悪女に駄犬は手懐けられない

兎束作哉

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第2章

08 あれから三週間

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 翌日から、ファルクスは伯爵家に養子入りするための準備をしていた。外に出ることがなければ、さほど護衛騎士の仕事はないので、彼と会うこともなく、過ぎる時間を退屈に過ごしていた。そして、翌週には手紙が返ってき、ファルクスは公爵家を一旦出ていくこととなった。いつ戻ってくるか分からないけれど、彼はもう一度「必ず帰ってくる」と私に誓ってくれた。あれだけ、離れたくないと駄々をこねていたのに、それが今では嘘のように、きりりとした顔つきで出て行ってしまったのだ。最後の機嫌取りだったのかも知れない。本当は、自分を奴隷として買い取って、命令してきた私を恨んでいた。けれど、これからも自分の身のためには、私に従順なフリをしないといけないと。

 私はする事もないので、部屋で刺繍をし、ラパンに持ってきて貰ったお茶会の招待状に目を通していた。
 先日、ファルクスの隷属契約を破棄し、彼は晴れて自由の身となった。隷属契約を破棄するのはかなり面倒で手間がかかるため、半日作業となったし、ついでにラパンの方も破棄したため、私はドッと疲れてしまった。契約した側も、かなりの魔力を持っていかれるのが、この魔法なのだ。おかげで、次の日はいつもより長い眠りについて、お父様に心配されてしまった。


(……隷属契約を破棄したことで、また振り出しに戻ったかも知れないわね)


 何故、彼と隷属契約を結んだのかは本当に簡単で、彼が超危険人物だから、自分の手の中に治めておかないとと思ったから。隷属契約を結べば、私に危害を加えられないから。だから彼を縛り付けたのだが、それをあっさり解約してしまった。まあ、養子になるとき、奴隷の身分では困るためなんだけれど、私は自分でも分かるくらい躊躇なく彼の契約を破棄した。
 けれど、ファルクス側は、何故か隷属契約を破棄することを渋っていた様子だった。顔にそれが出ていて、このままでもいいと言ってきそうだったのだ。奴隷でいたがる人間なんていない。ラパンでさえ、ありがとうございます、なんて涙ながらに言ってきたくらいだから、私が気を許していたとしても、隷属契約を解約されることは嬉しいはずなのだ。普通は。


『いいのですか、スティーリア様』
『何が? 破棄しなければ、貴方は伯爵家の養子になれない。困るでしょう?』
『……そうですね』
『何か言いたいことでも? 普通、奴隷のままいたいなんて思わないんじゃない? それとも、奴隷でいたい、とか』
『いえ……ただ、貴方と俺を繋ぐものがなくなってしまうと。少し、名残惜しいです』


 隷属契約が、私とファルクスを繋ぐものだと彼は言った。彼は、形が欲しかったのだと、直接は口にしなかったが、大方そういうことで。言わば、隷属契約は、首輪のようなものだ。主人と従者を繋ぐ、堅いもの。それがなくなることに彼は名残惜しさを感じていると。意味が分からなかった。私が、彼に犬でありなさいと言ってから、彼はずっと自分のことを私の犬だと思っていたのだろうか。そこまでする理由がやっぱり分からない。何も分からないからこそ、気持ち悪くて、恐ろしい。ただ、私を見るあの夜色の瞳は嘘をついていない。そして、私には理解しがたい感情が渦巻いている、そう見えて仕方がなかった。
 そして、そんなことがあってからすでに三週間ほど経過している。


「考えるだけ無駄ね……」


 全部、全部機嫌取り。それか、私を騙して、いつかその首をかききるためかも知れない。今の彼は、首輪のついていない犬。危険すぎる。
 ファルクスのことは、暫く忘れて、最も重要なことに目を向けるべきだと私は切り替えることにした。
 殿下の態度。今に始まったわけではないけれど、ヒロインであるメイベが表舞台に出てきた事によって彼の心は彼女に傾き始めているのではないかと思った。そうだとしたら、婚約破棄は時間の問題だろう。これまでの態度を改めて、殿下に貴方の婚約者として恥じない人間になりますと、宣言をした。殿下は、疑いの目を向けてきたが、勝手にしろといった。それが少し前。私が、前の世界の記憶を取り戻し、どうにか下がりに下がった評価を上げようと奮闘したのは本当に数週間、数ヶ月前のことで。そんな短時間で、スティーリアの下げた印象が、株が上がるはずもなく、殿下もそれに飽き飽きしていたのだろう。そんな時に、ヒロインが現われたから……


「はあ……もし、婚約破棄されたらどうすればいいの?」


 とりあえず、ヒロインには手を出さないことだろう。もし、ヒロインに手を出せば、攻略キャラたちが黙っていない。すぐにでも私は殺されるだろう。問題は、断罪イベント……があるかどうか。何もしていないのに、罪だ、罰を受けろと言われるのは受け入れられない。けれど、一度婚約破棄されてしまえば、もらい手がいないだろうし。
 ソファに沈み込みうなだれていれば、トントンと部屋をノックする音が聞えた。


「誰?」
「ラパンです。スティーリア様」
「ラパン? 何のよう?」


 扉の向こうにいるのはラパンらしい。つい先ほど、手紙を持ってきてくれたのだが、まだ他に用事があったのかと。一人で、悶々と悩むのは身体に悪い気がして、彼女を部屋に引き入れることにした。
 ガチャリとドアノブが回され、ラパンが部屋に入ってくる。彼女は銀色のトレーのようなもの運んでくる。そのトレーの上には手紙がのっていた。


「手紙?」
「はい……実は」
「ん?」
「大変申し上げにくいのですが、男爵令……聖女様から」
「聖女?」


 聞き間違いだろうか。そう思ったが、ラパンの顔を見ていると、そうではないようで、私は急に頭が痛くなってきた。彼女が、私に何のようなのか。手紙をよこすほど暇なのか。彼女は魔獣討伐のため、今はその力を蓄えていると聞いたけれど……
 嫌な予感しかしない、と私はラパンからレターナイフを受け取って封を切る。中から出てきたのは可愛らしい便せんに、これまた可愛らしい丸っこい字で書かれた文章だった。内容は、お茶会へ招待したいのだとか。


「ハッ……」
「スティーリア様?」


 昔の私なら、ここで燃やしてと言っただろう。けれど、そんなことしても何の解決にもならなかった。無視したら、なんて小言を言われるか想像するのも辛い。
 ラパンが、私を心配そうに見て、ぼそりと「聖女様が、スティーリア様に何のよう何でしょうか」と、理解できないというように視線を下に落とした。聖女というのは、ただ清く美しく魔力のある人間というわけじゃない。魔獣討伐を課され、帝国、世界のためにその身を捧げる人間のことだ。確かに、休養も、貴族であるから社交の場に出ることも大切である。けれど、何故よりにもよって今なのか。それは理解しかねた。


「お茶会よ。お茶会の招待状」
「聖女様が?」
「ええ。どうやら、魔獣討伐は聖女様にとってそれほど難しい問題じゃないみたい」
「ですが……」
「いいわよ。いくわ。呼ばれたんだもの。夜会のこともあったのに、よく招待状を送れたとは思うけれど」


 ラパンは口を噤んだ。私が決めたなら、止めないという意思表示だろう。利口で助かる、と思いつつ、彼女に圧をかけているのではないかとも思って、私は彼女に微笑みかけた。


「ありがとう、ラパン。私のことを心配してくれたのよね」
「は、はい。スティーリア様、もちろんです」


 彼女の目の縁は少し赤くなっていた。隷属契約を破棄したとはいえ、私が過去、彼女に与えた精神的苦痛がすぐに和らぐわけでもない。私は今一度、彼女たちに何をしたのかしっかりとそれを胸に刻み、忘れないよう接していかなければならない。それが、上に立つものの義務だと思うから。


(けど、本当に困るのよね……お茶会って。メイベはそんな暇無いでしょうに)


 男爵家から、公爵家へ。それもまだ、出会って間もないのに。少し、非常識が過ぎるのではないかと思った。
 はあ……と、ため息をついて、もう一度招待状に目を通す。日時は、ちょうど一週間後。ファルクスは、まだ出ていって三週間ほどだから、戻っては来ないでしょうし……私は手紙を置いて立ち上がった。ヒロインと一度話し合っておくべきだと、肩に乗った髪を払って唇を指でなぞる。この少し怖い顔も、一週間ほどで柔らかいものになるかしら、と私は思いながら手紙を書くことにした。
 下を向いてなどいられないから。少しでも、自分と家のために何か出来ないかと、私なりに探すしかない。正解がなかったとしても。


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