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第2章
08 悪夢と拒絶
しおりを挟む(すごく、綺麗、だな……)
性格が悪いかもしれない、なんて思いながらも、彼の泣きそうで泣かない、そんな拒絶を恐れ耐えている表情を見ていると美しくて、絵画にして飾ってしまいたいと思ってしまったのだ。群青色の瞳の周りは腫れぼったくなっていて、目じりにたまった涙は今にもこぼれてしまいそうだった。これ以上何か余計なことをいわないようにと固く結んだ唇も震えていて、垂れ下がった眉はハの字に眉間にしわを刻んでいる。声と顔、それらが謝罪の意を表現しているのに対し、彼の下半身の熱は失うことなく私に向いていた。それがよりいっそ彼の中の罪悪感を膨らませていったのだろう。
好きだな、と思ってしまう。
ずっとずっと好きだったけれど、私のために耐えて、泣いて、罪悪感を抱いて。嫌われたくないって努力する彼の姿が可愛くて、かわいそうで、好きだなって思ってしまった。
(私って、性格悪いのでしょうか)
自分が主導権を握っているような気分になる。ついこの前までは彼に搔き乱されてばかりだったけれ、ど今はどうだろうか。彼の心を知ってしまって、私しか両片思いということに気づいていなくて。私に嫌われないようにと努力するユーデクス様の姿がとても可愛かった。
いじめたいわけじゃないし、もう一度抱き締めてあげたい。でもそうしたら、本当に彼は自分を抑えられなくなるだろうからできなかった。彼を思うのならなおさら。
「スピカ、ごめん……」
「謝らないでください!」
「スピカ?」
「だって、ユーデクス様は、私が悪夢を見ないようにって添い寝してくれるって言ってくれたんですもん」
「で、でも下心、あったんだよ。俺……オービットの前ではああいったけどさ。本当に、スピカを前にして自制心を保っていられなくて」
ぽろぽろと口からこぼれてしまうユーデクス様の懺悔のような言葉は、少し耳が痛かった。この際だから、すべて告白してしまおう、でも許してもらえるか分からない、みたいな気持ちがひしひしと伝わってくるものだから、こちらもどうすればいいか分からなくなる。
理想化していたユーデクス様が改築されていくごとに、それが本来のユーデクス様なんだって受け入れて、私も本当のユーデクス様をそのまま受け止めている。だから、嫌うはずもない。むしろ――
「知っていました」
「え?」
「ゆ、ユーデクス様に下心があるの知っていました。でも、知っていて、私は受け入れたんです!」
「す、スピカ。え、嘘、え……」
たじろぐ姿も可愛らしく、ユーデクス様は顔が青くなったり、赤くなったりと忙しかった。そして、最後には顔を覆って、死にたい、とまで口にして縮こまってしまう。
「死なないでください!」
「だって、そんな……俺、恥ずかしい」
「下心を持っていたくせに、恥ずかしいって何ですか」
「スピカにバレていたことが」
「……」
「俺、最低すぎる」
「だから、ですから! 知っていて、受け入れたってことです。わかりますよね。ユーデクス様なら」
と、少し語尾強めで言えば、彼は指の隙間から私の方を見て、ゆっくりとその手を顔から離した。
群青色の瞳に映っている私は、少し気の強い女の子に見えた。だが、それだけではなく、確かな熱を彼の瞳に見て取れた。
「下心、分かっていて……で、でもスピカは」
「わ、私も実は下心あったんです!」
「スピカが、嘘……え……?」
まるで、幽霊でも見たような顔で瞬きをするユーデクス様に、私はベッドの上で正座をし、向き合うようにして言った。この際だから、ぶちまけてしまおうと。
「私も、下心くらいあります!」
「そんな、スピカが……!」
「しょ、ショック、みたいな顔しないでください……私にだって、下心あります」
「で、でもそれって。その、俺の事……って思っていいの?」
「……」
「スピカ答えてよ」
「い、今は答えられません!」
「何で!」
もう少しだったのに、みたいな顔が一瞬見えてしまって、もしかして先ほどのは演技だったのでは? とすらうかがってしまう。ポーカーフェイスの得意なユーデクス様のことだから、半分くらいから正気を取り戻して、私に言わせようとしていたのではないかと、疑ってしまうのだ。
ユーデクス様は、同じようにベッドの上に正座をし、膝の上にスッと手を添えた。
何で、好きな人と添い寝をする、から深夜の下心ありますなんていう暴露大会になったのかはもう覚えていない。だけど、この際、はっきりしておいた方がいいと思ったのだ。
「な、なんでもです。でも、下心はありました。だから、その、ユーデクス様が下心を私に抱いていても、私は何も言いませんから」
「でも、もし俺が理性を失ってスピカを襲ったら?」
「そんなこと、ありえません。だって、ユーデクス様ですもん」
「……うっ。良心が傷つく」
「もしも、なんてありえませんから。だって実際、ユーデクス様は私に手を出したこと一度もないでしょう?」
「……嫌われたくないからだよ。そうやって、手に入れる方法も考えた。でも、君に泣かれるのが一番嫌なんだ」
と、ユーデクス様は言って、自分の手に視線を落とす。
私だってユーデクス様に嫌われたくない。
(悪夢の中では手を出されたけれど、現実世界のユーデクス様はそんなんじゃないから)
奥手というか、ヘタレというか。なんというか、さいきんそんなふうにユーデクス様を見るようになってしまった。言葉では言い表しづらいけれど、彼も年頃の男なんだってなんとなく。
その後、続いた静寂を私は打ち破り、ユーデクス様の手を取った。熱くて大きな手は、ピクリと動いて、群青色の瞳がスッと私の方を向く。
「私の覚悟が決まったら、いいですから。なので、今はごめんなさい。耐えてほしいです」
「スピカ……ごめんね、怖がらせて」
「いいえ、全然! 私も、下心あったのでお互い様です!」
「お、お互い様なのかなあ……で、でも、スピカがそんなこと知っているなんて驚きだよ」
「そんなことって?」
「だ、だから……その、下心、とか、いけない妄想とか、興奮とか……」
最後には消えるようにごにょごにょと言ってユーデクス様はちらりと私の方を見た。
確かに今言われて、自分でも言わなきゃよかったと後悔するようなことがちらちらと出てきて、ボン! と顔が熱くなった。
(し、下心あるって何ですか!? その、私が、ユーデクス様に手を出される妄想をしていたとかバレたってことですよね!?)
必死になっていて、気づかなかったが要約すればそうだ。
下心がありますなんて令嬢に言われて、引かない男性はいないんじゃないだろうか。それも、私のことを鞭で無垢な少女だと思っていたユーデクス様からしてみれば、かなりショッキングだったことに違いない。これまで、そういうのを隠してきたが、一番隠さなければならない人の前で!
「ご、ごめんなさい。さっきの忘れてください!」
「な、何で? スピカが俺に襲われること想像していたってこととか?」
「い、言わないでください! もう寝ますよ!」
サッと、私は切り替えて布団に潜り込む。ユーデクス様は、何で? と、少しうれしそうに声を弾ませて布団に潜り込んでくる。そうして、熱のおさまった身体で私を後ろから抱きしめてきた。トクン、トクンと少し早い鼓動が背中越しに伝わってくる。
「ユーデクス様寝にくいです」
「大丈夫、そのうち眠くなるから。ちょっと、このままで」
「うぅ……」
「俺、嬉しくて眠れそうにないけど……」
「私も、眠れません」
もうユーデクス様に好きだってことがバレてしまっているだろう。じゃなきゃ、こんなに大胆にすり寄ってくるはずがないのだ。そうじゃなきゃ、ただの情緒が不安定な人になってしまうから。
(じゃなくてですね! ユーデクス様、自分から私を抱きしめるのはありなんですか!?)
やっぱり、乱されてばっかりだ。思考が一つにまとまらなくて、好きって気持ちがこっちも抑えきれなくなる。彼のすきにつられるように、閉じ込めていた好きが表に出てきそうになるのだ。
彼の鼓動が優しくて、子守歌のようで、うとうとと彼の言ったように、眠くなってきた。彼に抱きしめられて、臭いも体温にも包み込まれて、幸せだと私はそっと目を閉じる。
「ユーデクス様、おやすみなさい――っ!?」
「うん、スピカ。おやすみ。俺の中で永遠に……ね?」
「か……はっ、な、んで……?」
私の腰に手を回していた腕が、いつの間にか首に回され、内臓を絞り出されるようなそんな圧迫感に涙がにじむ。
先ほどの優しい空気は、ユーデクス様はどこにもいなくて、感じられていた体温も冷たいものに変わっていた。初めはその境目が分からなかったが、これは夢だと、危険信号が頭に伝わってくる。
最悪のタイミングだった。
「ゆー……でくす、さま……やめて」
「大丈夫。ちゃんと保管してあげるから。スピカがスピカの身体を保っていられるように。美しくね……死んでも愛でてあげるから」
「……がう、あなた……は、ユーデクス……さまじゃ」
空気を吸おうとしても、喉が締め付けられているため、吸うこともできず、だんだんと酸素を失っていく身体は、抵抗する力も失っていった。視界が反転するようで、ぐるんと眼球が上を向く。本当に私を締め付けて、殺そうとしているのはユーデクス様なのだろうか。それとも、別人?
眠っている私のそばにユーデクス様がいる。現実のユーデクス様に起こしてもらえれば……と、私は口を開こうとするが、泡が垂れるばかりで声を発することは不可能だった。
(悪夢、見ないんじゃなかったの?)
ユーデクス様と一緒に寝ているのに? それとも、仲良くしすぎた天罰?
どこからが、夢で現実だったのか、その堺もあいまいだ。ただ、両想いだったこととか、今日のデートとか……それが嘘でなければいいなとそれだけは願う。
「……でくすさま、ころ、さないで」
ようやく発することが出来た言葉は、自分の耳にもキンと響いた。鼓動はうるさい、けれど、じんわりと汗がにじみ、匂い慣れた香りが鼻孔を通り抜ける。涙でいっぱいになった視界が晴れれば、そこには、顔を青くしたユーデクス様が私を見つめていた。
「――スピカ?」
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