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第3章
01 嫌われてないでしょうか
しおりを挟むあの日以降、ユーデクス様が侯爵家を訪ねてくることはなかった。
「はあ……」
「スピカ、ため息をつくと幸せが逃げるぞ。まあ、気持ちは分からないでもないが」
「お兄様」
悪夢を見た次の日でも、ユーデクス様は現れなくなった。いつもは、悪夢を見た次の日には必ずと言っていいほどユーデクス様が私の前に現れて、悪夢とは違う屈託のない邪気のない笑顔で微笑みかけてくれていたのに、それすらもなくて。不安でつぶされそうな日々を過ごしていた。自分がポロリと言ってしまった言葉が、ユーデクス様を傷つけたんだろうと思ってはいても、謝る手段も、悪夢の内容を打ち明ける勇気も私にはなかった。
お兄様はそれに気づいて何も言わないでくれているけれど、このままではだめだということは分かっている。
(私の事、嫌いになってしまったのでしょうか……)
自惚れていたつけが回ってきたような感覚。自分は愛されているから、何も心配ないという慢心。そのすべてが崩壊した今、私からユーデクス様に話しかけることなんてできなかった。会いに行ったら問い詰められるかもしれないという不安もあったから。
そうして、彼と会わないまま狩猟大会を迎えてしまったわけだけど、今も悪夢にうなされていて、睡眠不足だ。
「あいつもかわいそうだとは思うが、それまでの思いだったのなら、諦めたほうがいいだろう。俺の妹を簡単に渡すわけにはいかないからな」
「で、でも、お兄様! 好きな人に拒絶されたら、誰だって傷つくものです!」
「ユーデクスの肩を持つのか?」
「だ、だって、傷つけたのは私ですから……」
「まあ、仲直りできるといいな」
お兄様は、それならば何も言うことはないと前を向いた。美しい銀色の髪が風で揺れて、バサバサとなびいている。いつもはおろしている髪も狩猟大会だからか、動きやすいように高い位置でくくられており、美女と間違いそうなほど美しかった。
帝国の狩猟大会は、皇宮で開催されるパーティー並みに盛り上がりを見せ、いつもとは違った貴族の服装が見られるのも素敵だった。私も、深緑に囲まれた狩猟大会の会場に合わせて青々とした若葉のような色のドレスに着替えさせてもらった。いつもより生地が薄く動きやすいのも特徴で森に入り込んでくる涼しげな風にレースがひらひらと踊る。
(喧嘩しているわけではないんですけどね……)
周りから見たらそう見える、という例えの話でしょうが、私はもやもやとした気持ちが晴れずにいた。もし、狩猟大会でもユーデクス様に会えなかったら、もしくは無視をされてしまったら……私の軽率な行動によって起こってしまった悲劇であれ、私はそれを受け入れるまでに時間がかかるだろう。
はあ……と、ため息をつくなと言われたばかりなのに、深いため息が漏れ、私はレースの愛らしい手袋をきゅっとつまんで気を紛らわすしかなかった。
「そろそろ始まるから、俺は準備をしてくる。スピカは、この後お茶会に参加するのだろ?」
「は、はい! そうなんですよ、お兄様! ヴェリタ様も出席するみたいで!」
お兄様に言われて思い出し、私は顔を上げる。
ヴェリタ様にも最近会えていなかったため、悪夢の解明や情報について共有しておきたいなと思っていた。私なんかが呼び出せる相手でもないため、このお茶会は貴重な時間である。ただ、少し不安要素があって……
「そうか。羽目を外しすぎないようにな」
「大丈夫です! アルビレオ侯爵家に誓って!」
「家に誓って……など、簡単に言うな。まあ、楽しんで来い」
「はい! ――あ」
ワッと湧いた黄色い歓声の中心に、私は黄金色の光を見つけた。何処にいても、見つけられるなんて、自分でも恥ずかしいくらいに彼を追っている証拠なのだと、お兄様に言われたことを思い出す。傷つけたかもしれないとか、避けているのはこっちなんじゃないかと思っていても、心は正直なもので、好きな人を見つけてはドキドキと桃色に染まってしまう。
「本当に、お前はユーデクスのことが好きだな」
「そ、そんなんじゃ……ありますけど」
「こっちがやきもきする。行ってこい」
「ええっ、で、でも!」
ポンと背中を押されてしまい、私はおっとっと、と躓きそうになる。そんな私を前で受け止めてくれたのは、青い彼だった。
「やあ、スピカ嬢。それと、オービット。久しぶりだね」
「レオ殿下!?」
「殿下……?」
さっと、姿勢を正しお兄様は殿下に挨拶をする。私も慌てて離れて挨拶をしたが、慌てすぎて姿勢を気にしている暇などなかった。不格好じゃないだろうか、と顔を上げれば、殿下はにこにこといつも通り読めない笑みを浮かべて私たち兄妹を見ていた。
「殿下、狩猟大会のあいさつ素敵でした。主流大会でのご活躍を祈念いたします」
「ありがとね。スピカ嬢……ところで、ユーデクスの様子が変なんだけど、何かあった?」
「うっ」
やはり、それを聞くためだけに声をかけてきたのだろう。相変わらず抜け目のない人で、恐ろしいと思う。殿下はユーデクス様の味方であり、殿下は私がユーデクス様に何かしたのだと思っているみたいだった。もちろん、その答えはあっていて、だから――なんていいわけだけれど、黙るしか私には選択肢がなかった。何か言ったとしても、言わなかったとしてもすべて言い訳に聞こえるだろうから。
「殿下、あまり、妹をいじめないでください。殿下もご存じでしょうけれど、妹とユーデクスは……」
「だからだよ。わかっているからこそ、何でスピカ嬢がユーデクスの求婚に答えないのか、ユーデクスがあんな顔をして帰ってきたのか、こっちが聞きたいくらいだ。婚約するメリットも教えた。なのになぜまだ答えを出していない? それとも、ユーデクス以外に好きな人がいるのかな? スピカ嬢は」
にこりと微笑まれたが、目は笑っていなかった。返答次第では、敵国に飛ばすぞと圧がかけられているような気がして、私は思わずお兄様の服を引っ張ってしまった。お兄様は一瞬こちらを見て、それから殿下の方を見た。貴族と皇族では、明らかな身分差があって、いくら側近に昇格したとはいえ、主君と従者であることには変わりない。
そんなふうに、お兄様も私も殿下に追い詰められていると、黄色い感性の中心にいた人物が、サクサクと草花を踏みしめてこちらに近づいてくるのが分かった。
「――ユーデクス様?」
「スピカ?」
ユーデクス様は、まさか私がここにいるなんて知りもしなかった、というような驚いた表情の後、スッと視線を外し、殿下の方を見た。わざとらしくふいっとそらしたものだから、避けられていると瞬間的に理解し、私はさらにお兄様の服を引っ張てしまい「おい」とさすがに怒られてしまった。
「レオ、もう始まるよ」
「分かってるよ。ちょっと挨拶をね。ユーデクスはいいの? 愛しのスピカ嬢がいるのに、挨拶もしないなんて。お前らしくない」
「……」
群青色の瞳に影が差し、黄金色の前髪が彼の顔を隠す。
やっぱりこの間のこと、かなり引きずっているようで、ユーデクス様は私に拒絶されたのだと、顔を合わせるのも嫌だとその態度が物語っている。
もう少しで、狩猟大会が始まる合図が鳴るだろう。そうしたら、彼らは狩場に、私はお茶会に参加だし……そしたら、また一時ユーデクス様に会えなくなるのだ。
悪夢にうなされていたとはいえ、拒絶の言葉を吐いてしまったのは私だ。好きだと伝え続けてくれる人に、私も気持ちを伝えなければ――
「あ、あのユーデクス様!」
殿下とともに私に背を向けたユーデクス様に、腹から声を出して呼び止める。サラリと黄金色の髪が揺れて、群青色の瞳は私を捉える。
「あ、あの、その、えっと……」
「スピカっ」
「え、え、ユーデクス様!?」
タッと駆けてきたかと思えば、また人目も惜しまず彼は私を真正面から抱きしめた。まるで、耐えてきたものが一気に決壊したような、鎖がほどかれたようなそんな人間が本能的に動く姿を見てしまった気がする。
腰に下げられたソヴァールが太ももあたりに当たって痛かったけれど、それよりも彼が私を抱きしめてくれた事実に、私は喜びと、驚きを隠せずにいた。周りの視線がこちらに向けられるような気もして、私はたじろぐ。
「ごめん、いろいろ聞きたいことはあるんだけど、今はこれだけ。スピカ、俺はスピカに拒絶されても好きだよ。だからね。この狩猟大会で、スピカに見合う獲物をとって君をこの狩猟大会のクイーンにする。待っててスピカ、俺のことを」
「ゆ、ユーデクス様……」
早口でまくし立てるような、でも一語一句に思いが込められているような言葉を紡いで、彼は私をもう一度強く抱きしめた。こっちだって言いたいことはいっぱいあったのに、何も言えずに離れていく彼を目で追うことしかできなかった。
お兄様も、行ってくると言って、私の横を歩いていく。あっという間に彼らは見えなくなり、序列順に並べば、狩猟大会の開始を告げるラッパの軽快な音が鳴り響いた。嵐が去って、そして、遠くから馬の駆けだす音が聞こえる。
ポツンと一人取り残されれば、また言えなかった、意気地なし、と胸をぎゅっと掴むことしかできなかった。
でも、ユーデクス様の顔をみえただけでも、彼がまだ私を思っていてくれることだけでもただそれだけで安心して、私は踵を返す。
(帰ってきたら、私もちゃんと話さなきゃです……じゃないと、もう本当に顔向けできません)
狩猟大会のクイーンなんて恥ずかしくて目立ちたくないけれど、ユーデクス様の顔を見たら、彼の必死な思いにこたえるのなら、獲物を受け取ってクイーンに……なんて想像しながら、私はお茶会の会場へ向かうことにした。
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