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第4章
08 最低な男
しおりを挟む「で、殿下、ダメです。やめてくださいっ!」
以前の私なら喜んで受け入れていたかも知れない。例え、媚薬に犯された相手であっても婚約者に求められるなんて、これ以上ないほど幸せなことだろうから。
けれど、未練もない、今愛している人がいる私にとって、元婚約者である彼からのそのアプローチは、恐怖でしかなかった。
体格差があり、また、媚薬のせいで身体が満足に動かせないのもあって殿下をはねのけることは出来なかった。悩ましげに息を漏らす殿下を見て、私はゾッと背筋を振るわせる。欲にまみれていくその瞳をみて、このままでは食べられてしまうと思ったからだ。
「殿下……お願いですから、正気を取り戻してください。私は、今、貴方の婚約者ではありません。それに、私を……っ、抱いたら、メイベが」
「……スティーリア」
「ほら、解毒薬飲んでください。私は、大丈夫なので」
恐る恐る、彼に解毒薬を差し出してみるが、彼はそれを受け取ろうとしなかった。このまま私を抱く気なのだろうか。それとも、死んでもいいというそういう思いで?
いや、それはあり得ない。彼は、皇帝になるべく昔から厳しい教育に耐えてきたのだから。相当な理由がない限り、彼が自害するとは思えない。彼がそんな人間でないことを私はよく知っているから。だからこそ、ヒロインと結ばれて幸せになればいいのに、この男は何を迷っているのだろうかと。
媚薬がまわればまわるほど恐ろしいのは、一度経験しているから分かることだった。このままでは、理性を失い、自信の欲望を満たすことしか考えられなくなる。見境なしに。そうなってしまえば止められないだろう。
「殿下、何を迷っているのですか」
「……スティーリア、こそ、何故譲る」
「この状況で、解毒薬を飲むべきは、殿下の方です。貴方は、皇太子であり、未来の皇帝。こんな所で、理性を失ってはダメです」
「では、君はどうするというのだ。あの犬がくるまで、待っていられるというのか?」
「私の、婚約者のこと悪く言わないで下さい!」
そう私が、反論すれば、聞きたくないというように私の首筋に顔をうずめた。
(な、何するの……)
耳元で聞こえる呼吸は荒くて、そして首筋に口付けをする殿下に私は身をよじらせる。けれど、身体が思うように動かない為それは逆効果でしかなかった。彼に触れられるたびにジンジンと疼きが強くなっていって、先程よりも酷くなった気がして、私は思わず顔を振るった。
「んあっ……や……」
媚薬のせいなのか分からないがいつもよりも敏感になった身体はビクビクと反応を示した。
感じたくないのに、変な声が出る。
こんなの、ファルクスへの裏切りになってしまう。気持ち悪い、触られたところも、感じている自分も全て。
「君も、期待しているんじゃないのか」
「殿下、いい加減にして下さい。私に、何を求めているか知りませんけれど、私達は終わった関係です。それに、メイベのことを考えてあげて下さい。彼女は、貴方に賢明に……愛を求めている。彼女から愛されているって分からないんですか」
この後に及んで、彼女を擁護する私も私だと思った。でも、それしか逃げ道がなくて、私は必死に殿下に訴えかける。
解毒薬を飲んで。それか、早くメイベの元へ向かって。私は、今すぐにでも、この場から逃げたかった。けれど殿下が阻止する。
「愛されている……か。そうだな、君は僕のことを愛してくれていなかった」
「は?」
「いや、愛してくれていたんだろうな。それに、僕はあぐらをかいていた。君に愛されていると……でも、君は気むずかしくて、横暴で。その態度が変わったのはつい数ヶ月前のことだ。婚約破棄もあっさりと受け入れて、他の男と婚約して……幸せそうに」
「いっている意味が分かりません」
「僕も分からないな」
「は……」
すぅっと私の身体に指を走らせ、冷たい目で見下ろす。
いっている意味がずっと分からず、私は首を横に振ることしか出来なかった。殿下のそのいい方では、自分も私のことを愛していたと、そう聞えてしまう。もう、昔の話に耳を傾けたくないのに。今更なのに、この男は、何処までも酷い。
すっかり、熱は冷めてしまっているというのに、身体は言うことを聞いてくれない。心と、身体が引き裂かれたようなそんな気持ちと感覚になりながら、必死に抵抗し睨み付ける。
自分勝手すぎるこの男の話に耳を傾けたくない。耳を引きちぎっても、この男の話を自分の中に落とし込みたくなかった。
「君が、離れてから寂しいと感じるようになったんだ。スティーリア、君の存在が、僕の中で大きいものだったって、君が居なくなってから気づいた」
「だから、メイベを愛せないと」
「いや、メイベのことも愛している。でも、そうだな……自分の手中にいた女が他の男の元に行ってしまった、この気持ち……支配欲か。まあ、感情に名前を付けるのは馬鹿馬鹿しいが、スティーリアがいなくなった後、後悔したのは事実だ。この際、側室にでもならないか。そうすれば、メイベも、スティーリアも愛してあげられる」
「本当に、身勝手すぎる。最低ですよ。殿下」
「君も、僕から愛が貰えないからって、他の男に靡いた最低な女なんじゃないのか」
「どの口が……」
私は違う。いや、違わないのかも知れない。でも、同類にされたくなかった。
愛されていないと思っていた、諦めていた。そして、この世界がゲームの世界だと気づいて、殺されないためにファルクスを手にいてて。でも、ダメで婚約破棄されて、優しくしてくれたファルクスを好きだって、こんなの吊り橋こうかだと言われたら言い訳できないかもしない。それでも私は、ファルクスが好きなのだ。この男の、黒い部分を知ってしまって、残っていた彼への良心が砂のように消えた。
これで、過去と決別できると。
「最低です」
「君も同じだろ」
「違う。いっしょにしないで。貴方みたいな、クソ野郎といっしょにしないで」
最後の力を振り絞って彼を蹴っ飛ばし、這いつくばりながら扉へとむかう。しかし、すぐに腕を捕まれ私はソファにたたきつけられた。
「何故だ! 君は僕を愛していたんだろ! あの男を選ぶぐらいなら、僕の方が……」
「……だからですよ」
「は?」
「貴方は私を愛してなかった。私にはそれが分かっていたから身を引いたんです。確かに、昔の私は貴方が好きだったかも知れない。でも、冷たい態度を取られたら冷めるのが普通ではないですか? 現に貴方も、私に自分に見向きもされなくなって私を取り戻したいと思った。ただの支配欲です……それに、今の私はファルクスが好き……愛しているんです。私には愛してくれて、愛している婚約者がいる。貴方の身勝手な感情に、もうこれ以上振り回されたくない!」
今迄必死に抑えていた感情が一気に溢れ出てきた。心はズタボロに引き裂かれていて、そんな時、私を支えてくれたのがファルクスだった。彼は裏切らない。私が利用していることに気づいても、彼だけは側にいてくれた。愛してくれた。そんな彼に愛が芽生えて、気づけば彼が側にいないだけで不安になった。私はそれほど、彼を愛している。
その気持ちを、ファルクスが帰ってきたら伝えるつもりだ。彼をしっかり理解して、その上で、彼を受け入れてあげたいと。もう逃げない、うわべだけじゃない、彼の全てを知って愛してあげたい。彼に愛された分、彼を。
「それなら、僕が忘れさせてやる――」
「……っ!?」
殿下に腕を捕まれ、再びソファに押し倒される。その衝撃で解毒薬が手から落ちてしまった。このままだと私はこのまま彼の身勝手な欲情と支配欲に埋め尽くされてしまうのだろうか。殿下も、冷静じゃない。理性を失っているから、心の底にとどめておいた汚い感情が外に出てきているのだろう。彼に何を言っても響かないと。私は確信した。
殿下に引きちぎられるようにドレスを破かれ、私は自分の愚かさを後悔した。
こんな男に、犯されたくないと。
(ファルクス、ごめんなさい……)
覚悟をし、目を閉じた瞬間だった。部屋の扉が大きな音を立てて開いた……吹き飛んだのは。
「スティーリアから離れろ」
氷のように冷たいその声はこの部屋中に響いた。
「ファルクス!?」
そこにいたのは、夜色の彼。ファルクスは討伐にいっているんじゃ……と私は何度も瞬きをした。でも、そこにいたのは紛れもなくファルクスで。
ドクンドクンと心臓が激しく波打つのが分かる。このまま死んでしまうのではないかと思うぐらいに興奮していた。媚薬よりも、もっと強いそんな興奮が湧いてくる。彼は怒りに満ちている様子だったが、まだ理性があるようで呼吸を整えながらゆっくりと私の方に近づいて来る。そんな彼から視線をそらせずにいれば、後ろからメイベが走ってきた。彼女は傷ついた顔をしていたが、それでもこちらに近付いてきた。
「な、何を……っ、ぐっ」
ファルクスは、ぞんざいに殿下を吹き飛ばして、私を抱き上げた。殿下は、机に背中をぶつけ、よろめいていた。そんな彼にメイベが駆け寄っていく。
「聖女様」
「は、はい……何でしょうか、ファルクス様」
「責任はご自身で取って下さい。そんな、クソ男でも貴方が愛せるというのなら」
「……愛しています。一目惚れなんです」
と、メイベは涙を流しながら、苦しむ殿下の頬にキスを落としていた。
ファルクスの声色からも分かるよう、そんな自分勝手すぎる二人に嫌気がさしたように、私を抱き上げたままファルクスは背中を向ける。彼の匂いを一杯に感じ、私はくらくらとしていた。媚薬のこともあって、そうして、大好きな彼が目の前にいて、抑えられるわけがなかった。
「ふぁる、ファルクス」
「スティーリア様、公爵家に戻りましょう」
「……抱いて」
「……っ、公爵家にも解毒薬があります。その後で……しっかりと話し合いましょう。今は、媚薬に犯されておかしくなっているんです。だから――」
そこまでいって、ファルクスは口を閉じ、男爵家の敷地を出る。馬車に乗せられ、公爵家にむかう途中、ファルクスは一切顔を合わせてくれなかった。それが酷く苦しくて、あんな……殿下に迫られている私を見て、さめてしまったのかもしれないと、私は不安に駆られた。けれど、身体は熱くて、どうしようもなく彼を求めていて……それが凄く苦しくて、つなかった。
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