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第1部 第4章 邪竜の器と第三の皇子
04 薬も過ぎれば毒となる
しおりを挟む(こえぇ……あの殿下に喧嘩腰って、度胸ありすぎるだろ……)
見ているだけでひやひやする。ただでさえ、機嫌の悪い殿下に対してそんなことができるなんて、今のところグレイしか頭に浮かばない。殿下の機嫌が悪いことに気づきながら煽ってくるところもポイントが高い。
だが、殿下もさすがにこの大勢の前でキレることはしないのか、大人の対応を見せる。笑みを浮かべ、長い足を組み替えて、左口角を上げる。
「そうか、さっぱりか。俺はあんなに苦しんだっていうのにな。しかも、俺が部屋に戻るのを見越して訪ねてきたそうじゃないか」
「実際に見ていないでしょ? お兄様は」
「アウラがみた。門前払いされたみたいだな。あのかわいい兎の獣人に恐れをなして逃げるところを見ると、そこまで肝は座っていないらしい」
殿下はそう言って高らかに笑う。今度はこっちの番だと殿下は笑うのだ。
にしても、かわいい兎の獣人なんてどこが可愛いのだろうか。後ろから、嬉しそうに耳をぶんぶんと回すアウラの「アーベントしゃましゅき♡」オーラが伝わってくる。絶対に心にも思っていないことを口にしているな、と殿下を見ればわかった。
「別に、具合が悪くなったお兄様を見に行っただけですよ。でも、そこの獣人に『貴様は何もできないのだからしゃしゃり出るな!』ってにらまれてしまって。お兄様、雇う人は考えたほうがいいと思いますよ。そこの薄汚い無能な使用人とかも」
と、今度は俺だけではなくアウラも巻き込んで喧嘩を売ってくる。隣で、あ? と、殿下は椅子が壊れるんじゃないかってくらい強く手すりを握る。
「薄汚い無能な使用人、だと?」
「はい。レーゲンお兄様から聞いたんですけど、その人、没落貴族の生き残りだとか」
「だから何だ? お前に何か迷惑をかけているのか?」
「お兄様の評判が下がると思っていっているんです。僕にはそれが耐えられな――」
「俺はこれ以上評判が下がっても気にしねえ。すでに地に落ちてる評判だ、気にする必要もねえんだよ。これ以上堕ちようが上がろうが一緒だ。だから、お前に、俺の従者を悪く言われる筋合いはねぇ!」
ダン! とテーブルを思いっきり拳でたたく。その音に、グレイだけではなく、後ろの従者もビクンと大きく体を揺らしていた。
さすがに今のは俺もビビったが、殿下の逆鱗に触れるほうが悪いと椅子に座りなおす。殿下が、自分の従者の、使用人のためにここまで言うなんて思ってもいなかった。それは、もちろん俺だけじゃなくてアウラやグレーセさんも入っている。全員、グレイにバカにされたからだ。
グレイもまさかそこまで怒るとは思っていなかったのか、口をパクパクと動かしながら、殿下を見つめていた。何か言いたいのだろうが、口を開けばまた怒鳴られるのではないかと気にしているのだろう。
「まっ、これくらいにしておいて。お茶会をしに来たんだろ? 楽しもうぜ、グレイ」
「……っ、ですね。そうですね。お兄様。お茶が冷めてしまいますから……」
はじかれたようにグレイはそう言ってパンと手を叩いた。
殿下も大人げないなあ、なんて俺は目の前に置かれたティーカップの中を見る。さすがに、毒を仕込んでいるなんてことはないだろうが、念のためポケットから銀製のスプーンを取り出してティーカップにつけてみる。変色はしなかったため、毒の心配はないだろう。それに、催淫薬を仕込んでいるということも、ないだろうし。
殿下のほうを見れば、同じく飲むのをためらっているように、お茶を見つめていた。スプーンをかすべきかと思ったのだが、殿下はひょいとカップを持ち上げて、その美しい装飾を眺めているようだった。
「変わった香りの茶葉だな。どこから仕入れた?」
「レーゲンお兄様に聞いて、商売上手の貴族から買いとったんです。よかったらここに送りますよ」
「いらねえ。別にいい香りだとは言ってない」
「……そ、そうですか。ああ、あとこのティーカップもその商人から!」
「んで、その商人はどんな奴だよ」
「顔は、その知らなくて」
と、グレイは申し訳なさそうに眉をひそめた。そんな、顔もわからないやつから買い取って大丈夫なのか、と思ったが、グレイはここに出ているお菓子もお茶も安全なものだと、グビッとお茶を飲んで見せた。それから、スコーンに手を伸ばし、おいしい、とつぶやいて殿下にも進める。見た感じ、お菓子は選んでとったというわけでもないようだし、お茶を飲んで変わった様子もない。少し、気にしすぎただろうか、と俺はティーカップを持ち上げる。
殿下もそれを見て少し警戒が解けたのか、スコーンに手を伸ばしジャムとクリームをいっぱいに塗って口に放り込んだ。そういえば、甘いものが好きだったな、と思い出した。お茶会を始めよう、といったのは本当は、甘いものを早く食べたかったからなんじゃないかとすら思えてくる。
「たしかに、スコーンはうまいな」
「ふふ、いっぱい食べてください。お兄様が食べている姿を見るだけで、幸せになれるので」
「気色悪いこと言うな……お前のそういうところが苦手だ」
「それ意外は好きだと? ふふ、ありがとうございます。僕もお兄様を愛しているので」
愛していると、兄弟には言わないような言葉をサラッと言ってのけたグレイの言葉をさらにスルーして、殿下はスコーンに手を伸ばす。本当に甘いものに目がない、とすがすがしいほどに我を貫く殿下を見て俺はばかばかしくなってきた。
「そちらの、使用人さんもどうぞ」
「え、ああ、ありがとうございます……」
いきなりグレイに勧められたため、ティーカップを置く暇もなくスコーンに手を伸ばしてしまった。グレイはそれを見て「礼儀がなってないんですね。教養もなさそうです」とバカにしてきた。カチンときたが、事実でもあり、相手にする必要もないと、俺はスコーンを口に運ぶ。ラズベリーの酸味と、クリームの濃厚な甘さが口いっぱいに広がり、つい顔が緩んでしまいそうになる。だが、また何か行動を起こせばいちいち突っ込んできそうだったので無心で食べる。しかしそれすらも「おいしいの一言もないなんて、お菓子に、僕に失礼じゃありません?」と言われたので、どうすればいいのかわからなくなった。もう無視を決め込もうと、あとは全部殿下に任せるとスコーンの食べかすがついた口をぬぐう。
殿下は無心で食べていたし、殿下のほうがよっぽどおいしいと口にしていないのではないかと思った。うまい、とはいったもののそれ以降一言もしゃべっていない。
当たり前といえば当たり前なのだが、グレイの食べ方はとても上品で、しかもそれができて当然、身に染みた行動であるかのように食べ、優雅にカップを傾けていた。殿下もスコーンをアホほど食べていたが、こぼしている様子もなければ、口の周りにつけている様子もなかった。皇族と、記憶のない元没落貴族ではやはり一つ一つの行動も違うのだと痛感する。
(心を落ち着かせよう。怒っても仕方ない……)
せっかくの紅茶が冷めてしまう、と俺はティーカップをもう一度持ってカップの縁に口をつける。甘ったるい香りが鼻腔を通り抜けていき、ホワンと、頭が穏やかになった。
殿下もティーカップをようやく持って、口をつけようとする。だが、その前に人差し指で何かを確かめるように宙で意味のない円を描く。何をしているんだろうと横目で見ながら、俺は紅茶を一口含む。
「フェイ、飲むな……ッ!」
「え……? 飲んじゃ……ッ、ガッ」
舌の上に広がったのは香りと同じか、それ以上の甘味だった。下に広がっていく甘さに脳が幸せを感じていたのもつかの間、喉が一気に熱くなり、何かがこみあげてくるような、違和感に襲われた。
「げほっ、な、これ……でん、か……?」
さっき飲んだものを吐き出そうとしたが、完全に飲み込んでしまった。喉が熱い。こみあげてきたものを俺は抑えることができず、思わず椅子から転げ落ちる。地面に手を突き、口を押さえた手に何かが伝う感覚があった。それが血だとわかるとさらに頭がパニックになる。
「え……嘘、何で……?」
そういったのは、グレイだった。まるで、今起きていることが信じられないように椅子をカタンと後ろに引いて驚いていた。それだけで、グレイがこれを仕組んだのではないとわかった……が、なぜ彼は無事だったのだろうか。
「フェイ……ッ!」
地面を這いずるように、血を吐きながらどうにか立ち上がろうとしたが、自分の血と、体から力が抜けて立ち上がることが困難だった。その間にも、喉だけではなく、胃が焼けるような熱を持ち始める。
「ハッ……かひゅっ、あ、ぁ……」
「フェイ、しっかりしろ!」
「あ……でん、か……」
殿下が駆け寄ってきて俺の体を抱き上げる。その体温の暖かさに、少し安心した。だが、それと同時に体がさらに熱くなる。そそして、口から血を吐き出してしまった。その血は、殿下の服を赤く染めていく。
「フェイッ! おい!」
視界がぼやけて黒くなっていく。口からはまだたらたらと血が流れている感覚があった。体が熱い。内側から針で刺されているようだった。
(殿下は、飲んでない……?)
必死に俺を抱き上げて、汗で髪の毛を顔にくっつけて。また必死になっちゃって。
でもその顔が、あまりにも青くて、絶望に染まっていて。そんな殿下の顔を見たことがなかったから驚きだった。死ぬなと叫ぶ。アウラや、グレーセさんの姿も見えて、自分が大変な状態だと気づいたのはそこくらいからだ。
もう何も見えない視界の中、俺は必死に殿下に手を伸ばすとその手をぎゅっと握ってくれた。それだけで安心できるのだから安いものだった。けれど、体の内側のあつさとは対照的に、外は寒くて凍えそうだった。でも、殿下が俺と同じ毒を飲んでいないことだけは、不幸中の幸いか。それだけはよかったと、俺は意識を失う直前に思った。最後に聞こえた「お願いだから、死なないでくれ」という言葉は、本当に殿下がいったものなのだったのだろうか。
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