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第3章 不遇令息と猟犬
05 あれ、腕が落ちた……?
しおりを挟むスカッと放った石弓が外れて、がさがさと林の奥にシカは逃げていってしまった。
狩猟大会当日も雲一つない晴天で、絶交の狩り日和だった。そして、意気揚々と狩りに出たものはいいものの先ほどから何度も外しては獲物に逃げられるという醜態をゼロの前でさらしていた。ゼロは時々プッと噴き出して笑うので、こいつに石弓を当ててやろうかとも考えたが、報復が怖そうだったのでやめた。それに、無駄に打つのも悪い。
(俺が、前世を思い出したからへたくそになったとかじゃないよなあ……)
だって、去年までは二位に食い込めるほどの実力だったのに。
だが、よくよく考えればその二位というのは実力半分、不正半分で成り立っていたのではないかと思って俺は肩を落とす。だったら、これが俺の実力というわけだ。
「主、へたくそだな」
「それがずっと言いたかったんだろ! さっきから、笑いやがって! こっちは真剣にやってんだよ!」
思わず石弓を向けてしまったが、ゼロは全くひるみもしなかった。俺が打つことはないだろうとわかってのことか、それとも打ったところで当たらないと思っているのか。どっちにしても憎たらしい。
すでに森の中をうろついているが仕留めた獲物はいない。その代わり、ゼロが動物の逃げ道をふさぐなどしてくれていいところまではいったが、しとめるには至らない、というのがしばしばだった。ゼロもさすがにしびれを切らしたのか、俺が逃がした動物を狩り始めた。これは、俺の手柄に果たしてなるのだろうか。
「主にも下手なものがあるんだな」
「俺は、結構あると思うけどな……てか、多分石弓よりもこっちのほうが得意っ!」
ガサッと揺れた茂みに俺は指を向けてパンと口にする。すると、指先から出た光線が茂みに隠れていた小さなイノシシをしとめた。
「魔法か」
「そ、魔法のほうが俺は得意。つっても、いい思い出ないし、使わないんだけどな」
「反則だな」
「いや、まあ反則だけど!」
魔法は狩猟大会において反則行為とされている。だから、今のはカウントされないし、バレないよう証拠隠滅をしなければならない。わかってはいても、こっちのほうが数十倍勝率は上がるのだ。
魔法が反則行為であることのほかに、魔法がきっかけで俺はジークのことを敵視するようになったし、呪いや魔法の類は侯爵家にいる人たちは苦しめてきたものだ。だからあまり使いたくはなかった。ゼロはそこまで抵抗はなかったようで、珍しいものとして見ていたが、こいつも俺の呪いの被害者なんだけどな、と目を細めてみる。
「剣はどうだ。そっちのほうがいいだろう」
「接近戦は勘弁だな。てか、もう飽きた」
「まだ始まったばかりだろう。楽しまなきゃ損だ」
「なんで、お前のほうが楽しんでんだよ。はあ……」
まあ、機嫌がいいのはいいことだった。昨日の俺の醜態のことなんてさっぱり忘れて、楽しんでいるゼロを見ていると安心する。
しかし、これまで二位だったのに最下位になるのだけは避けなければと、俺はもう一度石弓を握りなおした。適当に獲物を見つけて狩って、それで……
「……っ!!」
ガサガサ、と反対側の茂みが揺れたので、俺は思わず石弓を向けてしまう。だが、茂みから出てきたのは獣ではなく人で、それも見知った人物だった。
「に、ラーシェ様!?」
「ねる、ネルケ!? どうしてここに」
出てきたのは、亜麻色の髪に緑の葉っぱをつけたネルケで、かなり歩いたのか、土や切り傷が多く見てとれた。
俺は、すぐに近づいて、大丈夫かと体をペタペタと触ってしまった。ネルケは「セクハラ~」なんて小さい声でつぶやいていたが、人と会えたことに安心したのか、ほっとしたような笑みを見せた。ジークと一緒にいるものだと思っていたから、きっとはぐれたのだろうと予想ができる。
「主、彼は」
「ああ、えっと。ネルケ……ほら、ジーク、じゃなかった。王太子殿下の恋人? なのか?」
俺がネルケのほうを見れば、ふんふんと首を縦に振る。もうそこまで進んでるのか、と俺は感心する。あのジークが手が早い……
主人公カップルたちが順調なようでそっちは安心する。こちらに被害がなければもう何も言うことはない。それに、弟の幸せが俺の幸せだとも思うから。
ゼロにネルケのことを紹介すれば「そうか」とそっけない返事を返した。一瞬、ネルケに一目ぼれしたのだろうかと思ったが、その眼を覗けばまったく彼に興味がないことを俺は悟った。主人公のことを好きになって、永遠の忠誠を誓うみたいな感じのキャラがゼロだったはずなのだが、今はちっとも主人公であるネルケに興味がなさそうだった。
ネルケ自身も、ゼロをたぶらかすようなことをしていないからだろうが。
「兄ちゃん、どうやってゼロと和解したの」
「いや、和解って……まあ、仲は、まあ、そうだな」
ネルケに引っ張られ、俺はゼロから少し離れた位置でこそこそと耳打ちされる。耳に息を吹きかけられるようでくすぐったかったのだが、俺は聞かれたことにはちゃんと答えた。すると、ネルケの目の色がだんだんと変わっていく。
「やるじゃん。で、兄ちゃん。ヤったの?」
「ブ――――ッ!? おま、おま、なんてこと言うんだよ」
いきなりそんなことを言われ、俺は思わず叫んでしまった。遠くでバタバタと鳥が羽ばたく音が聞こえ、俺はあたりを見渡した。ゼロと目があってしまいすぐにそらしてしまったが、別に嫌だからとかじゃない。
ネルケは、それはもうニタニタと俺を見ていた。片方の手で丸を作り、もう片方の手でその穴に手を突っ込んでいる。卑猥で下品で言葉も出ない。
「なんてこと言うんだよ、お前はあ」
「だって、BL世界だよ? 憎しみから和解にまでもっていけば、やることは決まってるじゃん」
「決まってねえし。てか、お前みたいなラブラブ溺愛~を求めてるんじゃねえの、俺は。平穏な、モブ姦エンドにさえならなきゃ、いい。そんな望みとか、ない」
「え、つまんない」
「つまんない、いうな! 俺の平穏はそれ! 幸せはそれなんだよ!」
俺が言い返すと、ネルケは考えるように顎に手を当てていた。だが、いくら考えられたところで俺の人生。ここがBL小説の世界だったとしても、誰しもがそんな結末を迎えたいとは思っていない。俺は、平穏に生きれればそれでいいのだ。
(平穏に……俺は……)
ゼロを見れば、彼の肩に青い鳥がピチピチと言いながら羽休めしている光景が目に飛び込んできた。その鳥はゼロにすり寄るように身を寄せており、まるで恋に落ちたような乙女の姿だった。ゼロはそんな鳥を優しくなでて、びっくりした鳥は空へと羽ばたいていく。その一連の様子を見てから、俺はネルケのほうに視線を戻した。
「まあ、モブ姦エンドは回避できるでしょ。多分」
「多分って、和解したし、お前らにもちょっかいかけてない。それと、公爵との仲もまあよし。だから、俺はモブ姦エンドには突入しない!」
確実だと言い切れないが、ほぼ確実であると思う。俺はそれまでにいろんなルートを回避し、少しずつでもいい方向に向かっているはずなのだ。だが、ネルケの顔はあまり明るくなかった。
「だって、ここ姉ちゃんのBL小説の世界だよ? 姉ちゃんが、どれだけひん曲がった性格だったか忘れたの?」
と、ネルケは真剣な顔で物騒なことをいうのだ。
妹のBL小説の世界。妹の性癖はかなり人に言えないようなもので、腐女子歴が短い人にそれを言ったらドン引きされるレベルでひん曲がっていた。俺の陥没乳首だってわざわざ設定に書いているくらいのマニア。確かに、俺がモブ姦を百パーセント回避することは不可能なのかもしれない。何かまた、試練が訪れるのではないかと。ネルケに言われて固唾をのむ。
ネルケの忠告はごもっともかもしれない。
「ネルケ! ここにいたのか」
俺が深刻に悩んでいると、そんな聞きなれた声がまた茂みのほうから聞こえてきた。ザッザッと草を踏みしめてやってきたのは黄金の彼ジーク。ネルケはジークに気が付くとたたたっと走って抱き着いた。
「ジーク様」
「ああ、よかった。ネルケが無事で」
と、二人は感動の再会のように抱きしめあっていた。俺たちは全く空気で、俺はその間にゼロのほうへと戻る。
「何を話していたんだ」
「いや、ちょっとした世間話。あいつさ、弟みたいなんだよ。ああ、俺は弟いないけど、そう、弟がいたらあんな感じだったのかなあって」
「……あの王太子に誤解されないといいな」
「大丈夫だろ。それに、弟とは恋愛関係にならないだろ?」
「どうだか」
ゼロは大きなため息をついて二人を眺めていた。すると、ジークがこちらの視線に気づいたのか、俺のほうへ寄ってくる。
「ラーシェ」
「何だよ。ジーク」
「……君がネルケを助けてくれのか?」
ジークはまだ半信半疑といった感じで俺を見ていたが、別に疑っているような感じではなかった。俺が手を出した、とは思っていない……そんな顔に、少しだけ救われた気がする。この間向けられた目がいかに冷たく、俺のことを幼馴染とも思っていない顔だったか。思い出すも恐ろしい。
恩を討っといて損はない。別に助けたわけではないが。
「そう。お前とはぐれてピーピー泣いてるこいつを保護してやったんだよ。よかったな、ネルケ。王子様が助けに来てくれて」
「ラーシェ、君は言い方を……だが、助かった。礼を言おう。ラーシェ・クライゼル」
「ああ。今度はちゃんと守ってやれよ。ジーク」
そんな短い会話だった。
ジークは軽く会釈をし、ネルケの肩を抱いて消えていく。本当にネルケを探しに来ただけのようで、獲物はどうだったとか狩猟大会の話も、俺に関わる話も一切なかった。それは少し寂しかったが、それほどネルケにご執心なんだろう。うらやましいくらいに。
「……主」
「何だよ。ゼロ」
「いや、雨が降りそうだ。切り上げたほうがいい」
「雨? でも、さっきまで晴天で……あ」
ぽつ、ぽつ、と顔に雨粒が当たったかと思うと、ザアアーと一気に雨が降り出した。天気予報があるわけでもなく、先ほどの晴天が嘘のように酷い雨が俺たちの身体を貫く。クリアだった視界が、ぼやけて白くなっていく。早く会場に戻ったほうがよさそうだと思いながら、少しぬめっとした地面に足をとられ、俺は前のめりに倒れる。バチャンと情けない音ともに、服に泥が跳ねる。
「主、大丈夫か」
「ああ。ゼロところで帰り道ってどっちだっけ?」
手を差し伸べてくれたゼロを見ながら、俺は冷たい体を起こし、そう聞くと、ゼロは申し訳なさそうに視線をそらした。
「すまない、俺も把握していない」
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