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第1章 悪役令息と狂犬
06 懺悔、懺悔、懺悔
しおりを挟む教会の中は静かで、時々聞こえるパイプオルガンの音に耳をすませれば、なんだか自分の罪が洗われていくような気がした。
「おや、珍しいお客さんですね」
「客じゃないですよ。罪を告白しに来た罪人ですよ」
「クライゼル公爵子息様がそんなこというなんて。罪人なんて……まあ、理由は人それぞれですよ。こちらからすれば、神に祈りをささげるのも、罪を請いに来るのも大歓迎です」
罪を懺悔している俺に話しかけてきたのは、この教会の神父であるアンムートさんだった。クライゼル公爵家とは少し付き合いが長く、公爵と話している姿は、小さいころからよく見ていた。そう、小さい頃はよくこの教会に来て、神に何かしらの祈りをささげていたのだ。今となっては、何を祈っていたのかすら思い出せない。
そして、王太子に魔法の発現で負けたあの日から俺はここに来なくなった。祈っても何も変わらないと思ったから。それよりも神を恨むように、誰も俺を見てくれないと悲劇のヒロインぶって、すべてを恨んで呪った。そんな日々……そんな俺が、ここに来るなんてどういった風の吹き回しだろうかと、アンムートさんは思ったのだろう。
アンムートさんは、赤みがかった茶髪の中年で、とても人柄がよく、誰にでも分け隔てなく優しい。だから、罪の告白という場でありながらも、こうやって気軽に話せるのだ。昔の俺と、今の俺……そして、噂で耳にする俺のこともきっと知っているだろう。それでも、俺に向ける目は慈愛に満ちていて、すべての罪を許すような優しい目を向けてくれていた。その眼にゆだねたくなるが、それではいけない気がして、俺はすくっと立ち上がる。
「それで? どんな罪を懺悔しに?」
「俺の罪は……その……まあ、いろいろ。心、入れ替えたんです。でも、入れ替えたところですぐに許してもらえないですけど。やったことは消えないので。だから、懺悔、を」
いざ言おうとすると言葉が出てこない。心のどこかにある、まだ俺は悪くないという気持ちが足を引っ張る。そして、謝ってもみんなに許してもらえないという現実に、苦しめられる。自分より苦しいのは、俺に苦しめられてきた人たちなのに。そう思っても、わかってはいても、このどうしようもなさに、俺は一人胸を締め付けられるのだ。
懺悔して、罪を口にして、そして改心したから見ててくださいと、信じていない神様に俺は告白するのだ。
「ゆっくりで大丈夫ですよ。神はきっと許してくれるでしょう」
「……そう、神は許してくれるかもしれませんね。これからも、ここに通うことにするので。また、アンムートさんお世話になります」
「いえいえ。こちらこそ。また来てくださるのなら、歓迎しますよ。ラーシェ様」
「……っ、はは、昔みたいに名前で呼んでくれるんですね」
懐かしさはあった。そして、最近は名前で呼ばれることなんてなかったなあとぼんやりと思い出す。そして、俺の頭の中には、俺の頭の中であっても背を向けるあの灰色の男が浮かんでいた。
「はい。誰かに、名前を呼ばれたいと、そう思っているのですか?」
「えっ、ああ、えっと。まあ……名前、気に入っているというか、呼び方にちょっと違和感あるやつなんで。はい。また来ます。待たせてるので」
と、俺は頬をかいたのち、逃げるように教会を出ていく。そんな俺を優しく、アンムートさんは送り出してくれた。
教会の外に出ると、白い石の階段の下で柱を背もたれにし、腕を組んで待っている灰色の頭を見つけた。襟が詰まっていたのか、胸のボタンを二つほど開け、腰には剣を携えた俺の護衛……こちらに気が付くと、目を開き、ターコイズブルーの瞳を向けて細めた。
「早かったな。来ただけで、何もしてこなかったんじゃないか?」
「いーや、ちゃんと懺悔した。罪も告白して、通い続けるってアンムートさん……顔なじみの神父に宣言してきた」
「ハッ。いきなり、教会に行きたいといったときには、また何を考えていると思ったが。その、顔なじみの神父に会いたかっただけなんじゃないか?」
そう、ゼロは軽蔑するように俺を見る。相変わらず、警戒心というか、疑いから入ってくるゼロにイライラしつつも、俺は笑顔を取り繕う。
この懺悔は、まだ俺を信じられない俺が苦しめた人たちへの謝罪であり、そして現在進行形で……いや、これからも罪を背負って謝り続けていくゼロへの気持ちで自分への戒めだった。
確かに、これまで教会に行くことがなかった俺が教会に行きたいと言い出したら驚く人もいるだろう。ゼロも、正気か? と思った以上にひどいことを言ってきたが、一人での外出は危険だということで、護衛としてついてくることになった。もちろん、その結果にも不満があったのだろうが。
(また、振り回されてるって思ってるんだろうな……)
実際これも、自己満足のようなもので、必ずしなければならないわけじゃない。何かの罰とかではなく自主的に。だから、ゼロはそんな自己満で動く俺に付き合うのに飽き飽きしている。けれど、護衛だから、お金をもらっているから給料分は働かないといけないと思っているのだろう。そういうところは律儀でいいと思うが。
ムスッとした顔は、筋肉が固まったように動かなかった。ゼロを見ていると、ずっと責められ続けている気持になるので見ていていい気がしない。サッとそらせば、ため息が聞こえて何だよともう一度顔を見てやる。
「別に、顔なじみの神父っていっても、三十代後半だし。もう何年もあってないから、今日久しぶりに会ったってだけで。あと、仕事人だから俺があの人の時間とったとかそういうのもないからな? 心を入れ替えたんだから、いろいろ社会的にまずいことはしないし、邪魔もしない。ゼロは、俺のこと疑いすぎだ」
「そういうふうに見えるような行いを、これまでしてきたのが問題だろ」
「そりゃそうだけど……でも。いや、そう、だな」
ゼロの言葉は正論だった。
人はいきなり変われない。だから、疑われても仕方がないし、そういう目で見て、徐々に変わっていく姿を見て、変わったんだ程度に思うくらいだろ。
言い返せなくて、拳を握ることしかできず耐えるしかなかった。ゼロは正しい。言葉は厳しいけど、それも俺に本来向けられるべき批判の声なのだ。
「まあ、心がけは悪くないな。それがどういうふうになるかは、俺の知ったことじゃないが。仕事だから、アンタに付き合うだけ。俺はそれだけだ」
「ストイックだなあ……じゃあ、ゼロも俺と一緒に何か祈ればいいじゃん。俺は、懺悔だけど、な?」
「…………祈ることなんてない」
「いや、あるだろ。呪いが解けるとか」
「神が呪いを解いてくれるわけでもないだろ。そんな生産性のない祈りをするくらいなら、現実を見たほうがましだ」
と、ゼロは目をそらした。
懺悔はしたほうがいいのに、祈らないって神を信じているのか信じていないのかわからないな、と俺は思いながらも付き合ってくれることは確定のようでそこは嬉しかった。まあ、仕事だからというのが大きいだろうが、来ても変わらないのだから行かなければいいとは言われなかったのでよかったかもしれない。
「そうだな。呪いを解くのは俺が約束したことだし、俺がどうにかしなきゃだもんな。ゼロ、今日は付き合ってくれてありがとな」
「当然のことをしたまでだ。感謝されることでもない」
「とかいいつつ~本当は、俺に感謝されてうれしいんじゃないのかぁ? お前、褒められるの大好きだもんな」
犬だし? と、突っつこうとすれば、あからさまに避けられてしまった。
犬弄りはNGらしい。でも、なんか幻覚かもしれないが、しっぽを振っているように見えたのだ。俺も疲れているのかもしれない。
「バカなことを言ってないないで帰るぞ、主」
「お前、俺が主人ってこと忘れてるだろ。時々、なんか逆転してないか?」
「していない。それに、もしそうだったとしても主が俺のしつけに失敗したっていうだけの話だろ?」
「お前がそんなふてぶてしくて態度デカい駄犬だって知ってたら、そもそも飼わなかったけどな。こっちも」
「そこも、目利きのできないアンタが悪い」
そう、ゼロはこちらはただ隠していただけだと悪びれなくいう。
忠犬だと思っていたら駄犬で、もともと狂犬だったと恐ろしい男だが、そんな男を引き抜いてしまった俺が悪いので、そこもなんとも言えなかった。
飼い犬にリードを引っ張られる主人ってこんな気持ちなんだろうかと、歩きながらゼロを見れば、時々見るなと俺に言うのだった。
「……ほんと、お前には感謝してるし、一生かけても償えないほどひどいことしてきたと思ってるよ。だから、最近はちょっとしたことも俺、許すようにしてんだけど。それ、気づいてる?」
「知るか。主が俺をどう思おうが、気にかけようが、所詮俺たちの関係は主と従者。俺は、金さえもらえればそれでいい」
「その金は何に使うんだよ」
「そこまでいう権利は俺にはない。どう使おうがそれも勝手だ」
「ひでぇ……歩み寄る努力をしている俺をそんなふうにはねのけるなんて」
「今更だろ。こっちも、主がそんなタイプだったかと、少し困惑しているんだが?」
ゼロは、少し後ろを歩いていた俺に体を向けて、真面目な顔で言う。
「だが、今の主は前よりかは……とは思う。とはいえ、アンタがやったことは忘れないし、今だって許していない。だから、俺が許すと思うな」
「わかってるよ。そんなこと。俺も、今のお前のほうが話しやすくて少しは楽だなとは思ってる。まあ、人間の素型よりもポメのほうが、いくらか気は楽なんだけどな」
「あんな毛玉のどこがいいんだ?」
「それも、お前だからな?」
威圧的な二メートル近い身体と、声と、筋肉と。そんな奴が隣にいたら委縮してしまうだろう。もう少し、自分の人間の姿のときの身体を見てほしいと俺は思った。何度か、自慰を手伝ったが、チンコだってバキバキに大きいし。男の中の男みたいな体をしていてなんだか癪だ。それに比べて、声はそのまま、態度もそのままだが、感情の起伏が分かりやすいポメラニアンの姿のほうが俺は好きだ。ゼロは嫌がるだろうけど。
「まあ、お互いにそう思ってるなら、少しは近づいたのかもしれないなーって」
「近づいた? 何がだ?」
「きょ、り? いや、心の?」
「……なんだか、悪寒が走った。変なことを言うな主。気持ち悪いぞ」
そういってゼロは心底気持ち悪そうに俺を見て距離をった。ただ、車道側を歩いてくれているのは、なんだかいいな、なんて思いながら俺は「はいはいそーですか」と生返事を返して空を仰いだのだった。
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