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第2章
10 帰還
しおりを挟む「――はあ……」
「大丈夫ですか。スティーリア様」
「大丈夫よ。ラパン。少し疲れただけ」
「その、エングー男爵令嬢の……」
帰りの馬車の中で、私はラパンにもたれ掛りながら頭を抑えていた。お話をしよう、何て言ってから、ずーっと永遠と質問され、私の話にいちいち、これは何ですか? そうなんですね、羨ましいです、私もそんな風になりたくて云々かんぬんといってくるので、それはもう、想像の何十倍も時間がかかってしまった。夕方ごろには帰れる予定だったのに、今はもう月が昇ってあたりは真っ暗になっている。夜道は危険で、魔物の活動時間でもあるため、外出は控えるべきなのである。もし、どうしても帰らなければならない場合は、腕の立つ護衛を連れて行かなければならないほど夜道は危険だといわれている。また、貴族は、平民よりも魔力を持って生れるから、その魔力をかぎ分けて魔物がよってくるとか。だから、夜の馬車はそれはもう慎重になる。エングー男爵家領地から、公爵家に戻る際には整備されているものの森の中を通らなければならない。最近は、魔物の活動も活発化してきているし、本来なら何処かに止るかして朝出発するべきなのだが、メイベと一夜過ごすのはさすがに無理だし、身体に悪いと思って迎えを呼んだ。お父様も心配していることだろうし、早く帰って、元気な姿を見せたいのだが……
ガコン、ガコン、と大きな石が連なっているのか、馬車が大きく揺れる。あたりは気持ち悪いくらい静かで、考えたくないけれど、何かが起きそうな予感がする。こういう嫌な予感は的中してしまうものだ。
「何があっても、スティーリア様は私が守るので、心配しないでください」
「心強いわね。ラパン。さすが、元暗殺者といった所かしら」
「言わないで下さい。もう、昔のことなので。ですが、スティーリア様を守る為なら、血に濡れることも厭わないです」
「頼りにしているわ」
ラパンの言葉を聞いて、少し励まされる。彼女が強いのはよく知っているし、ファルクスがいない今、私を守れるのは彼女くらいだろう。他の騎士でもいいのだが、信用出来る人間の方が私は心も安まるし、とラパンに侍女兼、護衛をして貰っている。その分、彼女にはいつも以上の給料を支払っているのだけれど。公爵家だし、お金のことは気にしなくていい。お父様も、それに対しては頷いてくれた。
(でも、あの媚薬の件……殿下でも、メイベでもなければ一体誰が?)
メイベが嘘をつけるようなタイプではないし、殿下が媚薬を出会ったばかりのメイベに盛るわけもない。まだ、婚約破棄していない状況で不貞行為に及べば、皇太子の名に傷がつく……それは、彼も避けるだろう。それに、彼にそもそも性欲があるようにも思えないし。不能とはいわないし、ただ私に興味がないだけかも知れないけれど。
(考えるだけ無駄ね……)
これ以上考えても、時間の無駄だと思い、私は公爵家につくまで眠ろうと思った。その時、馬車が急に止り、馬が暴れ出す。何事かと、眠気が吹き飛び、ラパンにしがみついていれば馬車の外から、扉が叩かれ、御者が「魔物だ!」と叫ぶ。その瞬間、あたりに異様な魔力が広がり、私は、御者の男を素早く中に引き入れた。さすがに、外に放置して置くわけにもいかなかったし、一応、公爵家のものだから丁重に扱わなければと。そこまで、薄情じゃないし、昔のスティーリアではないという証明にもなる。けれど、そんなことは今、どうでもよくて、だんだんと近付いてくる禍々しい魔力に私は身体を硬くする。カタカタと震えている私の手をラパンが優しく包み込んだ。
「大丈夫ですよ。スティーリア様。今、馬車を中心に結界魔法を張りました」
「結界魔法……」
「ですが、数が多いです。いつ破られるか分かりません。でも、必ず、スティーリア様をお守りしますから」
そういった彼女の手にはナイフが握られていた。そのナイフはどこから出したのか、とかそんな野暮なことを聞く気にはならなかったが、数が多いのは間違いではなかった。総勢五匹……いや、六匹はいるだろう。山犬……狼の群れかも知れない。魔力を持つ動物を、魔物と呼ぶ。魔力を持つということは、それなりの知性があるということで、また魔力を感知し集まってくる習性も持つ。そして、何より厄介なのは、普通の動物と違い生命力が凄いこと。一撃や二撃で殺せるのは、相当な手練れでないと無理だろう。まして、ここにいるのは、元暗殺者。強いとはいえ、六匹も一気に相手できない。彼女がもし、自分が囮になるから逃げてといっても、きっと残りの魔物が私達を追ってくるだろう。私も魔力は使えるが、戦闘向きではないし、実際に戦闘で使ったことはない。魔法なんて一歩間違えれば、災害の元だから。
馬車の外で聞える、獣の呻り声、ガサガサと茂みを揺らし、ジリジリと砂利を踏みしめこちらに近付いてくる。
私は、ギュッとラパンの手を強く握ることしか出来なかった。見なければいいのに、ちらりと、馬車の外を見ると、そこには予想もしなかった大きさの狼が一匹、そして、その半分くらいだが、鋭い牙と爪を持った狼が五匹いた。黒く逆立っている毛はそれだけで針のようで、暗闇で爛々と輝く赤い瞳は、確実に私達を探し狙っている飢えた獣の目だった。
一応、ここ一体に、防御結界が張られているのだろうが、四大魔獣が復活したことも重なって、その結界が脆くなっていたのかも知れない。その歪みに穴を開けて、この魔物たちはここまできたのかもと。弱い魔物なら、防御結界をたまにすり抜けてしまうこともあるのだが、今回の場合はそうじゃない。明らかに、強い魔物だ。
そんな風に、隙間から覗いていたのだが、群れのボスと思われる大きな狼と目が合ってしまった。急いで、カーテンを閉めたが大きな遠吠えと共に、奴らの一斉攻撃が始まった。
「……ッ!」
飛びかかってきた狼たちは、馬車を揺らし、その爪を食い込ませる。ラパンは辛そうに結界魔法の補強を試みるが、その額には汗が浮かんでいた。四方八方から攻撃され、補強が間に合わないのだろう。けれど、一瞬でも気を抜けば、脆い部分から打ち壊される。でも、何にしても時間の問題だ。
大きく馬車が揺れ、片方に傾き、私は思わずそのドアに弾き飛ばされた。
「スティーリア様ッ!」
ラパンは結界魔法よりも、私を守ろうと私の腕を引くが間に合わない。結界魔法の外へ投げ出された私に鋭い狼の爪が降りかかる。ラパンがこちらに走ってくるのが見えたが、その後ろに、小さな狼の姿が見える。危ない! といおうとしたが、目の前に迫る危機に、私は目を瞑った――その時だった。
ザシュッという音と共に、私を襲おうとした魔物は吹き飛ばされ、次の瞬間鉄臭さが広がる。私を避けるように、血が地面に付着し、目の前には、小さな狼の死体が血を流しながら倒れている。恐る恐る顔を上げれば、そこには見慣れた襟足の長い黒髪の男がいた。
「大丈夫ですか、スティーリア様」
「ファルクス……?」
魔物の返り血が頬に付着した彼は、夜色の瞳で私を見下ろす。冷淡で、でも熱く、狂信的な瞳が私を射貫いた。彼が手に持っている剣からも、魔物の血が滴り落ちる。助けてもらったはずなのに、その恐ろしさと、美しさに私は言葉を失う。ファルクスは私が無事なのを確認すると、すぐに正面を見る。その瞳に浮かんでいたのは明らかな殺気で、それに魔物も何か感じるところがあったのかジリジリと後退をし始めた。その隙にと先ほど背後を取られていたはずのラパンが、小さい魔物たちを蹴散らしていく。腕は鈍っていないようで、小さな魔物なら、ラパンの敵ではなかったみたいだ。数匹が倒されたことで残り四匹になった狼たちは身を翻して逃げようとするも残りの二匹が倒されたことで、群れのボスはさらに大きな雄叫びを上げる。まるで、同胞を殺されて怒っているように。
「ご無事ですか、スティーリア様!」
「ら、ラパン……」
ファルクスとは違い、返り血を浴びていないラパンは、私に駆け寄ってくると、失礼します、といいながら私の身体にぺたぺたと触った。そして、異常がないことを確認した後、安堵のため息を漏らす。私も、彼女に怪我がないことを確認し、そっと身を抱き締めながら息を吐き出すものの、身体の震えは止まらないままだった。あっという間に、魔物は倒されたが、あの大きな魔物……先ほど馬車の中では感じなかったが、想像以上の魔力を秘めているようだ。もしかしたら、傷の回復が早いかも知れない。そして、怒りを露わにしたことで、先ほどよりも大きくなった気がする。こんなの、近衛騎士団案件だろう。
「ふぁ、ファルクス、下がりなさい! 貴方一人では無理よ!」
そんな魔物に立ち向かう男が一人……私の護衛、ファルクス。けれど、彼は私に背中を見せたまま、一歩も引かなかった。私を守る為なのか、それとも、勝ちを確信しているのか。いいや、ファルクスが、どれだけ強いといっても、攻略キャラだったとしても、これは無理があるのではないかと思った。物語外のイレギュラーに彼は対応出来るのか否か……
「スティーリア様、離れましょう」
「で、でも、ファルクスが!」
「大丈夫です。信じましょう。三週間で、ファルクス様は、アングィス伯爵の元から帰ってきたんですよ。この意味、スティーリア様ならおわかりですよね」
「え、ええ、でも!」
狼が地ならしをしながら、ファルクスに飛びかかる。彼の身体をゆうに超えるその大きな前足が、ファルクスをおそう。大丈夫なわけがない。どうして、大丈夫と言い切れるのかラパンに聞こうと思ったが、彼女の表情を見ればそんな言葉を言えるはずもなく。ただ、信じてファルクスの背中を見送ることしか出来なかった。
すると、先ほど聞いたザシュッ! という音と共に狼の前足が切り裂かれ、血が飛ぶ。次の瞬間には、狼の首元にも一閃が入り、あの大きかった魔物はなすすべなく息絶えたようだ。ほんの一瞬、無駄な動き……いや、動きすら見えなかった。もはや、人間業じゃなかった。
私もラパンも言葉を失っていたが、くるりと、ファルクスがこちらを振向いた。全身血を浴びた彼は、月明かりに照らされ、生々しく、魔物よりも恐ろしい存在としてそこに君臨している。けれど、これまで見せたことがないような顔で、愛おしいものに出会ったような、そんな恍惚とした笑みを浮べ口を開いた。
まるでそれは、何十年と離れ、ようやく再会した愛しい、愛しい人の名前を呼ぶように。
「スティーリア様、約束通り戻って参りました。貴方の護衛騎士、ファルクス・アングィスが」
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