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第3章 不遇令息と猟犬
07 洞窟に一人とポメ
しおりを挟む「――ん、んん……」
「……っ、キャン、キャン!」
「さむ……すぎ…………って、いてええ! 痛い、痛い、痛いって、なんだよもう!」
ぼやける視界、寒さで震える身体。でも、まだ眠たくて、そのまま寝てしまいそうだったとき、耳障りな高い鳴き声と、俺の腕を何者かが噛んだ痛みで俺は目が覚めた。
「おい、誰だ……って、ゼロ。ゼロしかいないよな……てか、何でまたポメになってんだよ」
「キャン!」
「え、嘘。お前、喋れねえの?」
「ぐうぅうう」
噛まれた手の甲にはしっかりと歯形がついており、充血していた。そこまで噛む必要があったのかと思ったが、あのまま眠っていたら低体温になって死んでいたかもしれない。
俺は噛み跡をみつつ、あたりを見渡し、ここが洞窟の中であることに気が付いた。近くに滝が流れる音が聞こえるため、きっと落ちた近くにあった洞窟なのだろうと思う。運よく雨宿りできる場所も見つけたわけだ。
しかし、問題なのは……
「ゼロ」
「キャン!」
「嘘……だろ。本当にしゃべれねえっていうのかよ」
俺の近くには、ゼロが使っていた剣があり、衣服もそこに散らばっていた。どうやら、俺を陸に引き上げた後ポメラニアンになったらしい。どうして、こんなタイミングで呪いが発動したのか理解できない。ゼロの呪いは、極度のストレスや、感情の起伏があったときにポメラニアンになるものだったはずなのだが。
俺は、濡れた灰色のポメラニアンを抱き上げて、暖をとるように抱きしめた。
いつもだったら、この身体に似合わない低い声で人間の言葉が返ってくるはずなのだが、今はキャンとかウゥゥウとか犬の言葉しか喋れないようだった。それも不思議な話だ。
(とにかく、ここが安全かもわからないし、ちょっと探索するか)
濡れた服は体に張り付いて気持ちが悪いし、何よりも寒かった。俺は、シャツを脱ぎ絞り数度パタパタと叩いた後もう一度着なおした。それでも冷たかったが先ほどよりかは軽くなった気がする。
「ゼロ、おい、ゼロ、大丈夫か?」
「きゃん……」
「お前も、寒くて弱ってんだよな。そう、だよな。ありがとう」
崖の上から落ちた俺を助けに身を投げてくれた。そこまではしっかり覚えているし、俺が水に叩きつけられないようにと、しっかり頭を守ってくれて抱きしめて。おかげで衝撃はさほどなかった。それでも、高い位置から落ちたことには変わりないし、ゼロが無傷だったとも思えない。だが、あのままゼロが崖の上で残って熊に勝てた確率も低いだろう。
これでよかったとは言わないし、単純にゼロが俺を助けてくれたことに喜べばいいのだが。
(罪悪感……か。何で、ゼロは俺のことそんな守ってくれるんだよ)
和解というか、歩み寄ろうと二人で決めた。過去のことは清算できずともただの主人と護衛の関係に戻った。ゼロは堅物で真面目だから俺がピンチのときは身を挺して守ってくれるのだろうが、それでもさっきのは……
「なあ、ゼロ。何であのとき、俺の名前呼んだんだよ」
「キャン?」
「キャン? じゃねえし。ほんとに、俺の言葉わかってんだろうな」
手を伸ばして必死な顔して、俺の名前を始めて呼んだゼロ。ラーシェなんて、呼ばれ方するの初めてで、なんであのタイミングで? と思ってしまうのだ。今は、喋れないし、きっと人間に戻ったとしても『主』って呼ぶんだろうなというのが想像つく。別に呼び方なんてどうでもいいけどさ。
ゼロは耳を下げて、ペションとしっぽも地面につけていた。心なしかフワフワの毛も湿っぽいし温めてやらないといけないと俺は抱きしめてやる。すると、へにょっとした顔でゼロは「主」と俺の腕の中で顔を上げる。
「すまない。声が出なかった」
「声が出ないとかあんのかよ……でも、まあ、治ったならよかった、のか?」
「ああ」
「……心配したんだぞ。それと、本当にありがとな。俺の不注意で崖に落ちたっていうのに助けてくれて」
優しく頭を撫でれば気持ちよさそうにゼロは目を細めた。体が犬になっているときは、犬としての喜びを感じているのだろう。顔がめちゃくちゃかわいい。
「当然のことをしたまでだ。それに、俺の不注意でもある。それと、主のいったとおり、あのまま戦っていたとしても勝てなかっただろうからな。ある意味戦線離脱はできたというわけか」
そういったかと思うと、ゼロは俺の腕の中から抜け出して、スタッと地面に足をついた。短い足でちょこちょこと歩き出し、洞窟の奥のほうへ行こうとする。だが、一寸の先も見えない洞窟を動くのは危険だろうし、何よりここにも獣や魔物が住んでいるかもしれない。俺はゼロを引き留めようと思ったが「獣の気配はしない。もちろん、魔物も」といおうとしたことをすべて見透かされていたようで、返事をする。鼻の利くゼロがいうのなら本当なのだろう。
俺は、先導して歩くゼロの後をゆっくりとついていくことにした。ゼロの剣は持ち上げた途端腰をやらかしそうだったので、申し訳なく引きずって移動することになった。
「それで、なんでお前はポメになってんだよ」
「……自分のふがいなさに。それと、主が目を覚まさなかったから」
「……っ」
「俺のせいで死んでしまったかと思った。そう思ったら、俺は……」
と、ゼロは言葉を区切った。
そして気づいたらポメになっていたと。呪いの発動条件である感情の起伏というのは満たされているので、ゼロがポメになっているのも説明がつく。
俺が死にそうになったこと――それに動揺したと。
「ゼロって優しいよな」
俺がそういうと、ゼロはぴたりと足を止めた。
何かまずいことでも言ったかと思ったが、ゼロはこちらを振り向かなかった。尻尾も耳も動いていない。敵でもいたかと思ったが、近くにそういった気配は一切なかった。
「俺は優しくないぞ」
「いや、十分優しいだろ。だって、俺はまだみんなにちゃんと心を入れ替えたって信じてもらえていないのに、ゼロだけは俺を信じてくれるだろ。屋敷の人だってそうだ。俺がやったことを許してくれてるやつは多くないし、ゼロだってそうかもだけど。ただ……ただの護衛として俺のこと、命を懸けて守ってくれるやつがいるんだって。なんだか感動しちゃったんだよ」
「……仕事だからだ」
「……仕事じゃなかったら、俺のことを守らなかったのかよ」
思わず出てしまった言葉に、自分でも驚いた。
ピクリとゼロの耳も動いて、ようやくこちらを振り向いた。ターコイズブルーのまんまるとした瞳が俺を見ている。少し寂しそうな、それでいてなんでそんなこと言うんだと責めるような目で。それから、短い足を全力で動かしで俺のほうに来ると、最大限の頭突きを俺の足にかましてきた。
「いてっ、いや、痛くない……けど。ゼロ、なんだよ」
「命は平等だ。それは、悪人であっても善人であっても。俺はそうやって生きてきた。命は平等。だから、主。命の重さについてはあれこれいうな。俺が守りたかった、ただそれだけ。それでいいだろう」
「……ゼロ。そうだ、よな。命の重さは一緒。それに、俺が死んだらお前の呪いどうすんだって話だもんな!」
俺がそういうとゼロは俺の足に噛みついて唸っていた。先ほどから何を伝えたいのかあまりわからない。だが、何かを伝えようと必死に体を張っているのだけはわかり、かわいくなってきた。
「ゼロ、いい人みつけて早く俺のもとから巣立ってくれよ。そんで、ふられたら俺のところ戻ってこればいい」
「主はさっきから何を言っているんだ?」
「え、だから、お前の呪いの話、とか。お前がよくしてくれたのは、お前がいいやつだから。けど、呪いは解けてねえわけだし、やっぱりいい人見つけて、幸せになってもらうのが一番かなって。んで、呪い解けたらお前は自由! 俺の護衛なんてもうしなくていいわけだし」
「別にいい」
「呪いが解けなくても?」
「そうじゃない」
と、ゼロは重ねるようにして言ってきた。
「俺は、主の護衛を続けようと思う」
「いや、ええっ!? 俺の護衛って。いやいや、考えろよ、ゼロ。きっといい条件の」
「主は、公爵子息だ。時期クライゼル公爵家の公爵の座に収まる人間だ。これ以上好条件の働き口はこの国にはないだろう。それも、俺のような身分の曖昧なものが働ける場所など、位の高いものほど見込めない」
「そ、だけど」
現実的だなあ、なんて思いながらちっとも夢もクソもない実にゼロらしい答えだった。
ゼロがいいならそれでいいのだが、初めは嫌いで今は袖もないやつに一生仕えるなんて俺は嫌だけどなと思った。そこは、ゼロも感覚が違うのだと思う。
(まあ、俺的にもゼロ以外の護衛がって考えられねえけど。それに、それに……)
「そっか、嬉しいな」
「主」
「とりあえず、朝になったら動こうぜ。今動いてもまたあの熊と遭遇しちまうかもだし。ここで野宿だな」
「あ、ああ……」
ゼロは、何か言いたげに俺を見つめた後、タンタンとまた歩いていってしまった。言いたいことがあれば言えばいいのに、と思いながらも、俺はそこら辺に落ちていた木々を集めて、洞窟の奥へと進む。すると、少し開けた場所があり、眠れそうな広い空間を見つけた。そこは、先ほど落ちた滝とつながっているのか、水の流れもあって穏やかな場所だった。
俺はそこの中心に集めてきた木々をおいて、魔法を唱える。すると、湿っていた木は風魔法によって乾かされ、次に火の魔法を放てば火がついた。パチパチと燃えた火は赤く、とても暖かい。
「よし! これで、大丈夫だな。空腹だけど、一日くらいはどうにかなるだろ」
「すごいな、魔法か……」
「俺、魔法くらいは使えるってさっき言ったよな。お前みたいに、ムキムキな筋肉はねえけど、魔法はジーク……王太子と並ぶくらいは使えんだぜ」
「そうだったな。さすがは主だ」
「とってつけたように褒めるな。もっと褒めろ」
俺がそういうと、ゼロはプッと笑ってバカにするでもなくおかしそうに「そうだな、主はすごいやつだ」としっぽを揺らしながら言ったのだった。
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