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第3章 不遇令息と猟犬
09 無事帰還
しおりを挟む洞窟にほんの少し明かりが差し込んでいた。
目が覚めたときにはすでに燃やしていた木々は炭となっていて、その匂いが鼻腔を通り抜けて、頭を活性化させる。
「おい、ラーシェ起きろ」
「んんーあと、一時間」
「一時間も寝ていたら、狩猟大会終わるぞ」
ふんがっ! と、俺は鼻をつままれ、なんとも情けない声を上げて体を起こす。そして、目のピントが合って飛び込んできたのは、ゼロのフッと笑ったやわらかい笑みだった。そんな顔見たことがなくて、目を擦って確かめたが、やはりゼロが笑っているのだ。前にも笑ったが、そのときよりも幾分かやわらかくなっている気がする。
「おはよ……ゼロ」
「ああ、おはよう。ラーシェ。俺の膝の上でよく寝れたな」
「んーああ、首痛っ。もう、今度は勘弁だわ。つか、ありがとな。膝枕まで」
素股して、ちょっと拒んで、それから確か並んで火を見つめていた気がする。だが、俺はその途中でうとうととしてそのまま眠りについてしまった。眠る前に、少し硬いが弾力もある何かが頭の下にあったのは覚えているが、それがまさかゼロの膝だったとは。
(じゃあ、こいつは俺が寝てる間ずっと同じ体勢だったってことか?)
本当に律儀なやつ、と思いながらも俺は立ち上がってうんと背伸びをした。ポキポキとありえないほど体のいたるところから音が鳴って、筋が伸びるのを感じていた。
洞窟の外はすでに明るくなっているようで、小鳥のさえずりと、昨日も聞こえていた滝の音がより鮮明に聞こえる。
本当にここで一夜を明かしたのかと、少し信じられなかったが、何にも襲われることなく一夜を過ごせたのは奇跡に近いだろう。この洞窟が魔物の巣窟じゃなかっただけ運がよかったか。
それと、ゼロがいたから。
「改めて、ありがとな。ゼロ」
「それは、帰ってから言え。まだ、洞窟を出てもそこが安全地帯かどうかはわからないだろ?」
「でも、この洞窟は安全だったじゃねえか」
「たまたまだ。それと、滝の近くだったからな。あまり近寄らないんだろう」
と、ゼロは俺に背を向けた。そのとき、ゼロの背中が少し黒ずんでいるような気がして近寄ってみると、それは黒ではなく赤黒い血のようなものだった。
「お前、黙ってたことあるだろ」
「何をだ?」
「……昨日、滝から落ちた際、怪我したんじゃねえか? その背中の傷」
俺が指さすと、ゼロは嫌そうにこっちを見た。自分の弱ったところを見られたくないというプライドの目。別にそれを笑うわけじゃないんだから、そんな顔をしないでほしいのだが。
俺は近寄って確認させろといったが、頑なにゼロは背中を見せようとしなかった。
「別に怒ってねえし。俺のせいで怪我したんなら治させてほしいって思っただけだし」
「ハッ、ラーシェは治癒魔法も使えるのか」
「なんで今鼻で笑った? 少しくらいなら。いいから、ほら背中見せろ」
そこまでいってようやくゼロは観念したように背中を見せた。かがんでくれないと届かない位置に傷があり、それは何かにぶつけたように充血し、青くなっていた。もう血はとっくに止まっているものの見ているだけで痛々しい傷であることには変わりない。俺は、ゼロにかがむよう指示をしてその傷口に手を当てる。
指先に力を込めて魔力を流せばぽうっと明かりがつくように白く手元が発光した。そして、ゼロの傷を包み込むようにして輝いて、あっという間にゼロの傷が消える。元の血色のいい小麦色の肌に戻る。
「驚いた。本当に使えるのか」
「だから、俺のこと舐めすぎじゃね? これくらいは当たり前……じゃないのか。俺は使える、けど。そうそうこんな魔法使える奴いないんだからな?」
「それもそうか。悪用しないようにしてくれよ、ラーシェ」
「もうしないっつーの。怪我も治っただろ。行こうぜ、ゼロ」
俺は洞窟の出口を指さした。ゼロはこくりと頷いて率先して前を歩いてくれる。
俺たちがいなくなったことを、どれだけの人が気付いているだろうか。それとも、誰にも心配されていないだろうか。少なくとも、クライゼル公爵には心配されているといいが、バカ息子がまたバカなことをして捜索願を出させやがったと思われていたらどうしようとも思った。それでも、不正行為をするよりも暴れるよりもいくらかそっちのほうがましだろうとは思うが。
結局、今年もある意味迷惑をかけてしまった。
ゼロの背中を負いながら、俺は洞窟の外に出る。朝露が草花の上で光っており、昨日の嵐は嘘のように空は晴れていた。もしかしたら、通り雨だったのかもな、と思いつつ少し歩いていると、開けた道に出て、そこには見知った顔の人が数名いた。
「ラーシェ!」
そう俺の名前を呼んで駆け寄ってきたのは、他でもない黄金の彼だった。
「じ、ジーク?」
幽霊でも見たような顔で駆け寄ってきたジークは、息を切らしており、そのきれいな顔には汗がにじんでいた。黄金の髪が顔に引っ付いて、なんとも不細工だ。
そして、ジークの後ろを見れば数名の騎士とネルケの姿も見てとれた。そこでようやく、俺たちは探してもらえていたんだと気づいた。
「ラーシェ、君は一体どこに行っていたんだ。狩猟大会一日目が終わって会場に戻ってきていなかったから心配したんだぞ。ネルケだって……」
「わりぃ、わりぃ。ちょーっと狩りに夢中になってたら迷っちまって」
いつもは見せない焦った表情が面白くて少しからかってやろうと俺がそういうと、ジークの眉間にしわがよった。
「……そんな冗談はいい」
「冷たいな。それとも、俺が森で迷って動物に襲われて死ねばよかったか?」
「なっ……!?」
(そう思ってたんだろ。俺のこと、嫌いだもんな)
一応、幼馴染だからという理由で探しに来てくれたのだろうが、実際生きていようが生きていまいがどっちでもよかったのではないかと。ジークにとって大事なのはネルケだし、俺じゃない。別に、恋人と幼馴染を天秤にかけたとき恋人をとるのは間違っていないし、俺は何も言わない。ただ、冗談を笑ってくれないし、俺だってひどい目にあったのに……
俺がそんなふうに一人沈んでいれば、パシンと乾いた音ともに俺の頬に痛みが走った。一瞬何をされたかわからなかったが、すぐにジークに叩かれたのだと気づくことができた。いつの間にか俺の後ろに来ていたゼロの気が一瞬立ったが、俺はそんなことよりもジークの顔を見て言葉を失った。
「何だよ、俺のこと、心配してなかったんじゃ……」
「心配していたに決まっているだろう。何年一緒にいると思っているんだ」
「いや、だって、お前俺のこと嫌いな素振り……」
「ラーシェたちは、魔物に襲われて崖から転落したのだろ?」
と、ジークは息を吐いて自分を落ち着かせるとそう言って俺のほうをみた。何かを思考している難しい表情に、影のできた瞳。
思った以上に、俺たちの捜索はしっかりされていたのだと、ジークの言葉から分かった。
俺はそんなジークを疑って、こっちの偏見で思い込みでバカなことを言って。
(……本当に嫌になるな)
少しは、ジークのことを信じてやってもよかったのに、俺はあのパーティーでのことがあって信じてやれなかった。それは、ゼロの気持ちだったり、他の人の気持ちだったりもそうだろう。俺が、悪役としてやってきたことの重さを考えたとき、誰も俺のこと気にかけてくれないんじゃないかって、勝手に。それでも、俺が少し変わったところを見て見直してくれた人もいたわけで。その人たちの思いまではねのけてしまっていたのかもしれない。
ポン、とゼロに肩を叩かれる。何かを言うわけではなかったが、ゼロは首を縦に振って大丈夫だ、と俺を元気づけてくれた。気が利く野郎だな、と俺は口角を上げつつ、ジークのほうを見た。
「それも、捜索してわかったことか? ジーク」
「ああ。昨晩、ラーシェたちがいなくなったとクライゼル公爵から聞いてな。夜の捜索は危ないと、早朝から開始したんだ。そこで、森の中で熊の形をした魔物に遭遇した。その熊は形こそ獣だったが、何者かの介入によって魔物化していて、興奮していた」
「俺たちが出会った熊と一緒か……な、ゼロ」
ああ、とゼロは答えて同じくジークのほうを見た。
ジークはこくりと頷いて話を続ける。
「その魔物は幸いにも、ネルケの力を借りて倒すことができたが、すでに何者かが攻撃を与えていた痕跡が見つかってな。それが、ラーシェお前の魔力だった。だから、もしかするとあの魔物に追われて、と考えその後の痕跡をたどってここまで」
「そうか。んで? その魔物にかけてあった魔法……魔力の持ち主の特定は?」
「残念ながら、倒してすぐに消えてしまったんだ。ラーシェの魔力が残っていたのはわかったが、犯人は君でないことは確かだった。攻撃魔法を、わざわざ使役した魔物にかけないだろうから」
ジークはそう言って肩をすくめた。
疑われていないことにほっとしつつも、誰が魔法をかけたかわからないんじゃ探しようがない。ただ、一つ言えることは今回の狩猟大会に関わっている貴族の誰か、ということだろう。どういう意図で魔物をあの森の中に放ったのかも全く想像ができない。
俺たちを追ってきていたものの、あれは獣の修正というか。俺たちを追ってきたのは、必然性のあるものだったから、きっと俺たち狙いではない……とは思う、が。まあ証拠が残っていないのだからこの件に関してはもうどうしようもないだろう。
「ラーシェ、気味が無事に戻ってきてくれてよかった。本当に、これは、本当のことだ」
「わかったよ。俺も疑って悪かったって。親友にそんなこと言われちゃーな! ありがとな、お前も心配してくれて」
「お前も? とは、他に誰が……」
と、ジークは視線を漂わせると、後ろにいたゼロと目があったのか、俺のほうに視線を戻した。
「そうか、ラーシェも大切なものを見つけたんだな」
「は、はあ!? どういう!? つか、なんだよ。その生暖かい目は!」
ジークがあまりにも嬉しそうに笑うので、気味が悪くて鳥肌が立つ。多分、根はいいやつなんだろうが、俺の中にある劣等感やその他もろもろの感情が邪魔をして、こいつを本当の意味で好きにはなれなかった。それでも、表面上は幼馴染で親友というのを貫こうと思う。王太子の親友なんてこれ以上ないほど使えるカードだろうし。
「まっ、俺はそう簡単に死んでやんねーけど。だって、俺はラーシェ・クライゼルだからな」
俺はわざと後ろにいた騎士たちにも聞こえるように、悪役っぽく胸を張ってそう言ってやったのだった。
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