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第1部 第4章 邪竜の器と第三の皇子 

08 洗脳と躾

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(いったい、どうなってる……!?)


 俺の意に反して体は、どんどんとホルニッセ卿のもとへ進んでいく。止まれといっても立ち止まる様子は一切なく、その距離は縮まっていくばかりだ。それこそ、体の主導権が奪われたように。
 目の前でちらつかされる赤い液体、ゼーレの血に俺は喉から手が出るほど欲している。飲めばゼーレと一体となれる、なんて一度も考えたことのないような思考に俺は飲まれていくのだ。気持ち悪い。自分が自分じゃないように。
 だが、それと同時に命の危険を感じていた。本能が、近づくなと止めてくるのだ。じゃあ、体も止まってくれよと思うがそうはいかない。
 ホルニッセ卿は、ザクロジュースじゃないといったがベースはザクロジュースだったのだろう。その中に、ゼーレの血を混ぜていたと。にわかには信じられない話だが、確かにあれから少しだけ体力がついた気がするのだ。内側から、ゼーレの血によって体が作り替わっていったということだろうか。だが、多くその血を飲めば、この間の紅茶のように俺の身体は耐えきれず内側から破裂してしまうかもしれない。だから、ゆっくり慎重に、一滴ずつ飲ませていたのかもしれないと。もう口に含んでしまったものなので、吐き出すことはできない。体に溶け込んでしまっているのだろう。
 ホルニッセ卿は機密情報のため、教えられないといったが、この世界のどこかにゼーレの心臓があるというのだ。それをつぶせば、また一つ何か解決するのだろうかとか、発作と洗脳から逃れるようにあたまがかんがえる。
 あの血を飲んだら俺はもう元には戻れない気がする……ただそれだけはわかっていた。


「ほら、欲しなさい。ゼーレを受け入れるために」
「……く、そが」


 だが、発作だけでは説明つかないものもあった。体の自由が奪われたのは、血を欲しているからだけではないように感じるのだ。それこそ、魔法、のように。
 俺が、そういう目で見ていたからなのか、ホルニッセ卿は機嫌よく口を滑らせた。


「ゼーレが復活して、だれかれ構わず蹂躙したら困るでしょう。ですから、あの方が、とある魔法を生み出したのです。ゼーレさえ支配下における魔法を。今はその試用段階といったところですが……そのうち、完璧に扱えるようにしましょう」


 と、笑いながらいうのだ。
 そんな恐ろしい、支配魔法を作り出すなんてどうかしていると思った。しかも、あのお方というのがレーゲンであると仮定して、レーゲンはそれらの魔法を作り出せる力があるというのだ。本当に敵に回したくない相手であると同時に、そんな魔法を頻繁に使われたら誰も太刀打ちできないんじゃないかと思った。


「さあ、受け入れなさい」
「……ッ……」


 抵抗なんてできやしない。それに、もう俺の体はとっくに限界を迎えていた。瓶のふたを開けてホルニッセ卿は笑うのだ。俺はそれに手を伸ばして――


「おい、フェイ。何してやがる」
「……っ」


 地響くような声に俺の身体が一瞬だけ止まる。その声は何度見聞いて、耳に馴染んだものだったから間違えるはずもない。
 少しだけ動いた体がその人物の姿をはっきりととらえた。


「で、んか……」


 黄金の髪は少し煤で汚れているようにも思えた。だが、相変わらずきれいで、でもぼさぼさにまとめたポニーテール。俺が髪をとかしてあげなくちゃかっこ悪い、そんな殿下がそこに立っていたのだ。


「帰ってきてみりゃ、最悪なありさまだ。何があったかは、見りゃわかるが……そんな魔法に屈してんじゃねえぞ。フェイ」
「ああ、思ったよりも帰還が早かったようで。アーベント・ヴォルガ第三皇子殿下」
「お前に名前を呼ばれる筋合いはねえ。愚兄の手先め」
「ククク……兄弟とはいえ、似ても似つきませんなあ。彼のほうが聡明で、彼こそが王にふさわしい……貴様には消えてもらおうか、我々の悲願のために」
「何が悲願だ。異教徒野郎が喋ってんじゃねえぞ。さっさと、魔法を解いてフェイを返せ」
「そうはいきません。それに言ったでしょう、貴様には消えてもらうと」


 殿下のピリピリと背中がさされるようなにらみにも屈せず、ホルニッセ卿は喉を鳴らす。だが、もう殿下が来たから大丈夫だと思っていた俺は、安堵し気が抜けていたのだ。
 ホルニッセ卿は嘲笑しながら、懐からナイフを取り出し、それを俺の手に握らせた。どういうことだ、と思っていると、俺の身体は百八十度回転して、そのナイフの先が殿下に向く。


「貴様は、愛しい従者に魔法を打てますかな?」
「……フェイ!」
「殿下、ま、俺……っ、逃げ……」 


 殿下は俺に魔法を打とうと掌を前に魔力を集めたが、それらは一向に集まることはなく、魔法を打つのをためらっているのが分かった。殿下の魔法は身をもって知っている。あんな威力で撃たれたら死んでしまうだろう。けれど、殿下はそれを人に向けたことはなかった。どこか手加減している……それも知っていたのだ。
 だから、打てないと思った。
 俺の身体は一歩、また一歩と殿下に近づいていく。このままでは、このナイフが殿下の身体を貫いてしまうだろう。魔法に屈しないと、俺は身体に力を籠めるが、まったく俺の身体は制御不可能だった。殿下に逃げてというが、殿下はその場から動こうとしなかった。
 でも、もしここで魔法を放って俺を殺せば、あいつらの計画はとん挫するのではないかと思った。そうすれば、あいつらに一泡吹かせることができる。ここまで育ったっていう、器をあいつらは失うのだ。俺は殿下に打たれる覚悟を決めたのだが、殿下は手を下ろした。まるで、俺に刺されることを受け入れるように。


「殿下ッ!」


 ナイフを握る手に力がこもったのが分かった。そして、身体は助走をつけて殿下に向かっていく。ギラリと怪しくナイフが光る。このままでは、殿下が――


(何で逃げないんだよ! 殿下、俺に殿下を殺させようとしているのか!?)


 そんなのは絶対に嫌だ。俺は殿下が好きだから。そんな理由だけじゃないけれど、主人に刃を向けるなんて……違う、違う、そうじゃなくて、そうじゃない……!
 俺は――!


「やめろおおおお!」


 ナイフは、殿下のわき腹を刺す。少しの抵抗で、急所は外せたものの、ナイフはしっかりと奥まで刺さり、殿下は刺されたところを抑えて痛みに顔をゆがめた。口から血を少量吐き出す。かはっ、と苦しそうに口を開いて、汗のにじむ顔を俺に向けてきた。途端、俺の身体から力が抜け、あの支配魔法から解放されたのだと気づいた。否、殿下が俺の魔法を解いたのだと。


「でん……?」
「あークソ、いてぇ。だが上出来だ。抗ったじゃねえか、お前は」
「は、でも、俺は殿下を刺し……」


 体は動くようになったのだが、殿下のわき腹に刺さったナイフを見て硬直してしまう。抜いたほうがいいのだろうかと思うが、抜いたら血があふれ出しそうで。すでに血が流れだしているそこを見ていると、心臓がきゅっとつかまれるような痛みに襲われる。俺が殿下を刺したのだとその事実が重くのしかかるのだ。
 カタカタと震えていれば、殿下は少し震えた手で俺の頭を撫でた。それはまるで大丈夫だと安心させるような手つきで。
 俺の心臓はこんなにも止まりそうだっていうのに、殿下はなぜか笑っていたのだ。


「大丈夫だ、大丈夫。これくらいかすり傷だ。もっとやべえときもあった、お前が毒を飲んで倒れたときよりも、よっぽど生きた心地がしてる。あのときに比べりゃこんなもん」
「殿下、動かないでください、血が……ひっ!」


 殿下は俺を撫でていないほうの手でナイフの柄を掴み、グッと力を入れたかと思うと引き抜いた。血が噴き出して、ぼたぼたと地面に落ちる。それを見ただけでも失神しそうだった。そこに傷跡が、ぱっくりと見えたから。
 殿下は俺が毒を飲んだときよりもといったが、今度はこっちが生きた心地がしない。今すぐに傷口をふさがなければならない……そう思っていたのに、殿下は触るな、と一言いうと、左口角を上げた。彼がそうやって笑うときはだいたい、殿下の中で何かを確信しているときだった。勝利か、それとも突破口か……俺には理解できなかったが、次の瞬間、殿下の傷口に暖かな光が集まっていくのを感じた。


(魔力……治癒魔法、いや、違う、これは……!)


 俺は思わず、後ずさりした。その暖かな神聖な光に目がつぶれそうになる。別に光り輝いて発光! というわけではないのだが、殿下の傷口をふさぐように光が集まっていくのだ。


「兄上に頭を下げたかいがあったな……ようやく、聖痕の発現の方法が分かったんだからよ」
「聖痕……?」


 殿下はそういうと、左手をバッと前に突き出した。少し血に濡れたその手の甲に、傷口に集まった光と似たような光が集まっていく。それは先ほどよりも輝いて、虹色の光彩を放つ。
 まるで、奇跡のような、そんな光景が広がっていた。


「……ハッ、これでようやく、あいつらと同じ舞台に立てるわけだな」


 殿下の手の甲には、真っ白な竜のような痣――聖痕が現れる。刹那、殿下の周りには今まで感じたことのない魔力があふれ出した。しかも、それは殿下から漏れ出ているもので。


「何だ、これは……!」
「知ってるだろ? 皇族の証、神竜の血を、加護を受けたものに現れる聖痕。これが現れるのを、ずっと待っていた」


 ホルニッセ卿は事態を把握できず、その輝きに顔を覆う。だが、殿下はそれをすべて理解し、このときを待っていたかのように笑うと、人差し指をホルニッセ卿に向けニヤリと笑った。その瞬間、光り輝く白い槍がホルニッセ卿の肩を貫いたのだ。


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