を超えてくる可愛さと強さ、大胆さを持ってるのが本物のスピカだ。ありがとう」
「そ、それは褒められているでしょうか……」
「うん、全力で褒めてる。ありがとう、スピカ。君は、ずっと俺の中で愛おしい最高のお姫さまだよ」
「……っ、ゆ、ユーデクス様だって! ……とりあえず戻りましょう。現実に。話はそれからです」
キスをしたそうな顔を向けてきたため、このまま夢の中で……と少し思ってしまった。でも、夢から覚めて、できるのであれば、現実で、と私は彼に覚醒を促した。
ユーデクス様はにこりと笑うと右手を上げる。すると、先ほど壁に刺さったソヴァールが回転をかけ彼の手の中に戻ってきた。柄をしっかりとつかみ、彼は、ソヴァールを一振りする。
「そうだね、夢から覚めて、現実で……もう一度、スピカを抱きしめたい。また好きって言わせて」
と、彼は白く輝く刀身を振りかざし、真っ暗な悪夢を薙ぎ払うようにして切り付けた。
刹那、空間が割れるように、ぱらぱらと光の粒子となり消えると、いつの間にか自室へと戻ってき、目の前には驚いたヴェリタ様がいた。
再度、ユーデクス様は剣を構え直し、その剣先をヴェリタ様に向けると、自信にあふれた表情で私の腰を抱き、ヴェリタ様に向かっていった。
「あの時の借り、ここで返すよ。ヴェリタ・シュトラール」
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