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第1章

01 何百回目の求婚

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「――スピカ嬢、俺と」
「ごめんなさい!」
「まだ何も言ってないじゃないか」


 ぷくぅ、と頬を膨らませる姿は子供みたいで愛らしい。慌ててきたのか、ぴょこんと立った寝癖もキュートで、しっとりとした小麦色の肌も魅力的で、つい手を伸ばしたくなってしまう。けれど、それは出来ない話なのだ。


「わ、私はユーデクス様と結婚しませんから!」
「……そんなぁ」 


 がーんと擬音語を頭上に浮かべたような落ち込み具合に心が痛む。しかし、ここは譲るわけにはいかないのだ。侯爵令嬢である私と、帝国の皇太子の側近であり英雄の彼……釣り合わないといえば釣り合わないかも知れないが、結婚できないわけではない。双方の了承を得て、まわりに認めて貰えば良いだけの話なのだ。しかし、彼とはそもそも婚約者という関係でもなく、その候補でもなく、一方的に私がアプローチされている側。婚約を通り越して、結婚を催促している。
 こうして、今朝のように何度も婚約を受けてきたが、私はそれらをばっさりと切ってきた……つもりだったが、切れていないからこそ、こうして今日もまた求婚されているのだろう。


(そりゃ、もちろん、顔もよくて、性格もよくて、おまけに剣の腕も帝国一で……誰もが憧れる騎士だけど)


 初めて、彼から求婚を受けたのは、私が初めて悪夢を見た次の日だった。動揺したこともあり、私はその場で泣いてしまい、ユーデクス様は仕方なく帰ることになった時のことを今でも鮮明に覚えている。
 逃げられる程度に痛めつけられ、何処かも分からない長くて暗い廊下の端まで追い詰められて、あのソヴァールで私の腹をきって殺したユーデクス様の夢を。
 何でこんな悪夢を見たんだろうと、その時は思った。けれど、あの感覚が現実のようで、起きたときにはお腹が痛かったのを覚えている。内臓が引き裂かれるような痛みと、最後に見たユーデクス様の恍惚とした表情が頭から離れず、いつもの爽やかで愛虚のある彼の顔を見ても、その夢の恐怖が増さって泣いてしまった。あの時はユーデクス様も困惑したことだろう。顔を見て泣かれたら、誰だって困惑するに違いない。それも、婚約を申し込みに来たのに泣かれてしまえば、もう二度と婚約なんかするかと思っても仕方がないのに。
 けれど彼は、私が夢を見た次の日に、必ずこのように求婚しに来るのだ。
 夢で殺され、現実で求婚され。自分でも精神を保っているのが異常なのではないかと思えるほど、私はこの誰にも言えない悪夢に悩まされていた。
 夢の中のユーデクス様は偽物だと分かっていても、妙にリアルで生々しくて、もしかしたら未来予知かも知れないと思うと、彼の婚約を素直に受け入れることができなかった。あれは、数多に存在する私の未来なのではないかと。


(だから、ごめんなさい――!) 


 求婚を断るのだって勇気がいった。だって、初恋の人に求婚されて嫌な女性はいないだろう。私だって嫌じゃない。けど……!


「スピカ嬢、なんで俺の婚約を断るの?」


 シュンと垂れ下がった耳、涙を溜めた群青色の瞳を向けユーデクス様は私に訴えかけてきた。


(うっ、そんな顔をされても駄目です!)


「い、言いたくないです」
「……どうして? 俺のこと嫌い?」
「そ、そういうのではなくて……」


 私は視線を彷徨わせて思考を巡らせるが、貴方に夢で殺されるからです! とはいえず、言葉に詰まってしまう。だがしかし、ここではっきり言わなければまた求婚の繰り返しになるだろうし……彼の幸せのためだと思って言おう。断腸の思いってやつよ……!


「き、きっとユーデクス様にはもっと良縁が見つかると思います! ですから、婚約は……」
「俺は、スピカ嬢がいいんだ。これが俺の中で最高の出会いで、運命で、縁だよ。俺じゃダメ?」
「うっ」


 こてんと可愛らしく首を傾げる姿は子犬のようでとても愛らしい。そして、捨てられた仔犬のような瞳で私を見るのだからタチが悪い。彼を見ていると何も言えなくなってくるし、言う気も失せてくるから不思議だ。でもここで折れるわけにはいかないのだ。心を鬼にしてでも……
 しかし、ユーデクス様は、立ち上がり、私の座る椅子の前までやってくると、片膝をついて、私の手を両手で包むようにして優しく触れた。


「ねえ、スピカ嬢」


 まるでガラス細工を扱うようなその繊細な手つきに、私は声が出ない。ユーデクス様の顔だって恥ずかしくて見れないのに、今ので確実に私の顔は真っ赤になったはずだ。


「俺は君のことが好きだよ。絶対に幸せにするから、俺と婚約して下さい」
「……っ!」


 真剣な面持ちで、まるで一生の忠誠を誓うような顔で訴えかける彼に、思わず体が硬直してしまう。顔は沸騰したお湯のように熱くてたまらなくて、彼の真剣な表情を見ていると、そのままこくりと頷いてしまいたくなる。まるで、魔法にかかったように。圧倒的な引力を前に、私は唇を噛んで、何とかその痛みで自我を保った。


「だ、駄目です。駄目なものでは、駄目なんです」
「なんで」
「ですから、理由は教えられません。そ、そもそも、ユーデクス様は、わ、私みたいな、侯爵令嬢のどこがいいんですか。他にも素敵な人いっぱいいるでしょうし、ユーデクス様なら選び放題じゃないですか!」
「最後のは誉めてるんだね。ありがとう……どこがいいって、そうだなあ」


と、少し考える素振りをした彼は、私の頬に手を当てて顔を近づけた。

 一瞬の出来事だったけれど、私にはその一瞬がとても長く感じられた。だって、こんな近くにユーデクス様の顔がきたことなんてないから。これは現実なのだろうかと、夢か現かも分からなくなったとき、私はきゅっと目を閉じる。今起こっていることが信じられなくて、また夢なのかと思ってしまったからだ。そして、唇に感じる僅かな感触に目を見開いた。


「キスされてると思った? 残念、指越しにしただけだよ」
「なあっ」
「スピカ嬢が、俺の婚約を断る理由を教えてくれるまで、俺がスピカ嬢を好きな理由はいわないかな」
「それじゃあ、こっちも意味分からないです。そ、その、政略結婚、てきな……何かですか」
「うーん、そうじゃなくて。いや、おおよそあってるね…………早く結婚しろと言われているから。上に……意中の相手がいなければ、勝手に決めるって」
「……」
「ああ、でも安心して。誰でも良いわけじゃないから、この求婚も。まあ、今言えることはスピカ嬢が好き過ぎてたまらないからかな? スピカ嬢が、俺の婚約を受け入れてくれたら、俺は好きでもない人と結婚しなくてもすむっていう話」


 ユーデクス様はそう言うと、サッと立ち上がった。
 とても自分勝手だ。
 でも、同時に可哀相という思いも出てきた。相手がいなかったら、見合う相手を勝手に決めるという。ユーデクス様は、誰だって選び放題なのに、私が好きで、でも、私が断ったら、好きじゃない人と結婚させられると言うことだろう。それは、可哀相だ。


(だからといって、夢で何度も殺される相手と結婚なんてぇぇ!)


 嫌いなわけじゃないから、さらに、たちが悪い。
 何故こんな悪夢を見るのか、その理由さえ分かれば、ユーデクス様の求婚に、二つ返事ではいと言えるのに。
 全ては悪夢のせい! 私は、そう割り切って、取り敢えず今日は、お引き取り願おうと、扉の方を見る。


「スピカ嬢は、どうして扉の方を見ているの?」
「察してください」
「鍵を閉めて、監禁して欲しいの?」
「違います! 何で、どうしてそんな発想になるんですか! 帰って下さいっていっているんです!」
「ああ……そういう」


と、ユーデクス様は言うと、スンと顔から感情をはぎおとし、立ち上がった。その顔が、あの悪夢と重なって、私の背筋は凍りつく。

 その後ユーデクス様は私の隣を通り過ぎて「またくるからね」と呪いのような言葉を吐いて出ていった。パタンと扉が閉められるのと同時に、私は身体から力が抜けて、ずるずると、ソファに倒れ込んだ。


「これで、よかったのよね……」


 果たして、正解だったのか。
 いや、正解などないのだろう。しかし、現実のユーデクス様もだんだんと、その、ヤンデレになってきている気がして怖い。夢のようになる日も近いのではないだろうかと。


「うぅ……」


 立ち上がろうにも力が入らず、私はそこで項垂れるしかなかった。初恋の人は、私を殺す殺人鬼です、なんて……夢でも見たくなかった。
 何であんな夢を見なくちゃいけないんだろう。
 はあ……と零れたため息は、部屋の中に吸い込まれ、どんよりとした空気が私の身体にこびりついた。


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