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第2章 公爵子息と駄犬

08 俺のなので

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 下品でたまらない、みたいな顔をしている。俺を見て、心底気持ち悪そうに顔を歪め、何様のつもりだと、神経を逆なでされたような顔で俺を睨みつける夫人。そんな顔で見られてもなあ、なんて思いながらも、俺はちっとも怖くなかったし負ける気はしなかった。
 元悪役令息だからか、公爵家という後ろ盾があるからか。まあ、あまり使いたくはないのだが。


「メリットならいっぱいあるじゃない。ゼロ、貴方が欲していた貴族としての地位が手に入る。美しいご令嬢と結婚できる。なんなら、伯爵家だって貴方のものになるのよ!? 貴方をいじめた使用人だって解雇し放題じゃない」
「だから、それは誰のせいで……主?」
「ゼロは別に地位が欲しいわけじゃないですよ。ゼロが欲しいものを貴方は理解できていない。こういうときだけ、母親のような顔をするのやめませんか。反吐が出る」
「何ですって……!」


 挑発すれば、すぐにムキーと怒る夫人。サルを相手にしているようで笑えてくる。
 こっちだって、わざわざ敬語で話してやっているのに、その必要さえ感じないほどこの夫人は目先のことにとらわれすぎている。


「ゼロは、あんな家戻りたくなくて家出したんだよ。それなのに、追い出したお前が戻ってきてくれって懇願? 笑わせんなよ。ゼロは戻らないし、戻らせねえ。俺が雇ってるんだからな」
「あああ、貴方聞いたことがあるわ! ラーシェ・クライゼル……素行が悪くて、陰湿で、手のつけようのない悪漢だって! ああ、思い出したわ。私たちの国にまで、嫌なうわさが流れてきているもの。そうね、そうだったわ」
「……え、俺、そんな?」


 それはさすがに初耳だった。だが、誇張されていても、されていなかったとしても俺が悪いことをしていたのは過去とはいえ事実。それを否定することはできなかった。ゼロも呆れたように視線をそらしている。
 夫人は、今すぐ俺から離れるようにとゼロを説得しようとする。


「こんな男に雇われているですって。まさか、脅されているんじゃないでしょうね。ゼロ! だめよ。こんな男に屈しちゃ。ああ、絶対に家に戻ってきたほうが貴方は幸せになれるわ! そうよ、そうにきまっているのよ!」
「俺の人生を、アンタが決めるな……俺がどれだけ!」


 噛みつきそうなゼロを制止しつつ、俺は夫人と向き合っていた。逃げることだって選択肢にはあったが、ここでへし折らなければ今度はどんな手を使ってゼロを奪いに来るかわからない。ゼロがいくら丈夫で、強いとはいえ世の中大男を運ぶ方法なんていくらでもあるのだ。
 諦めさせられるいい手はないかと、俺は思考しつつも会話は止めないようにした。口で負かすことはとりあえず視野に入れておいたほうがいい。


「お前さ、そもそもゼロに何を与えられんだよ。いらないって言ってる縁談押し付けることしかできないくせに。財政難だったら、ゼロが金が欲しいっていったら与えられるのかよ。俺だったら、与えられるね。なにせ、俺は金持ちの公爵家の跡取りだから。お前は何もゼロに与えられないし、選択肢を奪ってくだけだろ。こいつから、居場所を奪ったように」


 全部を知っているわけじゃない。というか、知らないことのほうが多い。
 ちらほらと、記憶の中にゼロの小説での描かれ方を思い出していた。前世を思い出すまでは、一応説明してくれた境遇の話をめんどくさいからと聞き逃していたが、ゼロの苦悩というのは相当だった。私生児として生まれて、嫌がらせを受けて、貴族の家で使用人として暮らすこともできたのかもしれないがそれも選ばず、たった一人で生きると選んだゼロ。その選択に至るまで何があったかなんて辛くて聞いていられないだろう。ゼロだってきっと思い出したくもないし、理解されないと話したがらない。
 そんなゼロを苦しめて、今の性格になるまで放置しいじめたこの女と伯爵家にゼロを戻してなるものかと思った。
 それに、ゼロの呪いを解くっていう約束を俺はしたからその約束だって守らないと。
 夫人はかえす言葉が見つからないのか、だって、でも、貴方こそ! と繰り返す人形になってしまっていた。それでも、諦めたくないようでゼロに語り掛けるが、ゼロはもううんざりして話も聞きたくないと耳をふさいでいる。


(ああ、もうめんどくさいなあ、もう!)


 さっぱり諦めてくれればいいのに、全く諦めてくれる様子のない夫人を相手にするのはこっちだって疲れた。ゼロだって拒絶しているし、離したくないオーラを出しているのに、なぜそこまで必死になるのか。ゼロがこれまで折れてきたとかではないだろう、が……
 もしくは、それほどまでに危機的状況ってところか。
 でも、俺には……俺たちにはまったく関係ないことだ。


「与えられなくても! それに、これはうちの問題なんです。貴方が口を出していい問題じゃないのよ!」
「いや、だから、聞いてた? 俺は、今、ゼロの雇い主。こっちだって、勝手に仕事を辞められたら困るんだよ。お前らと違って、もともと替えがいる存在じゃないんだから」
「替えですって!?」
「そうだろ。倒れた兄はご愁傷様だが、すべて祟って今の結果なんじゃねえの? まあ、何でもいいし、俺にはかんけえねえけど。俺のもんだから、とらないでほしいなあ。ゼロを」
「貴方のものじゃないでしょ、ゼロは。ゼロは!」
「じゃあ、お前のもんでもねえよ」


 どれだけきつい言葉をかけようが、夫人は折れてくれなかった。それどころか、きっと俺なんて眼中に入っていないんだろうな。邪魔な策程度にしか思っていなくて、策越しにゼロに話しかけているようなものだった。
 俺だって、壁に話しかけているようなものだから、どっこいどっこいか。


「主、もういい。帰ろう」
「ゼロ……?」


 そういって、話を区切るようにゼロは俺の手を握った。いつも大きな手が、俺の手を両手でつかんでいる。諦めのにじむターコイズブルーの瞳を見ていると、こっちまで悲しくなってきて、こいつのこと本当に何も知らないんだと情けなくなる。
 ゼロの雇い主として、俺がどうにかしてあげなくちゃいけないのに。そんな意識だって芽生えたのに、何一つできてないし、困らせてるばかりな気がした。こいつが、ポメラニアンにならないことだけが救いなのだが、問題はそこじゃない。

 わかってる……

 ゼロ! と、夫人は俺を押しのけてゼロのほうへと歩み寄る。俺は机の角に腰をぶつけつつも、ゼロに危害を加えるなと手を伸ばす。だが、夫人の伸ばした手は、思った以上に簡単にゼロに払いのけられた。


「俺に触るな。俺は、アンタらを家族だと思ったこともないし、あの家に戻りたいとも思わない。よかっただろ。目障りな私生児が消えて、それでせいぜいしてただろうに」
「ゼロ、やめろ」


 店の中で剣を引き抜こうとしたため、俺はもう一度と目にかかる。さすがにそんなことしたら目立つどころの騒ぎじゃない。
 こいつに、このくずを殺す権利はあるのだろうが、それをここで許容してしまってはいけないのだ。
 夫人もまさかそんなことをするとは思ってもいなかったようで、かたまってしまっていた。だが、それでもゼロにすがろうとするので、ゼロは今度は蹴りを入れようとする。


「ゼロ――ッ!」
「あ……っ!?」


 制止の意味だった。それでも、今降りてきたこのアイディアは使えると、考える暇もなく体が動く。
 俺は、ゼロの胸ぐらをつかんで引き寄せると自分の唇にゼロのそれを重ね合わせた。それはほんの一瞬だったが、その間にゼロのターコイズブルーの瞳が見開かれたのを俺はばっちりとみてしまった。
 俺にとってこれはファーストキスだったが、そんなことにこだわっている暇はなかったのだ。
 ぷはっ、と息継ぎをするように唇を離して夫人を睨みつける。夫人はあっけらかんとした表情でこちらを見ていたので、すかさず俺は言葉を放った。


「俺、こいつとデキてるから。まあ、片思いだけど、ゼロもゼロで俺の身体に夢中だから。これ、バレたらまずいよな。縁談も破局になっちゃうと思うぜ?」
「……なっ、ゼロ、貴方!」


 夫人はハッとしたようにゼロを見たが、ゼロは、合わせるようにすっと俺の腰を抱いた。幸いにも、俺たちが先ほどから一触即発な雰囲気だっため店内に人はいなくなっていた。
 とっさに思いついた作戦だったが、果たしてこれでよかったのだろうかとは少し思ったが、どうやら効いたらしい。
 わなわなと唇を震わせて、夫人はまたムキー! と顔を真っ赤にする。ゼロも役者のように俺にメロメロみたいな、溺愛彼氏です! みたいな演技をするので、余計に信ぴょう性が増す。夫人は、もう怒った! というように、荷物をまとめると俺たちにぶつかるようにして店を出ていく。


「ちょっと、自分で食べた分くらい払ってけよ。食い逃げばばあ!」
「うるさい、うるさい、うるさいわよ! やっぱり、私生児なんてろくなもんじゃないわ。ああ、せいぜいしたわ。二度と顔を見せないで頂戴!」


 そんな捨て台詞を吐いて夫人は店を完全に出ていってしまった。もう、姿かたちすら見えない。
 俺は何とか乗り切ったな、と息を吐いてゼロを見る。ゼロはじっと夫人が出ていった補不幸を眺めていた。だが、依然として俺の腰から手を離そうとしない。


「あーえっと、ゼロ。もういいぞ?」
「…………主」
「な、なに?」


 俺はゼロの低い声に過剰に反応してしまう。まるで、それがおこっているような声色に聞こえたからだ。
 怖くて顔があげられなかったが、ふと顔を上げたときあってしまった彼のターコイズブルーの瞳は優しくて、つきものが落ちたような顔をしていた。


「ゼロ?」
「主、俺は今それなりに感謝してるぞ」
「お、おう。それは、よかった。いや、でも……!」


 俺がそう言いかけると、ゼロはポンと音を立てていつものごとく灰色のポメになってしまった。きゅぅん、と弱々しく鳴いていたが、しっぽがかすかに揺れていて、つぶらな瞳が俺を見上げる。
 ここまでポメになるのを我慢してくれたことは、こちらとしても助かった。まあ、ポメになって呪いかかってるんです、っていっても説得できそうだったが、ゼロはそれを望まなかっただろう。


「いや、感謝というか、謝るのはこっちだよ。ゼロ。とりあえず、帰ろう」


 もう、疲れた。
 武器の新調は今度にしよう。そう考えながら、俺は高いケーキ代を払ってゼロをジャケットでくるみながら帰りの馬車まで徒歩で向かったのだった。


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