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番外編SS

コック長が殿下の胃袋を掴んだときのことです

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 また屋根裏部屋の一面に紙が散乱していた。読めない文字に、細かい文字。頭が痛くなりそうな数字の羅列に、一体何が書いてあるのか知りたいような知りたくないような……しかし、それらは床に散らばっていては本来いけないものなのだと俺は知っている。それらを拾い集めながら、窓際でコック長の新作のシナモンが効いたアップルパイを手づかみで食べている殿下を見た。


「ちょっと、こぼさないでくださいよ。掃除するの誰だと思ってるんですか。というか、食べ方! アンタ、皇族でしょ」
「いいだろ。誰も見てねえんだから。細けえこといちいちいうなよ」


 食べかすがぼろぼろとこぼれて、服に落ちていく。あーと俺は声を漏らしながらその様子を眺めていた。
 グレイとのお茶会のときはそうでもなかったのに、どうして人が見ていないからと行儀の悪い食べ方をするのか理解できなかった。教養もあるし、テーブルマナーも完璧。ただし、人が見ているときは。屋敷にいるときの、とくに、お菓子を食べるときの行儀の悪さは、そこら辺の平民でもしないだろうっていうレベルだった。
 別に俺も食べ方がきれいなほうではないので、人のことを言えないが、帝国の第三皇子がこれでいいのか! とはなる。小言は言うが、一応思いあっているもの同士、そこまで強く言えないのだが。


「話は変わりますけど、コック長、本当にお菓子作るのが上手ですよね。見習いたいなあーって思って」
「あ? そうだな。あいつはもともとパティシエを目指していたらしいからな。だが、あの見た目だからか誰も雇ってくれなかったそうだ。酒場での経験もあるし、とある貴族に一時期雇われていたこともあるらしいから、腕は確かだ。料理の腕は宮廷料理人よりもいいだろうな」
「そうなんですか……その、災難でしたね、コック長」


 確かに、二メートル近いムキムキのスキンヘッドの男が厨房に入ってきたらびっくりするだろう。今や見慣れているが、俺も初めて会ったときは、なんだこの巨漢と思ったから。
 差別的なところはあるのだろうと思った。こういう人がこういう職業に就くのが当たり前みたいな。コック著の見た目にみんな驚いて、彼を雇わなかったと。コック長の腕は確かだし、パティシエになりたいという夢はそういう差別をされなければかなっていただろうと思う。そこを、殿下が見つけてきて引き抜いたと。
 最も、殿下の舌をうならせたという言い方が正しいのかもしれないが。


(殿下は甘党だから……)


「おい、フェイ。チョコかってこい」
「ちょ……こ?」
「チョコレートだよ。金は渡す。チョコレートケーキが食いてえ」
「え、待ってください。チョコレートってめちゃくちゃ高価なものじゃないですか? それを、ケーキに……?」


 一瞬正気じゃないと思った。貴族でも高価で手に入りにくいものだとわかっていながら、ケーキを作らせるために買えというのだ。それも、いきなりお遣いを。お金があるのは本当かもしれないが、そんなほいほい頼むようなものじゃないだろう。
 金銭感覚が違う! と久しぶりに思いながらも、殿下を見ればすでにアップルパイを食べた後で、眠そうにあくびをしていた。血糖値爆上がりして眠くなっているのだろう。それで寝て、でもその体系は維持できるってどんなんだ。俺は殿下とは違って、食べても肉がつかない貧相な身体を見て肩を落とす。周りからしたら俺も太らなくていいな、と言われるのだろう。


(一応、そういう関係なんだけどなあ……)


 俺を特別扱いしたりしない。というのは、周りの使用人からしても、一応、使用人として働いている身気を遣われないからいいのかもしれない。だからと言って、優しくされない、というわけもなく、ある時コロッと殿下も俺を甘やかして、甘えてくるのでそういうギャップに最近は心臓がいくつあっても足りないと思った。
 屋根裏部屋から出て、殿下からのお遣いの件をグレーセさんに伝えれば、チョコレートを買うためのお金をもらえた。どれくらいあればケーキが作れるのだろうかと、もらったお金を見ながら思い浮かべる。料理は専門外なのでわからない。でも、もしかしたらおこぼれで、少しだけケーキをもらえるかもしれないと、少し軽い足取りで俺は帝都のほうまで出かけた。
 帝都は相変わらずにぎわっており、あのバザールで、おばちゃんからオレンジを買う。これは、もらったお金ではなくて、給料から出したものだ。あのときのことは今も忘れない。みずみずしくて甘酸っぱいオレンジの匂いが鼻腔を刺激し、殿下にも食べさせてあげようと、もう一つ買う。それから、チョコレートが売っているお店に行ったのだが、残念なことに一件目はすでに完売してしまったらしい。どうやら、上級貴族が買い占めたばかりで、次の入荷はいつになるかわからないのだそうだ。

 もし、かえなかったら怒るだろうか。そんなことを考えて、さらに離れたところ、もう一件を回ると、俺の格好を見て門前払いされてしまった。お金はあるといったのだが、お前には売れないと怒鳴られ、俺は委縮してその場を去る。みすぼらしい格好ではなかったはずなのに。完全に舐められていたな、と俺は舌打ちをしてその店を後にした。結局チョコレートは買えずじまいで、げんなりと肩を落とすしかなかった。
 これでは、殿下になんて言われるかわからないと、近くにあった高級スイーツ店に足を踏み入れ、ショーケースに目を向ける。するとそこには、宝石のように艶々と下お菓子たちが並んでいた。
 ごくりとつばを飲み込んで、そのあまりの美しさに声が出なくなる。
 そんなふうに固まっていれば、店員に「当店のお菓子はどれも非常においしくて。ぜひ、迷って選んでくださいね」と声をかけられてしまった。あたりを見渡せば、女性の店員と客ばかりで、自分が浮ていることに気づいた。


(入る店間違え……いいや、もうここで何か買ってから帰ろう)


 チョコレートは買えませんでしたと正直に言って、殿下にわびで何かケーキを買おう。殿下のお金だけど。
 俺は、もう一度ショーケースを見た。フワフワのスポンジのショートケーキや、艶々なザッハトルテ、何十二も相が重なったミルクレープに、季節のジュレなるものも置いてあった。どれも、一つの値段が高くうなりそうになるが、俺はその中で一番端にあった真っ赤なケーキに目がいった。


「これは……?」
「これは、フランボワーズのムースケーキです。すっぱくて濃い味が魅力的ですよ」
「そ、そうなんですか……えーと、じゃあ、これを下さい」


 即決だった。というか、これだ! と目に留まってしまった。その赤が殿下の瞳の色と似ていたからだろう。
 無意識にもその色を殿下と重ねてしまう。
 快く店員は箱に詰めてくれ、俺はお金を払て屋敷に戻った。屋敷につけば、玄関で仁王立ちして殿下が待っており、機嫌が悪いように眉間にしわを寄せていた。


「おせぇ。どれだけかかってんだ」
「仕方ないじゃないですか。チョコレートなかったんで」
「じゃあ、その箱は何だ」
「ああ、これ。その、チョコレートなかったので、代わりにって思って」
「無駄金……」
「無駄じゃないですって! 殿下気にいると思って」


 無駄、とか言ってほしくない。中身を見ずにいうのは失礼だ。俺が頬を膨らませば、殿下はうっというように声を漏らし、屋根裏部屋までそれをもっていってしまった。食べるところ見たい、というか、喜んだ顔がみたい、なんていう思いで、俺はついていき、殿下が箱を開ける瞬間をその眼で見た。


「赤いケーキだな。フランボワーズか」
「さすが殿下! そういうの詳しいんですね」
「たまたま知ってるだけだ。だが、俺はこれは好きじゃねえ」
「え……」
「お前が食べるなり、なんなりすればいいじゃねえか」


 と、殿下は俺に箱を押し付けた。まさか返却されるとは思っておらず、俺はその場で固まってしまった。殿下は、食べないのか? というように見てきたので、思わずその箱を投げそうになる気持ちを抑える。


「殿下の、殿下の瞳みたいだって思って、思わず買っちゃったんです。いらないんであれば、初めから何がいらないか言ってほしいです……いや、俺が勝手に買ってきたんです、けど」
「……っ、は、それを先に言え」


 殿下は目を丸くしたのち、嬉しそうに左口角を上げる。いらないといったくせに、俺から箱を奪ってそれ先ほどアップルパイが載っていたさらに移した。机の上に置いてあったフォークを取って、フランボワーズケーキにあてる。スッと、ムース記事なのでフォークは簡単にはいり、一口大にカットされる。


「ほら」
「何ですか」
「食べさせてやる」
「食べないんですか? 俺もいらないです」
「悪かった。そんな可愛い理由で買ってきてくれているとは思わなかった。無下にした。今からでもやり直させてくれ」


 殿下はそう言って、少しかがんで上目遣いをする。
 どういう思考をしているんだ。そのあざとさも。
 確かに、理由を言わなかった俺もだし、勝手に買ってきた俺も悪かったかもだし……いや、俺が悪いんだけど。それでも、一度機嫌を損ねてからの、機嫌よい! というのはどうしてもついていけないというか。
 けど、殿下からの恥ずかしいあーん、だと思えばいいか、と俺はそれを口に含む。確かに酸っぱさとねっとりとしたムース生地が何とも言えないバランスだった。決しておいしくないわけじゃない。今までに味わったことのない不思議な感覚。すっぱくて、でも甘くて……そんな幸せな味が舌の上に広がっていくのだ。


「おいしいじゃないですか。殿下も食べてくださいよ」
「ああ、お前がせっかく買ってきてくれたんだからな」


 さっきと言っていることが違ったが、俺が口に入れたフォークをそのまま使ってフランボワーズケーキを食べる。それはあっという間になくなってしまい、くれたのは一口だけだった。


「すっぱいな」
「すっぱいの苦手なんですね。覚えました。今度はちゃんとチョコレート買ってきますから」
「そうしてくれ。でも、今日みたいな理由で買ってくるんだったら、何でもいいぞ。俺は、甘いものが好きだからな」
「だから、それはすっぱいだったでしょ……もう、現金な……」


 まあ、それでこそ殿下なのだが。
 俺は、殿下から空になったお皿とフォーク、ケーキが入っていた箱をもって屋根裏部屋から下へ降りる。俺も少しは料理を勉強して、殿下に食べてもらいたい。ちょっと変色気味な殿下も、俺の料理なら食べてくれそうな気がするのだ。コック長にお願いしてみよう。そう思いながら、俺は口の周りについていたクリームを舐めとったのだった。


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