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第1章

04 利口な犬でありなさい

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「スティーリア何処に行っていたんだ」
「お父様、すみません。少し買い物に……」
「買い物……買い物とは、その男のことか。まさか、奴隷市に」


 家に帰るとすぐに、血相を変えてお父様がとんできた。後ろに何人ものメイドと使用人たちがおり、なんともいえないような表情で俯いている。その中にラパンの姿を見つけ、言わないでいてくれたもののかなりお父様がご乱心だったらしく、凄いゲンナリとした顔をしている。


(ラパンには後でご褒美を上げなくちゃ……)


 そんなことを思いながら、がっしりと私の肩を掴み顔が青くなったり、赤くなったりするお父様の顔を見る。まあ、一人娘がこんな夜更けに一人で何処かに行ったと思えば、心配しないわけがない。公爵家の令嬢ということもあって、誘拐の可能性だって考えるだろう。お父様にバレてしまったのは仕方がないけれど、どうせファルクスのことは言わなければならないと思っていたからちょうど良い。


「お父様、私にぴったりな護衛を見つけてきたんです」
「護衛、この奴隷がか」
「はい」
「馬鹿をいうな。公爵家には、もっと優れた騎士が何百、何千といるんだ。気に入らないのなら、別所からでも見つけてくる。だから、こんな奴隷はやめろ」
「ですがお父様、彼は、リオーネ帝国が討ち滅ぼした小国の第二皇子です。それなりの教養と、剣術は兼ね備えているはずです。それとも、お父様は私が選んだ騎士に何か不満でもあるんですか?」
「うっ……そうか、小国の…………スティーリアが選んだ騎士ならば、問題は……いや、でも、しかしなあ」


と、お父様は唸っていた。もう一押しすればどうにかなるなあ、と私はぶりっこをしながら、お父様の手を取った。


「お願いです、お父様。どうか、彼を私の護衛として認めてくださらないですか」
「スティーリア……ああ、分かった。だが、此奴がお前に危害を加えるようであれば、公爵家の騎士がすぐにそいつの首を跳ねるように言っておくからな」
「はい、ありがとうございます。でも、心配はいらないですよ。隷属契約をしているので」


 私は、満面の笑みでそうお父様に言って、後ろにいた疲れきってしまっている使用人たちに微笑みかけた。


「皆もありがとう。私のこと探してくださっていたのよね。心配をかけてごめんなさい」


 私がそう言えば、使用人たちは顔を上げて、驚きつつも、涙ぐんでいた。本気で私の身を案じていたらしい。これまでに、酷い仕打ちや、横柄な態度をとってきたのに、私のことを心配していてくれたなんて、なんていい人達なんだろう。と感動しつつ、私はファルクスをチラリと見る。彼は何を思っていいるのか分からない顔でそこに立っていたのだった。


(皆には優しくするとして、ファルクスにはそんな素振り見せちゃダメよね。私に執着されたらたまったもんじゃないから)


「いきましょう、ファルクス」
「はい、スティーリア様」
「皆、お風呂の用意をして頂戴。勿論、彼を入れるお風呂もね。彼は私の護衛騎士だから、丁重に扱うように。いいわね?」


 私が使用人たちにそう指示を出せば、お父様が私を引き止めるが、私は無視して部屋に急いだ。まあ、いきなり来て、こんな風に奴隷を扱うのが信じられないと思うのもしょうがないだろう。お父様が、私のことを心配して言ってくれているのは十分に分かっているので、私もそれを理解している上で行動しているつもりだ。けれど、今はただ休みたい。疲れてしまったのだ。私はお父様から逃げ出すかのように走って部屋へ急いだ。


「す、スティーリア様」
「ラパン」


 部屋に戻ると、そこには着替えを持ったラパンが立っていた。足は震えていて、その目の縁は赤かった。よっぽど怖い思いをしたのだろう。お父様も言い過ぎには注意が必要だと、今度言おうかしら、なんて考えながら、私はラパンを抱きしめる。彼女が持っていた衣服が床に落ち、ラパンは行き場のない手をパタパタと動かしていた。薄い桃色の三つ編みお団子が私の頬をくすぐる。


「ありがとう、ラパン」
「そ、そんな、私は何もしていません。スティーリア様。それに、公爵様に……」
「そうね。でも、怒っていないから安心して。ラパンは何も言わないでくれていた。そうでしょ?」
「はい」


 優しくそう言えば、ホッとしたのか彼女は手を横に下げ大人しくなった。私は、彼女を責めるつもりは本当に一切なかった。これからは、彼女に優しくしようってさっき誓ったばかりだから。
 そんな風にラパンを抱きしめていれば、廊下の方から何やら騒がしげに、足音が近付いてくるのが聞えた。私はラパンから手を離し、何の騒ぎかと部屋の扉を開けようとすると、それよりも先に扉が開かれた。そこに立っていたのは、ファルクスで、私を見るなり目を丸くした。纏っていた布が床に落ち、その上半身が露わになる。その身体には痛々しい傷が残っていて、私と結んだ隷属契約の赤黒い刻印が右腹に刻まれている。


「ファルクス?」
「スティーリア様?」
「スティーリア様すみませんっ」


 慌てて後ろからメイド達が何人かやってくる。それでようやく事態が飲み込め、私はファルクスを睨み付けた。彼はぎょっとして、反射的に跪く。


「ファルクス、何でここに来たの」
「スティーリア様を探しに」
「私は別にそんなこと頼んでないわよ」
「……護衛はずっと側にいるものかと」
「だから言ったでしょ。貴方の常識で動かないで。滅ぼされた小国でもそんな風な態度をとっていたの? それとも、貴方の護衛がそんな常識も分からない輩だったの?」
「……っ」
「勝手なことしないで。彼女たちが怯えているわ」


 私がそう言って、後ろを指さすと、メイド達はガタガタと震えていた。ただでさえ、男性慣れしていないというのに、そんな傷だらけの体を見て驚いただろうし、奴隷とはいえ、何をしでかすか分からない恐怖もあっただろう。男性の使用人は少ないし、ファルクスに何をするか分からない。まあ、分かれば私が処罰すれば良いだけの話だけれど、面倒事はごめんなので、メイド達に任せたが、結果がこれだ。
 ファルクスは頭を垂れて、そのまま顔を上げることはなかった。
 反省はしているのだろうが、自分のやった事に対してイマイチ自覚がないかも知れない。そう思って、私は彼の顔を掴み上げ、自分の顔に近づけた。後ろでひゃっ、なんてメイド達の小さな悲鳴が上がる。ラパンも「スティーリア様っ」と、私のことを心配するように声を上げている。けれど、誰もとめなかった。悪女と、奴隷。この間にわっては入れるような人間はそれはもう肝が据わっていることだろう。


「いい、ファルクス。よく聞きなさい。勝手に動かないこと。私が命令したことに忠実に従って。貴方は私の犬でもあり、公爵家の犬なのよ。貴方を、お世話してくれるメイド達に敬意を払いなさい。いいわね?」
「……分かりました。スティーリア様」
「いい子」


 無意識のうちに、私は手を離し、彼の艶やかな黒髪を撫でた。あの檻の中に居たとはいえ、元の髪質がいいのか、ぱさつきはあるものの柔らかい髪の毛は私の細い指の間を通り抜けていく。
 ファルクスは私が撫で終わるまでお利口にじっとしていた。私の前では、こんなにも聞き分けのいい子なのに、他の人に対しては、まだ警戒があるのか、それとも、皇族だったときの名残か……


(どちらでもいいけれど、躾けないとね)


 反抗心も何もかもへし折って、それでいて、執着されないように。
 私は、彼の頭からスッと手を離し、メイド達に再度彼の面倒をと頼み込んだ。メイド達は顔に恐怖心を残しつつも、先ほどより落ち着いたファルクスを見て二つ返事で引き受けてくれた。


「さあ、ファルクスいきなさい。ファルクス?」
「……あの、スティーリア様」
「何?」


 ふと顔を上げて、彼の夜色の双眼が私を見つめる。キラリと、流れ星が流れるように、その瞳に一瞬だけ光が宿る。彼は堅く唇を結んだ後、ゆっくりと開き口にする。


「また、頭を撫でてくださいますか」
「え?」
「お利口にしていたら、俺の頭を撫でてくださいますか」
「……え、ええ。お利口にしていたらね」


 何を言われたのか、瞬時に理解することは出来なかった。けれど、彼の真剣な眼差しを受けて、私はそれを許諾せざるを得なかった。そうさせられたような気分だった。ファルクスは、ふわりと一瞬だけその顔に花を咲かせ、ありがとうございます、と小さく呟いた後、メイド達につれられ、私の部屋を出た。嵐が去ったように、私はラパンにもたれ掛る。


「大丈夫ですか、スティーリア様」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう」


 彼の変わりよう……あの笑顔は何だったのかよく分からなかった。そもそも、ファルクスという人間の腹の奥なんて、私が覗けるはずもないのに。
 不安も胸に抱きながらも、私は、上手くいったと、息を吐きラパンにつれられ浴室に向かい、その後何事もなく眠りについた。夢の中で、ファルクスが満面の笑みを浮べ、私の名前を呼んでいる……そんな夢を見たのは、自分でも意外で、意識しているんじゃないかなんて思ってしまった。


(ダメよ。深入りしちゃ。ファルクスは危険なんだから)



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