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第1部 第1章 無一文と嫌われ者の第三皇子

05 働くことは決定事項になっていたようです

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「お、おはようございます。いー朝ですね」


 ははは……なんて、乾いた笑い声を出しながら、俺は失礼だけはないようにと笑みを浮かべた。だが、岩のように固そうなその顔のパーツがピクリとも動くことはなかった。殿下と違って、きっちりと着こなしている執事服に、灰色の髪はオールバックに、白い手袋はしわもなければシミもない。絵にかいたような完璧老執事がそこに立っていた。


「フェイ様ですね」
「ああ、えっと。はい、フェイ……です。貴方は」
「私はこの屋敷の管理、その他すべてを任されている執事のグレーセと申します。以後お見知りおきを」
「ぐ、グレーセさん、様?」
「使用人ですので、グレーセで大丈夫ですよ。フェイ様」
「ああ、えっと、じゃあ俺のこともフェイ、で大丈夫です。というか、まだ働くとは決まってないんですけど。ああ、あと! 客人でもなくて」
「知っております」
「し、知ってるんですか……」


 全部聞いていたのだろうか。だが、外で控えていたという感じはしなかった。
 グレーセと名乗った老執事はそこでようやく眉を下げて微笑んだ。ホッと息継ぎができるような人でよかった、と思いつつも、怒らせたら怖いだろうなあ、という感情もあって複雑に俺は正座をしたまま体制が崩せなかった。


「はい。殿下のわがままに付き合ってもらったようで」
「わ、わがままって。いや、俺も仕事がなかったので……うぅ」
「人手が足りていないのは事実ですから。先月、雇っていた使用人、メイドを二人解雇しまして。この屋敷に残っているのは、私とコック長と、庭師、殿下の護衛くらいです」
「ま、マジですか」
「マジです。ですので、フェイさんが一緒に働いてくれると嬉しいのですが」


 と、グレーセさんは目に涙を浮かべるように訴えてきた。

 お金がないわけじゃないと殿下は言っていた。だが、雇っていた使用人を解雇し、残っているのは身の回りを世話してくれるような人ではなく、本当に屋敷を守るための人だけだった。執事と、コック長と、庭師と、護衛。その四人しか殿下の周りにはいないということだ。解雇させられたのではなく、殿下の意思で、というところも気になる。あのクソ皇子のことなので、気に食わなかったから解雇したのだろうが、それにしても使用人が少なすぎることには驚いた。この屋敷は、別荘と言いつつも普通の屋敷と同じぐらい広く、とてもじゃないがその人数で管理できる広さではないのだ。


「あの、大変恐縮なんですけど……なんでそんなに使用人が少ないんすか」
「殿下が解雇したという理由もそうですが、殿下を恐れ、募集をかけても集まらないのも理由の一つです。ですが、一番の問題は、殿下のもとで働いていた者たちがほかの皇子の手によって殺されたというのが大きく」
「こ、殺された?」


 グレーセさんは、それが悲劇というようには言わなかった。それが、当たり前であるかのように淡々と語る。事実だけを述べる新聞のようだった。


「はい。殿下を少なくとも慕い、殿下に忠誠を誓っていた者たちは処分されてしまったのです。殿下はそれを知ってからというもの、極力使用人を雇わないようにしました。決して、気に食わないからという理由で解雇したのではありません」
「そんな……」


 俺の知らない理由があるのかもしれない。
 殿下が嫌われている理由など、風の噂で聞いた程度だった。素行が悪いとか、性悪だとか、そういう噂が独り歩きして、殿下を孤立させていったのではないかと。俺が知ったことではないのだが、少なくとも、皇族……家族の中で殿下を嫌って蹴落とそうとしているものがいるのだということだけはわかった。それを、ただの使用人が同行できる問題ではないのだが。


「あの、その話俺にしてもいいんですか。俺、ここで働くなんて、逃げ出すかもしれないんですよ?」
「そしたら、フェイさんの首が飛ぶだけですので」


 と、グレーセさんはそれは心配ないです、というように、そこでようやくにこりと笑った。
 どうやら決定事項らしい。


「俺が働く前提で話していたんですか」
「はい。フェイさんは、大変殿下に気に入られた様子なので」
「待ってください。殿下に気に入られたって何ですか!?」


 話が次から次へと進んでいく。グレーセさんは殿下のことをよく理解しているようで、言葉がなくとも伝わっているようだったが、俺には何のことだかさっぱりだった。なんでそんなことになっているのかもわからない。
 ただどことなくニコニコと背景に花が飛んでいるような笑みを見せているグレーセさんを前に、俺は何かを言い返す気にもならなかった。

 働くことは決定事項。
 そして、なぜか俺は殿下のお気に入りだと。


「あの、殿下のこと俺よく知らないんですけど」
「そうですね。殿下のことを知らない人は多いと思います。私も、殿下に仕えて十九年となりますが未だすべてをさらけ出してくれたことはありません」
「十九……え、殿下は何歳なんですか?」
「十九です。今年で二十歳になります」
「ええっ!? あんな態度デカくて、股下百㎞あるクッソ顔整った十九歳がいるんですか!?」
「はい。殿下は発育が良かったほうなので。そういう、フェイさんはいくつなのですか?」
「今年で十九か、十八になると思うんすけど……え、一個しか違わない?」


 なのに、この体格差は何だろうか。嫌われているといいつつも、いいもの食べて寝て、教養、運動をしていたらああなるというのだろうか。解せない。あまりにも不公平すぎる。
 自分のヒョロヒョロの体に手を当て、あばらが出ている腹を見て、俺は殿下との格差に嘆いた。
 そして、二個しか違わないという事実に。確かに年上であるが、あの態度の大きさはいかがなものかと思った。昔からああなのか、どこからかひねくれたのか。


「ま、まあとにかく。俺は殿下のことよく知らないんですよ」
「そうでしょうとも。なので、これから知っていただければと思います。今後ともどうぞよろしくお願い致します」


 と、グレーセさんはまた頭を下げた。
 決定事項は覆せないらしい。グレーセさんは「服をご用意しますね」といって部屋を出ていき、数分の間に帰ってきた。その数分の間、逃げられないことを悟り、腹をくくろうと殿下の顔を思い出しては、腹を立てる、なんてことを繰り返していた。
 このふかふかのベッドは今日でおさらばかもしれない。使用人ともなれば、それ相応の部屋に移動させられるだろうし。


「それにしても、気に入られたって何だよ! 俺がやったことは、この屋敷に盗みに入って間抜けに逃げただけじゃねえかよ!」


 意味がわからない。本当に、本当に意味がわからなかった。
 殿下のツボも、それを理解しているグレーセさんも。使用人が少ないといっていたので、残りの使用人たちが普通の人であることを願いつつ、俺はベッドに大の字に寝転んだ。やっぱりいいにおいがする。安い宿屋とは大違いの質と、匂い。


「夢じゃないしなあ……痛い」


 殿下に出自に関することを突っ込まれたときまずいと思った。元貴族であることは隠したほうがいいと思ったがなんとなく正解だった気がする。いったところで、思い出せないし、ファミリーネームだけ覚えているなんて意味がわからない。だが、殿下がそういうなんかわからない網を使ったら、俺の出自に関するすべてがわかるかもしれない。といっても、記憶を取り戻したいと思っていないため、どうでもいいことなのだが。
 そうして、しばらくしてグレーセさんが帰ってきた。ルンルンとどこか楽しそうに、おちゃめな老執事は俺に服を手渡してくれた。


「おお、ぴったいです。ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ。似合っていますよ、フェイさん」


 グレーセさんが持ってきた服に袖を通すと、それは俺の体にぴったりだった。まるで俺のために仕立てたかのようにしっくりくるそれに驚きつつ、俺は全身鏡に映る自分を見た。
 ベストはむらなく染め上げられた漆黒で、シャツには黄金の刺繍が入っており、ズボンはグレーのストライプだ。首元にはループタイまでついている。その服だけでうん万とかかっていそうなところが怖かった。だが、初めて着たにもかかわらず、何も違和感がない。長年着ていたかのような心地よさすら感じたのだ。


「なんか俺、すげえ似合ってません?」
「ええ。汚れましたら替えがありますので。そちらは、また屋敷を案内するときに教えますね」


 と、グレーセさんは優しく教えてくれた。
 そうして、もう一度俺は鏡を見た。馬子にも衣裳というか、豚に真珠というか。俺の着ている服はかなり上等なものだと見てわかったので少し気後れしてしまいそうになる。似合っていると思ったが、よくよく見れば似合っていないようにも思える。だが、高級そうな服にしわを寄せてだらしなく着ている殿下よりはましだろうと俺は襟を正した。


(働くことは決定事項……はあ……もう仕方ない)


 受け入れるしかない、俺はグレーセさんのほうを見て「よろしくお願いします」と深く頭を下げた。


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