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第1章 悪役令息と狂犬

01 護衛がポメになりました

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「うあああああああっ!!」


 最悪のタイミングで前世を思い出した。
 怒りに任せて、呪いを吐いて、その呪いが目の前の人間にかかったところで、目が覚めたように前世を思い出してしまったのだ。それはまるで、雷に打たれたような感覚だった。衝撃が走り、混在する前世と紺瀬の記憶に頭が割れそうになる。よりにもよって、この最悪な瞬間に思い出すなんて。
 庭に響いた俺の悲鳴で、木々に止まっていた鳥が羽ばたいていく。だが、そんなこと気にならないくらい、目の前で起きたことに絶望した。


(妹に今からでも、この俺の結末を変えてって頼みたいぐらい……モブ姦バッドエンドなんて。そんなクソッたれな未来!)


 俺――ラーシェ・クライゼル公爵子息は激怒した。妹の性癖と性格がねじ曲がっていることに。

 ここは、妹が書いたBL小説の世界。よくある異世界ものの小説で、主人公の受けは異界より召喚された異邦人。そんな主人公は、この国の王太子に見初められ恋に落ちていくというこれまたありきたりな物語。ハッピーエンドが確約され、そして主人公たちの濃厚でこれでもかというくらいエロを詰め込んだ、中身があってないようなBL小説。
 そこまではいい。ただ、俺が転生したラーシェ・クライゼルはそんな主人公カップルを邪魔する当て馬悪役令息なのだ。
 黒髪に、人相悪そうな悪役顔、赤い瞳は悪魔のようだと恐れられており、傲慢で強欲な性格。好かれる要素を限りなく排除した、悪役になるためだけに生まれてきた男。


(人相悪そうな悪役顔ってひどすぎるだろ……妹!!)


 小説の設定だからといってあまりにもかわいそすぎないか!?

 そんな俺、ラーシェは、主人公カップルの攻めである王太子の幼馴染。だが、王太子の才能もろもろすべてに嫉妬しており、何をやっても二番手。これでもかというくらい、嫌味を言って、仲良くしようとしてくれている王太子の手を何度も弾いてきた。
 そして、主人公に一目惚れして、自分のものにしようと画策する。しかし、やり方が非常にまずく主人公にトラウマを植え付け、王太子の怒りを買ってしまう。その後、最終的に主人公カップルの恋愛成就のため断罪されるのだ。
 素行が悪く、元から誰もラーシェのことなんて好いていなかった。周りにラーシェの味方をする人間はおらず、家からは勘当。さらには、自分が虐げていた護衛に騙され、売り飛ばされ、男娼に。だが、そんな生活したくないと逃げ出したラーシェは、道をふらついていたところモブに強姦さる。そして、そのまま薬漬けモブ姦エンドを迎えるのが、ラーシェ・クライゼルの悪役としての人生だった。

 とにかく、モブ姦エンドというのが最悪中の最悪だった。主人公たちカップルのいちゃらぶよりも、えぐいほどの文字数で書かれた悪役ラーシェ番外編。それを妹はうきうきで書いて、俺にまで見せてきた。吐き気がするほどの蹂躙、モブ姦……! それを、朗読させられた忌々しい過去!
 薬漬け! アヘ顔オンパレード! 肉便器! どれだけ前世やらかせばそんな最悪なエンドになるんだってくらい、ラーシェの最後は悲惨だ。そして、最後はそれを幸せだって感じてしまうくらい、正常な判断ができなくなる。


(きたねえおっさんのチンコとか、咥えたくないし! 突っ込まれるのも嫌だ!)


 そんな、エンド迎えてなるものか……と、思うのだが、前世を思い出したタイミングがタイミングなのだ。
 そう、モブ姦エンドをたどるきっかけとなった護衛に今しがた呪いをかけてしまったから。もしこれが、呪いをかける前だったとしたら、どうにかなったかもしれないというのに。
 これをきっかけに、俺の護衛は俺を一生恨むようになる……と。


「ぜ、ゼロ!」


 呪いが成功したのか、白い煙がゼロを包み込む。

 ゼロ・シュヴェールト。隣国の貴族の私生児で、家族から酷い扱いを受けて育ってきた男。灰色の髪に、ターコイズブルーの瞳は切れ長で、常に仏頂面の目つきが俺以上に怖い。それでも、半分は貴族の血が入っているからか、目鼻立ちは整っているし、何よりデカかった。憎たらしいほど、身体は屈強で、筋肉はついていて、腹筋も割れていて。敵にしたくない体をしている男なのだ。
 そんな、ゼロは、家出したのち、この国で傭兵としてお金を稼いでいた。その様子をたまたま見ていたラーシェ――俺が、気に入って彼を護衛として雇うことに。もちろん、強制的に。それでも、金に食いついたのはゼロのほうだった。羽振りがいいから。それに、貴族のおぼっちゃまの護衛なんて楽なものだと思っていたのだろう。それが間違いだということは一日目に気づいただろう。
 前世を思い出すまでの俺はそれはもうゼロに当たり散らかし、雑用のように扱って、彼を言葉で嬲った。しかし彼は、護衛ということで何も言い返せないし、手を出したりもしなかった。怒りがふつふつと蓄積されていることなんて、俺は思い出すまで、全く考えもしなかったのだ。そのせいもあって、モブ姦エンドを迎えることにもなるのだが……

 二メートル近いその身体を包み込むにはそれはもう、相当な煙が必要だろうと俺は思いながら煙を手で払おうと腕を振る。もし、ゼロに当たったら、さらに彼の怒りを増幅させてしまうかもしれないと思いつつも、彼を煙の中から探そうと必死に手を振った。だが、いくら手を振っても煙の中に屈強な筋肉は見当たらなかった。
 そうしているうちに煙が晴れる。けれども、そこには俺を見下ろしていた大男はいなかった。
 まさか、呪いといいながら人を消す魔法をかけてしまったのかもしれない! 人を消すなんて、殺人も一緒だ、と思ったが証拠がないのだから殺人の立証のしようがない。いや、問題はそんなことではないのだが。
 まあ、それなら俺を破滅へ導く厄介者がいなくなったのでいいとするか……そう思って、一歩後ろに下がると、キャンと何かが足元でほえた気がした。


「ん……? い、ぬ……ポメラニアン?」


 そこにいたのは、この世界に似つかわしくないほど愛らしい灰色のポメラニアンだった。足元ではっはっは、と舌を出して俺を見上げている。珍しすぎる、ターコイズブルーの目は、ちょっと目つきが悪くて、睨んでいるようにも思えた。


「な、んで、ポメラニアンが?」


 ゼロは姿を消して、ポメラニアンが代わりに現れるなんて。


(いや、待てよ……)


「ゼロ……」
「キャン!」
「…………マジか」


 呪いをかけて、護衛にハメられるほど憎まれるというのは覚えていたが、まさかその呪いがこんなものだったなんて俺は想像もしていなかった。妹のBL小説をそんなじっくり読まないし、何より、読みたくもないから流し読みしていたせいで、呪いで、ふんふん、くらいしか記憶にない。
 だから、まさか俺が先ほどかけた呪いが『ポメラニアンになる呪い』だったなんて思わなかったのだ。かけた本人である俺も、転生してしまっていたと気づいたときにその、何の呪いをかけたかという記憶を失ってしまったようで、今ようやく何の呪いが気付いたのだ。
 ゼロ、と名前を呼べば、それは自分の名だ! というように、灰色のポメラニアンは主張してくる。短い足に、ふわもこの毛。しまい忘れた舌に、愛らしい顔つき。あのいかつい男、ゼロとは似ても似つかぬ愛らしさに、俺はそうだろうと思いつつも、重ねることが困難だった。


「本当にゼロ、なんだよな……」
「キャン、ぐうぅうう」
「それ、怒ってんのか……? いや、まあ、そうだよな。こんな姿になっちゃったんだもんな」


 その愛くるしい姿に思わず抱き上げる。ふわふわの毛並みにほわっとした温かさ、唸っていても声が高いせいもあって怖くない。
 犬を飼ったことはないが、前世、柴犬カフェはいった。だから、この小さな命は守らなければならないと変な使命感に駆られてしまう。


「なぅー」
「なうっ……て、お前……」


 ゼロはそんな鳴き方しないだろ。
 あのゼロが、こんな弱々しく鳴くなんて誰が想像できただろうか。そうか、そうか、ポメラニアンになってしまったから苦しいんだろうな。あの鍛え上げた筋肉がなくなって、短い手足になってしまったのが悲しいんだろうな。よしよし、わかるぞ、と俺は抱きしめる。だが、そんなふうに戯れていると、腕の中からふと先ほどとは比べ物にならない鋭い目で俺を睨む何者かの存在に気づいた。


「おい」


 地響くような声が、俺の鼓膜を刺激する。
 気のせいだろうと、思いたかったが、ぐるぐるとうなっている腕の中のポメラニアンに気づいたらもう、そうにしか思えなくなった。


「ポメラニアンが喋った……ッ!!」
「聞こえているのなら、返事をしろ。主」


 主、なんていう特殊な呼び方はゼロしかしない。いや、このポメラニアンがゼロなことは知っているが、先ほどまで、キャンとか、なうとかしか喋らなかったのに、何故突然あのハスキーボイスになったのだろうか。声変わりにしては、人語をしゃべっているし……
 そこまでいろいろと現実逃避をしようとしたが、ばかばかしくなって現実を受け入れることにした。かわいいポメラニアンは、もうかわいくなくなってしまったのだ。
 腕の中の温もりを感じつつ、俺は何だよ、というような目をゼロにむけてやる。すると、ゼロは、いらだったように俺の腕の中で暴れて、シュタッと地面に着地した。


「主、俺にどんな呪いをかけたんだ」
「どんなって、みりゃわかんじゃん。『ポメラニアンになる呪い』だよ……多分」
「チッ……」
「ああ、今舌打ちしやがったな! ポメの癖に!」


 なんで、あんな小さな口から、大きな舌打ちができるのか不思議でたまらなかった。だが、こいつは意識も声もゼロのまんまだと俺は受け入れるしかなかった。姿かたちだけは、か弱いポメラニアン。だが、中身はあの大男だ。
 俺の護衛、俺が呪いをかけてしまったゼロ・シュヴェールトなのだと再認識する。
 すべては、俺がかけた呪いを忘れたせいでもあり、妹の描写がへたくそなせいだった。まさか、かわいいポメラニアンになる呪いは、かわいいポメラニアンだが人語を話すポメになってしまう呪いだったなんて、どんな誤算だろうか。
 まあ、いい……もう、すべて仕方がないことだ。
 ずっと唸りっぱなしのゼロをちらりと見て、俺はため息をつくこともできなかった。ついたら、この小さな命にかみ殺されそうだったから。


「ごめん、ゼロ。俺が全部悪かったよ」


 この一言で済まされるとは思っていない。だが、言わなければならないと、俺は頭を下げる。眼下の小さなポメラニアンに。
 何という屈辱だろうと、俺の中の悪役魂が彼のように舌打ちをした。そして、次の瞬間、ゼロポメは、憂さ晴らしにと俺に向かって体当たりしてきたのだった。


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