元没落貴族の俺が、嫌われ者の第三皇子に執着されるなんて何かの間違いであってくれ

兎束作哉

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第1部 第4章 邪竜の器と第三の皇子 

05 生きてますよ

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「――がいだから……ないでくれ……」


 誰かが俺の手を握って何かをつぶやいているのが聞こえた。でも、なんて言っているのか、男か女のかもわからない声に、俺は答えることができなかった。水の中にいるように、必死に陸のほうで叫んでいるんだろうなというのが分かっても、それに答えることも、聞き取ることもできない。叫びたくても、その声は泡となって消えていった。
 瞼が重くて、開けられない。まだ寝ていろと言われているようで、意識がだんだんと闇に落ちていくような感覚に襲われた。それでも、誰かが俺の名前を必死に呼ぶから、起きなければと手を伸ばす。
 そういえば、殿下のことを起こしに行かなくちゃいけなかったな、とそこまで思い出して、俺の意識は戻ってきた。


「……んか……!?」


 体が嘘みたいに動いた。ガバッと起き上がり、俺はハッ、ハッ、と荒い呼吸を整えながら、周りを見る。
 まだぼやける視界に、眩しい黄金が映った。


「……フェイ」
「…………殿下? うおっ!?」


 その眩しい黄金が、見慣れた殿下の髪色だったと気づいたころには俺は殿下に抱きしめられていた。
 まだ状況が理解できずに、俺は殿下に説明を求めたが、殿下話せるような状況じゃなかった。俺の肩にぐりぐりと頭を押し付けて、絶えず消えそうな声で「よかった」とつぶやいているのだ。
 俺は、そんな殿下の背中を撫でながら、もう一度当たりを見渡した。だいぶ、ピントがあうようになり、ここが、屋敷内の殿下の部屋であること、ベッドの上で、俺は使用人専用の服から、寝間着のようなものに着替えさせられていることが分かった。部屋の窓からは、暖かな光が差し込んでいるが、殿下の部屋だからか少し寂しく、暗く感じた。
 ひとしきり、確認が終わったところで、俺は殿下に視線を戻す。まだ殿下は俺から離れようとせずに抱きしめたまま今度は動かなくなった。そこまで確認して俺は、グレイが持ってきた紅茶を飲んで血を吐いて倒れたのだと思い出した。あれは、グレイが仕組んだことじゃないように思えた。気になることといえばそれで、俺が倒れた後どうなったのか、何日たったのか知りたかったが、殿下は答えてくれそうになかった。


「殿下、大丈夫ですよ。そんな抱き着かなくても……」
「……るっせぇ。黙ってろ」
「……生きてますから。ちゃんと」


 もう一度優しく背中を撫でれば、少しだけ殿下の体が揺れた。この人がこんなふうになるなんて思ってもいなかった。機嫌の悪い時と違って、どう対応すればいいかわからなかった。
 そんなふうに、抱き着かれたまま殿下が落ち着くのを待っていれば、部屋の扉が開き、アウラとグレーセさんが入ってくる。その手には、水の入った桶やタオルが抱えられていた。


「フェイ、起きたのか!」
「フェイさん、お目覚めになられたようで、何よりでございます」


 アウラがそう声をかけながら近づいてくるのに、俺は慌てて殿下を引きはがし、ベッドから出ようとする。しかし、殿下はすぐにも俺に抱き着いてきて、動けなくなった。アウラはそれを見て、ぴたりと停止する。


「あ、あああ、あ、アーベントさ……」
「うるせえ、アウラ」
「すみません!」


 いつもの光景が広がっていたと安堵しかけたが、妙に殿下はとげとげしく、アウラもそれに気づいたのか一歩引いたところで俺を見る。へにょっと、耳を垂れさせて、アウラは黒い瞳で俺を見たのち安心したような顔になった。


「まず、起きたことには安心した。フェイ」
「アウラが、俺の心配するなんて、斧が降りそう……けど、ありがとう。まだ全然、状況が把握できていないけど」
「……貴様は、三日ほど眠っていた。一日目はずっと血を吐いていて、桶が真っ赤になった。二日目は安定したのか死んだように眠っていたが、うんともすんともいわなかったからな。それと、アーベント様は、三日間、眠ることなくお前の傍らで手を握っていたぞ」


 と、アウラは説明をしてくれた。それを聞いて、殿下は俺からようやく離れ、アウラをものすごい形相で睨みつけた。


「アァウラ……」
「グレーセさん、僕たちは邪魔みたいだからな、荷物をおいたら出よう。まだ、フェイも混乱しているみたいだからな!」
「……そうですね。フェイさん、本当に目覚めたことお喜び申し上げます。それでは、私たちはこれで」
「え、ま、待ってください……って、いっちゃったし」


 アウラはそう言ってまたお辞儀をすると部屋から出て行った。グレーセさんも、俺に会釈をしたあとで同じように出て行った。俺は二人を見送りながら呆然とする。
 三日ほど倒れていたことはわかったし、殿下が眠らずに看病してくれたのもわかった。それ以上情報はいらないのだろうが、殿下がアウラにそれをばらされたことによって機嫌が悪くなったので、殿下に聞こうにも聞けなくなった。


(というか、よくその状況で目覚めることができたよな。生命力に感謝っていうか……三日で回復……)


 一体どんな毒だったんだろうか。誰かが解毒してくれたわけでもないようで、まだ不明瞭なところが多かった。毒を飲んだ、という感覚ではなかったし、それでも内臓が全部燃えるように熱くなった。外側から感じる熱はなくて、だんだんと冷たく凍っていくような感覚もあった。けれど、同じくスコーンと紅茶を飲んだグレイには何も問題なかったし……


「殿下、そろそろ離れてくれませんか? というか、まだ情報が足りなくて、俺……殿下―?」


 全然離してくれる様子はなかった。それどころか、うとうととし始めて寝てしまいそうだったのだ。
 三日も寝ずに看病してくれたといっていたし、寝不足なのだろう。それだけ、殿下は俺を心配してくれたということだ。自分のミスで、自分が止めていたらって後悔しているのかもしれない。罪悪感に押しつぶされそうになっているのかもしれない。けれど、あの殿下が……と少し引っ掛かりも覚えてしまう。


(でも、優しい人だって知ってる。だから、ありえない話じゃない)


 俺はもう一度殿下の背中を撫でた。トクントクンと心臓が鳴っている。俺の心臓も正常に動いているようで安心した。
 もしかして殿下がこんなふうになってしまったのは、以前、自分の代わりに皇太子が毒を飲んだからではないだろうかと思った。自分が飲むはずだった毒を兄である皇太子が。そして、俺と同じように倒れたところを見てしまったから、それが重なったのではないかと。あくまで想像だが、殿下にとって皇太子は大きな存在であり、目の前で毒を飲んで倒れた、というのが今回のと重なったと。
 体も大きくて、態度も大きいくせに、そういうのにはまったく耐性がない。小さな子供みたいに見えた。


「殿下、ありがとうございます。俺の心配をしてくれて」
「……フェイ」
「何ですか? 殿下」


 俺の名前を呼ぶ。あまりに、愛おしそうに、それでいて少し寂しそうに俺の名前を呼ぶので俺は殿下の背中を撫でていた手が止まってしまう。なんでそんなふうに俺の名前を呼ぶのだろうか。


「生きてるか?」
「生きてますよ。殿下のおかげで」
「俺のおかげ、か……」
「何をしてくれたかわかりませんけど、ずっと看病してくれていたんでしょ? 俺が起きるまで、ずっと」
「…………ああ」


 と、殿下はあきらめたように白状した。
 アウラに言われて怒っていたのが嘘みたいに、殿下は顔を上げて俺を見た。目の下には前よりも酷い隈があって、少しだけその鮮血の瞳が曇っていた。髪の毛はぼさぼさで、唇も切れている。泣きそうな顔で俺を見るもんだから、俺は胸が締め付けられた。そんな顔をさせたいわけじゃない。生き返ったんだから、もっと喜んでほしかった。でも、きっと殿下はまた同じようになるんじゃないかって。俺が目を閉じたらそのまま目を覚まさないんじゃないかって思っているんじゃないかと。
 そんなことないのに。
 絶対とは言い切れなくとも、少なくとも殿下の前では死んだりしない。この人が悲しむようなことはしたくないのだ。
 俺は、殿下をもう一度抱きしめて、力の限り殿下をベッドの上へとあげる。すぽっと靴が脱げる音を聞きながら、俺は耐えきれなくなって、腕から力が抜ける。すると、殿下も力なく俺に覆いかぶさってきた。


「どういうつもりだ」
「ど、どういうつもりって……殿下、寝てないでしょうから。どうかなって……」
「……誘ってんのか?」
「え? 添い寝には、誘ってますけど」


 警戒したような殿下の声が耳元で響く。少し枯れていて、でもあの解けるような低い声は変わっていない。そんな声が俺の耳元で聞こえるのだ。くすぐったさも覚えながら、俺は殿下が寝れるようにと、体を少しだけずらした。殿下はその様子を見つめながら、何を? と目を細める。
 俺は、ポンポンと空いたスペースを叩いて殿下を見た。


「で、殿下寝てください。俺の看病はもういいんで」
「病人が何言ってやがる」
「じゃあ、言い返しますけど、寝不足の人が何言ってるんですか。寝ましょう。大丈夫です。ちゃんと起きるので」
「……嘘ついたら殺すからな」
「もう、多分そのときには死んでます」


 殿下は、まだ警戒しているようで眉間にしわを寄せていたが、観念したように、ボスンと、ベッドに沈み込んだ。そして、ものの数秒で動かなくなり、小さな寝息が聞こえ始める。やっぱり無理していたんじゃないかと、俺は殿下の頬を撫でた。するとちょっと嫌そうに「フェイ……」と俺の名前を口にする。起きているのか寝ているのかさっぱりわからない。
 そんな殿下を見ていると、俺まで眠くなってきて、体をもう一度寝かせる。包み込んでくれる温かい羽毛と、そして殿下の匂い。それに包まれれば俺も瞼が重くなってきた。起きたら、この人は隣にいるだろうか。俺が、さっき目覚めたみたいに、俺の隣に……俺は、閉じていく瞼の裏側に、殿下の必死なあの顔を思い出していた。


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