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第1部 第1章 無一文と嫌われ者の第三皇子

10 おかげさまで仕事にはだいぶん慣れました

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「フェイさん。仕事には慣れましたか?」
「ああ、おはようございます。グレーセさん。はい、おかげさまで……はは」
「元気なようで何よりです。先ほど、コック長が新作の焼き菓子を作ったみたいなのでよければ」
「へえ、そうなんですか。洗濯終わったら取りに行きたいと思います。殿下の分も」
「そうしてもらえると助かります。殿下、甘いもの好きですから」
「顔に似合わず……いえ、持ってきますね!」


 この屋敷に来て一週間が経った。時の流れとは早いもので、一週間も過ぎれば基本的な仕事のルーティンをこなすことができ、屋敷の構造も覚えてしまえた。コック長とも、庭師とも、もちろんグレーセさんとも仲良くやっていけているし、生活に支障はない。若い人が珍しいのか、よく働くからなのか、かなり三人からは良くしてもらっている印象だ。
 洗濯物を干していればグレーセさんから声をかけられ、ここ最近どうだと話を振られた。
 ここ一週間で分かったことは、殿下は俺が起こしに行かなくても先に起きていて本を読んでいること。何を読んでいるかは教えてくれないし、俺が起こしに行くと毎度「おせえ」と文句を言って嘲笑すること。俺が起こしに行く必要ないといって一日さぼりかけたら俺の部屋まで押しかけてきて「起こしに来い」と起きているくせに言ってきたこととか。また、しょうもない勝負が始まり、俺が殿下が寝ているときに起こしに行けたら何でも一つだけ願いをかなえてやるといわれた。そして、この一週間頑張ってみたのだが、殿下は俺が起こしに行ったときにはすでに起きていたのだ。まるで、眠れていないように。

 そんなことはどうでもよく、殿下との勝負から一日が始まり、一週間。きれいな服で外に出るためか、お使いに行っても誰も門前払いをしずに快く商品を売ってくれる。俺が家無し無一文だったときは、その身なりの汚さから門前払いされたり、盗む気だろ! と石を投げられたりもした。あのころは、殿下とはベクトルが違うが嫌われていたんだなと今になって思った。
 きれいな服に、きれいに髪をセットしているだけでこうも対応が違うものかとなんだか社会のどういう人が信用されるか、というものが見えてきた気がして少し嫌だった。恰好が汚くてもきれいな心をしている人はいるし、殿下みたいに悪人面でも悪いことをしていない人だっている。見た目や噂に騙されるのが社会なんだ、と痛感した。


「てか、殿下が甘いもの好きって意外というか……」
「何が意外なんだよ」
「うわああっ!? ま、でん、殿下」
「相変わらずのオーバーリアクションだな。そんなに、俺に会えてうれしいか?」
「いや、全然。というか、殿下。俺、殿下が仕事しているところ見たことないんですけど」
「チッ……いいだろ、俺のことは。で? 俺が甘いもの好きで悪いか?」
「別に悪くないですけど、意外っていっただけですけど」


 どこからともなく現れるから心臓に悪かった。
 ぬっと洗濯物を干している俺を上から覗き込むようにして背後に立った殿下は、俺が驚いたのを見ると、嬉しそうに口角を上げていた。いったい何が面白いのだかさっぱりだったが、殿下が面白いならそれでいいやと俺は思考を放置することにした。


「コック長が新作の焼き菓子を作ったらしいです。これ終わったら、殿下の分も持ってこようと思ったんですけど、自分で取ってきてくれませんか?」
「はあ? それが使用人の仕事なんだろ。主人にとってこさせるってどういうことだよ」
「いやあ、手が空いている人なので、どうかと。いてっ! 殴らなくてもいいじゃないですか。殿下の短気」
「日に日に、お前の態度がデカくなってきている気がするんだが?」
「じゃあ、殿下のせいですね。殿下の真似です」
「いらねえとこ、真似すんじゃねえ」
「へえ、でも好きな人に似るって言いませんか?」
「お前はまだ、俺のこと好きじゃねえだろ」


 殿下はくしゃくしゃと頭を掻きむしりながら言った。相変わらず、無造作にまとめてある髪、はきれいなのにもったいなく感じる。俺は自身の黒髪を弄りながら、殿下の黄金の髪と比較する。毛先が白っぽくなっているのも謎で、白髪は上からだよなーなん手考えながらもう一度見比べる。石炭と、宝石くらい差があるその輝きにげんなりと俺は肩を落とすしかなかった。
 それだけ恵まれた容姿をしているのに、本人は全く興味がなくて無頓着というのが何とも言えない。


「髪、結びなおしましょうか?」
「あ? このままでいいだろ。この間、お前、俺が髪を乾かせっていったとき逃げていったし……」
「あれは、さすがに自分でやってほしいというか。というか、殿下、風の魔法使って一発で乾かせるじゃないですか。俺は、そんな魔法が得意じゃないので、普段使いは絶対にしないんですけど……」


 日用的にバンバンと魔法を使うのは殿下くらいだろう。普通は、普段使いできるほど人は魔力を持っていない。そういう意味でも殿下は特別なのだろう。俺はちっぽけな魔力しかないし、魔法だってしょぼいものばかりだ。没落貴族と、皇族じゃ雲泥の差なのだろう。
 それと、そもそも、殿下が使用人を雇わないのは、身の回りのことをすべて魔法でできるからなのではないかという疑惑も浮上する。俺が起こしに行かなくても起きているし、コック長とはフランクに話しているし、着替えも一人でできる……は当たり前にしてほしいのだが、できる。風呂も共有で自分で洗い流して出ていく人だ。皇族で何不自由なく使用人に任せて生活する、なんてことしなくても、彼は一人で何でもできるのだ。もちろん、他の皇族もそうなのだろうが、あれは権力や金を示すものであって、いなくても一人でできることはできるのだろう。
 それかもしくは、殿下は嫌われてきたためすべて一人でやらざるを得ない状況だったのかもしれない。


(とはいいつつも、さすがにその髪の乱れ具合はやばいでしょ)


 俺の、どうしようもない頭の上のほうにあるあほみたいな寝癖二つとは違い、きれいにすれば美しく見える髪なのに。服のボタンを空けているのも仕方ない、たまに靴を履かずに徘徊するのも仕方ない。けれど、顔周りだけはどうにかしてほしかった。


「とりあずそこらへん座ってください。髪結びなおすので」
「だから、いいって。これでいいんだよ」
「はいはい。かまわれるの嫌な猫ちゃんみたいなこと言わないでください。俺が結びたいんで」
「……勝手にしろ」


 近くにあった椅子をずりずりと引きずって殿下の前に置けば、殿下はそれにドカッと深く腰掛けた。いろいろ言いつつも、俺がしたい、なんて言葉につられて座っちゃうところを見ると、俺を相当気に入っているのだろう。それを利用しない手はないと、俺は、ポケットにあったゴムを取り出す。そして、幸いにもポケットの中に小さな櫛が入っていたため、それも使い殿下の髪を解く。日の光を浴びると、さらに金をまぶしたように輝く髪は、本当に美しく眩しかった。


「殿下の髪って高く売れそうですよね」
「やめろ。こんなもん誰も買わねえだろ」
「皇族の髪の毛ーってなんかご利益ありそうで。というか、伸ばしてるんですか?」
「そうだな……別に理由はねえけど。ほら、俺は四人兄弟だろ? アイデンティティがないのは悲しいからな」
「はあ、そんな理由なんですか。じゃあ、ちょっと髪の毛こらせてもらっていいです?」
「好きにしろっていっただろ。だが、絡まるのはやめろ。洗いにくい」


 そんなことを言いつつも、委ねてくれているところに少しだけ心が温かくなる。
 殿下の髪は思った以上に柔らかく、絹のようだった。触っていて心地よく感じるくらいのそれは、髪として完璧であると思えるほど。他の人間よりも少し長めの髪は肩甲骨を覆うくらいまであり、高く結んでいたこともあってそれほど長いとは思っていなかった。だが、この前に髪を切ったのはいつなのか、かなり長さもばらばらでやはり枝毛が伸び放題だった。今すぐにきれいにしたいが、あいにくハサミはなかったため、それは後日になりそうだ。


「おせえ」
「もう、終わるんで、ジッとしておいてください。髪抜けますよ」
「一本くらいいいだろ……いでででで、引っ張んな!」
「殿下が動いたんですけど」


 急に動くものだから、髪は引っ張られるに決まっている。頭皮が痛そうに悲鳴を上げているなあ、なんて感じながら俺はその髪を一つにまとめてゴムで結ぶ。そして、そのまま編み込みをしていけば、まるで女性の髪型のようになっていくのが面白かった。殿下の髪が長いので、サイドで編み込めば凝った髪型に見えるなあと感心する。


「なんか、女の子みたいですね」
「はあ? キモイやつにしたわけじゃねえだろうな」
「さすがにしませんって。でも、こうやると、さらに皇族っぽく見えます」
「何だよ、皇族っぽくって……クソ、鏡がねえから確認できねえ」
「似合ってますよ。本当に」
「……っ、なら、いい。焼き菓子あんだろう。取りに行くぞ」
「だから、俺洗濯の途中なんだって……はあ、仕方ないのでおともしまーす」


 機嫌を損ねたら大変、という言葉は呪いみたいにたまに頭の中で再生される。それでも、今は機嫌が悪いわけじゃなくて、とてもいいのだろう。


(俺のことわかりやすいっていうけどさ、殿下もだーいぶわかりやすいと思うけど)


 嫌われてきたためか、こんなことで喜べるような情緒しか育っていないのだろう。それをあれこれいうわけでもないし、こんなことでも喜んでもらえるのなら安かった。
 好きにはとうていなれなさそうだが、少しだけ嫌いじゃなくなった気がした。


(なんだかんだ、この生活いいのかもしれねえ……)


 目の前で俺が結ったポニーテールが揺れる。少しだけ特別感を抱きながら、俺は軽い足で殿下の後を追った。

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