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第2章 公爵子息と駄犬
10 歩み寄って一人と一匹
しおりを挟むピチチチ、なんていう小鳥のさえずりで目が覚めたのは記憶に新しかった。
前にも小鳥のさえずりで目を覚ましたなあ、なんて思いながら重たい瞼を開く。すると、目に飛び込んできたのは見慣れた景色、天井。だが、横を見れば、あの灰色頭のワンコがすやすやと寝ていた。人間体であるので、俺の何倍もの筋肉を体にまとい、寝息は規則的なのに、眉間にはしわがよっているそんなゼロの姿が目に入ってきたのだ。
まだ覚醒しきっていない頭で、昨日何があったのか思い出しながら俺は無意識にゼロの頭を撫でていた。ポメラニアンのときはかわいいが、こうしてダメって寝ていれば意外と無害なんじゃないかと思ってしまったからだ。それでも、一度寝起きに顔を舐められたことは忘れない。
俺は一通りあたりを見渡し、自分が、パンツははいているが上はシャツだけ、しかもゼロのシャツであることに気づいてしまった。あまりにも体格差があるため、ゼロのシャツを着ると尻まで隠れてしまうのだ。だから、彼シャツ……見れば、ゼロは、ズボンをはいているが上半身は裸で、見せつけるように筋肉が主張してきていた。いつもより、艶やかな肌を見て、こんなんだったけ? と首をかしげる。
その瞬間、頭に稲妻が走しった。
「俺……何して……ああああ!?」
ゼロ、朝、彼シャツ……!
いや、彼シャツでもないし、勝手に着せられていただけなのだが。ようやくそこで、昨日何があったか思い出した。
ゼロの元家族の伯爵夫人との遭遇。そして、家に帰ってゼロを癒して、人間に戻った後に俺たちは……
今思えばなんであんなことになったのか思い出せない。ゼロがあそこまで乗り気だったというか、積極的だったのも、いまだ理解できていないのだ。あの日はちょっと特別だったのだろうか。飴と鞭というか。俺と夫人を天秤にかけたら俺のほうがいいって、嫌なものを二つ出されたとき、片方の嫌なほうがよく見える現象なのだろうか。
考えると頭が痛くなってきたのでそこまでにしたが、俺たちはまたある一線を越えてしまった気がするのだ。
(いや、抜きあいって男同士するもんな。おかしいことじゃないもんな)
自分なりに納得させてみようとしたが、余計な考えが入ってしまって、納得するまでには至らなかった。
まさか、抜きあいで気を失うなんて思わなかったのだ。
もちろん、疲れていたということもあったが、あんなに気持ちよかったのは初めてで、あのピリピリと脳を貫くような快感というのはそう味わえるものじゃないだろう。人にされるってあんな感じなんだ、と無意識に意識を失うまでの感覚を思い出そうとしてしまう。下半身に熱が集まってきたので、俺は一旦考えるのはやめて、原因となったゼロを見た。すると、あちらもちょうど起きたらしく、ターコイズブルーの瞳と目があった。
思わずその目から逃れるためそらしてしまい、感じが悪かったかと視線を戻せば、ゼロは気にする様子もなくあくびをしていた。
「ゼロ、体調は?」
「なんともない。いや、それを聞くのはこっちだが……主、大丈夫か?」
「え、ああ、俺もなんとも……」
「まさか抜きあいで意識を飛ばすとは思っていなかった。そ、そんなに気持ちよかったのか。主」
「おい、お前、なんつー質問してんだよ。朝から!」
指をさして怒鳴れば、さすがに質問も質問だったと思ったのか、ゼロは頬をかいてぺこりと頭を下げた。
正直に質問してくる奴があるか、と俺が睨むと、ゼロはシュンと耳を下げるようにうつむいた。そんなに攻めているつもりはなかったのだが、傷ついたような顔をされるとこっちが悪いのかとなってしまう。だが、不覚にもそのシュンとした顔に胸を貫かれてしまったのだ。
ゼロが可愛く見えるなんて何かのバグでしかないだろう。
「別に。最近抜いてなかったから、そうなっただけだし。俺が別に、敏感とか快楽に弱いとかそういうんじゃ……」
「主」
「何だよ!」
ごにょごにょと恥ずかしながらも言い訳をしていると、それを遮るようにゼロが俺の名前を呼んでくる。
名前、というか一種の呼び方であり、もう慣れたがやはり”主”と言われるのはどこかに違和感がある。
ゼロの方を見れば、さっきとは打って変わって真剣な顔で俺を見つめ、正座をしている。
「昨日一晩考えた」
「何を。てか、この服、お前の?」
「ああ。あの後、主が気を失って後処理をだな。人に服など着せたことがなかったからな。だが、何もきていないというのも寒いだろ? だから、俺のシャツを着せておいた」
風邪は引いていないか? とゼロは心配するように言って、ターコイズブルーの瞳で俺を覗く。なんだか会話も順序もぐちゃぐちゃになっている気がする。というか、後処理とサラッといったが、嫌いな俺を放っておかずにそこまでしたのか、というのが正直驚きだった。もちろん、そのおかげで風邪もひいていないわけだし。
俺はゼロの心配を無碍にすることもできず、大丈夫だ、といって服を脱ごうとした。だが、脱いでしまったらパンツ一枚になることに気づいて、とりあえずゼロの話が終わるまではこれでいいかとボタンを留め直す。
「それで、何を一晩考えたんだよ」
「……主のことだ。これまでの態度を改めようと思って」
「ほーん、ふーん……って、は? 態度を? いやいや、ゼロ?」
どこかに頭をぶつけたんじゃないかと思った。ゼロにそんなことをいわれる日が来るなんて思ってもいなかったからだ。
俺は、誰かに無理やり言わされているのではないかと心配したが、ゼロは、聞け、というように俺の手を掴んだ。やはり冷たいゼロの手は、俺の手なんかよりも大きくて、男らしい。本当に憎たらしいほど、いい手を、体つきをしている。
これが、可愛い女の子だったらいいのに、と一瞬の思ったのに、強引に手を掴まれてドキドキしている自分がいたのもまた事実だった。どうして、ゼロなんかにそんな感情を抱いているのか自分でも理解できない。
「昨日の件……俺は、本当に感謝している。本来であれば、俺の問題で、俺がどうにかしなければならなかった。だが、主はそれに首を突っ込んで、俺のためにいってくれた。生まれて初めて、庇われたんだ。人に」
「へえ、そうなのか……でも、俺は」
ゼロの言葉から、彼の家での扱いがまた一つ鮮明に浮かぶ。誰も庇ってくれない。貴族と身分の低いものの間に生まれた私生児だから。そして、伯爵夫人も、伯爵夫人だったから。ゼロが生きていた国に彼を庇ってくれる人なんて誰もいなかったのだろう。家に何てさらに居場所がないのだ。
庇ってもらったのが初めて、という言葉はきっと嘘じゃない。
傭兵時代も、庇われたことなんて一度もないのだろう。だって、ゼロは強く見えるから。きっと、誰もゼロを気にかけたりしなかったのだろう、と。
容易に想像がついた。それと同時にゼロが誰かに心配されたかったというようなことをいったのが意外だった。これまでずっと寂しかったのか、なんて今まで見たことないゼロの一面を垣間見た気がした。
(それでも、俺は、俺はこいつに……)
前世を思い出して、自分のやったことのひどさに気づいた。だが、思い出さなければあれが当たり前で罪悪感なんてなくずっとゼロを陥れ続けていただろう。
でも、前世を思い出して態度を改めたからと言って過去にゼロに行ったことは一つも消えない。ゼロはそんな俺を許すというのだろうか。
「主の言いたいことは分かる。もちろん、これまでのことを忘れるわけでも、許すわけでもない。だが、主の護衛として、これからもアンタを守るものとして、もう少し歩み寄ってもいいのかもしれないと思ったんだ。まだ、俺の知らない主の顔を知れるかもしれないからな。心を入れ替えるって言ったことが演技や、嘘の可能性もあるが。少しは、信じてみようと思ったんだ」
「ゼロ……」
そんなにまっすぐに言われて、こいつの言葉を疑うこともばかばかしくなってきた。いや、素直に受け取らないほうが無礼だろうと思うくらいには、こいつの言葉が刺さってしまった。まさか、自分が虐げていたやつにこんなことを言われる日がくるとは思ってもいなかったのだ。
許された気持ちになったが、ゼロの言葉にあったように完全に許したわけでもない。何度も思い出しては、そのときまた怒りがぶり返すことだってあるだろう。
「お前に、そんなこと言われるなんて思ってなかった。だって、俺、必死だったから、さ。ゼロが珍しくおされてるって思って。何とかしなきゃって思ったんだよ。まあ、結果あんなふうにしか追い払うことできなくて、お前にまた嫌な思いさせたかもだけど。でも、ほんと……お前が無理やり連れて帰られるのとか、お前がいなくなるのとかは勘弁だって思ったんだよ。俺も」
恥ずかしながらに出た言葉は何一つ嘘のない本音だった。そこに、護衛がいなくなるという打算が少し含まれていたことは自分で感じつつも、呪いを解くと約束したこともまた俺は忘れていなかった。
「そうか、主」
「そうかって、なんだよ笑うなよ。俺は必死だったんだからな! お前が、もし、あのときポメラニアンになったらとか、いろいろ考えてて」
「耐えた俺も褒めてほしい」
「ま、まあ、うん、まあ……」
そのあと、耐えきって力尽きたようにポメラニアンの姿にはなったが、それは目を瞑っておこうと俺は視線を逸らす。
視線をそらした理由はそれだけではなく、ゼロが初めて俺の前で笑ったから、というのもあった。
(お前って、そんなふうに笑えんのかよ……)
ふはっと噴き出すように笑ったゼロ。朝日を帯びて灰色の頭が、銀のように輝いているようにも見えた。その体に流れている貴族の血がそう見せているのか、あるいは俺の目がそう見えるようになってしまったか。それはわからなかったが、ただ今この瞬間は、少しだけ救われた気がした。
思い出したくもないが、自分は悪役で、まだすべての人間に許されたわけじゃないことを。これからもきっと、許されないこともわかっている。けれど、今目の前に俺のことを信じてみてくれるやつがいたことはほんのちょっとの救いな気がしたのだ。
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