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第1章
05 賭け事
しおりを挟む「定期的に会いにいかないと、母上が煩いからな」
「わざわざ、公爵家まで足を運んでいただきありがとうございます。殿下」
昼下がりの公爵家の庭園で、私と皇太子であり私の婚約者であるレグラス・リオーネ殿下は、テーブルを囲み、お茶を楽しんでいた……といえればいいのだが、これは定期的なもので、楽しくもなんともない。ただの恒例行事。
殿下は、そのルビーの瞳で私をじっと見つめた後、カップを手にして口をつけた。
「いいお茶だ。といっても、ここにくるたび、毎回飲んでいるが」
「お口に合って良かったです」
「……相変わらずだな。スティーリアは」
「殿下こそ」
彼の瞳は冷たくて、いつも刺々しい。何かを品定めするような、そんな視線。私に商品価値があるのかどうか、見極めているみたいな心のない視線。それを私は、これまでずっと向けられてきた。記憶が戻ってからは、彼が私を愛していないことなんてとっくに理解している。だからといって、愛していないんですよね、なんて口にしないし、これまで通り、愛されていると思って、笑顔を取り繕い演技をする。バレたところで、何ともならないけれど。
私が、カップを持ち口元に運べば、彼は視線をふいと逸らした。
私と殿下が出会ったのは六歳の時で、その時からずっと彼は私を政略結婚の相手、ただの婚約者としか見ていなかった。公爵家の財産と権力、それが後ろ盾にあれば、軍事に小言を言う貴族たちを黙らせられるから。勿論、国家転覆を狙おうとする貴族もいるようだけれど、貴族社会でトップに君臨する公爵家が、皇族側だと分かれば誰も文句は言えない。まあ、そんな意味もあって、私と殿下は婚約関係にあるのだけれど。
(本当に、私に興味がないのよね……)
殿下は、そもそも女性に興味がない。そして、スティーリアは彼の嫌いなタイプど真ん中なのだ。自分に媚びを売り、愛も求め、地位も求めるそんな女だから、殿下は昔から毛嫌いしていた。スティーリアもそれを分かっていたはずなのだが、彼と無事結ばれれば皇后になれ、さらなる権力と財産が約束される……そう考えれば、自然と殿下に媚びを売るし、彼の愛を求めるようになる。スティーリアは気づかぬうちに、殿下に恋をし、殿下を求めるようになっていた。結果、ヒロインに殿下をとられ嫉妬に狂い破滅へ……
(愛なんて求めても仕方ないわよ……スティーリアは絶対に幸せになれないのよ。性格からして)
スティーリアの悪女ぶりはもう殿下も従順承知だろう。
それにもう、私は彼への気持ちなんて欠片もない。あるのは、この公爵家を繁栄させたい思いだけだ。その為の道具に私がなっただけの話。だからか、この婚約に対して私は何の感情もなかった。殿下は、私との婚約なんて破棄しても構わないと思ってそうだけれど。
「そういえば、スティーリア。新しい護衛を雇ったのか」
「ええ、剣術に長けた護衛よ。期待しているの」
「そうか。だが、奴隷市から買ったと噂に聞いたが」
「殿下ったら、面白い冗談を言うんですね」
何処からバレたのか、殿下は、興味を示したように、手を組み、私に真っ赤なルビーを向ける。好奇心と、嘲笑、そんな感情が含まれた目に私は、狼狽えることなく微笑みかえす。
「何でも、この間僕達に喧嘩を売ってボロ負けした敗戦国の第二皇子だそうじゃないか。面白い玩具を見つけてきたんだね。君らしいよ」
「殿下にはかないませんね。でも、玩具だなんて思っていませんよ」
「君がそんなこと思うわけがないじゃないか」
殿下はフッと馬鹿にするように笑うと、眩い黄金の髪を耳にかけ直した。
「この間の護衛は何週間、いや何日続いた? その前の護衛は? 君はすぐに護衛を解雇しているだろう。噂では、その前の護衛と不貞行為に及んでいるとか」
「殿下という素敵なお方がいるのに、そんなわけないじゃないですか」
「そうだな。これはただの噂だし、信じていない。君が、そんなに軽い女だなんて思っていなからな。それに、君は触れられるのも嫌がりそうだしな。僕だって、君に拒絶されるのは怖い」
などと、殿下はぺらぺらと口にする。思ってもいない事がよくそこまで出てくると感心してしまうほどだ。それに、全て嫌味なんだと私は理解している。ここまで言えば、怒るだろうと、怒りの沸点が低いくせに物わかりのいいスティーリアだったら、きっとここでヒステリーを起こしていただろう。彼女は、殿下にさえ楯突くそんな女だったから。でも、私は違う。
「私は、殿下の事拒絶しませんよ。私は、貴方を愛しているので」
「……そうか」
「はい」
私が微笑めば、不服だといわんばかりに殿下は眉間に皺を寄せた。けれど、感情にまかせて婚約破棄など出来ない関係にあることを殿下は十分理解しているはずだ。ヒロインが現われるまでは、この関係は断ち切れない。
私を笑いものにしたかったのだろうが、その作戦は失敗し、殿下は頬杖をつく。それから、庭園の近くで、剣を振るい鍛錬に励んでいるファルクスを見つけると、ニヤリと口角を上げた。
「スティーリア。賭けをししないか」
「賭け、ですか」
私が食いつくと、殿下はパッと表情を明るくさせた。こういう顔をしたときは、要注意だと私は知っている。何せ、殿下も攻略キャラの一人。かなりたちの悪い性格をしていて、計算高い男だ。そんな男の賭けなんてろくなものではないだろう。
殿下はファルクスがいる方を指さし、余裕の笑みを顔に貼り付けて私を見つめる。
「あの護衛を君は解雇する。近いうちに」
「それの何が賭けなんですか」
「だから、僕は、君があの護衛を解雇するに賭ける」
「……」
「君は勿論、解雇しないに賭けるだろ?」
なんて意地悪だ。こちらが何も言っていないのに、話を進めてくる。殿下にとってこれは暇つぶしや、お遊戯と変わりないのだろう。
スティーリアが、気に入らないとこれまで護衛を解雇し続けてきたことを知っているから、殿下はこんなことを言っているのだ。それも、私が今回の護衛は今までと違う、と啖呵を切ったから。殿下の加虐心に火をつけたらしい。
私は、視線を落とし、揺れるティーカップの中を見た。はじめから拒否権は無い。けれど、これは私の勝利が約束されているようなものだ。乗らない理由がなかった。
「いいですよ。その賭けに乗っても」
「乗り気だな。スティーリア」
「それで、何を賭けるんですか? 勿論、賭け事ですから、何かを賭けるんですよね」
「ああ、勿論だ。君が、賭けに勝った場合、今後どんなことがあっても君との婚約を破棄しないと誓う」
「……っ」
私はその言葉を聞いて耳を疑った。私が一番恐れていたこと、それは婚約破棄だったからだ。
(何よそれ、最高じゃない……)
殿下は私とファルクスのことをよく知らない。私がファルクスを護衛として買った理由なんて知るよしもない。だから、こんなふうに余裕ぶっていえるんだと、私は思わず笑みがこぼれそうになった。いつ籍を入れるか、それを先延ばしにすることは殿下に出来るだろう。その間に、私に護衛を解雇させるつもりだろうし。殿下は、自分の勝ちを確信している。
けれど、それは大きな誤算なのだ。
殿下に勝ち目はない。そして、私はこの先の未来、何の不安も、恐れも消し去ることが出来る。
「分かりました。では、私は護衛を解雇しないに賭けます。殿下が勝ったあかつきには、今後どんなことがあっても殿下から申し出た婚約破棄は受け入れますね」
「婚約破棄される、そんな予知夢でも見たのか?」
「いいえ。でも、殿下はお告げの聖女、があらわれたらその女性と結婚するんでしょ?」
「それもそうだな。君は賢いな。スティーリア」
殿下はそういって苦笑した。そして、殿下は私の賭けを受理する旨を伝えれば、彼は立ち上がり私に手を振ると庭園を後にした。あの余裕そうな、腹黒男をぎゃふんと言わせるチャンスが来たと、私は彼がいなくなった庭園で一人拳を握った。
(ふふ、バカね……殿下に勝ち目なんてないのに)
私はおかしくなって、その後堪えていた笑いを爆発させた。すました顔が崩れるのが見物だし、言質をとったから、彼がこの約束を破るとは思わない。殿下にだってプライドがあるから、自分から提案した賭けをなかったことにはしないだろう。それも、自分の勝ちを確信していったことだから。
「ふ、ふふふ、はははっ」
思いも寄らぬ形で、私の願望は叶いそうだと立ち上がる。愛のない結婚は嫌だけれど、公爵家の公女として出来ることはしたい。お父様もそれを望んでいるだろうから。
(……結婚すれば、もしかしたら愛が産まれるかも知れないし)
そんな夢も、心の何処かにはあった。自分を愛してくれる人がいたら、その人と駆け落ちをしてもいいと。けれど、自由恋愛も、それこそ乙女ゲームみたいな展開も現実には存在しない。貴族社会にはそんなもの必要ないと切り捨て、私は庭園を後にした。
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