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第4章
03 はじめて
しおりを挟む「――ファルクス、貴方最近調子のりすぎなのよ!」
「ダメですか? 相思相愛……俺の浮かれる気持ちも、少しは分かってください」
朝からベタベタベタベタ! 私が立ち上がれば立ち上がって、歩けば後ろをついてきて。廊下を歩いているとき、メイド達にヒソヒソと、そしてなんともいえない視線を送られたことに、私は恥ずかしい以外の感情を抱けなかった。お父様は、仲がいいのはいいことだが……と、視線を逸らして、これ以上は何も言えない、みたいな感じだったし、私とファルクスが毎晩愛し合っているみたいな噂も出てきて、本当にいい迷惑だと思った。
仲がいいというのは、悪いことじゃないんだろうけれど、私が休めるときがないというのは本音だった。
私室、椅子に腰掛けていれば、彼は甲斐甲斐しく、お茶を淹れお菓子を用意し、私の手が汚れたらハンカチで拭くなど、もう世話焼きすぎなくらいだった。
「ねぇ、ファルクス……これじゃあ、奴隷と変わらないんじゃない?」
「いいえ、俺が奴隷であるなら、スティーリア様は指一本、俺が触れることを許さないでしょう。それだけ、俺はスティーリア様に心を開かれている。唯一の存在ということではないでしょうか」
「自分でいう?」
「俺は、好きな人の色に染まりたい。貴方が、また、犬になれというのなら、俺はそれを喜んで受け入れます。貴方色に染めて欲しい」
「……こわっ、じゃなくて。貴方はそれでいいわけ?
「スティーリア様が、望む形が、俺の望む姿です」
「……」
私はフンとそっぽを向き、再び読みかけていた本を開く。そんな姿を見ても彼は嬉しそうで、なんだかうざいったらありゃしない。ここまで尽くしてもらう謂れはないはずなのだけれど……私は良い気分ではなかった。というのも、ここ最近ずっとこの調子なのだ。メイベの言ったとおり愛し合っていると言えば、愛し合っているのかも知れない。ファルクスの言うとおり、これだけされても鬱陶しいとは思うけれど嫌悪感を抱かないのは、私が彼に心を許しているという証拠。何より、異性と二人きりで部屋に籠もろうなんて思わない。今の彼は、隷属契約をしていないから、止められない。そう、もうとっくの昔に、彼は私の奴隷をやめ、今や婚約者となっているのだ。
この間の、キスと、言葉で彼と心が通じ合ったような気がした。でも、ファルクスはちょっと変で、欲はあるのに、無欲というか。私から求められたら、それが自分の幸せだと思っていて……それが何だか、違う気がしたのだ。もっと、恋人というのは、求め、求められる関係なんじゃないかと。奴隷時代の名残か、護衛としての心得か……どちらにしても、ファルクスが今の状況では、私が望む婚約者の形にはなれないような気がした。かといって、彼に全てを明け渡した日には、何をされるか分からない。それが怖いというのもあって、セーブしてしまう。
「はあ……」
「何か悩み事ですか?」
「……貴方のせいよ」
「俺の?」
「……」
ファルクスは、キョトンとした目で私を見た後、小さく首を傾げた。ああ、その様子じゃ何も分かっていないと、私はさらに溜息が出る。
好き、と自覚してから、早数週間……数ヶ月経ったかも知れない。彼の顔を見るたび、キラキラと輝いて見えて、胸が締め付けられる。そんなのフィクションの世界だけかと思っていたのに、私は、その感情を味わっている。けれど、距離を置きたいという気持ちも湧いてきて、よく分からない感情にモヤモヤした。
「ねぇ、ファルクスは私の事好き?」
「はい」
「……私が、死んだら悲しい?」
「当たり前です」
即答だった。目をパチパチさせていれば、彼は私手の甲にキスを落とす。流れるようなそれに、私はもうなれてしまった。けれど、ドキドキする。毎回。
「死ぬ予定があるのですか」
「今のところないわよ。ないっていいたいわね」
「死んだらいやです」
「そうね、そうじゃないと困るわ」
「貴方を苦しませた原因である人間を根絶やしにし、貴方と同じ方法で死にます。俺は、スティーリア様がいないと生きていけない。貴方がいなくなった世界に意味なんて無いんです」
「わ、分かったから、怖いのよ」
「本気です」
と、ファルクスは真剣な目をして言う。本当に、好かれているんだなと分かると同時に、彼のヤンデレ具合が垣間見れて怖くなる。自分に愛情が向けられているから良いものの、これが、他人に向けられていて、私が彼の敵だったら……私は、根絶やしにされる側の人間なんだなと、それを想像すると恐ろしくなる。
そうじゃないから、今手綱を握っているのかも知れないが、もうその手綱も何処かに行ってしまって、リードのない彼を私は目の前にしている。なのに、彼は、律儀に私の言うことを守って……これが、婚約者なのだろうかと、思ってしまうのだ。
対等になりたい。そのためには、もっと歩み寄るべきなのかも知れないのだけど。
「ありがとう」
「何がですか?」
「…………私を、あ、愛してくれていることに、たい、して。その、こんなに愛されたことがないから……」
「では――」
そういったかと思うと、ファルクス様は、革製の椅子に爪が食い込むほど手のひらに力を込め、私を閉じ込めるように、上から見下ろした。鋭い瞳孔が、降り注がれ、私は呼吸をするのも彼に支配されているようで。まるで、首を絞められているような感覚に陥る。呼吸が出来ない。その支配から抜け出せず、私はただただ息を呑み込むことしかできなかった。
「愛されるのは、俺が初めてだと」
「え、え……」
「答えて下さい。スティーリア様。大事な問題です」
「え……」
「早く」
何処で、スイッチが入れ替ったのか分からなかったが、答えなければ殺されてしまうんじゃないかとすら思えるほど、彼の目は鋭い。愛されるのは俺が初めて? 意味が分からなかった。愛されるのが初めてだったら何だというのか、それが大事な問題とは……? 私が返答に困っていると、彼は催促するようにぐっと顔を近付けてきた。答えなければ、本当に殺される。まるで、脅迫されているようだった。
ぷるぷると震える唇が、言葉を紡ぐ。
「は、初めてよ……」
「本当に?」
「う、嘘ついてどうするのよ!」
私が、ふいっと顔を背ければ、上から、嬉しそうにくふっ、く……みたいな、堪えきれない笑いが降ってくる。何がおかしいのかと顔を上げれば、涎でも垂れてきそうなほど、うっとりとしているファルクスの恍惚とした表情がそこにあった。ゾクッとするような、でも、それが美しいとすら思えてきて、私も異常になってしまったのではないかと錯覚した。
「ああ、嬉しくて死にそう」
「何を大袈裟な……」
「触れるのも、キスされるのも初めて?」
「は、初めてよ。なんで、そんな……初めてにこだわるの……?」
「だって、スティーリア様の印象に深く刻まれるから」
そう言った彼の表情は妖美で、思わず目を奪われてしまう。
いつも、ブンブンと尻尾を振っている駄犬だと思っていたのに、そこにいるのは、大人びた青年で、雄の表情をした私の婚約者で。
(ファルクスって、こんなに格好良かった……?)
キラキラしているとか、眩しいとか、そんな乙女が抱く感情じゃなくて、もっとそう、情熱的な。彼を全身で感じたいとか、彼を受け入れたいと全身の細胞が叫んでいるとか、そういう遺伝子レベルで。
彼の夜色の瞳で射貫かれるだけで、孕んでしまうような、そんな気さえして。お腹の奥が熱くなるような、変な感覚に私は内股をすり寄せた。
自分がこんなはしたなくて、性に正直な人間だと思わなかった。でも、全人類が孕んでしまいそうな顔をしているんだもん。しょうがないじゃない。
「……全部、貴方が初めて」
「でも、初恋は殿下なんでしょう?」
「……そ、それは、気の迷いというか……なんというか。でも、本気で好きなのは、ふぁる、くす……だけだから」
「……」
「何よ、何か言いなさいよ!」
「いえ、スティーリア様が可愛いなと思って」
「か、可愛くないわよ!」
こんな、自分がままならないみたいな、そんな顔をして……耳まで真っ赤にして。まるで少女じゃないか。そんな私を見て、彼はにんまりと笑って私を抱きしめる。もう抵抗すらせず、私は彼の首に手を回して、彼と向き合った。
「ね、スティーリア様」
「な、なによ……」
「俺が初めてって分かったら我慢できなくなっちゃいました」
「……っ!?」
グイッと腕を引かれたかと思うと、乱暴にベッドの上に投げ出された。バフッと柔らかいスプリングが、私の体を受け止めて痛みなどはなかった。その上に跨って、私を見下ろすのは……爛々と光る瞳に、浅ましい情欲を灯した男で。
「え、ちょ、まっ……」
「無理です」
「ダメ」
「……」
ダメと言えば、止る彼。
何だか、最近性急に求められることが多くなって、モヤモヤしているところはあった。だからか、自然と口が開いてしまう。
「私のこと、身体目当てなの?」
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