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第4章
05 魔性の女
しおりを挟む「あらあら、スピカちゃん。寝不足?」
「あ……はい。お恥ずかしいながら」
次の日、お兄様とユーデクス様が皇宮の方に行っていることをいいことに、私は以前ヴェリタ様からもらった加工された魔法石を使ってシュトラール公爵家に転移した。こんなやり方は間違っているし、一歩間違えたら不法侵入だと思われるし……何より気づかれたら……
(でも、放っておけないんですよ。ヴェリタ様を)
誰もが羨む美貌に、淑女のかがみであり、そして誰よりも魔法にたけてらっしゃる強いヴェリタ様。でも、時々見せる愁いを帯びた儚い表情を見ていると、守ってあげたくなるというか、庇護欲にかられるというか。
しかし、そんなヴェリタ様を守れるほどの体力が今日はなかった。
(何で、あんな悪夢……)
今まで見たことがない悪夢だった。
私が、ユーデクス様を殺害しようとした罪に問われて、さらには皇太子殿下の殺害を企てていたと反逆罪で捕まってしまって。それから、誰も味方がいなくなって、大勢の人の前で処刑される夢。処刑されるその瞬間、殿下も、お兄様も、ユーデクス様も私に罵声を浴びせ、早く死ねと冷たい殺意のこもった言葉を浴びせてきた。鳴り響く群衆の声。私に居場所なんてないんだという絶望に、恐怖。今までは、ユーデクス様一人に殺される夢だったのに。まるでみんなから殺されるような、市を望まれるような夢を見てしまった。
「う……」
「大丈夫? スピカちゃん。無理しないで」
「ありがとうございます。ヴェリタ様。でも、ヴェリタ様だって、お辛いでしょ……」
「私?」
ほほに片手を当てて首をかしげるその様子は、愛らしくて、あざとくて。いつも以上に、ヴェリタ様が好き! という気持ちが抑えられない。
「ああ、本物の公女様が帰ってきたっていう話かしら」
「はい。ヴェリタ様が追い出されるんじゃって思ったら、いてもたってもいられなくて。だって、殿下は、ヴェリタ様の事……」
「もともと、政略結婚のようなものだったから気にしていないわ。彼からの愛も。地位も、何もかも。私は欲しいと思ったこと一度もないわ。もっと欲しいものは別にあるの」
「ヴェリタ様が欲しても手に入らないものなんてあるんですか?」
意外だった。
悪夢のせいで寝不足ではあるけれど、彼女の話には引力があるというか、とても気になるもので、ヴェリタ様自身、そこまで傷ついていないのはいいことだとは思った。心配していたけれど、ヴェリタ様も分かっていたと。私は鈍感だから、気づかなかっただけで、ヴェリタ様は前からうすうす……
「ええ。あるわよ。といっても、時間をかければ手に入るかもしれないものなのだけどね」
「そうなんですか……それで、ヴェリタ様はどうなるんですか……?」
「さあね。今は様子見ってところかしら。ただ、殿下の婚約者からは外れるというか、元の主に席を譲るという形になるでしょうね」
「……」
「ああ、そんな顔しないでスピカちゃん。可愛くていじめたくなっちゃうわ」
「い、いじめたく!?」
フフフと、笑うヴェリタ様の顔は妖美で美しかった。けれど、次に見開かれた目を見たとき、族ッと嫌なものが背中に走るのを感じた。
(え、何、今の……気のせい?)
今まで感じたことのない悪寒というか、恐怖感。ヴェリタ様の瞳は素敵で、いつも見ていたいと思うのに、その目がなんだか怖かった。自分の中身を見透かされているような気分なり、一気にふわふわとしていた頭が現実に戻されるような。身体が危険信号を送っているようなそんな感覚。
にこりと、ヴェリタ様が笑ったので、さっきのは勘違いだったのだと。寝不足のせいなのだと思うことにして、私は深く腰掛け直した。
「そうだわ。スピカちゃんは、ユーデクス様と上手くいっているのかしら?」
「え、ええっと。上手く、いっていると思います。多分」
「そう、よかった。でも、スパイスがないと、そうね……飽きられちゃうかもしれないわね」
「えっと、それはどういう?」
「恋にはスパイスが必要なの。例えば、悪役? とか。貴方たちの恋を盛り上げるための、出来事が必要よね」
と、ヴェリタ様はまるで、チェスをしているような、戦略を立てているその楽しさを感じているような恍惚とした笑みで私を見てきた。
ヴェリタ様は、私とユーデクス様の恋を応援してくれているということなのだろうか。
けれど、そんなふうには見えない。どちらかというと――
「だ、大丈夫です。私たち上手くいっているので! ヴェリタ様の心配には及びません」
「でも、ユーデクス様は満足していないんじゃないの?」
「ユーデクス様が?」
何で、ヴェリタ様がそんなこと分かるのだろうか。恋人は、婚約者は私だっていうのに。こっちもまるで、見透かしているような……
(ユーデクス様が満足していないのは、なんとなくわかってる。でも、今はそれどころじゃなくって……)
彼が、抑えてくれているのは分かっている。酷くしたい気持ちと、優しくしたい気持ちがせめぎ合っているんだって、彼はずっと苦しんでいた。好きだって言ってくれるその裏に潜む加虐心や、執着心。それらが私を傷つけるから、絶対に出したくないって、そう……
「……かもしれませんけど。でも、ユーデクス様が、自分で決めたことなんです。私は何も言えません」
「スピカちゃん、ダメよそれじゃ。すべて受け入れてこそ、婚約者でしょ?」
「……あの、さっきからヴェリタ様何を言っているんですか?」
雲行きが怪しい。そういえば、何でヴェリタ様は初めから温室にいたのだろうか。いや、それよりも、温室の周りを囲むように護衛がたっていたし、まるで監視されているような気もした。私が来た時も、ぎょっと目を向いていたし、来なければいいのに、みたいな顔もされた。これは一体どういうことなのだろうかと。
「気になるのね。外の護衛が」
「ヴェリタ様……」
「私が、本物の公女様に手を出さないかって見張られているの。今は、外にも出られなくて敷地は広いけれど、公爵家に軟禁状態ね」
「ヴェリタ様は、そんなこと、絶対しません」
「でも、私には力があるわ。魔法っていう力がね」
そう言ってヴェリタ様は握っていた手のひらを開き、その内側から色とりどりの蝶が飛び出した。鱗粉をまき散らして、私の目の前を飛んでいく。
「げほ、ごほ……」
「あらごめんなさい。スピカちゃんの鼻の頭に鱗粉が。ああ、頭にも」
と、ヴェリタ様は立ち上がって、私の頭や鼻から蝶の鱗粉を落としてくれた。今のは、確かに魔法だった。私たちの周りを解き放たれた魔法の蝶がひらひらと飛んでいる。優美に、なまめかしく。少し目にいたいきつい色をしていたため、私は視界に入れまいと目線を下げる。
「すごいです。ヴェリタ様の魔法はいつも」
「ええ。だから、いろいろと試したくなっちゃうのよね。魔法で……スピカちゃん。私があげたキャンディー。今日はいくつ食べたの?」
「え、えっと。三つ食べました。美味しいんですけど、虫歯にならないか心配で」
「大丈夫よ。そうね、三つ。あといくつ残っている? 持って帰るわよね」
「……」
ね? と言ってくるヴェリタ様はいつもと違う人のように見えた。
頭は寝不足で冴えていないというのに、同じ単語がグルグルと回りだし、そして一本の糸がつながったように、単語をつなぎ合わせた。
(キャンディー、ヴェリタ様の魔法……悪夢……)
そこまで考えて、私はガタンと椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「フフフ、どうしたの。スピカちゃん、そんな怯えた顔をしちゃって。かわいそうで、可愛いわ」
「……ヴェリタ様」
「なあに、スピカちゃん」
フフフ、フフフフフと、ヴェリタ様は口を歪ませて私に恐ろしい魔性の笑みを向けてきた。
間違いないと、本能が叫ぶ。なんで今まで気づかなかったのだろうかと、自分の愚鈍さに嫌気がさす。そして、殿下や、お兄様……ユーデクス様が忠告してくださった意味が今わかってしまい、どれだけ愚かなことをしてしまったのかと悔いた。
ヴェリタ様は笑うだけで、私に手を出してきたりはしなかった。けれど、彼女がその気になれば、私なんてこの場で殺されてしまうだろう。護衛たちが来る前に。私は自分を守れる力がないのだから。
「ご、ごめんなさい、急用を思い出してしまって。今日は、この辺で。きゃ、キャンディーはいりません。まだいっぱいあるので!」
サッとヴェリタ様から距離をとり、明らかに慌てているのがバレるような言い訳をして頭を下げる。ヴェリタ様はそれを見て、愉しげに微笑んでいるだけだった。
「ええ、またいらっしゃい。近いうちに、また会えるわ。スピカちゃん」
「……っ、で、では。急に押しかけてしまってすみませんでした」
私は逃げるようにその場を去る。後ろからぐさりと刺されるのではないかという恐怖を胸に抱いていたが、ヴェリタ様は何もしてこなかった。
いや、しても面白くないと思ったのだきっと。
(信じてたのに……でも、信じるべきは、ユーデクス様だった)
もしかしたら、それも魔法だったのかもしれない。魅惑の魔法……以前、ヴェリタ様がそのような魔法があると教えてくれた。それを知っていたのは、自分が使えるからだったのだろう。
(早く、早く帰らなきゃ……)
謝罪か、それとも悪夢の原因が分かったからか。どちらにせよ、これは伝えなければならないと、私は温室から飛び出し、魔法石に向かって転移魔法の詠唱を唱えた。
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