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第3章

08 好きなんです

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「……すぴ、か」
「ユーデクス様」
「無理して、言ってる? 俺のために?」
「え、そんなこと、そんなわけないじゃないですか!」


 嬉しそうだった顔も一変して、ちょっと困ったように眉を曲げて彼は私の手に触れた。黒い手袋の下にはごつごつとした剣だこがあって、男の人の手が触れていると強く訴えてくる。好きな人の手が私に触れている。でも、触れるのをためらって、それから触れた……みたいなのが見て取れて辛かった。


(ああ、私がずっと避け続けたせいですよね……)


 私の言葉をそのまま受け取ってもらえないのは、私がこれまでユーデクス様を避けてきたせいだ。だから、彼はこれがお世辞に聞こえてしまっているのだろう。私は本気なのに。でも、そう見えてしまうってことが問題で、伝わっていないのだ。
 彼のそんな顔が見たいわけじゃない。きっと、彼も本気で私の言葉を待っているんだ。


「……ユーデクス様、嘘じゃないです」
「本当?」
「本当です。じゃなきゃ言いません……それに、ユーデクス様だけにしか言いません。信じて、ください」
「スピカ……泣かないで」


 肩を抱き寄せられ、ユーデクス様の手が頭にポンと当てられ、私は彼の胸を濡らした。自分が泣いていることに気づいたのは彼に抱きしめられて少ししてからだった。


(え、今、私泣いて……?)


 不安そうにユーデクス様はきゅっと目をつむっている。自分が泣かせたんだと罪悪感に駆られているような表情に、違うのと言いたいのに涙が止まってくれず、このまま言っても信じてもらえないだろうなと思って、私は彼の胸を借りることにした。本当にみっともなくて、情けなくって、わがままも言って。ずっと好きでいてくれているのに、私がこんなので幻滅しないかなとひどく心配になる。そんな心配よりも、自分のせいで泣かせたかもしれないと思っているユーデクス様の誤解だけはどうにか解こうと思った。


「ごめん、ごめんね。スピカ」
「違うんです。ユーデクス様。私、本当に、ユーデクス様が、好きで」
「え?」


 声を発したのと同じタイミングで彼は顔を上げると、私の肩を掴んだ。
 ひどく腫れているぐちゃぐちゃの顔を真正面から見られてしまい、羞恥心からか、それとも絶望からか顔が赤くなり、青くなる。


「見ないでください。こんな顔、可愛くないです……う、ひぐっ」
「ううん。すっごく可愛いよ。かわいそうで、可愛い……俺が泣かせて……ううん、じゃなくて。ごめん、じゃなくてね、スピカ」
「ふぇ?」


 ユーデクス様の群青の瞳には、期待と熱が込められていて、ちょっと渦が巻いているようにも見えた。彼の耳も真っ赤に染まって、ドッドッと肩に置かれた手の脈が物凄い速さで脈打っている気がした。そして、ぎゅっと肩を掴まれれば、痛みが走る。
 いつもなら気づいてくれる私の変化にも気づけないほど、ユーデクス様も混乱と期待を抱いて私を見ているようだった。どこか嬉しそうで、それでいて、可愛くて……まだ涙は止まらないのにきゅぅんと胸が締め付けられる。


「スピカ、今俺の事好きって言った?」
「好き……?」
「うん。『ユーデクス様が、好きで』って。言ったよね?」
「え、あ……」
「スピカ答えて」


と、必死に彼は私に顔を近づけて聞いてきた。返答次第では……みたいな脅迫も見て取れたが、それ以上に、彼がおでこを擦りつけて本当に唇がすれすれのところで喋るので、一歩動いたらキスしてしまいそうで怖かった。こんな状況で、事故チューなんてしたくない。

 馬鹿な妄想と、理想を胸に私はきゅっと目をつむる。


(私、好きって言っちゃったんですよね……)


 記憶がない。ほんの数秒前の事なのに。胸がいっぱいで、ユーデクス様のことしか考えられなくて。でも、伝えなきゃって思っていたから、きっと私は口にしてしまったのだろう。長年の思いを、好きなんていう一言で。


「すぴ――」
「好きです」
「……っ」
「好き、なんです……だから、嘘じゃなくて。私、ずっと、ユーデクス様が好きで、でも、いうの、恥ずかしくって……でも、でも、今日、ヴェリタ様とユーデクス様が一緒に戦っている姿を見て、私なんかが隣にいちゃだめだろうなって思っちゃって。でも、ヴェリタ様、は、レオ殿下の婚約者で……けど、でも、私……っ」


 私の言葉を遮るように、彼はあと数センチの距離を一気に縮め自らの唇を私に押し当てた。ふにっとしたでも薄い唇が私の唇に触れ、次の瞬間には後頭部を掴まれ舐められた。ぎゅっと閉じた唇の割れ目をなぞって、開けろと言わんばかりにつっついてくるので、思わず開けてしまえば、その隙を待っていたように彼の舌は私の口の中へと侵入した。


「ゆーで……ぅ、っ、ぅんんっ」
「はあ……っ、スピカ、っ」
「まぁっ……んん!」


 あまりに性急で、それでいて熱くて分厚い舌が口内を蹂躙する。逃げようと思っても舌がからめとられ、逃げるなと合わせろと言わんばかりに彼の舌は私の舌を舐めあげる。初めての感覚に翻弄されつつも、どう息をすればいいか分からず、彼の舌に合わせていれば、さすがに苦しくなって彼の胸板を叩く。しかし、後頭部を抑えられているためか、抵抗という抵抗もできず、ようやく鼻で息をするとわかったころには酸欠で、頭がくらくらっとして、今自分が何をされているかすら分からなくなった。


「…………はあ、スピカ」
「……ユーデクス、様、いま、なにを……」


 プツンと私たちをつなぐ銀の糸が切れて、彼はようやく私から離れてくれた。それでも、膝の上に置いた手は片手で拘束されていて、逃げるなよ? と無言の圧をかけられている感じだった。
 ぽけぇとまだ頭がぼやけていて、頬も熱くて、頬だけじゃなくて体中が熱かった。


「スピカ、俺の事好き?」
「え、え、あの……っ」
「好きって言ってくれたんだよね。だから、嬉しくって……ああ、ごめん。俺、また」
「いえ、その」
「つい嬉しくってキスしちゃった」
「~~~~っ!?」


 へへっ、とにやけが止まらないとユーデクス様は口元に手を当てながら笑った。その仕草はあまりにも愛らしくて、あざとくて、さっきよりも苦しいほどの愛おしさが胸を襲う。


(そ、そんな顔されたら、愛おしくて爆発してしまします!)


 これが、ユーデクス様の言っていた爆発か……なんて酸素のまわっていない頭がいえば、ユーデクス様は改まったように私を見た。


「スピカ泣き止んだ?」
「は、はい……あ、その……」
「話の続き聞かせてくれない?」
「うっ、あの、えっと、その……ユーデクス様」
「何?」
「じゅ、順番間違ってたと思います」
「……」
「今の、ファ、ファー……私のファーストキスで」


 私の一言で、場が静まり返った。私たちしかいないはずなのに、それまで燃えていた薪の音も聞こえなくなって、あたりが真っ暗になったわけじゃないけれど、私たちの間に静寂が訪れる。
 冷静になって考えてみれば、おかしいのだ。いや、おかしくないかもしれないし、嬉しかったし、でも、初めてのキスで!


(わ、私たちき、き、キスしちゃったんですよ!?)


 思い返せばボンと顔が熱くなる。初めてだったのに、とってもとっても深い大人のキスをしてしまった気がするのだ。気がするじゃなくて、夢じゃなくて本当で!
 ちらりとユーデクス様を見れば、まんざらでもない顔をしていたが、私と目があえば、またへにゃっとしたように笑って頬をかいていた。
 さっきまで、理想のキスがーとか思っていたが、それも吹き飛んでしまうくらいにはもうすべてが終わった後だった気がする。
 私は、ようやく落ち着いた頭を回転させ、起こったことをすべてとりあえず飲み込んでから、息を吸ってはいて……再びユーデクス様と向き合った。


「ユーデクス様」
「何? スピカ」


(もう、ほんとめちゃくちゃいい笑顔ですね! 人の気も知らないで!)


 まるで、これから何を言われるか分かっているような表情だった。もし、その待っている言葉じゃなかった場合どうするつもりだろうか。


(こ、殺す……とか? いや、悪夢のユーデクス様じゃないんですから)


「……わ、私はユーデクス様のことが好きです」
「うん」
「ずっと避けていてごめんなさい。婚約を断り続けてごめんなさい。いろいろと理由はあったんですけど、思えばちっぽけで。自分はダメな子だって、隣に立つ資格も、まして、求婚を受ける資格もないって思っていたんです……ただ、私に自信がなかっただけ。待ってもらっていても、その自信はきっとつきませんでした」
「……そんなことないよ」
「でも、気づいたんです。自信がなくったって、好きなんだから堂々としていればいいって。いまだって自信ないです。けど、ユーデクス様が好きだから……これ以上、自分の気持ちに蓋をして、貴方に待ってもらうことなんてできないって。答えたいって思ったんです。貴方の気持ちに」
「スピカ……」
「ユーデクス様。好きです。貴方が大好きです。ずっと、ずっと前から、子供の時から」


 初めて言えた。
 噛んでしまったんじゃないかとか、失礼だったんじゃないかとか言ってからいろいろ思ったけれど、素直に今の気持ちを伝えられた気がするのだ。
 顔を上げるのが怖かったけれど、向き合うって決めたんだから……そっと顔を上げれば、世界一幸せそうな大好きな人の顔がそこにあった。


「俺も、ずっと前から好きだったよ。スピカのこと。大好き、愛してる」


 そう言って、彼は私を抱きしめると、額に優しいキスを落とした。
 また瞳から流れた涙は、今度は悲しみの涙じゃなくて、喜びの涙なんだって自覚できた。


(ああ、とっても幸せです……ユーデクス様)


 自分がなんでこれまで言わなかったんだろうって思うくらいに、この瞬間のためだけに生きてきたんだと思えるほど、私は胸がいっぱいになって、彼を抱きしめ返した。

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