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第3章 不遇令息と猟犬

06 森の中で

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「まあ、落ち込むなって! 俺だって把握してないし、ゼロのせいじゃないし。な、な、頼むから落ち込まないでくれよ」
「申し訳ない。一生の不覚だ」
「そんなに!? いや、大丈夫だって。帰る道くらいあるだろ」
「だが……」


 降り出した雨は強くなる一方だった。もうすでに数メートル先は暗くて見えない。顔を上げれば、目に大粒の雨が突き刺さる。
 冷えた体をさすりながら、俺は石弓を担いで今度はゼロに手を差し伸べた。


「あいつらも、会場に戻るだろ? 臭いでもたどればつくんじゃね?」
「雨のせいで、臭いは嗅ぎ分けられない。それに、今の俺は犬じゃない」
「……っ、そうだった。わりぃ、いつもの癖で」
「犬だったらよかったかもな。だが、主のいう通りだ。王太子らを追っていけば、会場につくだろう」


 ようやく前向きになってくれたゼロは俺の手を掴んで、歩き出した。元から冷たかったゼロが、さらに冷たくなった気がして心配になる。氷のようにつめたくて、雨のせいかぬるぬるとしている。足取りも重くて、一向に前に進んでいないんじゃないかという気にさえなる。
 目印でもつけておけばよかったと後悔しつつも、俺たちはそこまで遠くに行っていないであろうネルケたちを追いかけた。しかし、足跡どころか気配すら感じられず、このまま歩いても目的地につけるのだろうかと不安になってくる。


「ゼロ、もうこれ、どこかで雨宿りしたほうがいいんじゃないか? このままむやみやたらに歩いても、迷子になるだけだろ?」
「だが、そうなると雨宿りをする場所を探すことになるが。把握しているところ、この近くに洞窟などはなかったはずだ」


 ゼロは、必死に森の出口を探してくれるようで、あたりを見渡していた。俺の考えも一応視野に入れてくれているらしいが、現実的ではないという。俺は、ゼロの手を握りながらくしゃみをして、白い森の中を見た。もとから知らない地形なわけで、ゼロだけじゃなくて俺も把握できていないのは当たり前のことだった。迷えば森は恐ろしい迷宮とかす、とでもいうように、俺たちの背なんかよりも大きな木々が見下ろすように空を包んでいる。
 暗くて、白くて視界が悪い。それでも必死に歩いていると、ゼロはぴたりと立ち止まって、腰に下げていた剣に手を当てた。


「どうした? ゼロ」
「主下がっていろ。そして、いざとなったら逃げろ」
「は、何……っ!?」


 白くもやっとした森の奥から現れたのは一匹の大きな熊だった。その体長は大柄なゼロすら優に超え、のそのそとこちらに向かってくるのが見えた。黒い毛の塊だが、近づいてくるごとにフーフーと興奮したように息を吐いているのが分かった。体のあちこちに弓が刺さっており、この熊を狩ろうとしていたやつが恐ろしくなって逃げたのだろうとすぐにわかった。熊の目は血走っていて、口からよだれもたらしている。度重なる攻撃で興奮しているのだろう。
 動物に対して背を向けて逃げることはかえって危険だ。死にマネをしたところで効果はない。ならば、立ち向かうしかないのだがこの視界の悪さの中、足元がぬかるむ中どうして戦えようか、と俺はゼロの背中を見る。ゼロが俺より強いとわかっていても、目の前の巨大な熊を一人で相手できるのだろうかと心臓が脈打つ。


「ゼロ、大丈夫なのか?」
「かなり興奮しているな。刺激しないようすぐに仕留める」


 そう言って、ゼロは剣を抜いた。鞘からゆっくりと姿を現していくその刃は、白く輝いていた。
 ゼロが剣を構えると、熊は警戒して一歩後ずさりをしたが、またすぐにこちらに突進してきた。
 俺は思わず目をつぶったが、次に聞こえたのは金属音だった。目を開けると、ゼロの剣に弾かれる熊がいた。しかし、熊もやられてばかりではなく、今度は爪で攻撃しようと腕を振り上げた。だが、それよりも先にゼロの剣が振り上げられて、熊の腕を切り落とした。

 ウガアアアアアアアアアアッ! と、獣の咆哮がこだまする。その爪はゼロの頬をかすめ、赤い線を作った。しかし、ゼロはひるまずに剣を振り続け、熊の体に無数の傷を作っていく。そして、最後に大きく振りかぶった剣を振り下ろすと、熊の体は真っ二つになった。ドスンと重そうな音を立てて、熊がその場に倒れる。
 やったのか? と、俺は目を擦りながらゼロを見た。ゼロは、ふうと息を吐き整えると、ちらりとこちらを見た。


「すごいな……ゼロ」
「これくらいは、たやすい……ッ!?」


 だが、突如、まがまがしい気がこの場に流れ始めた。それは呪いのような、強力な負の魔力のようなものだった。その発生源が熊であることに気づき、俺は、慌ててゼロに駆け寄る。
 熊の身体は真っ二つに裂かれて、血が流れていたはずなのに、切られたところにぬちゃっとした黒い靄のようなものがまとわりつき、縫い付けるように熊の身体は修復されていく。それは言葉にするまでもなく、身体が再生していた。


「ただの、獣ではなかったのか?」
「魔力……を感じる。それも、人が故意的に」
「だとするとまずいな」


 ゼロはもう一度剣を構えなおしたが、ゆらりと立ち上がった熊を見て目を向いた。その熊は先ほどよりもはるかに大きくなっていたからだ。
 体が再生するだけではなく、より強力な獣……魔物となって蘇った。その姿はまるで、怨霊をまとった化け物だ。
 さすがのゼロでもこんな化け物を相手するのは無理だろうと、服を引っ張る。だが、ゼロは再び剣を握りなおして、その化け物と対峙する。


「ゼロ、逃げるぞ。こんなもんと真面目に張り合う必要はない」
「だが、逃げたところですぐに追いつかれるぞ」
「だからって、危ないだろ。あんなの戦ったら、いくらゼロでも叩き潰されるぞ!?」


 強敵を前に戦いたい気持ちはわかるのだが、今は逃げてほしいというか、逃げるぞ一緒にの気持ちが強かった。だが、頑なにゼロはその場を動こうとしないので、俺は魔物とかした熊を見た。


(いったい誰が、こんなことすんだよ……)


 この森に放たれているのは獣だけのはずだ。そもそも、下調べの段階で魔物がいないかどうか確認し、いたら討伐、その後狩猟大会が行われる流れになっている。魔物が厄介なのは、魔力を持っていることであり、今回のこの熊もかすかに魔力を感じる。だが、元から持っていたものではなく、誰かに植え付けられたもの。だから生き返って狂暴化したのだろうと思う。
 魔力が使えるのは貴族だけなので、誰かがわざと熊に魔力植え付けたのだろう。死んでから再生するトラップのようなものを。しかし、魔法は禁止されているし、獣を魔物に変える魔法なんて聞いたことない。そんな魔法が横行すれば国の治安の悪化にもつながりかねない。そして、もし、その魔物を使役できる力を持つ人間がいるとするのなら……
 熊はグオオォオォオッ! と咆哮し、こちらに向かって突進してきた。その速さは先ほどとは比べ物にならないくらい早く、力強い。


「チッ……」
「うおぁおおっ!?」


 ゼロに首根っこを掴まれ、俺は間一髪で熊の猛攻撃をよけることができた。だが、熊が突進した木は根元から折れてしまい、それがドミノ倒しになるようにいくつかの木も倒れてしまった。すさまじい力を前に、こんなものと戦ったらひとたまりもないことを再度自覚し、ゼロに逃げるよう説得する。
 ゼロも先ほどの熊の攻撃を見たらしく、確かに今の自分では分が悪いと俺を俵炊きして走り始めた。熊はさきほどの突進で少し隙ができたらしく、よろよろとこちらを見てからまた追いかけてきた。先ほどよりスピードが落ちたものの、地面にぬかるみももろともせずこちらに向かって走ってくる。ゼロも人間とは思えない跳躍力とスピードで森の中をかけるが、熊のテリトリーなのか、やつは俺たちを見失うことなく突っ込んでくる。
 まるで俺たちに目印があるかのように。


(考えられなくもないけどな……)


 だったら、逃げ切ることは不可能なんじゃないかと思った。まだ仮説の段階。だが、それも視野に入れこの森からの脱出が最優先だ。
 俺は、前を向いて走るゼロの邪魔にならないように後ろを見る。熊は怒り狂ったように走ってきて、時々、でっぱった根に躓いてコケ、また体勢を立て直してこちらに向かってくる。体力が尽きることはないのだろうかと思いながら、俺は指先に魔力を集めた。


「主。何をする気だ」
「少しだけ妨害。そしたら、散ったあ、逃げやすくなるだろ……ッ!」


 集めた魔力は指先から稲妻となって熊に襲い掛かる。この雨だ、電気系の魔法はかなり体にダメージがくるだろう。予想通り、熊は俺の攻撃を受けて、身体を震わせていた。だが、数発食らえば、もう耐性ができたように体を振るわえ、毛を逆立たせてこちらに走ってくる。


「マジか」
「どうした、主」
「いや、もう、効かなくなった……というか、めちゃくちゃ興奮してねえ!? あの、熊」
「余計なことをするからだろう」


 余計ってなんだよ、といおうとすればゼロが大きくはねたのでその拍子に舌を噛んでしまう。痛みと、口の中に血がにじむ感覚が気持ち悪くて口を開く気にもなれなかった。
 そうしているうちに、視界が開け眩しい光に俺は目を閉じる。しかし、先ほどまで走っていたゼロがぴたりと止まったので、再び目を開けば、そこは崖の縁だった。


「うわ、行き止まりか……」
「すまない、主」


 ゼロは俺を下ろすと、熊と向き合うように前に一歩出た。熊は俺たちを追い詰めたと笑っているように、グルグルと喉を鳴らしている。口からはよだれではなく、黒い液体が流れ出ていた。目も正気じゃない。
 逃げ場もないし、このままじゃ殺されるか――
 熊は今にもとびかかってきそうだった。ゼロは剣を引き抜いて対峙するが、この狭い空間ではこちらが不利だろう。下のほうに風吸い込まれているような音が聞こえ、同時に水の音が聞こえた。きっとこの崖の下は滝、水場になっている。うまくいけば、この熊からは逃げることはできるだろう。ただし、ここからじゃどれほど距離があるかもわからない。
 ここから飛び降りるべきか否か考えていると、グオオォオォオ! としびれを切らした熊が突進してきた。ゼロはそれを間一髪剣で防ぎ熊の手を切り落としたが、その手はズモモモ……と黒い煙を上げて消えたかと思うと、すぐに熊の手は再生してしまった。やはり、簡単に倒せる相手ではない。対策を練らなければ。


「……んなっ!?」
「主!?」


 顎に手をあて、俺が考えていると、先ほどゼロと熊がぶつかった衝撃で足元が緩くなったのか、ゴッと音を立てて足場が崩れ落ちた。何も捕まるものがなく、俺は吸い込まれるように崖下に落下した。だが、落ちる瞬間スローモーションで見えたのは、俺を追って崖の上から飛び降りたゼロの姿で――


「ラーシェ――ッ!」
「……っ、ゼロ!」


 差し出された手を、咄嗟に掴もうと俺は手を伸ばす。すると、すぐにもその手と手が触れあって、ゼロは俺を抱きしめた。けれども、落ちるスピードは速くなるばかりで、水の匂いに一気に近づいたかと思うと、俺たちはそのまま水中に叩きつけられたのだった。


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