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第3章

03 可愛い可愛いスピカ

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(――私の可愛いスピカちゃんを……って何ですか!?)


 聞き間違いだろうか。いや、耳のいい私が聞き間違えるはずがない。


(……え、いや、でも、何にも分からないんですけど!?)


 聞き間違いじゃなかった……だとしても、あまりにも意味が分からない言葉に、脳の処理速度は追いついてはくれなかった。


「ヴェ、ヴェリタ様……!?」
「確かに、ユーデクス様は、皆さんの憧れの的よね。それは、もちろん知っているわ。けれど、彼が愛しているのはスピカちゃんなんですから、妬んでも仕方がないでしょう。人の心というのはそう簡単に動かせるものじゃないのよ」


 ヴェリタ様は、私を抱きしめながらも、令嬢たちに向けての言葉は鋭く厳しいものだった。本当に心から怒ってくれていて、ユーデクス様との関係を認めてくれているのは、ヴェリタ様だけなのだと心が温かくなる。でも、なぜこんなふうに守られているのか、抱きしめられているかの謎は深まるばかりだった。
 ピンクドリル令嬢は、またもクッと言い返すこともできないと口を噤むが、すぐに「だったとしても」と接続語を持ってきて話を続ける。ヴェリタ様を前にこれだけ攻めることが出来るのは彼女くらいだろう。私にはそんな度胸などない。でも、それほど、彼女もユーデクス様のことが好きなのだろう。だから、何度も求婚されている私を妬んでいると。私が同じ立場だったら、耐えられないだろうけれど、でも陰口をいったりはしないだろう。


「ユーデクス様のことを好きな人はいっぱいいます。そういう人たちにも、私たちにもチャンスは与えられるべきだと思います。ユーデクス様がかわいそうだし、そもそも、好きなら、求婚を受け入れているはずなのです! 求婚を受け入れていないのが愛していないその証拠です!」


と、彼女はきっぱりといった。

 周りの令嬢たちはさすがに言いすぎなのでは? という空気感になっていたが、だれも止めることはなかった。だって、自分たちもそう思っているから。それを代弁していってくれているのなら自分たちは傍観者でいて、共感者でようという気持ちが見え透けている。
 多勢に無勢……けれど、決してこちらが押されているわけではなかった。だって、こちらにはヴェリタ様という強い味方がいたから。


「……ですって、スピカちゃん。貴方はどう?」
「わ、私ですか?」


 しかし、ヴェリタ様に質問を投げられては、私も答えざるを得なかった。
 私の気持ちを、彼女たちにきかせることで、ことが収まるのではないかとそういう見解だろう。
 彼女たちの言う通り、私は何度も求婚を断ってきた。そして、その話は周りにももう伝わっていると……だからこそ、彼女たちの不満は膨れ上がってきて、こういう場で、私を孤立させようとしてきたのだ。


(ユーデクス様に思いを伝えるのが先だと思っていましたが、ここで練習しておくのもいいかもしれません。本当は、ユーデクス様に先に伝えたかったのですが……)


 もともと、社交の場に積極的に参加するタイプではなかった。だからこそ、こういう場で孤立してしまうのは分かり切っていたことで、そして、自分がみんなの憧れの的であるユーデクス様からの熱烈なアプローチを受けているというだけで、ヘイトが向く存在であることも分かっていた。だからこそ、お兄様や、お母様たちはあまり社交に出なくてもいいと言ってくれていたのかもしれない。結局のところ、私が傷つかないようにと、周りが守ってくれていたのだ。今だって、ヴェリタ様に任せていれば、丸く収まると思ってしまっていた。


「……わ、私は。ユーデクス様のことが好きです」


 何をいうか迷いながらも最初に口から出たのは、彼が好きということ。
 不満のオーラはまた膨れ、広がっていて、皆が苛立ったように私を見る。なら何で、とヤジが飛んできそうなほどだった。


「ユーデクス様からの求婚を受けているということは、皆さん、ご存じでしょう。そして、私が断っていることも。でも、嫌いだから断っているわけじゃないんです」
「ならなぜよ。スピカ・アルビレオ侯爵令嬢! 何度も愛の言葉をささやかれていい気になってるんじゃないの? その言葉を聞きたいがために、わざと断っているとかじゃないでしょうね」
「まさか、そんなこと、私にできるわけがありません……私は、もともと皇太子殿下の婚約者候補として、妃教育を受けていました。けれど、周りのレベルに追いつけずに落ちぶれていって、自分は何もできないんだって自信を無くしていきました……もちろん、殿下が好きで! というよりかは、皇太子殿下の婚約者になることが、貴族社会の中で一番の名誉だといっても過言はなかったので、体裁という意味で……その」


 私がそのことを口にすれば、また空気が変わり、どんよりとした葬式ムードになってしまった。
 彼女たちも、婚約者候補として妃教育を受けたことがあったからだろう。そして、私と同じように選ばれなかったと。そのトラウマや、過去を思い出してみんな俯いてしまった。


「で、ですから。私は自分に自信がなくて。今、ユーデクス様の隣に立っても恥ずかしくない人間になれるようにって努力しているんです。だから、今の私じゃって……釣り合わないっていう言葉はその通りだと思います。今の私では、ダメなんです。だから……でも、好きです。好きだから、頑張りたいんです!」


 実際努力といっても、周りから見たらちっぽけなものかもしれない。
 大きくは悪夢の解明を一人で、と思っていたが、一人の力ではどうしようもないと最近分かってしまった。けれど、これを解明し、悪夢を乗り越えた先に、自分の成長があると私は信じているからこそ、成長した後で、成長した姿なら彼の隣に並べると思っているのだ。だから、断っている。
 嘘がなかったわけじゃないし、織り交ぜながら話した。でも、ユーデクス様が好きという気持ちは、ここにいる誰よりも負けないと思う。
 私が気弱で、何も言い返すことが出来ない令嬢だと思っていた彼女たちは、私が声を張り上げて、ユーデクス様への愛を叫んだことで、一歩引いてこれ以上反論できない降参だ、という意思を顔で伝えてきていた。


「ユーデクス様は誰にも渡しません。私は、彼に釣り合う人間になって、彼の求婚に答えるつもりです。だから、誰にも彼を渡したりなんてしません」
「さすがね、スピカちゃん」


 パチパチパチパチ、と私を抱きしめていたヴェリタ様は称賛の拍手を送ると、よりいっそ私を抱きしめて、頬を摺り寄せてきた。


「ヴェ、ヴェリタ様、で、ですから、何で、抱きしめて!?」
「だって、スピカちゃんが健気で可愛らしいから。みんなにも伝わったと思うわ。貴方が、ユーデクス様を愛していることを。ね、皆? スピカちゃんよりも、ユーデクス様を好きな人はいる?」


と、彼女は助け舟を出すように、皆に問いかけた。みんなは、そこまで……と視線を落として、自分は、といじけてしまう。私の思いを聞いて、自分の思いはそれほどまでのものだった、ただの憧れだったのだと気付いてしまったのだろう。ピンクドリル令嬢も悔しそうに歯を鳴らしていたが、ヴェリタ様に微笑まれれば、蛇に睨まれた蛙のごとく、すとんと椅子に倒れこむように座ってしまった。


「スピカちゃん、かっこよかったわよ」
「い、いえ、私は……その、ヴェリタ様が助けてくださったから」


 ヴェリタ様がいなければ、自分の思いをこうやって誰かに主張することはなかっただろう。そして、自分が自分でも思っている以上に、ユーデクス様を好きなのだと改めて自覚できた。今言った言葉が嘘にならないよう、私は責任もって、悪夢の解明と、ユーデクス様に思いを伝え、隣に立てる人間にならないといけない。これだけ、多くの人の前で言ったのだから、有言実行できなければ今度こそ指を刺されて、社交の場には出れなくなるだろう。


「そうだわ。皆さん。今日もたくさんのキャンディーを持ってきたの。よかったら持って帰って頂戴」


 そして、どんよりとした空気を換えたのもまたヴェリタ様だった。彼女は、使用人を呼び、令嬢たちの前にあの小さな宝箱のようなものを置かせた。中に入っていたのは宝石のようなキャンディーで、わあっ、と感嘆の声を漏らす。


「スピカちゃんも」
「あ、ありがとうございます」


 ヴェリタ様自家製のキャンディーが配られ、皆、宝石を見るように目を輝かせ、そしてもったいないと箱をしめた。私だけはそれをつまんで食べて、その様子をヴェリタ様が微笑ましそうに見つめていた。


「皆さんも食べてくださいね。宝石じゃないんだから、食べてくれると嬉しいわ」
「ヴェリタ様の自家製キャンディーですよ! 食べなきゃ損です!」
「ふふ、スピカちゃんったら」


 思わず、口にしてしまい、あっと口をふさごうと思ったが、ヴェリタ様が今日一番と言えるくらいの笑顔で微笑んでくださったので、私は顔を赤らめながらも、「食べてください」とみんなにいった。周りの令嬢たちは、それなら、と顔を見合わせてキャンディーを口に運ぶ。そして、甘い! と頬を抑えながら幸せそうな顔をしていた。


「ありがとう。スピカちゃん」
「え、いえ。本当に私は何もしていなくて。ヴェリタ様が」
「本当に可愛いわね。スピカちゃんは」
「可愛いなんて、そんな……」


 つんつんと、頬をつつかれ、この人は私をどうしたいんだ、と思いながら、気を紛らわせるために私はもう一つキャンディーをつまんで口に放り投げた。

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