35 / 45
第1部 第4章 邪竜の器と第三の皇子
04 薬も過ぎれば毒となる
しおりを挟む(こえぇ……あの殿下に喧嘩腰って、度胸ありすぎるだろ……)
見ているだけでひやひやする。ただでさえ、機嫌の悪い殿下に対してそんなことができるなんて、今のところグレイしか頭に浮かばない。殿下の機嫌が悪いことに気づきながら煽ってくるところもポイントが高い。
だが、殿下もさすがにこの大勢の前でキレることはしないのか、大人の対応を見せる。笑みを浮かべ、長い足を組み替えて、左口角を上げる。
「そうか、さっぱりか。俺はあんなに苦しんだっていうのにな。しかも、俺が部屋に戻るのを見越して訪ねてきたそうじゃないか」
「実際に見ていないでしょ? お兄様は」
「アウラがみた。門前払いされたみたいだな。あのかわいい兎の獣人に恐れをなして逃げるところを見ると、そこまで肝は座っていないらしい」
殿下はそう言って高らかに笑う。今度はこっちの番だと殿下は笑うのだ。
にしても、かわいい兎の獣人なんてどこが可愛いのだろうか。後ろから、嬉しそうに耳をぶんぶんと回すアウラの「アーベントしゃましゅき♡」オーラが伝わってくる。絶対に心にも思っていないことを口にしているな、と殿下を見ればわかった。
「別に、具合が悪くなったお兄様を見に行っただけですよ。でも、そこの獣人に『貴様は何もできないのだからしゃしゃり出るな!』ってにらまれてしまって。お兄様、雇う人は考えたほうがいいと思いますよ。そこの薄汚い無能な使用人とかも」
と、今度は俺だけではなくアウラも巻き込んで喧嘩を売ってくる。隣で、あ? と、殿下は椅子が壊れるんじゃないかってくらい強く手すりを握る。
「薄汚い無能な使用人、だと?」
「はい。レーゲンお兄様から聞いたんですけど、その人、没落貴族の生き残りだとか」
「だから何だ? お前に何か迷惑をかけているのか?」
「お兄様の評判が下がると思っていっているんです。僕にはそれが耐えられな――」
「俺はこれ以上評判が下がっても気にしねえ。すでに地に落ちてる評判だ、気にする必要もねえんだよ。これ以上堕ちようが上がろうが一緒だ。だから、お前に、俺の従者を悪く言われる筋合いはねぇ!」
ダン! とテーブルを思いっきり拳でたたく。その音に、グレイだけではなく、後ろの従者もビクンと大きく体を揺らしていた。
さすがに今のは俺もビビったが、殿下の逆鱗に触れるほうが悪いと椅子に座りなおす。殿下が、自分の従者の、使用人のためにここまで言うなんて思ってもいなかった。それは、もちろん俺だけじゃなくてアウラやグレーセさんも入っている。全員、グレイにバカにされたからだ。
グレイもまさかそこまで怒るとは思っていなかったのか、口をパクパクと動かしながら、殿下を見つめていた。何か言いたいのだろうが、口を開けばまた怒鳴られるのではないかと気にしているのだろう。
「まっ、これくらいにしておいて。お茶会をしに来たんだろ? 楽しもうぜ、グレイ」
「……っ、ですね。そうですね。お兄様。お茶が冷めてしまいますから……」
はじかれたようにグレイはそう言ってパンと手を叩いた。
殿下も大人げないなあ、なんて俺は目の前に置かれたティーカップの中を見る。さすがに、毒を仕込んでいるなんてことはないだろうが、念のためポケットから銀製のスプーンを取り出してティーカップにつけてみる。変色はしなかったため、毒の心配はないだろう。それに、催淫薬を仕込んでいるということも、ないだろうし。
殿下のほうを見れば、同じく飲むのをためらっているように、お茶を見つめていた。スプーンをかすべきかと思ったのだが、殿下はひょいとカップを持ち上げて、その美しい装飾を眺めているようだった。
「変わった香りの茶葉だな。どこから仕入れた?」
「レーゲンお兄様に聞いて、商売上手の貴族から買いとったんです。よかったらここに送りますよ」
「いらねえ。別にいい香りだとは言ってない」
「……そ、そうですか。ああ、あとこのティーカップもその商人から!」
「んで、その商人はどんな奴だよ」
「顔は、その知らなくて」
と、グレイは申し訳なさそうに眉をひそめた。そんな、顔もわからないやつから買い取って大丈夫なのか、と思ったが、グレイはここに出ているお菓子もお茶も安全なものだと、グビッとお茶を飲んで見せた。それから、スコーンに手を伸ばし、おいしい、とつぶやいて殿下にも進める。見た感じ、お菓子は選んでとったというわけでもないようだし、お茶を飲んで変わった様子もない。少し、気にしすぎただろうか、と俺はティーカップを持ち上げる。
殿下もそれを見て少し警戒が解けたのか、スコーンに手を伸ばしジャムとクリームをいっぱいに塗って口に放り込んだ。そういえば、甘いものが好きだったな、と思い出した。お茶会を始めよう、といったのは本当は、甘いものを早く食べたかったからなんじゃないかとすら思えてくる。
「たしかに、スコーンはうまいな」
「ふふ、いっぱい食べてください。お兄様が食べている姿を見るだけで、幸せになれるので」
「気色悪いこと言うな……お前のそういうところが苦手だ」
「それ意外は好きだと? ふふ、ありがとうございます。僕もお兄様を愛しているので」
愛していると、兄弟には言わないような言葉をサラッと言ってのけたグレイの言葉をさらにスルーして、殿下はスコーンに手を伸ばす。本当に甘いものに目がない、とすがすがしいほどに我を貫く殿下を見て俺はばかばかしくなってきた。
「そちらの、使用人さんもどうぞ」
「え、ああ、ありがとうございます……」
いきなりグレイに勧められたため、ティーカップを置く暇もなくスコーンに手を伸ばしてしまった。グレイはそれを見て「礼儀がなってないんですね。教養もなさそうです」とバカにしてきた。カチンときたが、事実でもあり、相手にする必要もないと、俺はスコーンを口に運ぶ。ラズベリーの酸味と、クリームの濃厚な甘さが口いっぱいに広がり、つい顔が緩んでしまいそうになる。だが、また何か行動を起こせばいちいち突っ込んできそうだったので無心で食べる。しかしそれすらも「おいしいの一言もないなんて、お菓子に、僕に失礼じゃありません?」と言われたので、どうすればいいのかわからなくなった。もう無視を決め込もうと、あとは全部殿下に任せるとスコーンの食べかすがついた口をぬぐう。
殿下は無心で食べていたし、殿下のほうがよっぽどおいしいと口にしていないのではないかと思った。うまい、とはいったもののそれ以降一言もしゃべっていない。
当たり前といえば当たり前なのだが、グレイの食べ方はとても上品で、しかもそれができて当然、身に染みた行動であるかのように食べ、優雅にカップを傾けていた。殿下もスコーンをアホほど食べていたが、こぼしている様子もなければ、口の周りにつけている様子もなかった。皇族と、記憶のない元没落貴族ではやはり一つ一つの行動も違うのだと痛感する。
(心を落ち着かせよう。怒っても仕方ない……)
せっかくの紅茶が冷めてしまう、と俺はティーカップをもう一度持ってカップの縁に口をつける。甘ったるい香りが鼻腔を通り抜けていき、ホワンと、頭が穏やかになった。
殿下もティーカップをようやく持って、口をつけようとする。だが、その前に人差し指で何かを確かめるように宙で意味のない円を描く。何をしているんだろうと横目で見ながら、俺は紅茶を一口含む。
「フェイ、飲むな……ッ!」
「え……? 飲んじゃ……ッ、ガッ」
舌の上に広がったのは香りと同じか、それ以上の甘味だった。下に広がっていく甘さに脳が幸せを感じていたのもつかの間、喉が一気に熱くなり、何かがこみあげてくるような、違和感に襲われた。
「げほっ、な、これ……でん、か……?」
さっき飲んだものを吐き出そうとしたが、完全に飲み込んでしまった。喉が熱い。こみあげてきたものを俺は抑えることができず、思わず椅子から転げ落ちる。地面に手を突き、口を押さえた手に何かが伝う感覚があった。それが血だとわかるとさらに頭がパニックになる。
「え……嘘、何で……?」
そういったのは、グレイだった。まるで、今起きていることが信じられないように椅子をカタンと後ろに引いて驚いていた。それだけで、グレイがこれを仕組んだのではないとわかった……が、なぜ彼は無事だったのだろうか。
「フェイ……ッ!」
地面を這いずるように、血を吐きながらどうにか立ち上がろうとしたが、自分の血と、体から力が抜けて立ち上がることが困難だった。その間にも、喉だけではなく、胃が焼けるような熱を持ち始める。
「ハッ……かひゅっ、あ、ぁ……」
「フェイ、しっかりしろ!」
「あ……でん、か……」
殿下が駆け寄ってきて俺の体を抱き上げる。その体温の暖かさに、少し安心した。だが、それと同時に体がさらに熱くなる。そそして、口から血を吐き出してしまった。その血は、殿下の服を赤く染めていく。
「フェイッ! おい!」
視界がぼやけて黒くなっていく。口からはまだたらたらと血が流れている感覚があった。体が熱い。内側から針で刺されているようだった。
(殿下は、飲んでない……?)
必死に俺を抱き上げて、汗で髪の毛を顔にくっつけて。また必死になっちゃって。
でもその顔が、あまりにも青くて、絶望に染まっていて。そんな殿下の顔を見たことがなかったから驚きだった。死ぬなと叫ぶ。アウラや、グレーセさんの姿も見えて、自分が大変な状態だと気づいたのはそこくらいからだ。
もう何も見えない視界の中、俺は必死に殿下に手を伸ばすとその手をぎゅっと握ってくれた。それだけで安心できるのだから安いものだった。けれど、体の内側のあつさとは対照的に、外は寒くて凍えそうだった。でも、殿下が俺と同じ毒を飲んでいないことだけは、不幸中の幸いか。それだけはよかったと、俺は意識を失う直前に思った。最後に聞こえた「お願いだから、死なないでくれ」という言葉は、本当に殿下がいったものなのだったのだろうか。
56
お気に入りに追加
329
あなたにおすすめの小説
異世界転生先でアホのふりしてたら執着された俺の話
深山恐竜
BL
俺はよくあるBL魔法学園ゲームの世界に異世界転生したらしい。よりにもよって、役どころは作中最悪の悪役令息だ。何重にも張られた没落エンドフラグをへし折る日々……なんてまっぴらごめんなので、前世のスキル(引きこもり)を最大限活用して平和を勝ち取る! ……はずだったのだが、どういうわけか俺の従者が「坊ちゃんの足すべすべ~」なんて言い出して!?
「今夜は、ずっと繋がっていたい」というから頷いた結果。
猫宮乾
BL
異世界転移(転生)したワタルが現地の魔術師ユーグと恋人になって、致しているお話です。9割性描写です。※自サイトからの転載です。サイトにこの二人が付き合うまでが置いてありますが、こちら単独でご覧頂けます。
婚約破棄されたSubですが、新しく伴侶になったDomに溺愛コマンド受けてます。
猫宮乾
BL
【完結済み】僕(ルイス)は、Subに生まれた侯爵令息だ。許婚である公爵令息のヘルナンドに無茶な命令をされて何度もSub dropしていたが、ある日婚約破棄される。内心ではホッとしていた僕に対し、その時、その場にいたクライヴ第二王子殿下が、新しい婚約者に立候補すると言い出した。以後、Domであるクライヴ殿下に溺愛され、愛に溢れるコマンドを囁かれ、僕の悲惨だったこれまでの境遇が一変する。※異世界婚約破棄×Dom/Subユニバースのお話です。独自設定も含まれます。(☆)挿入無し性描写、(★)挿入有り性描写です。第10回BL大賞応募作です。応援・ご投票していただけましたら嬉しいです! ▼一日2話以上更新。あと、(微弱ですが)ざまぁ要素が含まれます。D/Sお好きな方のほか、D/Sご存じなくとも婚約破棄系好きな方にもお楽しみいただけましたら嬉しいです!(性描写に痛い系は含まれません。ただ、たまに激しい時があります)
獣のような男が入浴しているところに落っこちた結果
ひづき
BL
異界に落ちたら、獣のような男が入浴しているところだった。
そのまま美味しく頂かれて、流されるまま愛でられる。
2023/04/06 後日談追加
エリートアルファの旦那様は孤独なオメガを手放さない
小鳥遊ゆう
BL
両親を亡くした楓を施設から救ってくれたのは大企業の御曹司・桔梗だった。
出会った時からいつまでも優しい桔梗の事を好きになってしまった楓だが報われない恋だと諦めている。
「せめて僕がαだったら……Ωだったら……。もう少しあなたに近づけたでしょうか」
「使用人としてでいいからここに居たい……」
楓の十八の誕生日の夜、前から体調の悪かった楓の部屋を桔梗が訪れるとそこには発情(ヒート)を起こした楓の姿が。
「やはり君は、私の運命だ」そう呟く桔梗。
スパダリ御曹司αの桔梗×βからΩに変わってしまった天涯孤独の楓が紡ぐ身分差恋愛です。
【BLーR18】箱入り王子(プリンス)は俺サマ情報屋(実は上級貴族)に心奪われる
奏音 美都
BL
<あらすじ>
エレンザードの正統な王位継承者である王子、ジュリアンは、城の情報屋であるリアムと秘密の恋人関係にあった。城内でしか逢瀬できないジュリアンは、最近顔を見せないリアムを寂しく思っていた。
そんなある日、幼馴染であり、執事のエリックからリアムが治安の悪いザード地区の居酒屋で働いているらしいと聞き、いても立ってもいられず、夜中城を抜け出してリアムに会いに行くが……
俺様意地悪ちょいS情報屋攻め×可愛い健気流され王子受け
最強S級冒険者が俺にだけ過保護すぎる!
天宮叶
BL
前世の世界で亡くなった主人公は、突然知らない世界で知らない人物、クリスの身体へと転生してしまう。クリスが眠っていた屋敷の主であるダリウスに、思い切って事情を説明した主人公。しかし事情を聞いたダリウスは突然「結婚しようか」と主人公に求婚してくる。
なんとかその求婚を断り、ダリウスと共に屋敷の外へと出た主人公は、自分が転生した世界が魔法やモンスターの存在するファンタジー世界だと気がつき冒険者を目指すことにするが____
過保護すぎる大型犬系最強S級冒険者攻めに振り回されていると思いきや、自由奔放で強気な性格を発揮して無自覚に振り回し返す元気な受けのドタバタオメガバースラブコメディの予定
要所要所シリアスが入ります。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる